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A-cheの今までの旅の回想、旅の最中の思い、そして、これからの旅についてなどなど、思うことを書き綴っていくつもりです。

2005/3/9 (Wed)
2003年春、上海4Days。(前編)

2年前(2003年)の3月末、4日間続けて休めることになったので、上海を旅した。

突然思い立っての旅だったので、ただ街を歩き回れるだけ歩き回ろう、と考えていた。上海、という街、それだけで十分楽しめる!と思っていた。

宿として選んだのは、新しくできたユースホステル「船長青年酒店(Captain Youth Hostel)」。その宿に泊まったことが、思いがけない楽しい交流をもたらしてくれることになる。

4日間とはいえ、出発は午後便、帰りは午前、ということで、実質滞在時間は2日+少しだけ。(値段の面で重視して利用した中国東方航空の機内食は、偽西洋料理風でイマイチだった。中華料理のほうがいいのに…。)

上海浦東空港から、バスと地下鉄を乗り継いで宿に向かう。
(リニアモーターカーの空港市内間路線はまだ開通していなかった。)


僕がチェックインした男性ドミトリー(2段ベッド・8人)のメンバー構成は、カナダ人、ドイツ人、イスラエル人、学生風の中国人3人、日本人ひとり、そして僕である。
部屋がとてもフレンドリーな雰囲気だったので、旅の始まりの緊張が少し解けた。
特に中国人の学生のみんなが、僕のことを歓迎してくれているようで、夕食に誘ってくれた。
このあたりに「麺のおいしい店があるから食べに行こう!」。
誘いに乗らせてもらう。
もうひとりの日本人と、前述中国人学生3人、計5人で麺を食べに行く。みんなで頼んだのは「牛肉麺」。シンプルながらも麺にコシがあって、おいしかった。
料理を囲みながら、英語・中国語・筆談混じりでお互いの自己紹介をする。
中国学生の3人は、地方から出てきた学生で、英語を学ぶために上海に1か月ほど滞在している、と言っていた。
日本人のもう一人は、「ホスト」を職業とするHくん。初めての海外旅行である。長い休みをもらったので、上海を起点に中国を旅する、という。

場所をコーヒー店に変え、楽しい会話は続く。
上海滞在中の予定の話題になった時、中国学生のひとり、Sくんが、「明日、もし良かったら、みんなで“性の博物館”に行かないか?」と、いきなりの提案。
「“性の博物館”?」Hくんと僕は驚く。
「そんなの中国にあるの?」「日本の上海ガイドには載っていないよなぁ。」と口々に言う。
Sくんは、「上海にだけあるよ。」と言う」。
せっかく上海にいるのだから、行ってみたい!と3人の意見は一致。

おもしろそうだし、「ガイドブックに載らない」上海を見られる、ということでHくんと僕の意見も一致し、翌日に、その「性の博物館」に行くことにした。

その後、同じユースに泊まっている女の子メンバー(やはり中国人学生)と合流し、観光名所の外灘を散策して、ユースに戻った。
ユースでも、多国籍の仲間での会話に花が咲き、1日目の夜は、遅くまで楽しく語らった。



2005/3/9 (Wed)
2003年春、上海4Days。(中編)

翌朝、予定どおり、「性の博物館」に向かう。
中国学生の女の子2人も加わり、7人で、バスを乗り継ぎ、目的地へ。
僕は、「博物館といっても、きっと、すごく小規模なものだろう…」と思っていた。
みんな場所がはっきりわかっておらず、迷いながら行きつ戻りつ歩いた。

バスを降りて20分程歩いただろうか、ビル建設中の工事現場の多いエリアを通り抜けたところに、目的の場所発見!

「中国生殖与性文化博物中心」!
(中国生殖と性文化博物センター)

確かにあった!探し物を見つけたことに、みんなで喜び合った。
その博物館は高層ビルの目立つ上海の中では、かなり小じんまりした2階建ての建物である。

建物は予想通り小さかったが、展示の内容は、思った以上に充実していていた。かなり見応えがあり、7人とも感嘆の連続であった。

古代から現代に至るまでの性に関する文化を、学術的視点からとらえた内容が中心で、エロさを感じるどころか、“性”というのは人間にとって大切な文化の一要素であることを再認識させてくれる、という印象を持った。
古代の性の道具や、明代・清代の「春画」の展示が、僕にとって、たいへん印象的であった。

「世界の性文化」というコーナーがあって、日本のものでは、古代に使っていた性の道具や、江戸時代の「枕絵」などが紹介されていた。また、「現代」のコーナーがあって、世界のエロビデオのパッケージまであった…。
(内容はさすがに紹介できない、と思う。)

