2009年10月20日 (火)
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サムシン・エルス
キャノンボール・アダレイ 1928-1975 モダンジャズを代表するアルバムである。ところが評論家は、このアルバムはキャノンボール・アダレイのリーダーアルバムではない。マイルスのリーダーアルバムだという。これはキヤノンボール・アダレイに対して甚だ失礼である。キャノンボール・アダレイのアルトサックスとマイルスのトランペットとの掛け合い、これがこのアルバムの聞き所なのである。若干、マイルスのリリカルさが出過ぎてるという点はあるが。 ところで、リーダーアルバムといえば、マーティー・ペイチのリーダーアルバムで「The Marty Paich Quartet」というアルバムがある。あまり知られていないので、だれ、と言われかねないが、このアルバムでのアート・ペッパーが最高なのである。まず出だしから、誰が聴いてもアート・ペッパー調なのである。それもペッパーの他のリーダーアルバムよりも、肩の力が抜け抜群に良いのである。こういうアルバムというのは他にも色々あるんですよね。だから面白い。意外なところで意外なものを見つけたりして。 なんか話が段々逸れていくような。キャノンボール・アダレイでしたね。つまり、誰がなにを言おうが、このサムシン・エルスはキャノンボール・アダレイのリーダーアルバムなのだ。
キャノンボール・アダレイ(as)マイルス・デイヴィス(tp)ハンク・ジョーンズ(p)サム・ジョーンズ(b)アート・ブレイキー(d) 58年録音
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2009年10月13日 (火)
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サキソフォン・コロッサス
ソニー・ロリンズ 1929-
名盤中の名盤である。聞いていてこの心地良さは何だろう。芸術性などという小難しいことを抜きにして、演奏のテクニックとしてなら、コルトレーンよりロリンズの方が一枚も二枚も上である。ロリンズの良さはその小気味良さにある。まさにジャズファンが言うような"歌って"いるような小気味良さである。
バブルの初めの頃だったと思う。ジャズ喫茶で知り合ったカメラマンから、写真のアルバイトをしないかと誘われた。丁度暇でもあったので気楽に引き受けた。それが思わぬ収入になったのである。それがいけなかった。手に入れた金で毎晩、否、次の日の昼まで飲み歩いた。盛り場から盛り場へタクシーで渡り歩いた。挙げ句の果てに片っ端から女の子に手を出した。今では何人の女の子と関係を持ったのか記憶すらない。金が無くなると又アルバイトをした。酒と女の日々。まさに理想的なジャズファンの姿である。 そんな毎日を送るうちに、ある日、行きつけのスナックのトイレで喀血した。それに気づいたスナックのママが私に、「あんた、そのうちに死ぬわよ」と呟いた。 その後、私はアルバイトを辞めた。写真は趣味、道楽となった。女も程々、酒も程々になった。しかし今、糖尿と肝臓ガンを患い、その時の付けを払っている。
サキソフォン・コロッサスをジャズファンはサキコロという。私はこの言い方が好きではない。私は省略せずにサキソフォン・コロッサスという。ま、どうでも良いことなんだが。このアルバムはジャズファンの推薦するアルバムとしては、常に上位にランクされてる。やはり、みんなが良いと思うものは良いんだと思う。私もウォークマンに入れて常に聴いている。
ソニー・ロリンズ(ts)トミー・フラナガン(p)ダグ・ワトキンス(b)マックス・ローチ(ds) 56年録音
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2009年9月23日 (水)
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ジャイアント・ステップス
ジョン・コルトレーン 1926-1967
コルトレーンは、私の鬱積した青春時代の象徴のようなものだ。特別にこれといった目的もなく、この時代は働かなくっても日々の小遣い銭ぐらいは自然と何とかなった。私は毎日、総武・中央線沿線のジャズ喫茶を転々と梯子していた。その時ジャズ喫茶で掛かっていたのが決まってコルトレーンだった。
私が写真を始めたのも丁度その頃である。そんな日々の中で時々一人旅にでた。そんな時に、なんの目的もなく旅先で一人ぶらぶらしていると不審がられるのである。そこでカメラを持っていると、写真を撮りに来たんだと相手方が一方的に納得してくれる。それをきっかけとして普段からカメラを持ち歩くことになった。 カメラを持ってジャズ喫茶を徘徊するようになって、自然と写真家志望の人やカメラマンと知り合いになった。そこで写真の知識や技術を聞き身につけることになった。正式に写真学校などには行っていないのである。 何時しか私の日常にジャズ喫茶巡りに写真展を観て歩くのが加わった。旅先でもその地のジャズ喫茶と写真家を訪ねた。山陰地方に足を延ばしたときは、境港の写真家で今は亡き植田正治さんにお世話になった。
