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ものぐさ枕

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2008年12月31日 (水) 掛け持ち萬歳
 快晴の浅草、元はメトロ通りと呼ばれたアーケードに、なじみの老婆が、
ちょこんと坐っている。まだ午後4時前だが、
「もう今日はしまおうかと思ってたのよ。」と景気は悪そうだ。
「昔は大晦日なんて、8時頃までお客さんが切れなかったもんだけどね。」
ぼやき上手の、靴磨きのおかみさんに、足下をぴかぴかにしてもらって、明
日に備える観音様の街を後にする。
 谷中の世界湯で今度は体を浄め、あらためて、今年最後の仕事の支度。ラ
イブハウスと演芸場、カウントダウンイベントのかけもち、という私ならで
はの年越しに、独り得意。間の移動に余裕がないから衣裳のまま動くつもり
だし、渋谷ラママの楽屋が狭い所に出演者が多いことも考えて、本日デビュ
ーの衣裳・銀色のジャケットに直接、コートを羽織って家を出る。
 1本目、今年何度もゲストに呼んでくれた社会派お調子者メタルバンド
「云うだけ番長」の露払い役で「俺は殺し屋デンジャラス」などを熱唱。爆
笑の渦に有頂天。思えばこのテの出演は、10年近く前の渋谷屋根裏のカウン
トダウン以来だ。司会として呼び出した中にはブレイク直前の「ゆず」もい
て、翌年の大晦日は、紅白歌合戦に出演する2人を、銭湯の脱衣場のテレビ
で見上げたものである。メタルアレンジの生演奏にのせて「東京タワーの歌」
を歌い上げてバトンタッチ。東横特急で横浜にぎわい座へ。
 乗換えうらめし桜木町、行路支障なく2本目の楽屋入り。立川流新真打、
生志師匠が差配役のこの会ももう4回目。私の事情をくんでもらって、出番
はトリの前、ひざがわり。
「紅白歌合戦、『おふくろさん』を歌わせるなら泰葉でしょう。」にはラマ
マの若い客に話した時以上に微妙な反応。黒人演歌歌手ジェロを扱ったネタ、
横浜の善男善女はあまり受け付けず。全体に渋谷ほどの手応えはなかったも
のの、「東京タワーの歌」で帳尻合わせ、おまけに「かんきのうた」をつけ
て予定時間終了。寒空はだかの2008年、まあこんなものだろう。
 中の舞にのって立川志の輔師匠、子年の締めに、と甚五郎の「ねずみ」。
満場を惹きつける熱演も歳神様は待ちきれず、噺の途中で牛に変わる。



2008年12月23日 (火) おめで塔
 朝も早くから地味に切手を貼る作業なんぞをしていると、NHKの7時の
TVニュースでは東京タワー開業50周年特集。無論、天皇陛下の誕生日で
もあるが、各局それぞれ、番組でタワーを扱うことだろう。
 私の名刺代わりである「東京タワーの歌」、その主人公の記念日、祝う気
持ちと裏腹に、この絶好のチャンスをモノにできなかった情けなさに、実を
いえば打ちひしがれているのである。直前のNHKラジオ出演での披露と、
ペンギン堂氏のおかげの「散歩の達人」誌掲載、というごほうびを戴いたが、
本来、今日この話題をとりあげる番組ごとに曲がかかるくらいでなければな
らなかったのである。リリー・フランキーさんなどと並んで取り上げられな
ければならないのである。この機に乗ぜずして、いつ浮かび上がる?
 よせばいいのに、午前中、芝郵便局への用足しついでに、のこのこ現地へ
出かけてみれば、混雑する東京タワーの人ごみに、私の居場所はないのであ
る。うっかり歩き回れば、テレビの生中継に遭遇し、それを遠巻きに見守る
ことになるのだ。
 居たたまれなくなって塔を後にする。己の怠惰を棚に上げ、自分を認知し
てくれない世間にねたみを覚えたその時であった。振り返って見上げたタワ
ーに救われたのである。
 彼は、記念の催しなどワレ関せず、超然と、ただただそびえたっていたの
だった。紺碧の空に向かって、たたただ凛々しく胸を張っていたのであった。



2008年12月21日 (日) 昇進照明
 浅草東洋館の出番を終えてくつろいでいると、いつものように物静かな
立川志遊さんが楽屋入り。照れくさそうににこにこと、
「実は私、真打昇進が決まりまして。」
噂には聞いていたのだが、本人の口から告げられて、こちらも顔がほころぶ。
年功序列では上がれない立川流、生志師匠に続いて、試練の末に手にした切
符である。
 色物席の東洋館下席。円楽党の三遊亭好太郎師匠と、立川流から左談次師匠、
龍志師匠、談幸師匠、それに志遊さんが、レギュラーで交替出演している。
決して落語向きではない空気、いわばアウェーの戦場で、各師それぞれ、手
練手管で観客の御機嫌を伺う。5人の中ではキャリアの浅い志遊さんだが、
無理に客席に合わそうとせずに淡々と演じながらも、納得させている様子を
袖から見るたび、私はうなっていた。
「こういうやり方しかできないんで……」と卑下していたことがあるが、こ
のやり方で認めさせてやる、という内なる炎を感じた。それが聴く側にも伝
わるのだろう。
「昨年末は病院で迎えたことを思うと夢のようで。」とも言っていた。来年、
5月に披露パーティだそうである。暗いニュースの多い年の暮れ、めでたい
話にほっとする。



2008年12月20日 (土) 能天気放送協会
 ラジオの仕事は楽しい。まして、私を立ててくれて好きにさせてくれるの
だからなおさらである。NHKラジオ「渋谷極楽亭」、とびきり気さくで美
しい森口博子さんが隣で笑っている。正面には今宵の当番パーソナリティ、
柳家喬太郎師匠があきれながら相手をしてくれる。混沌とした話の中から、
素直な好青年、三橋大樹アナウンサーが、ゲストである私の良いところをひ
きだそうとしてくれている。
 NHKゆえにできない制約も多いが、民放ではないからできることが、ス
タジオで起きていることが素晴らしい。
 1時間半の生放送はあっと言う間に終わる。「東京タワーの歌」が、北は
北海道から南は沖縄まで、全国津々浦々に流れた。しかもCDと、生歌の2
回。この並外れた構成、私同様、携帯電話を持たないディレクター氏の考え
る番組ならではだ。
 かつて、同じくNHKの「ラジオ深夜便」で「♪たわーたわー」とレコー
ド盤の音が放送された際、終わった途端に「ここで地震の速報です。」とス
タジオが切り替わったことがあるのだが、奇しくもまた今晩、曲をかける前
ではあったが、地震の情報が入ってきた。たいした規模ではなくて良かった
わー。



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