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ネコのヤンと愉快な仲間たち・町田純の世 界より「やや黒猫的主張」

2009/7/7 (Tue)  クライバーと志乃多寿司…2

東京は神田淡路町の一角に戦災を逃れた地区がある。
ここは老舗がいくつか残っていて、ボクは神田藪蕎麦によく通った。店の風格は、東京の蕎麦屋の中で一番だと思う。古書店街よりこちらの方がよっぽどよい。蕎麦を食べた後、甘味どころの「竹むら」で揚げ饅頭か、あんみつを食う。この近くには漱石所縁の松栄亭があって、洋風かき揚げが当時からの名物だが、玉葱たっぷりのメンチカツのお化けみたいな物はボクには無縁だ。玉葱は未だに苦手。確かネコにも禁忌なはず。ボクは結局ポークカツとなる。

神田神保町から御茶ノ水下を通って歩いてくると、この淡路町の老舗食い物屋街の入り口に、関所のように構えているのが神田志乃多寿司。
いつも素通りするのだが二度ほど土産にお稲荷さんを買ったことがある。
ボクは稲荷寿司が好物。干瓢巻きも。だからお稲荷さん系の神社は嫌いではない。原始信仰の一種なのかな。狐ならば、鏡や石ころのご神体よりはるかにマシである。お供えの油揚げを見る度にうまそうに思う。そして狐うどんとか食いたくなるのだ。あの陶器の狐を集めたいと思ったこともある。ただ、売っている所が滅多に無い。それで止めた。

さて、問題はこの志乃多寿司。外からも覗けるのだが、入ると、ショーケースのすぐ向こう側に5,6人の職人が横一列に並び、こちら側、つまりボクたち客側に向いて黙々と稲荷を握っている。
押し黙ってひたすら。右端は親方らしき人。そして右から序列があるかのように並んでいる。
この雰囲気に圧倒されて、ショーケースの中の寿司の種類、折り詰めの吟味もままならない。
とりあえず、早く出たい。小さめの稲荷と干瓢の折り詰めを買って出る。

出た後しばらくして、思い出す。ショーケースの中に茶巾や押し寿司があったような気が…。
結構美味そうだったな…。さらに最近ネットで知ったことだが、地下で食べられるようになっていたらしい。
寿司屋はたとえ稲荷寿司でも怖ろしい所なのか…。やれやれ。

クライバーのあの映像を見ていたとき、とっさに出てきたイメージ、それは、あ、これは志乃多寿司だな、というものだった。どちらも、なんとも言えぬ重苦しさがある。

教訓好きの日本人に一言。「完全主義は、時に鑑賞者を重苦しくさせる」「ミス、傷、失敗も多少であれば、これ愛嬌」

入院中、CDを聴けたときがほんの少しあった。クライバーのブラームス4番。開封せずにずっとそのままの盤。聴いてみた。始めからボクには合わないと分っていたのだけれど。昔のベストセラー盤。天邪鬼なボクは皆が買うものは買わない。今頃20年経ってから仕方なく聴く。
聴いてみると、生きろ、そして燃え尽きて死ね、と言っている演奏に思えた。なにしろライブだから。
ボクはこの曲は時に佇み、ぶらっと散歩するヤツが好き。
もちろん響きも大切。リンデンバーグと北西ドイツのものとか、…これはフランス・エラートで最初のブラームス交響曲録音。硬い透明なほの暗い響きが美しい…、カラヤンのドイツグラムフォンの60年代のもの、ワルターとコロンビアの甘美なワイマール共和国的響き、などが気に入っている。

クライバーの盤、多分一度きり。それが人生かな?…などと書くと、なんと大袈裟な(+_+)

