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日々のことを書いています

2010年1月27日 (水)   

葛藤について考える機会がありました。

葛藤を手放そうと思ってはいても、
実際にそれができているかどうかは、
わかりません。

わかるときは、本当に手放せたときでしょう。

葛藤を手放す事と、「なかったことにする」のは
違います。
違うのですが、自分が、手放したのか、
なかったことにしただけなのかは、
なかなか意識の上ではわかりません。
わからないからこそ、難しいのです。

無意識に、「なかったことにしている」自分がいました。

わたしにこのメッセージをくれたのは、
先日見た夢と夢辞典という本、先日図書館で借りた本でした。

夢は、わたしに葛藤があることを教えてくれました。
本は、病気が心の状態を表していることを
教えてくれました。
この二つが一致したことで、待てよ、
手放したと思っていた葛藤は、実は、
「なかったことにした」だけなのでは?
と気づいたのです。

大切なのは、まず、葛藤がある自分を自分で
認め、受け止める事。
ここがスタートです。
これをせず、何か別の手段で手放す行為をしても、
全く意味はありません。
それどころか、「葛藤は手放したと思っている自分」と、
「実はなかったことにしただけの事実」が、
新たな葛藤を生んでしまうのです。

葛藤は、友人によれば、「思うことと、行動が一致
しないことで生じる」のだそうです。
葛藤の概念は、難しくて、よく認識できないのですが、
思うことが無意識の領域に行ってしまう事で、
意識にのぼらず、自分が一体本当は何を思い考え、
感じているのか、わからなくなってしまいがちなのかも
しれません。だから、言動の不一致が生じる。

意識を拡大するということは、こういった、
無意識に処理してしまった自分の本心を、
意識にのぼらせてくれます。
意識にのぼった瞬間、本当の開放と自己解決が
やってきます。本当に、簡単に。

今回の体験で、またひとつの気づきを得ました。
本を読んだり、人の話を聞くのではなくて、
自分で体験する事だけが、
自分を本当に成長させてくれると実感しています。



2010年1月14日 (木)   

体験するということが、自分にとって重要だと、前回の
日記に書いたのですが、
先日、野沢菜付けを譲ってくれるというので
友人宅にお邪魔したところ、

百年数秘の本

というのを、見せてくれました。

生年月日から、人生を4つのピークに分けて、
それぞれのピークの特徴が記されていました。

まさしく、わたしが来年からの約10年間に
するであろうことが、体験による理解、でした。
頭でわかるのではなくて、体験して理解すること。
その作業をするだろうと書かれていました。

なんとなく、自分が感じる自分の未来像が、
その本には書かれていました。
不思議な本です。



2009年12月26日 (土)   

2009年も、あと少しで終わりです。
年明けに、「今年は立花」と書いたのですが、
体調は崩すし、メンタル面でも崩れるし、
なんだかな〜と思っていたところに、
それらが全部すっきりになる出来事もあったりして、
なんだかよくわからない一年でした。

でも、わたしが以前演劇に首をつっこんだ
理由でもある、「表現を知りたい」という思いが、
実ったのは大きなできごとでした。

知る=つまり、体験する、ということです。

体験は、何にも勝るという事を、今になって
実感しています。
たいがいの想像はついても、想像が体験に勝る事は
ないです。

わたしにとって、鍼灸は目的ではなくて手段となりそうです。
最近、すごくそんな気がしています。



2009年12月18日 (金)   

夏前頃から体調を崩し、自覚の無いまま
8月に突入しました。

友人たちに言われて、初めて自分の状態を自覚し、
そのまま闘病生活(漢方とか温泉ですが)。
最近、その原因がお砂糖だったということがわかり、
砂糖を摂取しない食生活をはじめ、
ようやく体調が戻ってきました。
精神的にもまいっていたのですが、
こちらも元に戻りました。

まだ調子の良くない11月終わり、大阪に
整体に行ってきました。
整体で体調が変わるかもという期待もありつつ、
何か、行かねば!と思い立って行って来たのです。

そこで、1つ大切なことを学びました。
それは、自分が自分である瞬間を自覚し、
そこからずれる時も自覚をしている必要があるという
ことでした。

わたしは、無意識に、相手に合わせることをして
しまうために、相手のことがわかるという利点の反面、
本来の自分を自覚の無いままなくしてしまう、という
ことがありました。