パンフレットには、中国人の劉さんという学者が、その学問的使命で、“性文化”に関するいろいろな資料を集めた、と書いてあった。
開館は1993年。なかなか長い歴史を持つ。ちなみに、世界のいろいろな場所でこの博物館の資料が展示されたことがあり、日本では横浜に、その文化財がやって来たことがあるらしい。

“性”という重要な文化要素のひとつについて、改めて詳しく知れた、ということで、僕はもちろん、みんなかなりの満足度だったようだ。

“性の博物館”(正式名称は何だったっけ?)について、僕はデンマークのコペンハーゲンにあるものの存在を知っている。
まだ、行ったことはないが、たいへん“開放的”に、かつ学術的に“性文化”が扱われている、という話を、訪れたことのある人から聞く。

性を語ることについてタブーの少ない北欧をはじめとする欧州各国では、そのような博物館の存在は納得できるが、それに類するものが上海にある、ということは、正直驚きであった。

“性を語ること”について、日本と同様、もしくはそれ以上のタブーがあるのではないか、と思っていたので…。

帰り道でSくんが、「日本人って昔からエッチだったんだよね?」と尋ねてきた。日本発のエッチビデオ・DVDの海賊版が中国のいたるところで出回っている、という現実の中で、彼が思ったのだろう。加えて、この日見た展示で、古代からの日本の“豊かな性文化”の存在を彼は知った。そう思うのも当然だろう。

「どうだろうね?」とHくんと話し合い、食事の際に、2人の見解(結構一致した)を中国メンバー5人に話した。

「その通りだと思うよ。明治になる前の日本では、性について開放的な考え方をしていたみたいだよ。明治以降、政策の一部として、性はある意味“
タブー化”されたけど、本来持ってる性についての開放性は、先祖代々受け継がれている、って言えると思うよ。でも、Hビデオの内容は、あまりにも行き過ぎだと思うけどね…。」
その個人的見解に、ティーンエイジャーである5人とも納得してくれたようだった。

“性”について、男女の分け隔てなく活発に語っている5人の姿に、ちょっと驚きつつ、ちょっと羨ましくなった。
実際に仲良くなって語らないと知ることができなかった、新しい発見である。

親しくなった人とは、“性”に関しても開放的に語っているとは思うが、やはり話題が話題だけに、誰にでもOKってわけではなく、話すのに、躊躇することが多い。
もっと、開放的に、かつ真面目に“性”に関して語り合うことができる雰囲気になればいいな、と思う。

例えば、昼間のカフェで男女年代を問わず“性”について、ほかのカフェで語られる話題と同じように語る、そんな雰囲気(ヨーロッパでは当たり前らしい)になったらいいなあ、何て思ったりするのです。

もし、そのような雰囲気の社会になれば、変にゆがんだ、行き過ぎた、そんな性表現に惑わされることや、陰湿な性犯罪は減るんじゃないか、と思う。

タブーにしているから、闇でゆがんだ、動きが起こる。
また、“性”について「知りたい」、ということが世間的に恥ずかしくてできないから、知ることができず、ゆがんだ情報を鵜呑みにしてしまう。
それが日本の“性”をめぐる快適には程遠い現状だろう、と思う。



2005/3/9 (Wed)
2003年春、上海4Days。(後編)

それはさておき、上海滞在記続きである。

博物館を後にし、その日は1日中、その7人で上海散策をした。
食べ物や服の市場に行ったり、観光名所の豫園に行ったり、トークしながらの待ち歩きは本当に楽しかった。
もうひとりの日本人・Hくんのホストの仕事話も、とても興味深かった。
僕の養護学校教師の仕事話にも耳を傾けてくれた。
(仕事柄?とてもソフトトーク、かつ聞き上手の彼は、上海でいろいろな人とすぐに打ち解けて仲良くなっていったのです!)

生活時間が違い、普通に生活しているだけなら、まず出会えない新しい友達と知り合いになれて、とても嬉しかった。

夜の食事は、日本の2人がリクエストした小籠包(ショーロンポー。僕は、これがとても好きである。)を満喫した。
33歳になろうとしていた当時の僕が、学生のみんなと(Hくんも23歳)、自然な形で仲良く楽しめたのも嬉しかった。

2日目の夜も、宿のメンバーが入れ替わり立ち替わり、話題も多岐にわたって、話に花を咲かせた。
(ちょうど、あの忌まわしい「米英のイラク攻撃開始」の直後の時期であり、社会事象についての話題もいっぱい語った。)


3日目は上海博物館に行ったり、中心部・南京路を歩いたりして、何人かの宿仲間と巨大都市・上海を感じる。ちょうど日曜日であり、すごい数の人の流れを実感しながら、とにかく歩いた。そして、同行の宿仲間と語った。