2009/7/7 (Tue)  カルロス・クライバーと志乃多寿司…その1

たまには馬鹿馬鹿しい話も書いておこう。
カルロス・クライバーという一世を風靡した指揮者がいる。70年代が盛りだったか。
父エーリッヒ・クライバーは戦前の高名な指揮者。スケールとしては父の方が上である。ただ、息子のカルロスは極端に狭いレパートリーだが、熱狂的なファンが、というか「追っかけ」がいて、アフリカ近く大西洋上のスペ
イン領、大カナリア島でコンサートがあろうが、ギリシアであろうが、どこへでも付いて行くのだ。ヤホンからも出かけるアホな輩がいるほど。彼は10年ほど前に死んだが、病多く、かつ神経質なんだか、とにかくしょっちゅうコンサートをキャンセルする。それがまた伝説の指揮者となる仕組みだ。

彼のコンサートは、たまにNHKで放映された。来日コンサートか、忘れたが。
またリハーサル風景も放映されたし、勿論YouTubeでもいくらでも出てくる。
で、このリハーサルがうんざりするほどしつこいのだ。細かに決めていくのだけれど、なかなかOKが出ない。いつまでたっても先に進まない。この苦行とコスト的問題で、迎えるオーケストラも限られてくる。それは確かに完全主義。ボクも分る。ボクも本一冊、外も中も、活字の大きさから行数、紙質、帯、イラストの配置とサイズ、装丁デザイン全般、すべて自分で決めないと満足できないのだから。

あれはベートーベンの7番目のシンフォニーだったかな。シュトゥットガルトかバイエルンだったかのオーケストラ。クライバーは楽しそうに振っている。自分の指示したとおり行っているらしい。もっともミスしてもいやな顔はそうはできないだろう。本番中だから。

対してオーケストラの面々。これが誰一人楽しそうに演奏している者はいないのだ。もっとも曲が曲だからというかもしれない。
しかしこの曲はバカなドンちゃん騒ぎという一面もあるのだから、もう少し楽しんで演奏してもらいたいのだ。もっとも奏者も耳にタコの曲かも。今さらのベートーベン。ある種の逆説的ギャグだ。

意気軒昂な指揮者、沈んで下しか見ていないオーケストラ。いや、沈んだというか、必死なのだろう。なにしろあれだけの指示があるのだから。それをきちんとやろうとしたら、どんなことになるか…見て聴いているこちらの気分もだんだん暗くなっていく。しかし音は滅法威勢が良いのだが…

2009/7/5 (Sun)  立った耳の朗読公演のお知らせ

4月にヤンとカワカマスの朗読劇公演を行った、グループ「ポーレ」の岡田明菜さんが、再び朗読劇を行います。
今回は「立った耳」…ボクの短編集「小ネコちゃんて言ってみナ」の一篇です。
軽いタッチのユーモアとさらっとした抒情をどのようにアレンジするか…、面白そうです。
ボクもそれまでに奇跡的に治したい…。
場所は以下の代官山と渋谷の中間辺り。「代官山NOMAD」という所。
当日の色々な公演の中の一つだそうです。

岡田さんからのお知らせは次の通りです。

「Praxis Presents 夏祭りイベントライブ」
7月26日 日曜日 代官山NOMAD
open 15:00
start 15:30
¥1500(1drink別途¥500)

Полеの出番は19:00頃になります。
「立った耳」
朗読とヴァイオリンでお送りします。

イベントは22時終了予定で、一枚のチケットで全てのグループを見る事ができます。
他はほぼ音楽系です。
会場は渋谷と代官山の間くらい。両駅から徒歩約7分です。
〒150−0033東京都渋谷区猿楽町3−9アベニューサイド代官山3F
行き方はややこしいので、ライブハウスのHPをご参照ください。
http://www.daikanyama-nomad.com/

お問い合わせ a_akina82☆yahoo.co.jp(担当:岡田(Поле)
(迷惑メール対策で、@を☆に変えています)
詳細はこちらをご覧ください。
http://yaplog.jp/akinappyan/

2009/6/28 (Sun)  永遠…その1

永遠。久しぶりに永遠に想いを…
読者からきっかけを与えられたことに感謝するとともに、
永遠について書けば、それは新作の重要な部分であることを、
忘れていた。
今それを書いては、…ちょっとまずいかな。(+_+)
で、途中まで書いておこう。

