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風の向くまま気の向くまま、書きっぱなしジャーマン形式の無責任日記です。読んだ本、見た映画、日々の出来事など、気の向いたときに書き連ねております。

2005年3月11日 (金)  チャンピオンズリーグ

 皆様、チャンピオンズリーグ見てますか?
 もうね、凄いの一言。
 夕飯代わりにバーに行って見たりしてるんですけど、もう素晴らしすぎて切なくなるぐらい。信じられない。世界中が熱中する理由がわかります。
 物理法則を無視するかの様な軌跡を描くボールを蹴る選手。信じられないタイミングでつながっていくボール。頭の中で考えたとは思えないフェイントを一瞬でひらめく選手達。
 しかし「奇跡」を見せてくれてくれる優秀な選手がそろっていても、それだけで勝利は手に入らない。
 何が起こるか判らない。
「サッカーは人生そのものだ」とは、真実の言葉です。

 先日行われた「チェルシー×バルセロナ」を見ました。
 昨シーズン奇跡の優勝といわれたポルとを率いていたモウリーニョ監督率いる、ディフェンス重視のチェルシー。世界一フィジカルが強いと言われる、タフなプレミアリーグにあって、今シーズン失点記録を築いている、文字通りのディフェンシブサッカー。
 方やバルセロナは、昨シーズン最優秀選手に選ばれたロナウジーニョに代表される、南米スタイルの想像力豊かな攻撃サッカー。本当に見ていて楽しいサッカーで、日本でも、世界でも今や一番人気のチームです。
 その両チームの激突は究極の激突。どちらもミスさえしなければ最強。
 2戦目の試合開始早々、ホームにもかかわらず引き気味のチェルシーは積極的に相手バルセロナにプレッシャーをかけて、速いカウンターを仕掛ける。バルサとチェルシーは同じ4−3−3のシステムだが、サイドバックが上がり気味になるバルサの最終ラインはほぼ二人きり。
 そこを見切ったチェルシーは執拗に突いてきたのだった。パスカットからのオフサイド覚悟のカウンターサッカー。何のことはない。イングランドスタイルのサッカーだ。いつもやっている攻撃を、執拗に、正確にやり遂げているだけなのだ。もちろん、成功させるためにはグジョンセン、コール、ダフと言ったスピード豊かな選手がいてこそ。
 レアル・マドリードのフィーゴも「短期決戦は積極的に点を取りに行くべきだ」と言っていました。前戦負けたチェルシーの執念が実ったと言っていいでしょう。なんと開始19分までに3点。誰しも勝負は決まったと思いました。
 先にも行ったとおり、チェルシーのディフェンスは今シーズン、プレミア記録を塗り替える失点記録を作ったチーム。いかにロナウジーニョといえども…
 しかしこの試合の観衆は目にしました。信じられないスピードで上がるエトウに信じられない精度のパスを上げたロナウジーニョ、わずかの隙をついてシュートを放ったデコ。どれもほんのわずかでポストの外に逃げていったが、誰もが戦慄したはずだ。これがあのチェルシーか…と。
 イヤ。あのチェルシーでさえ、彼らはこじ開けるのか、と。
 そしてついに、ロナウジーニョが見せた。ゴール手前、ペナルティライン近く、ディフェンスとの間はわずか1メートル。ボールを受け取ったロナウジーニョは、ほんのわずか、足をひねった。ボール一個分の隙間を、そのフェイントは作った。ボールに触った訳ではない。足をひねっただけ。そのモーションだけで、数センチディフェンダーは右に動いてしまった。その数センチの隙間から、ロナウジーニョには見えたのだ。大きく口を開けているゴールマウスが。
 そうなれば、後はいつもの動作を行うだけ。何万回、何十万回も繰り返してきた動作。それこそ生まれた時から、ブラジルのストリートでもそれしか望んでこなかった、そして今でもそれが最高の目的。
 ゴールにむかってボールを蹴った。柔らかな放物線を描いてゴールネットに包まれたシュートは、緊迫した試合の雰囲気から完全に浮いていた。あまりにも無邪気なキックに、会場全体も目を疑っただろう。キーパーも一歩も動けなかった。エトウの、デコのあのシュートを止めるキーパーが。
 そして爆発的な歓喜。
 ああ、サッカーは素晴らしい!
 結果的に、バルセロナはもう一点失ってチャンピオンズリーグ制覇の夢はたたれた。チェルシーの完全なる勝利。
 緻密な戦術を打ち破ったファンタジスタに打ち勝った、完全なるチームの勝利。そんな気がした。
 ちなみに僕の優勝予想は、スーパーゴールキーパー、カーン率いるバイエルン・ミュンヘン。攻撃サッカーを誇る“ガンナーズ”アーセナルを押さえきったディフェンスはチェルシーと双璧だと思う。攻撃のスピードではアーセナルはチェルシーより上を行くと思うし、それを抑えきったのだから…
 でも、リバプールには、イングランドの夢を感じるなあ。
 アア、サッカーって楽しいなあ!