私が普段ウォークマンに入れて聞いているコルトレーンのアルバムは、この「ジャイアント・ステップス」「ソウルトレイン」「セルフレスネス」そしてエリック・ドルフィーとの競演の「ジョン・コルトレーン・クインテット」である。どれか選べといわれたら困ってしまう。ところでこのタイトルのジャイアント・ステップスだが、曲のコード進行が真逆へと飛ぶ。そこからタイトルがジャイアント・ステップスになったと言う人がいるが、果たしてそうなんだろうかと、思ったりもする。別に否定する根拠も持ち合わせていないのだが。
ジョン・コルトレーン(ts)シダー・ウォルトン、トミー・フラナガン、ウィントン・ケリー(p)ポール・チェンバース(b)レックス・ハンフリーズ、アート・テイラー、ジミー・コブ(d) 59年録音
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2009年9月16日 (水)
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ナウズ・ザ・タイム
チャーリー・パーカー 1920-1955
モダン・ジャズの創始者の一人であり"モダン・ジャズの父"と呼ばれている。と言うのが出だしだが、今回、どのアルバムを紹介しようかと迷った。一般的には「チャーリー・パカー・ストーリー・オン・ダイアルVol.1」あたりを推薦するのだろうが、ここから入ると80%の人が脱落する。そこで晩年の作品「ナウズ・ザ・タイム」に落ち着いた。ここで晩年と言ったがパーカーは35歳の若さで死んでいるのである。パーカーに限らず天才的なモダン・ジャズのプレイヤーと言うのは、殆どが薬中で精神に異常をきたし、若死にしている。例外はマイルス・デイヴィスぐらいなものだ。これは若干口が滑ったかな。
私とジャズとの出会いは中学生の頃である。この頃、私と学校とは折り合いが合わず、朝出席を取ると私は学校を抜け出し、近くの川の土手の破船の中で本を読むのを日課にしていた。この日も本を読んでいると何処からか音楽が聞こえてきた。土手の上を歩いていくと同じ中学の生徒が携帯ラジオを聞きながら土手に寝ころんでいた。私が側に座っても気にする様子はない。そのまま二人ともラジオから流れてくる音楽に聴き入っていた。暫くして彼が「いいねぇ」と言ったので、私が「ああ、いい」と答えた。二人の間の会話はそれだけだった。 それからというもの、毎週彼と土手の上でラジオから流れてくる音楽に聴き入っていた。それが進駐軍放送のジャズの番組だった。ある日、学校の廊下を歩いていると音楽室からサキソフォーンの音が聞こえてきた。音楽室を覗くと彼が一人でサキソフォーンを吹いていた。後で同級生に聞いたところに寄ると、彼は音楽部の部長で変わり者だという。彼との週に一度のジャズの鑑賞会は彼が卒業するまで続いた。
余りにも言い古されたフレーズだが、モダン・ジャズはチャーリー・パーカーに始まりに、チャーリー・パーカーに終わると私は思う。それはどういうことかというと、忘れた頃に、ふとパーカーが聞きたくなる。パーカーのリズムとインプロヴィゼーション。これは理屈なしに、いいですねぇ。
Tracks 1-6 チャーリー・パーカー(as)ハンク・ジョーンズ(p)テディ・コティック(b)マックス・ローチ(d) Tracks 7-13 チャーリー・パーカー(as)アル・ヘイグ(p)パーシー・ヒース(b)マックス・ローチ(d) 52年・53年録音
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2009年9月9日 (水)
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シーン・チェンジス+1
バド・パウエル 1924-1966
まず何から話し始めようかな。モダン ジャズビアノの祖であり、ピアノ トリオというスタイルを創った。というのはもう余りにも有名。又、マイルスに寄れば、モダン ジャズで天才と呼べるのは、このバド・パウエルとチャーリー・パーカーだという。又一般の人にはこのCDの一曲目に入っている「クレオパトラの夢」が有名であろう。だがジャズファンでは前期の演奏がいいと言う人がいるが、でも後期の演奏がいいと言う人もいるのでかなり複雑。下手をすると喧々囂々とした論争になるので、日和見主義の私はどちらもいいとしとこう。因みにこのCDのオリジナルレコードは後期の58年録音。 まず、バドの前期とというのは1953年以前に演奏されたものを言い、53年以降を後期と呼んでいる。