ヤンのシリーズは永遠の追求というテーマでまとめられるかもしれない。
もちろんそれは一つのまとめ方。他にもいろいろあるだろう。
それは読者が考えること。
ここでは、簡単に書き記しておこう。こんな見方もあると。

「ヤンとカワカマス」
彼ら二匹はまだ永遠について全く意識していない。
ただ彼らは永遠の中に生きている。
永遠は一瞬の刻に在るとともに、全体性そのものでもあること。
ここでの全体性とは、ふたりが振り子のように繰り返す、草原と河への往復で形作られる。
全体性が大袈裟な表現であるならば、ふたりのハーモニーとしてもよい。

そして最後の瞬間(一瞬の刻)、草原の丘を登るとき全てが啓示される。
ああ、そうだったのかと。これだったのかと。
つまり、永遠を発見する、気づく、物語というわけ。

「草原の祝祭」
永遠を創り出すこと、それは不可能性であり、純粋なヤンたち動物連中でさえ難しいことであること。
永遠は人間たちが創った神ではないこと。勿論宗教とは無縁の世界。
神は単なる象徴。それに捧げる樅の樹もただの道具にすぎない。

ヤンたちは壮大な実験を試みたわけであり、その結論は上記の如し。
しかし私たち人間どもは、それを悟らず、絶えず永遠を求め続ける。
ときとして、それは人間の欲望の一つとして、世界に危害を及ぼす。
たとえば、ナチスの第三帝国が希求した永遠は何をもたらしたか。
イスラエルが望む民族の永遠性は、いかに排他的、破壊的なものか。
例はいくらでも挙げられる。

2009/5/11 (Mon)  とりあえずの退院 その1

3月23日からインターフェロン+血液濾過(血漿交換)の治療のため入院した。二週間の予定で。そして出たのは5月8日。47日間の入院。

入院した日、タイミング悪く、ボクの腹水はお腹の限界まで膨れていた。前日の日曜日には、急患で救急車で飛び込もうと思っていたほど苦しかった状態。
しかし、たまたま入院日が翌日になっていたのでなんとか一晩唸りながら我慢して、とりあえず腹水を何とかしてもらおうと病棟へ入った。
医者は針穿孔(注射針の太いヤツで腹に刺し、チューブで、でかいガラスの甕に滴下する、まるでアルキメデス時代の方法)で腹水を抜いた。何リットルだったか…。

翌日から早速、血液浄化室で血漿交換。これを5日やった。
そして週一のインターフェロン注射と毎日の抗ウィルス剤カプセル。
腹水はすぐに元に戻り増加の一途。毎日唸り続ける。勿論一睡も出来ない。
それどころではないのだから。ベッドの柵につかまりながらずっと耐えているしかない。

その内意識は朦朧としてくる。しかし意識不明になることは、なんとか踏みとどまっていた。
全くベッドから動けない。手の先数センチにあるエヴィアン水のボトルすら取れない。その内時計の文字盤が読めなくなる。目が霞んだのではなく、時計の時刻の読み方が分らないのだ。長針がここで、短針がここだから…はて、これは何時なのか? いくら考えても分らない。単語も日常語も忘れていく。あれはなんと言ったっけ?思い出せない。勿論日付などどこかに吹っ飛んだ。

舌か゛おかしい。何も感じない。ひりひりする。火傷だ。化学的な火傷。
味が全く消える。勿論こんな腹水でパンパンの状態と意識朦朧で食事を取れるはずも無い。
毎日氷をしゃぶっていた。後はサイダーと、特にドイツの鉱泉水ゲロルシュタインこれがたいそう美味い。
しかし、水分をとればその分腹水は増えてしまう。こうして飲料水をがぶ飲みすることが最初の夢となった。