2005年3月9日 (水)  映画「ローレライ」

で、結論から言うと…

ま、がっかりだった、ということでつ。
原作読んじゃったから期待しすぎてたのか…?イヤ、やっぱしシナリオが良くないと思いまつ。
セットとか戦闘シーンとかのリアリティ云々以前に、台詞にリアリティがないんだもんなあ…言いたいことは判るけど。
「当時の軍部はひどかった」という常識ありきで、出てくる人たちが理想ばっかり語るもんだから、ひどくリアリティのないキャラクターばっかりになっちゃってる気がしますた。
当時の空気をリアルに切り取って、その中で理想を語ってこそキャラが生きるってもんじゃないのかなあ…。あれじゃ永遠に「日本軍はひどかった」としか記憶されないよ。

…とまあ期待がでかかっただけに残念。ヒロイン役の香椎由宇だけが良かった。監督本人が「ファンタジー映画」とか言っちゃってますからねえ。無理もないのか。でも今この現代で、制作フジテレビでガンダム世代が戦争映画を撮ると、ああなってしまうのかな…

2004年7月21日 (水)  映画「ブラザーフッド」

 昨日、打ち合わせの前に少し早出をして映画「ブラザーフッド」を見てきますた。「こちとら自腹じゃ!」で井筒監督がきつい批評をしておりましたが、韓国人の友人は「胸を張れる出来」といっておりましたので、どんなモンかなあ、と期待しておりますた。
 
 見ての感想はというと…戦争映画としてみたら、確かに物足りないという感じ。仲の良い兄弟二人が朝鮮戦争で引き裂かれ、変わっていく、というのがメインプロット。
 なのですが、今ひとつ物足りないと思う理由は、朝鮮戦争というイデオロギーのぶつかり合いによる民族の分断という大きな悲劇が、そのプロットと絡んでなく、主人公達の心情とシンクロしていないところが大きな理由だと思います。朝鮮戦争でなくても描けたプロットだよなあ、と思いました。

 それと井筒監督の言うとおり、戦場の緊張感が今ひとつ描かれないのも問題かも。戦闘シーンはすばらしい完成度で「プライベートライアン」の手法をコピっておりました。が、派手な爆発、飛び散る肉片、泥だらけの顔になった兵士達が叫ぶ姿だけが何故か目立ち、何故か戦闘シーンになるとヘルメットをかぶらなくなる主人公二人と、今ひとつ興ざめなところもありました。(「プライベートライアン」は一つ一つの戦闘シーンに何どうやるかのタクティクスな説明と、登場人物達一人一人の葛藤が描かれていて、すばらしい群像劇になっておりますたねえ。)

 でもこの映画を、単純な「戦場で変化していく兄弟愛の話」ととらえると、すばらしくそのプロットには執着して描かれていて、それは見応えのあるお話です。兄弟二人の友人が北鮮軍になっていて、捕虜にするか殺すかでもめたり、兄の奥さんが共産主義者のレッテルを貼られて、南朝軍を裏切って兄弟は別れてしまう所など、この兄弟の人間関係を通して描いていて、感情移入しやすく、とてもイイプロットだと思います。
 しかしそういった感情線を、全てこの二人の兄弟に持たせてしまったおかげで、キャラクターが全編エキセントリックになってしまっていて、リアリティに乏しい印象があります。言ってみれば漫画のようです。ですけども誰にでも感情移入しやすいお話作りはさすがだと思いました。