この53年までの演奏がバドの絶頂期の演奏と言われている。これ以後バドの演奏は衰えていく。その原因は精神病院を入退院し、電気ショック療法を受けた後遺症と、警官に頭部を殴られた為に、手が上手く動かなくなった為と言われている。 バド・パウエルのレコードでは、ブルーノートの「The Amazing Bud Powell」Vol.1〜Vol.5がジャズファンには有名である。勿論、他のレーベルに残された「バド・パウエルの芸術」など等も、ジャズファンには愛好されています。1947年〜53年までのバドの絶頂期の演奏は、このAmazingのVol.1とVol.2に収められている。因みに「シーン・チェンジス」はVol.5に当たります。ここでCDについて話をしましょう。CDでもブルーノートから「The Amazing Bud Powell」Vol.1とVol.2が発売されています。しかし、レコードとは曲順が大幅に変更され、又ボーナストラックなども追加されて、ジャズファンからは不評をかっています。ただ、どうなんだろう。現在はPCがあれば簡単に編集できるし、オリジナルCDも作れるはず、そんなに問題にすることではないような気がする。 話を「シーン・チェンジス」に戻そう。この録音を最後にバドは渡仏する。まさにタイトルのシーン・チェンジスとはバドの心情を代弁しているのである。いつもよりボリュームを少し上げて聴いてほしい。バドは最後の気力を振り絞って演奏しているのである。それは鬼気迫るものがある。だが、最初に言ったように、このアルバムの「クレオパトラの夢」が余りにもポピラーな為に、ジャズファンは「シーン・チェンジス」を避ける傾向にある。もし、ジャズファンの中でこのアルバムが良くないと言える勇気のある人が居たら言ってみてほしい。 渡仏したバドはヨーロッパの優しいジャズファンに迎えられる。こんなエピーソードがある。演奏会でバドは最初から最後まで一曲だけを延々と弾き続けたのだ。だが観客は一人も異を唱えなかったという。この時期のアルバムにも一聴に値するものがある。しかしバドは着実に壊れて行っている。明らかにミスタッチも多くなる。しかし・・・。 絶頂期の超技的なプレイとインプロヴィゼーション。まさに天才の名に値する。しかし後期の人間味あふれるバドもいい。ジャズとはテクニックだけではないのだ。バド・パウエルはバド・パウエルなのだ。 1966年7月31日、アメリカに帰る船の中でバド・パウエルは死亡した。
バド・パウエル(p)ポール・チェンバース(b)アート・テイラー(ds)'58年録音
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2009年8月3日 (月)
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ラウンド・アバウト・ミッドナイト
マイルス・デイヴィス 1926-1991
カウンターの中では女の子が、たばこを吹かしながら、レコードジャケットを眺めている。店内は薄暗く五坪ほどの小さな店である。そんな店内にマイルスのラウンド・ミッドナイトが流れていた。 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は、マイルスのCBSへの移籍第一作目であり、ラウンド・ミッドナイトの作曲者モンクとは、既に袂を分けている。JAZZに於いて、飽くまで自由を志向するモンクと、一定の秩序を求めるマイルスとの決別は必然だった。 「いくぞ!」と声を掛けると、女の子はカンターの下から紙袋と黒いヘルメットをカウンターの上に積み上げ、ナップザックを背負い、布の袋を持ってカウンターから出てくる。店内にいた男達が素早くヘルメットを紙袋に詰め揃って店の外へとでる。 新宿駅東口前は白いヘルメットで埋め尽くされていた。私たちは南口でヘルメットを被りタオルでマスクをして、隊列を作り西口へと向かう。西口に近づくに従い催涙ガスの臭いが漂ってくる。その間にも一人また一人と隊列に合流してくる。西口の駅前に着くと一帯は解放区と成っており、構改派の連中がデモを繰り広げていた。中央通りの先に機動隊の阻止線が見え、ジュラルミンの盾が横一線に並んでいる。その機動隊に向かって敷石を割って投石が行われていた。機動隊側からも単発的にガス弾が打ち込まれいる。 女の子がナップザックと布袋を開き黒いヘルメットの集団に瓶を手渡す。瓶には塩素酸系薬品の水溶液に浸し乾かしたラベルが張ってある。瓶の中にはガソリンと**が入っている。所謂、自動発火式火炎ビンである。 黒ヘルの集団は火炎ビンを手に機動隊との間合いを詰めて行く。機動隊はガス銃の一斉射撃を始める。ガス弾がシュシュと白い煙を引きながら飛び、目の前で路面に跳ね返ってカーンとう軽い音が響く。一瞬にして辺りは一面の白い煙で包まれる。