自分が自分でなくなる時、その自覚があって、
自分を知っていれば、自分に戻るのは簡単ですが、
自覚がないと、ずれたという自覚もないので、
どれが本当の自分だったかわからなくなってしまうし、
戻る事もできなくなってしまいます。

逆に、自覚があると、それを相手に投影したとき、
相手のズレが自分にうつって、とても相手のことが
わかるようになります。

大阪の友人は、それで相手の体の調子が悪いところが
なんとなくわかるのだそうです。

そうして、つい先日、わたしはわたしを多分
数十年ぶりに、取り戻す事ができました。
これは、近くに住む友人たちのおかげです。

本当にくだらない遊びなのですが、それをした瞬間に、
何か、いつも周りの評価を気にして、人生を傍観することで
自分を守っていた自分が、去っていった感じがあったのです。

自分が自分であることは、ピアノを演奏して実感しました。

次の日も、その次の日も、わたしは自分が自分であるか
どうかを、ピアノを弾いて確認しました。

日がたつにつれて、ピアノに向かう時は、その自分ではなく、
だんだん弾いているうちに、自分になるのですが、
自分ではない自分の時間が増えていることに気がつきました。

友人に相談したところ、いつもその状態でいるには、
生活環境を変えなければならないと言われました。
けれど、それはできないのです。
学校という決められた時間と行動を集団の中で
しなければならないし、仕事も自分を主張はできません。

で、大阪で学んだ、「ずれる瞬間を自覚している」ことが
必要になってきました。

何しろ、何十年も、無意識無自覚に、自分でない自分に
変わっていたのですから、いつ変わるのか、わかりません。
朝起きる時なのか、家を出てからなのか、
電車に乗ってからなのか、学校についてからなのか、
誰かとしゃべってからなのか、まったく検討もつきません。

明日から、検証してみようと思います。



2009年9月24日 (木)   

レコーディングに参加してきました。
バイオリンの伴奏として、ピアノ弾いてきました。

ノーミスではなかったですが、あんまりわからない
のでOKです。
あとの処理で何とかしてもらおうーっと。

昔は、自分で出した自分の音をなかなか
聞くことが出来なくて、表現ができなかったのですが、
去年、足を治してもらってから、だんだん
できるようになってきたのです。
もちろん日々の練習もしましたが、
わたしの中では、体のバランスが整ってきたことが
すごく大きかったです。

記憶にすらない、昔のケガ。

体の傷は、心と体を一致させるのを妨げて
しまうようです。

しかし、終わり方だけはいまだにわからず、
合図を送ってもらいました。

自分はこれでいい

という感覚がないのです。

だから、どこで終わればいいのかわからないし、
終わって、他人によかったといわれても、
しっくり来ないのです。

自分はこれでいい、という感覚は、
自分で選択し、その選択に全責任をもつ、
ということになるそうです。

全責任をもつだけの経験、自分への信頼・・・

つまり、その結果を人のせいにはしないのです。
たぶん、自分のせいにもしないのです。



2009年5月15日 (金)   

久しぶりに自分の掲示板を覗いてみたら・・・
あんまりカキコをしないと、画面中広告だらけに
なるのだそうで、すごいことになっていました。

ちょっと適当なカキコをしたあと、昔のカキコを
読み直してみました。
なんだか、楽しそうだー

過去は忘れるくちなので、すっかり忘れていたけれど、
その瞬間、その瞬間、人生を楽しんでいる自分が
そこには、いました。

あの頃は、いろいろなことに手を出しては、
やり遂げ、たくさんの出会いも学びもありました。
青春だった。

今は、自分の心や体と向き合って、
一体、何がどうなっているのか、いろいろ考えるのが
おもしろいです。



2009年4月25日 (土)   

さて、学校も二年になって、一ヶ月が経とうとしています。
今日、ようやく第1回目の学力判定テストが終了しました!

