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50歳からのダンス挑戦

2007年4月10日 (火) 今年のさくら
さくらがこのところ雨、風でほとんど散って、新芽が芽吹いている。
今年のさくらは3月下旬から大いに楽しむことができた。

桜の一斉に咲くさまをスケッチしようと桜の咲く前から下調べをして歩いて回っていた。

スケッチの構図によい場所を求めて、家の横の見沼田んぼ沿いの桜並木をさいたま新都心めざして歩きまわり、週に2日も歩きで新都心に行き着いてしったり、別の日には逆方向のさぎ山公園めざして歩いたりして、暇な毎日を桜をみることに費やしていた。

結局、この2週間で10枚近くのスケッチが描けたので、じっくり桜を観察したことになる。
桜の美しさもさることながら、菜の花のあの新鮮なシュッキングイエローの鮮やかさにも目を奪われた。
菜の花と桜並木とその先に浮かぶ新都心のビル群がベスト構図となったが、スケッチの出来栄えは、思ったほど形には成らず、現実の難しさを痛感する。

2週間の日があっても、蕾の日、寒い日、雨の日、風の日を除くと、暖かなスケッチ日和は精々2日くらいであり、自然はなかなか簡単には受け入れてくれない。

これからは、さくらのあとの新緑を追いかけて、スローライフに過ごして行きたいと思っている。

2007年3月13日 (火) 人間の満足感
前回の日記について反響のメールを頂いたので、それに関連して記します。

好きではじめたダンスが日増しに難しくなってきて、楽しさもこれに比例して失っていったことは既に記したとおりである。
そして、新たな趣味も同じように推移することを恐れていることも事実である。

しかしながら、たぶん、これは「人間の持つ永遠の課題ではなかろうか」と思いはじめている。

話は変わるが、小生は今も細々と仕事をしている。6時台の早起きをして、埼京線の超満員電車にゆられ、都心に向かってきている。仕事のある日は適度な緊張感に満たされ気分は爽快でこんな気分を気に入っている。

だが、これも、現役時代には定年を指折り数え、どれほど「毎日が日曜日」を待ちわびたものか。冬の限りない朝寝をどれほど望んだか。

我がことながら、この落差、この節操のなさを恥ずかしく感じるが、これが人間の性ではないのだろうか。

苦しいダンスの練習も、苦しめるだけ高度なものを目指している証左であり、苦しんでやっている時が一番充実しているのだと思う。それがあとになって気がつくから始末が悪いのである。

いまのつらい、苦しい出来事が、あとで大きな楽しみに変わる日を信じて大いに悩んで欲しいと思う。
いま、ダンスに熱中できるなんて、とても幸せなことだと、できなくなった人間だから、痛く感じる。

2007年2月26日 (月) もう2月も終わる
いつのまにか今年も2ヶ月が過ぎようとしている。

ダンスから離れてもう5ヶ月も経ってしまったが、一歩も踊っていない。
時々、体を動かしてみたくなるが、何か怖い。
体調はなだらかに悪化しているようで、際立つ悪さは出てはいないが、何を食べてもそのあと吐き気を催すのには閉口する。

気分転換で始めた淡水彩も1年近く経ち、何枚も書いていないのにグループ展に出展した。先週1週間の間、地元の繁華街の展示場で行い、600人の入場者で盛況のうちに終了した。

こちらは初心者のよちよち歩き状態だから、いまは。楽しさだけでいっときは何事も忘れて打ち込める。
ダンスも最初は楽しい、楽しいでやり過ごしてきたが、時の経過とともにやること為すことが難しく感じられ、楽しいとは程遠いものになってしまっていた。

今度はその徹を踏まず、楽しさだけを追い求めて「終生の友」にしていきたいと思っている。
「趣味とは」字が現すごとく、おもむきを味わうものなのだから、じっくりと味わいたいものだ。

2006年12月14日 (木) ダンスの夢
ダンスをしなくなって3ヶ月たった。よく見ていたダンスの夢はほとんど見なくなった。かわりに脅迫観念に駆られた夢をよくみるようになったから、この面でも体にはよくないのかもしれない。

いまは、体調を重視した穏やかな日々を過ごしているが、先週ひさびさにダンス仲間の忘年会に参加した。公民館ダンス中心の人たちだが、ダンスも酒もおなじ尺度で楽しんでいるせいか、何年経っても同じペースでダンスに興じている姿は羨ましいことでもあった。
先を急ぐと、結末も早く見えてきてしまうものである。
人生も同様だ、「先を急ぎすぎないようにしないと」と、自戒をこめて眺めていた。

そんななかを、この拙いページをみて頂いていた方から、突然のメールを頂いた。この方は3年くらい前に、ラテンの練習会に突如現れ、小生を突き当て来られた。その時も少ない情報なのに、その探究心の凄さに驚きを感じたものだが、今度は小生の病気で苦しむ様をすべてお見通しで、その時以上に驚きを感じた。そのご連絡は小生への励ましであった。

定年で職場を離れ、地域に溶け込む努力をしてもそう簡単に溶け込めることができない時代。
やむなく、また仕事に復帰し、そのビジネスの人間関係のなかで誤魔化しながら日々を過ごしているが、ダンスから距離を置いてみると、趣味を通じた人間関係もなかなかのものであると感じ入っているところ。

期せずして、別の方からも、「ほんとにダンス止めるなら正装を譲ってくれ」との申し入れもあり、競技ダンスをしていた記念に永久保存しようかと考えていたが、更にその方の為に生きることなら活用して頂ければとお渡しする準備をしている。

どちらの話もダンスしていたればのことで、有難いことだと強く思っているところ。

2006年11月2日 (木) 1ヶ月前の数値
月1で持病の治療に都内の大学病院へ通院している。
1ヶ月まえの血液検査の結果がでていた。
永年にわたって恐れていた数値がデッドラインの直前の状態で、もう一刻の猶予もない悪さ。

1ヶ月まえと言えば、あの悪夢の大会の2日前だから、気力も体調も最悪だったことの、すべてが頷ける。気分と体調は微妙なバランスでできていることがわかる。

あれからは怖くて、「安静第一」の生活を送っている。生活のための仕事にでかけるだけで、あとは体を休めている。時々、カルチャーセンターの淡水彩で写生に出掛け気を紛らしている。

いまは、あんな激しいダンスを良くも悪くも8年も続けてきたことに感心しながらも、たった1ヶ月経っただけなのに、遥か彼方のセピア色の思い出のよう。

悪くはなっても回復はしない病気なので、これからは根気強く付き合うしかなさそう。
絶望感が付き纏うが、今度は「病との闘い」になりそうだ。生きることとは何と難しいことなのか。

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