 もっと私が考えさせられたのが、同じ民族同士、とりわけアジア人同士が殺し合う絵って、あまり見たこと無いなあ…と。サラエボの内戦を扱った映画で同国人同士戦う悲劇が描かれてましたけど、この映画の中では同じ朝鮮人同士が肉弾戦で、ばきばきに殺し合うんです。「しねしねしね!」と銃剣でどつきあい。まあ戦場ではそうなるのもわかりますけど、降参してる兵隊相手にもそうなるモノなのかなあ…。「いざとなったら韓国の人はこんなになってしまうのか?」と思ってしまったり。日本兵も最前線ではそうなる時もあったのかなあ。もしも、言葉が通じる相手だったとしたら、殺しきれないんじゃないかなあ、なんて思ったり。あ、いくらでもあるか、戦国時代じゃ日本でも。

 エンタテイメント映画として大変良くできておりました。でも扱う題材、舞台がモノだけに、もっと丁寧に冷静に描いて欲しかった、そんな気がしました。
 韓国での公開時の題名は「テグ旗」。韓国の国旗のことですね。日本の題名は「ブラザーフッド」。題名だけは、日本公開名の方が内容を射ているなあ、と思いました。
 
 しかし、イデオロギーの対立で、そこまで憎みきれるモノなんでしょうかね。かつてはイデオロギーで何十万ちゅー人を虐殺したりした歴史がありますしね…。恐ろしいことです。

2004年4月21日 (水)  帝国海軍原爆強奪計画

 常日頃からたいーへんお世話になっている小林たけし氏の小説としては処女作「帝国海軍原爆強奪計画」を、遅ればせながら読了致しました。
 感想を、と言ってもねたばれしても面白くないでしょうし、氏のお人柄などについて語ってみようかなーと思います。
 私が知り合ったのは中央線沿線(?)模型サークル「オービーズ」での集まりが最初でした。オービーズは、今思えば模型サークルとしてはかなりへんてこな集まりであり、毎週集まってるんですが模型の話中心の人もいれば、戦記や戦史の話ばっかりする人も半分ぐらいいるという、模型サークルとは捉えきれない幅の広さがあるのです。展示会に持って行くのに、〆切やノルマの縛りがなかったり、テーマがなかったり、会費がなかったり、別に会員である義務的なことは一コもなかったり。私にしてみれば「ああ居心地イイナア」と言う場所なんでありました。そもそも私もそんなに突き詰めてる訳じゃないですしねえ……(と言うか思い知らされたんですけどね、この方達と知り合って)
 で、小林さんはそこのもっとも古いメンバーであり、会長のG-50氏と並んで会の重鎮であったのでした。
 もちろん初めはどんな人か知るよしもなく、漫画家だと聞いていたので、「ァ、僕もアニメやってたんですよお」等と気さくに話しかけちゃったりしてて、んで同じ会の降下猟兵さんが「しょっちゅう自宅に遊びに行ってるから遊びに行こうよお」なんて誘われてご自宅にお邪魔しちゃったりなんかして。
 したらばその自宅がまた凄い!ご本人曰く「中央線文化を具現化したのがこの部屋」とのことで、築30年以上風呂無し6畳のアパートに、これでもかと言わんばかりに本と模型を詰め込み、わずかばかりの台所で、阿佐ヶ谷のスーパーで買った安い食材を、実にウマ懐かしい味に仕上げ、戦前の戦争映画やアイリッシュロックやオペラを肴に、わずかばかりのスペースで酒を飲んでいるのでした。何故ああいう空間で人は、いや、男は居心地の良さを感じてしまうのか?更に、そこでいつも耳にする数々のお話、裏話は、いつも新鮮で、ゆがんでしまった戦後教育の日本社会では絶対耳に出来ない貴重なお話ばかりなのでした。
 ビバ!阿佐ヶ谷!
 そんなお人柄の小林さんが書いた本でございます。内容は、題名が示している通り、架空戦記物です。んが!他のそういった本との最大の違いは、小林さんが知り得た当時の帝国海軍の真の能力や人間達を、史実に実際照らし合わせながらシュミレートした、確実にもう一つあったかもしれない歴史である点なのです。異常に強い新兵器や奇跡のような作戦は一つも出てきません。一つ一つ確実に、当時日本が持っていた「たら」「れば」を吟味して、再シュミレートして見事作戦を遂行してくれるのです。
 地味だというなかれ。実はこの1巻はまだまだプロローグにすぎないのです。これに続く第2巻は……
「大艦巨砲主義で、日本は勝てる!」
 小林さんが言ってました。果たして一体どーなるのか?楽しみです。第2巻はまだ発売したばかり。未見の皆様は、本屋に急げ!!