先日友人に、家と外での切り換え方法を教えてもらってから、
(いつもそれを実行するのを忘れているのに)
体の調子がとても良いです。無意識に実行しているみたいです。
疲労もほとんどありません。

授業内容といえば、実技は、経絡治療とパルスを使う
現代鍼灸を、それぞれをやっています。

かたや、脈を見てそこから氣の流れの滞っている経絡を
探し当て、浅い鍼を刺して全身調整をするという方法。

かたや、ツボなんて全く無視して、実際に痛んでいる
筋や筋膜を狙って鍼を打ち、そこに電気を流して
循環を良くして痛みをとるという方法。

どちらも、臨床家の先生なので、実際どうなのか、という
話が聞けてとてもおもしろいです。

東洋医学では、魂(死んだら天に昇る=霊魂)と魄(死んだら地に
還る=肉体)という分け方があり・・・
ゲリーさんの著書にも、「肉体の魂」と「精神の魂」という
分け方があり・・・

2つの共通点に氣づいてから、わたしが目指したい、
両方へのアプローチに一歩近づいた感じがあります。
つまり、想念エネルギーや過去の体験によるエネルギーが
肉体に影響を与えていたら、同じようなエネルギーで
対処する(経絡治療)、肉体が物理的刺激による変形や
疲労によって心身に変調をきたしていたら、
肉体に物理的方法を使って対処する(筋や骨への物理的刺激)
ということです。

漠然と、「東洋的治療と現代的治療の両方やっていきたい」
と思っていたのは、結構当たりかもーと、今は感じています。

魂も、肉体あっての魂なわけなので。
魂への探究をしつつ、学校では肉体への探究をしている。
我ながらバランスの良い選択をしたな、と思っています。
どっちも本当におもしろいです。



2009年3月2日 (月)   

先週末で、1年の最後のテストが終わりました。
1年は、長いようで、短い・・・
2年後にはもう国家試験を受けているのです。

3月は1年間にやったことをもう一度確認しつつ、
2年でやる内容にもちょっと目を通せたらいいなあ〜
と思っています。

先日市立図書館で、アカシックレコードへ
アクセスする方法の本と、チャネリングするための
本を見つけて、借りてみました。
いつもそのコーナーには顔を出していたのに、
なぜずっと目に留まらなかったのか・・・不思議です。
やはり、そういう時期なのかもしれません。

それで、この前友人がトランス状態になった感じは、
チャネリングの状態なのかなぁ〜と想像がつきました。
友人の頭の中で聴こえる声の主は、自らを「ガイド」と
名乗っていたし・・・

その声によると、ガイドは、人間に転生する間の
休憩のパターンとして行う存在もあるようです。

高次元の存在であれば問題なさそうですが、
低次元のものであると、注意が必要だそうです。

でも、友人のガイドは、人生に起きたつらいことが、
学ぶ為の材料である事を伝え、
それは全く恐れ悲しむべき出来事ではなく、
魂が愛を学ぶ為の、ちょっと大変だけれど実は
生まれる前に自ら決定した出来事なのだと
いうことを、私達が実感できるように言いました。

その理屈で、今まで理不尽だと思って過ごした人生が
救われるなら、それもありなのかもしれません。

アカシックレコードの存在を知ったのは最近ですが、
このようなものが存在するかもしれないと、ふと
思ったのは、学生の頃でした。
誰に教わるわけでもなく、何か本を読んだわけでもなく、
自分で感じ取った事がありました。
実際にそこにアクセスしたことはありませんが・・・
(たぶん・・・)
こちらは結構おもしろそうなので、自分でやって
みようかな、と思っています。春休みのうちに!



2009年1月8日 (木)   

2009年になりました!
今年は立花。今までの努力が実る年です。

正月から、新たな出会いがありました。
静岡は掛川。すばらしい人脈がありました。

ギターが弾けなくなってから、音楽から少し
遠ざかっていましたが、友人が、バイオリンと
ピアノ伴奏の編曲を何曲かしたので、
最近はそれを弾いています。

ピアノを弾くと指の力がついて、鍼の感覚も
いい感じなので、今年は、合わせてやっていこうかな、
と思っています。

年末、ちょっと不思議な体験をしました。
話の最中にトランス状態になってしまった方から、
いろいろな情報が流れてきたのです。
ただ、その手の話は巷に出回っているので、今は
そっとしておこうかな・・・と思っています。
時が来れば、その真実もわかるのでしょう。



2008年9月27日 (土)   