肝臓の諸々の数値は悪化の一途。黄疸もひどい。腎機能も悪化。肝不全状態。この頃医者は危篤ではないけれど、かなり心配な状態とカミサンに告げたそうだ。点滴はありとあらゆるものを。太もものつけ根、鼠蹊部の血漿交換用のカテーテルから院内細菌感染も加わり、抗生剤、グロブリン、アルブミン、輸血血漿、カロリー液と深夜まで終わることは無い。

毎日の腹水針穿孔。腹から胸にかけて針孔だらけ。
その内呼吸困難になり酸素吸入。胸にまで水が上がってきたのだ。胸水という。いくら呼吸が苦しいと訴えても、医者不足、いつ来るのか分らない。
午前中にが、午後になり、夜になる。
それまで唸っているだけ。もうなんとか転院しようと思ったことが二度三度。しかし、体がこれでは動けない。

これら全て、インターフェロンと抗ウイルス剤が原因だろう。
それに難治性の腹水滞留が加わったわけだ。
結局、医者は、インターフェロン2週目が終わってから、投与を中止した。

2009/3/13 (Fri)  朗読ライブ「ヤンとカワカマス」のお知らせ

演劇研修中の岡田明奈さんから下記朗読ライブのお知らせがありました。
ボクは入院中かもしれないので、残念ながら拝見できないかもしれませんが、もし一時退院していたら、出かけようと思っています。(^^)v

TULIPS CAFE & Поле(ポーレ) Produce
朗読ライブ「ヤンとカワカマス」
日程:四月五日(日)
13:00〜/17:00〜
チケット:1500円(1ドリンク付き)
会場:ギャラリー1号室|2号室
東京都千代田区神田神保町1−14英光ビル2F
神保町駅下車A5出口徒歩一分

お問い合わせ a_akina82☆yahoo.co.jp(担当:岡田)
(迷惑メール対策で、@を☆に変えています)
※会場が小さいので、なるべくご予約の上、ご来場ください。

また、以下のブログも参照ください。

http://yaplog.jp/akinappyan/

2009/3/10 (Tue)  病窓四尺…その4 徘徊

いよいよ胃カメラ検査の日が近づいて来た。いったい何回やったやら…。何度やってもイヤなものだ。口だけ麻酔して、拷問具の玩具のような口枷を銜えなければならない。

そしてまた静脈瘤が出来ていることだろう。再来週入院して、検査よりもっと苦しい内視鏡結紮手術と予想。

食道静脈瘤破裂の患者は、一般的に30%が一ヶ月以内に死亡するらしい。その中に入らなかっただけ幸運なのだろう。
残りの70%は、二ヶ月先か、三ヶ月か、それとも半年、一年…いつごろまでもつのだろうか?

今現在、苦しいのは、腹水と強烈な足の攣りだ。

朝に利尿剤で溜まった腹水を出すと、あとは1日溜まるばかり。腹が張ってどんどん苦しくなる。
まるで膨らんだ蛙の腹。一日の内に2リットルか3リットルの水が溜まり、それを強制的に排出させるという繰り返しが毎日となると、なかなかキツイ。

胃が極限までパンパンに膨らむと、感情のコントロールが出来なくなる。自分で分っていてもどうしようもなく、些細なこと、どうでもよいことがどうにも我慢できない。
深夜に急にベッドの中で怒鳴りだしたり、着の身着のまま飛び出して、寝静まった住宅街や商店街を彷徨う。

家路につく女性などは、わざわざ通りの反対側に逃げていく。そりゃあそうだろう。
無精髭で、裸足でサンダルの男。薄気味悪いに決まっている。

昔から自殺と幽霊で知る人ぞ知る踏切があった。そこへなんとなく向っている。
行って気がつく、そうだ、とっくに高架だ。スーパーへ買い物に行くときいつも自転車で通っているのに。
とんだ笑い話。

次に近くのドブ川へ。水深はたったの20か30センチ。コンクリートの側壁は5,6メートルはあるかな。
これでは水死ではなく、全身打撲だろう。するとICUでさらに高額な治療費が加算されるというわけ。

ヤンと初めて出会った所へ向う。家から20分ほどの小さな交差点。
それから用も無くコンビニへ立ち寄り、なんとなく鱒寿司のお握り一つを買って家に戻った。こんなものも売っているんだと感心しながら。

こんな時は、肝脳症なのだろうか?それとも薬の副作用?