2004年4月21日 (水)  国と個人の乖離  イラク人質自己責任問題

 イラクで拉致された人々に対する「自己責任」問題が大きくクローズアップされています。しかし、この問題の根幹は根深くて、いろんな問題を含んでいるような気がします。単純に反米や自衛隊派遣反対、フリージャーナリストやNGOの方達の責任論、国の法人保護の原則等の事柄が、どこかで混じって一緒くたに判断されがちですが、根っこには深い問題が横たわっているような気がするのです。以下は、私の私見です。

解放された5人のうちの後の二人、つまりフリージャーナリストとNGOの方ですが、そのうちのNGOの方が必死に「私たちは死ぬ覚悟で行っているんです」と言っていました。問題の根っこはアメリカであり、自衛隊を派遣したから起こった事件なんだ、と。あまり報道されていませんが、最初の3人も捕まった当初はそんなことを言っていたと記憶しています。
 私は以前、軽装の冬山登山に例えましたが、河でおぼれた子供を助けに行った人がまたおぼれた、と考えることも出来るわけです。だから、彼らがイラクに行ったと言うことは、正当化出来る側面も確かにあります。現に、悪いことをしているわけではないですし。もちろん自衛隊だってそうです。
 そこで、何故自己責任論が噴出したのかというと、自衛隊撤退を要求された、と言うことに対して、テロリストの批判より、助け出した政府の対応を批判された、という事が原因なのではないでしょうか?
 日本人は総じて、政府を攻撃したり、国の行動を疑ったりという行動の方が正当であるというように捉えられがちです。特にNGOや左翼などは、国に反対することで生活の糧を得ている、と見られても仕方ないほど偏向しているように見えます。原因は分かりませんが、マスコミにも責任の一端はあるような気がします。
 そんなことがもう何年も日本の国内では続いていて、それを自虐史観だという人すらいるぐらいです。
 だから、僕が思うのは、個人が国に不信感を持っているのと同時に、国も個人に不信感を抱いているのではないでしょうか?
 今回の件で、福田官房長官のとった態度は、僕としては間違ってなかったと思います。しかしテロリストの送ってきたビデオを見て、早い段階で「演技だ、利用されてる」と分かっていたのであれば、強気でいられた理由も分かるし、単に自己責任発言も「個人に対する不信感」だったのではないでしょうか?
 逆に、海外でそういう危険地域に赴くフリーのジャーナリストなり、NGOの方達は、自分たちが日本人であるから活動出来るのだ、と言う自覚をもっと持つべきでしょう。なんかあれば、保護してくれるのは政府だけなんです。軽装で山に登る人だって、管理事務所に申請するでしょう。川に飛び込む人だって、警察や消防に助けを求めたせいで助けられなくても、だれがその人のことを間違いだと言えるでしょうか?
 
 我々は国の中に住む一個の個です。NGOの高邁な思想は分かりますが、世界はまだそれを認めていません。国を批判するのは好き勝手でしょうが、その国を背負って国外に出ることもまた、避けられない事実です。そして国は、邦人を守る義務があります。個を見捨てるような真似は決してしない、してはいけないと思うのです。
 福田官房長官の一方的な自己責任論理には危機感を覚えます。と同時に、自分の国を意識せず、一方的に排他して、国外で活動する人たちには、同調出来ません。
 国と個人との乖離……それこそが一番の問題なのではないでしょうか?

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