あっという間に秋です。
最近、余裕が出てきたので、
10月に大阪で行われる企画展のDMと
パンフレット制作の手伝いをしました。

友人が企画した展示会で、イチオシの
作家さん(作品)たちを集めての
展示になります。

どれも作品力があるので、デザインを
考える必要さえないくらいでした。

初めて、Wordで入稿用データを作る、という
作業で、デザインに限界を感じたりも
しましたが、なんとか使いこなして、
いい仕上がりになりました。

8月、大阪へ行ったときに、打ち合わせに
参加させていただいたのも、いい刺激に
なったようです。

久々のものづくりはおもしろかった〜



2008年7月24日 (木)   

7月も終わろうとしています。
7月上旬の前期試験も無事終わって、
学習パターンもつかめてきました。

はり実技は、なかなか自分で納得できず
苦労していますが、地道な練習しかないと
思って、毎日少しずつやっています。

先日は、知り合いの方がやっている勉強会に
参加してきました。
臨床をやっている方々の勉強会は、とても
リアルでいい刺激になりました。
自分の目指す道も、そろそろ固まってきそうな感じ。

何がどれだけできれば自分一人で治療家として
やっていけるのか、いい目安になりそうです。



2008年6月9日 (月)   

久しぶりに、友人とちらし制作しました。

最近は勉強ばかりで、ものづくりをする
時間もありませんでしたが、
まだ腕は衰えていないようです。

感覚的には、まだまだ伸びる余地も
ありそうです。

やはり、ものをつくる、という作業は楽しいです。
特に、感覚の合う、能力のある友人たちとだと
なおさらです。

こんな友人たちがいると、ついつい、
氣を使う人間関係をわずらわしいと
思ってしまいます。
贅沢な悩みです。



2008年5月31日 (土)   

先日、退行催眠を体験してきました。
これは、友人の企画で、催眠療法をされている
先生を地元に呼んで、何人か合わせて
やっていただいたものです。

友人のつてとはいえ、参加者とはみな
面識があったので、アットホームな感じで
セッションを受けることが出来ました。

友人は、直観的に必要だと感じた人たちに
声をかけたようで、わたしもその中の一人でした。

深い催眠状態に入って、魂の状態から、
そこに刻まれた過去世(記憶?)にアクセスする
感じです。
意識ははっきりしていて、自分が自分であるという
認識も、意志もあるのですが、
先生の言葉に反応する自分は、思いもよらないこと
ばかりで驚きました。

普通は、過去世の中で、傷つきほかの過去世と
手をつなぐことのできないー救われたいと思っている
過去世を呼び出し、それを癒し、最後に、
自分を守護しているものに出会うという流れです。

が、わたしに最初現れたのは、過去世ではなくて、
わたしにとりついている誰か、でした。
大きな悲しみは、先生の浄霊によって、去っていきます。
最初は、悲しいという感情が溢れましたが、
真言と般若心経によって、穏やかになり、
うれしい、ありがたいという気持ちだけになりました。

次に、そんな霊を引き寄せてしまった原因となった
過去世を呼び出します。
あまりにつらい過去だったようで、語ったり映像で
出ることは有りませんでしたが、
その過去世は、男性で、自分のあやまち?によって、
多くの人の死を招いてしまったようでした。
そして、とても後悔して自分を責めていたようです。
溢れた感情は、にくしみ、でした。

その内容を話すことで癒されると先生に言われましたが、
とても話すことはできず、ヒーリングによって、
それを浄化してもらうことに成功しました。

たましいは、たくさんの人生を経験し、その経験を、
シェアするようです。それが、あまりにつらい経験から、
その過去世だけが、手をつなぐことができずに、
孤独になっていて、それが現世にマイナスのエネルギー
として流れてきていたようです。

ヒーリングによってその過去世は癒され、孤独では
なくなりましたので、現世の自分に影響するマイナスの
エネルギーが一つ減った、という感じでしょうか。

癒されずに残された過去世を、現世の自分が癒すという
のは、以前本で読んだことがあります。
パターンとしては同じ感じです。

最後に、自分の守護するものに会えるようにやってみましたが、
姿も言葉も現れずただ、光が自分をやさしく包んでいました。
わたしには、今、それに会う必要はない、というような
意識が入ってきたので、それは、守護するものがそう思うのか、
わたし自身がそう思うのかはわかりませんが、
そこでとりあえず終了です。

ただ、今までの人生における直観やひらめきが、そのものからの
メッセージ(お手伝い?)だった、という直観がありました。
直観するという作業が、そのものとつながることでもあったと。