まあ、こんなことを繰り返しながら、今暫く、生きていくしかないのだろうなぁ…。

2009/2/25 (Wed)  病窓四尺…その3 寿司

蝦蛄から連想して寿司を書くことにしたけれど、寿司屋に入ったことはこの何十年一度も無い。
いや、より正確には、寿司屋のカウンターに座ったことが無い。小さい頃、父に連れられて何度も食べに出かけた記憶はかすかにある。あの頃は決して今ほど高価な食べ物ではなかったはずだ。

小学校に上がったころは、家に金はまったくなかったから、ほとんど食べには行かなかった。それでもたまに何かでお金が入ると、父は昔を思い出し、寿司でも食べに行こうかと、豪勢な気分で寿司屋にくり出した。ボクは遠慮してあまり食べなかった。

昔は親戚のところや知人の家に行くと、出されるものは決まって寿司の出前だった。同様に誰かが訪ねて来ると、寿司の出前をたのんだものだ。たとえ金が無くとも。そして大抵何人前かを盛り付けられて出されるので、やはりボクは遠慮した。今ほど食い意地が張っていなかったのかも知れない。とにかく、他所でなにか食事を出されると、あまり食べられない。遠慮と胃弱、…鍼の先生はボクの胃を「ガラスの胃」だと言っていた。そして他所ではなんとなく落着かないから。これは今でも同じだ。

だから寿司屋に入って、職人の前で食べるなんていうことは、到底出来ない。そんな思いをしてまで食べたくは無いし。第一、ネタの名前を忘れてしまった。アジやサバは確かヒカリもの?生姜はガリだったか?お茶は…。エンガワなど昔は無かった筈。職人に、なんと注文すればよいのやら…。
さらに黙って食べているのも気がひける。なにか感想とか言わないと場が持たないだろう。
これは美容院でも言える事だ。ただ切ってもらうというわけにもいかない。そこが気の重くなるところ。
決死の覚悟で出かけなければ…。

それでは誰かと一緒に食べればよいという人もいる。
しかし、残念ながらボクのつれあいは、全く生モノは食さない。煮魚も焼き魚もダメ。要するに魚介類は臭いものだと。従って和食はほとんど好みではない。ただ、納豆と豆腐、海苔は、たまに食べているのを見かける。オデッサ・イスタンブールで魚介料理が無かったのも当然のことである。

ある日スーパーの魚売り場で「キタヨリ貝って大きいね」と言われた。
キタヨリ貝…?「バカッ!君はいくつになってもカマトトだ」。
閣下とジャツクのやりとりとおんなじ。「寿司屋に入ってもいいけど、かっぱ巻きと納豆巻き、それから沢庵まきかな」と言われても、これで入れるのか問題だ。

オデッサ・イスタンブールで、たまに「魚料理はあるの?」と聞く客がいた。概してオヤジである。「魚は臭いからありません」とボクは即座に返答した。料理人が魚嫌いだからとは言えなかったが、同じようなことかもしれないな。でも、ボクの大きな手描き看板にTEA HOUSEと書いてあるのだから、ティーハウスで魚料理云々の客も客である。まったく魚の好きな国民だ。

で、会社員でもなく友人もいないので、ボクは寿司屋に入るなら単独行動をとらねばならないわけだ。これは単独登山より恐ろしい。

近年回転寿司というシステムが生まれて、これなら入れると意気込んだことがある。
しかし、なぜだか躊躇するのだ。それでも、アナゴの煮たやつとかヒカリものを食べたいという欲求は強い。

こうして何度も何度も回転寿司の前で逡巡した。一軒を遠くから眺め、ああやっぱりなんだかなぁ、と諦め、二軒目の前を通る。そしてまた戻ってくる。あの回転する様子を外から見ていると、ますます気が滅入ってくる。