夜は大雨。上記の中国人学生とディスコに行くことを誘ってもらっていたのだが、差した傘が壊れてしまうほどの雨の激しさに中止を余儀なくされる。
宿のメンバーでトランプをし、負けた人が食べ物を買いに行く、そして宿仲間で楽しく食べ語る、そんな3日目・ラストの夜を過ごした。
(何回か負けたため、僕も雨中に出かけることになる。ズボンがずぶ濡れになった。)

4日目は早い出発。運良く天気は回復していた。
早起きしていた中国学生Sくんが見送ってくれる中、浦東空港へ、そして日本への帰途についた。
急に決めた旅、短い滞在だったが、大きな満足感の残る旅になった。

それは、旅で出会えた「人」のおかげである。

同じ3月末という時間、そして同じ上海船長青年酒店という同じ場所、またとないタイミングで知り合えた、そんな出会いの妙を、今、嬉しく思い返している。
やっぱり、旅の醍醐味は「人」、そして「出会い」である、と改めて実感している。



2005/1/23 (Sun)
Sueさんとの会話

この年末年始、南から北へのベトナム縦断の旅をした。

人との出会いに恵まれ、とても印象的な旅だった。
どれだけ人と出会えたか、ということで自分の旅の印象度が増す。

国際交流のイベントで知り合った友達を訪ねる、というのがこの旅の最大の目的だった。幸いにも会いたくて連絡を取った友達みんなに会うことができて、嬉しい再会を果たすことができた。

その他にも、旅の途中で偶然に知り合った人とも、いろいろな話ができた。

少しの時間の会話だったがとても印象的な旅の出会いもあった。
それが韓国人女性Sueさんとの会話である。

中部の世界遺産都市・ホイアンからフエに向かうツーリストバスの座席は数か所のスペースが残して、ほぼ西洋人旅行者で満席であった。
一番前の席に長身の東洋系の女性の隣が空いていたので、そこに座っても良いか尋ね、OKをもらったので座ることにした。

フエまで休憩も含めて約5時間ある。
本を読む、旅についてのメモを取る、ことも良いが、偶然隣り合った旅人と話することも大きな楽しみの一つである。

偶然隣り合った人に話しかける時に使う、ありきたりな話題で話しかけた。
「どのくらいベトナムに滞在するのか。」
「ベトナムのほかにどこの国へ行ったか、どこが良かったか。」

その人はソウル近郊に住む韓国人で、ニックネームはSueだと言った。
アンコールワットを見たくてカンボジアを旅し、その後ベトナム・ラオスを約1か月かけてまわる、と言っていた。
次の話題として、互いに「何をしている人か。」という話題で会話する。

「ライターだ」と答えてくれた。
韓国月刊誌のレギュラー記事を3本持っていて、テーマに関する取材記事や、コラム等を書いていると聞いた。
今回の旅についてもコラムで書くとのこと。

新しい発想、考え方を自分の中に取り入れるのに、気分の転換が必要であり、自分で自由に裁量できる時間が必要である、そのために原稿を日程前倒しして書き、旅に出たのだ、と言う。

また、彼女は、自らの恋愛等の体験を基にした小説を書くための準備中である、と言った。自分の小説をいつか世に出したい、と語ってくれた。

日本では作家はどうやって本を世に出せるのか?ということを聞かれた。
文学賞に応募する。賞を得れば出版社から依頼が来て、著作物が世に出ることが実現する。という、僕が知り得る限りの答えをしたつもりである。

また、日本の作家の本もかなり読んでいるようで、村上春樹と大江健三郎が好きである、と言っていた。

その他、韓国の、そして日本の映画や音楽のことなどについて、語ることができた。
ホイアンを発ったのが朝の早い時間だったこともあり、途中眠ってしまったこともあって、実際に話した時間は2時間ほどだったと思うが、たいへん印象的な会話だった。

フエに到着して、僕は友達に会う約束があり、Sueさんはラオスに向かう、とのことで、バスから降りたらすぐに互いの目的地に向かった。

いつの日か、韓国の書店で、Sueさんの書いた本が積まれているのを目にしたとしたら、嬉しいに気持ちになるに違いない。

いろいろな人と知り合える。
少しの時間でも印象的なTALKがある。
だから旅はおもしろい。



2004/11/12 (Fri)
アーユルヴェーダ体験

今年の8月末、スリランカを旅した。
実質滞在5日間というあっという間の旅の日々であった。
中心地・コロンボに住む青年海外協力隊、およびNGO・AMDAなどで活動中の友達を訪ねる(なぜか僕の友達がこの国に4人住んでいる)というのがいちばんの目的だった。友達には活動の様子など興味深い話が聞けた。何より、元気に生活を楽しんでいる、ということが感じられて嬉しかった。