この退行催眠の体験は、わたしにとってはほんの
入り口です。自分のたましいを感じる最初でした。
これによって、何か価値観が変わるとか、そういうことは
なく、わたしは今までどおり、この人生を、
体験によって楽しもうと思った次第です。
そして、人を癒そうとする前にまず自分の過去を
癒さなければならない、とも思いました。

驚いたのは、この体験の次の日、たまに催眠状態に
近いボーっとした状態になって、夢のように色々な映像が
ちらちらみえたり、インナーチャイルド(らしい)が
表にひょこっと顔を出したりしたことです。
それから、手からしびれるような・・・今までにない
エネルギーがガンガン出ていました。
それは、体の痛みをとってくれましたが、
もしかすると、一時的なものかもしれませんー残念!
退行催眠体験の副産物、もしくは副作用のような
感じでしょうか。



2008年5月19日 (月)   

いろいろなことがわかってくると、
だんだんやりたいことがなくなってきて、
最後には、内観ばかりになってきます。

何をしても、いつも結果は自分の中から
生まれたものばかりです。

そして、何をしても、同じところで
つまずく自分を発見しました。
そこには、一体何があるのでしょうか。

いつも前進あるのみ、得意なことや
やりたいことだけをやってきた中では、
なかなか氣づくことはなかった部分です。
これが、自分の大きなクセであり、
一歩大きく前進するためには、
必ず取り去りたい壁でもあることを
発見しました。

めぐまれているのは、その根本を知ることが、
もうじきできるかもしれない、ということです。
すべてが、仕組まれている・・・
そう思わないわけにはいかないくらいに、
すべてのことが、ちょうどよいタイミングで
やってきています。

さて、木曜日は、解剖の小テスト。
これからしばらく暗記づくめの日々が続きます。

今日は生理学の小テストがありましたが、
とにかく教科書を端から丸暗記するという
作戦が当り、バッチリ満点をGETしました。
しかし、あまり勉強をしていない隣の優秀な
クラスメイトと一点しか違わなかったのはナゼ・・・



2008年4月28日 (月)   

さて、もうすぐGWです!
学校へ通い始めてから一ヶ月近くになりますが、
ようやく慣れてきて、勉強の仕方もわかってきました。

今は、山のように覚えることがあるのを少しずつ
やりながら、鍼、灸の練習を積み重ねていきます。

知らないことを知る、というのは、
とてもおもしろいものです。
昔、勉強は嫌いでしたが、
今はおもしろいと思えるから不思議です。
しかも、苦手な理系・・・。

仕事以外の時間は、みな勉強に費やしていますが、
それでも間に合わないくらいです。
他の人は一体どうやっているのだろうかー。



2008年3月7日 (金)   

二週間ぶりに、合氣道に行って来ました。

無事に昇級できて、今は二級です。
二級は袴がはけるラインになります。
だんだん、上級に近づいていくわけです。

審査は、自分の状態がとてもよくて、
結構すんなりできたのですが、
稽古でも、昔よりは、だいぶ動きが
スムーズにシンプルになっている氣が
しました。

最短でどう動けばいいのか、体が
わかってる感じです。
ちゃんとリラックスできているのかもしれません。

ここまで来ると、かなり楽しくできます。



2008年3月6日 (木)   

2月の終わりに、突然思い立って、
カイロプラクティックの学校へ行くべく、
情報収集をはじめました。

ところが、この業界は、
「自分のやり方がいいので、ほかのでは
だめだ」という中傷を、派閥ごとに
やっている感じで、
どれも信用できませんでした。

しかも、カイロは民間資格で、
国家資格ではありません。
民間資格というのは、
民間企業が、適当に財団法人を作って、
(それはたいてい国に認められる)
その団体が、好き勝手に「○○資格」と
作ることができるものです。

つまり、中身が伴っているかどうかは、
それだけでは判断できないのです。

そんなシステムに何百万も払うなら、
思い切って国家資格を目指してしまえ、
と思い、調べた結果の結論が、はり、です。

はり、きゅう師は、専門の施設で3年、
規定の単位を取得すれば、受験資格が得られます。
その後国家試験に合格すれば、国家資格が得られます。

合間に、「人はなぜ治るのか」という本を
読んでいます。
医師であるアンドルー・ワイル氏の本ですが、
彼は、西洋医学(アロパシー医学)と、
それ以外のもの(さまざまな療法)を取り上げ、
いいところ、悪いところを、正確に書いています。