とうとう入ったのは御茶ノ水だった。母が舌癌で入院していた大学病院が御茶ノ水にあったから。母のそばにいて、たまにシイタケのエキスを舌癌の上に垂らしたりしていた。この大学病院では何の治療法も無く、医者は何もしなかった…。ボクはこんなことでもするしか仕様がなかったのだ。
重苦しい一日が過ぎて行く。それでも多少は腹が減るから不思議なものだ。ボクは外に出て、適当な店に入り、焼きそばとかラーメンとか立ち食い蕎麦を食べたりした。

その日はもう完璧に自棄になっていた。
ボクはこの際何でもいいからと、何も考えず回転寿司屋に飛び込んだ。空いているのでハヤらない店だったのだろう。
最初に目に入ったのは、風呂屋や古い温泉にあるお湯の蛇口のようなもの。しばらく考えて、お茶の出るところだと分った。いやティーバッグだったか…、そのためのお湯の注ぎ口のどちらかだ。

次にどうやって湯を出すか分らない。やはり少し考えて、レバー状の部分に湯飲みを押し付けて出すと分った。
さて、いよいよ問題の回転体に挑むこととなる。想像した以上のスピードに驚いた。おまけに欲しいものが出てこない。さらに、一皿二つというのも腹にこたえる。

こうして四皿程度で店を出て、なんだか空しい思いとともに母の待つ病院へ戻ったのを、昨日のことのように覚えている。

2009/2/22 (Sun)  病窓四尺…その2 蝦蛄

病気で寝ていると幼少期の記憶が蘇って来るのは誰でも共通することだろう。そしてその記憶の中でも、今のボクには、何故か食べることがメインである。

祖父がよく食べたものに蝦蛄(シャコ)がある。

あの頃魚屋はリヤカーを引いて路地奥まで売りに来ていた。

あさりやしじみ、蛤、赤貝、バカ貝という赤貝に似た貝(これはちょっと怪しい記憶)。魚はアジやサバ、カレイ。その他江戸前のものが中心。
刺身は舟形に作られた竹のさくに入っていた。

マグロのトロなどは無かった。あれは漁師や市場の者だけが食したモノで、商品ではなかった。

で、シャコはB5サイズくらいの木箱に茹でて殻を剥かれた状態で、箱単位で売られていた。そういえばプラスチックなど無かった時代。ポリ容器など無かったから箱は全て木製。
イチゴも同じような木箱に、きれいな宝石のように詰められて売られていた。

このシャコをわさび醤油で食べるわけだ。子供のボクには、シャコが海老に似た甲殻類であることは、あの殻を剥かれた状態では分らなかった。二つ三つ食べると、なんだかムズムズし出す。
海老、蟹のアレルギーがあったのだ。今はすっかり無くなったが。

どうして今頃シャコが気になるのか。魚屋では魚を買わなくなり、その魚屋もすっかり減ってしまった。スーパーではシャコが見当たらない。勿論木箱のような容器も手間がかかり作られなくなったに違いない。

それともこれからがシャコの採れる季節なのだろうか。潮干狩りのように、浜を掘り起こせばたくさん出てくるのかな。

寿司屋ではシャコはあるに違いない。でも寿司屋については、今回は書くスペースが無いので割愛する。

シャコとどういう繋がりか分らないが、祖父のよく食べた鳥のささ身も思い出す。
これを茹でて、芥子醤油で食べていた。

当時、ささ身は鶏肉の中で高価な部位だった。今はほとんど見向きもされない。ダイエットに良いとか、サラダにするとか、たいした用途も無いようだ。
逆に内臓などが人気のようだ。焼き鳥の内臓系とか、もつ料理など。マグロのトロ同様、脂っこいもの、味の濃いものが好まれる。

祖母や母は、高価なものは食べずに、「くさや」を焼き、千切ってお茶漬けにしてよく食べていた。
東京ではくさやは常食に近いもので、あの匂いを臭いというのは田舎者ということになっていた。