平日の2日間は友達が活動日だったこともあって、ひとりで片道3時間鉄道に乗って、キャンディという歴史ある街を訪ねて1泊した。
キャンディは、仏歯寺、という文字通り仏の歯が祀られている寺があり、それが観光のメインである。キャンディ2日目の朝に訪れ、人々の信仰の深さを感じた。
1日目夕方キャンディアン・ダンスという伝統舞踊も見た。
その他の時間は、市場など、街歩きを楽しんだ。
短い時間だったが、充実したひとり旅であった。

この国・スリランカに来て、ちょっとやってみたかったことがある。
南インド発祥の癒しの施術=『アーユルヴェーダ』である。
オイルを額にたらしたり、全身をマッサージすることで、究極の癒しを感じる、との友達の言葉に、男である自分も、時間さえあれば、やってもらいたい、と思っていた。
キャンディでの夜は、時間もあったし、「怖いもの見たさ」という心理も働いたのであろう、体験してみることにした。

宿泊したホテル内の旅行代理店で手続きをやっていた。
チェックインのときに申し込む。
『1時間全身オイルマッサージコース』を選択。
ダンスを見終わって帰ってきたら、アーユルヴェーダの場所に向かうスリーウィラー(タイで言う「トゥクトゥク」と同じ)が待っていた。
約10分高台の方に走って、到着。

木造の小さな建物。きれいではないが汚い建物でもない。
「Hello!」スリランカの人にしてはそれほど太っていない中年男性が迎えてくれる。
鍵つきロッカーがある。服を脱ぎガウンに着替える。
施術の部屋に入ると、先程の男性。
「このオッサンのマッサージを受けるのか!?」
正直尻込みしそうになった。
男性にマッサージを受ける、ということにはトラウマがあった。
ベルリンのユースホステルでの出来事のことを思い出してしまった。
(東欧バルトの旅・ドイツ編を参照してください。)
しかし、女性のマッサージだったらいいのか、と考えたら、ちょっと笑えてきたので、昔の出来事と関連させないよう努力した。
蚊が飛んでいた、それにちょっとナーバスになってる表情が出てしまうと、オジサンは「ノープロブレム」と言った。
ここはスリランカ。細かいことは気にしちゃられねえ。

シロダーラという施術。額に香ばしいにおいの油をたらす。
頭と顔とマッサージしてもらう。
続いて全身オイルマッサージ。

確かに心地よい。
心を解放できていたら、たいへんな気持ちよさを感じていただろう。

しかし、哀しいかな、ベルリンでの出来事のトラウマのせいもあって、心を解放しきれていなかったような気がする。

シャワー室があり。そこで身体についた油を洗い流す。
さっぱりしたところで、紅茶を出してもらい、しばしマッサージのおじさんと談笑。
「JAPAN,Good Country!」と何回か言っていた。
何をもってGoodなのだろうか、と、このようにほめ言葉を頂く度に困惑の気持ちを抱く。

まあ、何はともあれ、アーユルヴェーダ体験無事終了。
やってみる価値はあったと思う。

みなさんも、スリランカや南インドを訪れるときは、ぜひぜひお試しあれ。
その時は心を十分に解放してみてください!



2004/11/7 (Sun)
旅のはじめの至福の時

関西空港から飛行機に乗る時、なぜかいつもおなかがすいている。
それは、旅の際は常に家から慌しく出発し、さらに何かしら用事を抱え(年末年始の旅では年賀状を関空行きのバスの中で書いたりする)、ほとんど食べたり飲んだりする暇のないまま飛行機に乗り込むことになるからである。

関西空港に着いてから何かを食べる、ということは、単に値段が高い、という理由だけでなく、雰囲気的に、ひとり旅の場合はほとんどあり得ない。
(ひとり旅でなかったら、多少はカッコつけて空港内のレストランに入る、ということもするかも知れない…。)
わざわざ空港で食べなくても、飛行機の中で食べることができるからだ。
食べ物、飲み物を出してもらえるのは、AirTicketを買った特権のような気がしてかなり嬉しい気持ちになる。
思い切り腹を空かして、機内で食べる喜びを噛みしめる、そのために空腹のままでいる、ということを結果的に選んでいる、と言えるだろうか。

フライト時刻、機体が動き出す。その時点から、僕の関心はやがて出してもらえるであろう袋入りのナッツと、機内食に集中する。嗅覚が敏感になり、少しの食べ物のにおいも逃さずキャッチする。
飛行機が気流の安定する高さまで上がり、CAの方にナッツと飲み物を差し出してもらう。僕はそれを毎回満面の笑みで受け取り、封を開けると、それを次から次へと食べる、食べる。この時の僕は飢えた獣のようであろう、と自分でも思う。
味わう、という余裕はなく、かなりの高速で食べ尽くす。

当面の激しい空腹感は去り、やがて訪れる機内食を迎え入れるのに、僕の受け入れ態勢は万全になるのだ。そして機内食。至福の時である。

なぜか、空腹からナッツ、そして機内食に至るまで、いつもこんな感じである。