大切なのは、「健康とは何か」ということ。

西洋的な、物質主義と、東洋的なエネルギー主義と、
どうしても矛盾があるそうですが、
それらをつなぐ何かが、あるのではないかと・・・
予感させてくれます。

最終的には、何をしても、健康体になるならば
良いのだと思います。
一つのやり方に固執、依存するのはナンセンスです。



2008年2月21日 (木)   

疾風怒涛の1ヶ月が過ぎました・・・。

1月、滋賀、京都へ行った後、
月末には宮城に行きました。

宮城県は石巻。海にほど近い北上川下流域には、
たくさんの葦が生えています。
この葦を、管理して、茅葺の葺き替えなどの仕事を
している会社のイベントに参加してきました。

葦は、実は人間と共生していまして、
冬に枯れた葦を、人間が刈り取ることで、
また次の年に、新しい葦が、まっすぐ生長できるのだそうです。
刈り取らないと、枯れた葦のせいで、生長しないんだそうです。
しかも、人間にとっては、茅葺に使えるのは
まっすぐ成長した葦だけ。

人間が刈り取ることで生長できる葦と、
刈り取ることで生長した葦を利用できる人間と、
共生しているのです。

帰宅してすぐ、大きなできごとが二つ重なって、
最近ようやく落ち着いてきました。

今日は、合氣道の昇級審査です。
今度は2級を受けます。ここまでくると、相手を
氣で導くことができなくては、技が成立しません。

忙しい中、なんとか稽古を続けてきました。

週末は、大阪と愛知から友人たちが、友人を訪ねてくるので、
わたしも会いたいと思っています。
それから、日曜日には、友人の声かけで、
着付け教室をやらせていただきます。

しばらく着物から遠ざかっていたので、楽しみです。



2008年1月12日 (土)   

前回の書き込みからあっという間に一ヶ月が過ぎました。
年末はとても静かで、身の回りの片づけをずいぶんやりました。
年が明けた氣はあんまりありませんでした。

年明け早々に、去年から会いたいと思っていた方々に会いに行きました。
日帰りで滋賀、京都まで足を伸ばしました。
一人目は、彫刻家の三田さん。
ポストカードの作品にただならぬものを感じていましたが、
訪れた工房で見た本物の作品は、強いエネルギーがありました。
机の上にポンと置かれた木の彫刻は、それ一つで、
その数倍の空間を切り取る力を持っていました。
まるで、彫刻からオーラが発せられているような感じです。
一種、神々しくもありました。

こんな力のある作品は、見たことがありません。

なぜそうなのか、理屈はわかります。
作品が、自然だからです。
削りすぎたこともなく、もっと削ったほうがいいところもなく、
完成された作品なのです。

とかく人の手が作り出すものは、不自然なものが多いです。
「あーでもない、こーでもない」と、考えに考えて作られたものには、「考えた」というエネルギーや、「まあこんなものか」という妥協エネルギーや、「何か足りない」「何か違う」不安エネルギーが充満しています。
それは、作り手がまだ人として完成されていないと言い換えることができるかもしれません。

三田さんの作品は違いました。
彼の中に、完成されたイメージが存在していて、
必要な木材を目の前に置いて眺めたとき、
その木が、「どうしてほしい」と言うのを待つのです。
そして、木に言われたとおりに彫るだけなのだそうです。
彫るのは二日ほどだそうですが、その作業がもどかしくてならないと
おっしゃっていました。
作品がこの世に存在する前に、作品を存在させることができてしまうのです。そして、作品には作者の我を感じないのです。

美術大学を出ていますが、大学を出た頃は、自分の作品が、
何かと何かの組み合わせだったりして、
自分の中から出てきたものではないのがわかって、
ずっと作品作りはやらなかったそうです。

それが、少し前に、大切な友人が病に冒され、
何もできない自分を知ったショックから、突然、目覚めて、
今のような、感覚(完成されたものが見える)を手に入れたそうです。
でも、その感覚は、三歳のときに、感じた光と同じもので、
それを思い出しただけだ、と本人は言っていました。