その煙の中から放物線を描きながら火炎ビンが飛び、機動隊の手前でガシャンと割れる音と同時にボンという鈍い音がし、オレンジ色の炎が上がる。 その時、機動隊の指揮車の上にいた隊員がマイクで叫ぶ。「今、騒乱罪が発動された。全員逮捕!」一斉に機動隊が突入してくる。「撤退しろ!」タオルとヘルメットを投げ捨て煙の中を駅前まで全力で走る。そして各々群衆の中へ紛れ込む。その時、「私服だ」という声で振り返ると、女の子の上に男が覆い被さっていた。私は引き返し、その男の脇腹を一度二度三度と蹴りあげ、女の子を引きずり出す。「こっちだ!」女の子の手を引き西口駅地下への階段を掛け降りる。 マイルスのラウンド・アバウト・ミッドナイトが掛かっている。カウンターの中の女の子がレモンの輪切りを皿に盛りカウンターに置く。その輪切りを目に擦りつける。催涙ガスに効果があるかどうかは疑問だが。先ほどから左目に異物感がありチクチクと痛む。一週間後、眼科に行くと角膜に鉄粉が刺さっていたという。十数年後、左目外傷性緑内障で失明。
マイルス・デイヴィス(tp)ジョン・コルトレーン(ts)レッド・ガーランド(p)ポール・チェンバース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) '55〜56年録音
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2009年7月22日 (水)
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MJQ
一度解散して再結成し、日本に来たというのは私も漠然と記憶していたのですが、その後が堂なったのか分からなかったので、阿部さんに尋ねたところ、自然消滅らしいということでした。そこで東京光画館としての結論。MJQは自然消滅しました。(^O^)
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2009年7月13日 (月)
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フォンテッサ
モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)1953〜?
夏、彼女を誘って長野の白馬村へ出かけた。民宿の駐車場に着くと見慣れた赤いフォルクスワーゲンが駐車してあった。その時はあまり気に掛けていなかったが、民宿に着き食堂へ夕食を食べに行く途中で見覚えのある女と顔を合わせた。とりあえず彼女を先に食堂にやり、「やぁ、久しぶり」と挨拶をした。女は「今年の彼女?」と笑いながら挨拶を返した。 夜、早めに床についた。目を覚ますとまだ12時前である。隣の布団で彼女はぐっすり眠っている。私は部屋を出て、去年宿泊した部屋の前で、「まだ起きてる」と声を掛けた。「どうぞ」という女の声。私は部屋に入り女の布団に潜り込んだ。そして、そのまま眠り込んでしまったのだ。目を覚ましたのが早朝である。まだ辺りは薄暗い。私は急いで自分の部屋へ戻る。入り口のドアを開けた瞬間、私はドキッとした。薄暗い部屋の布団の枕元で、彼女がうなだれて座っているのだ。それでも私は冷静さを装い、「トイレ」といって自分の布団に潜り込み寝てしまった。 目を覚ますと既に彼女は起きていて変わった様子はない。彼女が食事の連絡が来たというので急いで食堂へ向かう。食堂では女が奥のテーブルで食事をしていたが、素知らぬ振りである。食事も終わり部屋へ戻り掛けると、彼女が先に戻っていてという。私は一人部屋に戻ると暫くして彼女も部屋へ戻ってきた。そして帰り支度を始めたのだ。私が連泊の予定のはずだが。と思っていると、彼女がキャンセルしてきたという。私は、ここはへたに逆らわない方がいいと思い、支度を済ませ、駐車場に行き車を出す。赤いフォルクスワーゲンが真夏の太陽に照らされいて眩しい。白馬村を抜けながら、取りあえず今日は松本まで撤退しようと考えていた。車内では先ほどからミルト・ジャクソンの甘いヴァイブが流れ、路肩では真夏だというのにコスモスの花が揺れていた。彼女は助手席で押し黙ったままジッと前を見つめている。突然、彼女がつぶやいた。「殺して遣る!」
長い間、MJQは聞いていない。今回まとめて何枚か聞き直してみたのだが、やはりミルト・ジャクソンはいいですね。
ミルト・ジャクソン(vib)ジョン・ルイス(p)パーシー・ヒース(b)コニー・ケイ(ds)'56年録音
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2009年6月23日 (火)
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クール・ストラッティン
ソニー・クラーク(ピアノ)1931-1963
このCDジャケットとがいい。その趣のフェチにはたまらないだろう。フェチといえば私は女性の陰部を接写で撮影する趣味がある。かつて荒木経惟さんが、やはり女性の陰部の写真展を開いていたことがある。会場で私は質・量ともに私の方が上だと内心思っていた。何の話をしているんだろう。
このCDのソニー・クラークの哀愁を帯びたピアノもいいが、アート・ファーマーのトランペット、特にジャッキー・マクリーンのアルトがいいですね。ソニーはどちらかというと控えめで、それでいてきっちりとリードしている。こういったソニーの在りようというのはアメリカでは評価されなかったが、日本のジャズファンは見逃さなかった。
ソニー・クラーク(p)アート・ファーマー(tp)ジャッキー・マクリーン(as)ポール・チェンバース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)'58年録音
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2009年6月22日 (月)
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フル・ハウス
ウエス・モンゴメリー(ギター)1923-1968
前回の彼女のマンションの一階にコーヒーショップがある。毎朝、彼女と朝食を食べにいくと決まって掛かっていたのがこのフルハウスである。因みに、ピアノは前回紹介したウイントン・ケリーである。やはり朝はケリーなのかな。
ジャズ・ギターといえばウエス・モンゴメリーを第一にあげることに異存はないと思います。ウエスの奏法といえばピックを使わず指で弾く、左手の小指は使わずオクターブ離れた音を同時に出すオクターブ奏法など。今では一般的な奏法になっているけど、これはウエスが最初である。百聞は一見に如かずというから、YouTubeの動画で確認して下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=gY01v3cWt5U&hl=ja
ウエス・モンゴメリー(g)ジョニー・グリフィン(ts)ウイントン・ケリー(p)ポール・チェンバース(b)ジミー・コブ(ds) '62年録音
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2009年6月16日 (火)
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ケリー・ブルー
ウイントン・ケリー (ピアノ)1931-1971
若い頃に音大の学生と同棲していた。といっても、私の付き合った彼女は、今思うと殆ど音大の学生だった。その彼女のマンションに暫く住み着いていたのだが、朝の目覚めのBGMは決まってこのケリー・ブルーだった。 ファンキーなケリーのピアノは、朝にはちょうどいいのかもしれない。ところで唐突ではあるが、ジャズではブルーという言葉がよくでてくる。又、これはブルースとも相通じるのだが、彼ら黒人のブルーは、我々が使うブルーな気持ちとは少し違うのだ。かなり脳天気なプラス思考的な感情も含まれている。
ウイントン・ケリー(p)ナット・アダレー(cor)ボビー・ジャスパー(fl)ベニー・ゴルソン(ts)ポール・チェンバース(b)ジミー・コップ(ds)'59年録音
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2009年6月11日 (木)
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モダン・ジャズの誕生
1940年代初め、ニューヨークのブルックリンに在るホテルの厨房を改造したレストランに、その日の仕事を終えたミュージシャン達が食事をしに集まり、何時しかレストランの営業が終わると、ミュージシャン達が自らの即興演奏の腕を競うあうようになった。これがミントン・ハウスのジャム・セッションと呼ばれ、モダン・ジャズの誕生である。ここでモダン・ジャズと言ったがこれは音楽史的な呼び方で、一般的にはビバップと呼ばれていた。 ところで、このモダンジャズはインプロヴェゼーション(即興演奏)を重視するものであると同時に音楽性を追求するものであった。その代償としての大衆性と普遍性を放棄したのである。毎夜ミントンハウスでのジャム・セッションに興じるミュージシャン達は、まだこの時は気づいていなかった。彼らが地獄の門をくぐってしまったことを。この後クールジャズ、ハードバップ、フリージャズへと。彼らは「遠くまで行くんだ」と叫びながら駆け抜ける。天才ミュージシャンの累々たる屍を築きながら・・・。
参考CD「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」
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