その光を、自分は、成長するごとに、いろいろなものを
かぶせて、見えなくしてしまったと。
そのいろいろなものとは、優等生であろうとすることだったり、
社会の常識やしきたりだったり、生活環境だったり、だといいます。

そして、人は誰でも、そうやって忘れてしまうだけで、
才能は誰にでもあるんじゃないか、と言っていました。

本質の光(それは、神といえるかもしれない。そして、
それは、誰でも、人間の中に実はある、という考えもある)
を思い出した三田さんは、何をみても、
「それがあるかどうか」が、物の判断基準になっているようです。
それで、いいものかどうかを見分けるそうです。

そして、その本質の光を、おそらく生まれたときから持っていて、
失わずに今まで来た方がいました。
大阪から、わたしたちの訪問に合わせて来て下さった小出さんです。

彼は、ものづくりはしないのに、三田さんのような、ものを判断する目を持っています。ものだけでなく、人を見ることもできます。

自分は望まないのに、色々な人から相談事を受けるとおっしゃっていました。何一つ望まないのに、自然に、ここまで生きてきた、と。
テレビによく出る俳優さんと、家でビールを飲んでしまうような
仲になったりと、不思議な縁が多い方です。

わたしたちは、彼が、今そこに、そうしていることが、とても自然だと思いました。
三田さんの作る作品と同じで、多すぎるところも、足りないところもなくて、「あ、この方は、これでいいんだ」という、人として完成された感じがあったのです。

三田さんは、初対面の小出さんを、「十牛図の十番目の人」と位置づけました。
十牛図とは、禅の世界で、悟りを開くまでの過程を描いた図で、十番目の人は、悟りを開いた後、人と交流しているのです。彼は、すでにここにいるんだ、と。

同じ、本質の光を自分の中に持っていても、人によって立ち位置は違ってきます。それは、誰でも人は違っていて、同じ人は一人といないからです。
ただ、光を知る者同士の話が矛盾することはないし、喧嘩になることも全くありませんでした。
この一日は、わたしの人生に大きな糧をもたらしてくれました。



2007年12月11日 (火)   

今年も、あと少しで終わりです。
色々振り返ってみると・・・
今年はスピリチュアルな年でした。
自分の本質的に持っている特性に
氣づくことができて、
その使い方もだんだんわかってきました。

そのような、新しい世界への目覚めと同時に、
この世での一つの区切りをしようとしている
自分がいました。

合氣道は、最近やっとおもしろくなってきて、
心と体が一致している状態を体感することが
できてきたなーという感じ。
慣れてきたのかもしれません。
春には昇級審査もあるので、がんばって
やりたいところです。次はいよいよ2級!

ギターも、弾き方を今年になってから
変えて、そのおかげで、音が大きくなって、
さらにギターもよく鳴るようになりました。
ライブこそなかったものの、
計4回、パーティで、ギター演奏させていただきました。
パーティでの演奏というのは、
演奏を聞きに来ているわけではない方々の前で
弾く、ということなので、
ライブとは全く違う氣を使う必要があります。

自分で好き勝手弾き切るのではなくて、
お客様の雰囲氣やニーズ、場の空氣に合うよう
選曲、演奏しなくてはなりません。
でしゃばってもいけないし、かといって、
聞いてもらえるだけのエネルギーは出さなければならない。
とってもいい勉強になりました。

陶芸やグッズの製作は、ぼちぼちといったところ。
マンネリ化してきて、作っていてもあまり楽しくないので、
来年は少しペースダウンしようと思っています。
それでも、新しいグッズを考え出すと、買ってくださったり、
陶器も、新しいお客様が買ってくださったりで、
なんとか、黒字で年を越せそうです。
浄化ベースのグッズは、少しずつ作っていこうと思います。

大殺界の明けたうれしさもあって、
全国、いろいろな人に会いに行きました。
北海道は、オホーツクの流氷の写真を撮っている山崎さん、
牧場主の佐伯さん、
千葉は、ピアノの先生をしている小出さん、
東京は、ギター製作家の田辺さん、
名古屋は、船乗りの塚田さん。
大変、お世話になりました。

自分の人生を、着実に歩んでいる人に会うのは、
とても勉強になります。
まだまだ、会ってみたい人がたくさんいます。
来年に期待です。



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