今くさやは何処にあるのだろう。スーパーの干物売り場の端っこに、そっと置かれているのだろうか。

祖母と母は炒りたまごもよく作っていた。アルマイトの金色の大きな鍋でかき混ぜて甘く作る。
ボクは鍋の底に焦げ付いた黄身が大好きだった。白身の部分は苦手だった。

シャコと鳥のささ身とくさや、そして炒り卵。ノスタルジックな気分で食べてみたい。

2009/2/19 (Thu)  病窓四尺…その1

窓辺の臨時ベッドに寝ていると、色々と昔のことを思い出す。それも情緒的な事象ではなく、食にかかわることばかり。ボクは食い意地が張った人間ではないのに、これはどうしたことか。薬の副作用だろうか。

子規の病床六尺みたいに、吐いても吐いても、食べたいなどと到底思わないが、あんな食べ物があった、あれをもう一度食べてみたい、とか、これはまだ食べたことが無いから、死ぬ前に一度試してみたいなどと、とにかく際限が無い。なんて卑しいのだろうと、窓の外の青空と白い巻雲を見つめながら思うことしきり。

で、この際、もうひどくくだらないことばかり書き連ねていこうと決心した。そうしないと、こういったことで頭がどんどん膨らんでいく。吐き捨てるように書き出せば、少しはすっきりして、ブンガクに集中できるかもしれないから。

中学のときに子規の病床六尺の一部を国語で読まされたか、単なる「写生」の句を読まされたか、記憶は遠い彼方。

今ボクのベッドから見える範囲は縁側のフジヅルとかブドウ棚とか、柿の木とか無花果ではない。幸いなことに名も無き雑木の大木数本と半端な竹林、そして空と雲。
この竹林には苦労させられ続けて、毎年出てくる竹を切らないと雑木がやられてしまう。竹の子は余禄。
だからパンダみたいに竹は好きではない。育つと硬いことこの上ない。切るのに苦労する。今はもう出来ないなぁ。

窓の下方にここ世田谷、成城のつまらないマンション群は姿を隠す。有り難い。
雑木には数種の鳥が集まり、無くなった実を探したり、葉や新芽を齧ったりしている。そして、たまに近くのドブ川に浮かんでいる水鳥が気持ちよさそうに飛んで行く。

国文は嫌いだ。中学のとき国文の教師2人に、こればかりだった。バカ真面目だった自分も悪い。ブンガクとは国文だと思っていた。
高校生になって外国文学や哲学に自分で入ってから、世界は開けた。
国文なんていうものは、所詮ノンポリか右傾した学生を生み出す装置の一つに過ぎない。ちっぽけで、うじうじとした、みみっちい世界。
大学まで、結局他人から習うことは何も無かった。何事も自分で考えていくしかないのだ。

そういえば引越しばかりしていた子供の頃、渋谷の宇田川町、つまりパルコの先に住んでいたことがある。この家の縁側は、子規の見た世界に似ていたなぁ。この家から公園通りを下って、センター街のあたりで曲がり、とっくに消えた米屋の横を、今は東急本店の建つ小学校に通っていた。
この小学校の集団予防接種で、消毒していないか使い回しの注射針で肝炎に感染した。一ヶ月ひどくだるいので学校に行かなかったら、教師が単なるサボりではないかと様子を見に来た。ボクは電気機関車の模型で遊んでた。
C型肝炎などまだ存在が知られていなかった頃の話。

この家には祖父母もいた。ボクの両親は金は無かったけれど、祖父は昔、新橋で職人を使った金属工場をやっていて、軍需景気では、金沢文庫に別荘を買ったりそれなりだったようだ。しかしこの頃は長男に跡を継がせ、残った資金で古家を買い取り、適当に補修して売って儲けるようなことをやっていた。だから引越しばかりというわけ。麻布の寿司屋の二階に住んだり、目蒲線の千鳥町に住んだりしたこともある。他にもあるかもしれない。でも忘れた。

父はシべりア抑留で栄養失調状態、そして祖父の結核に感染した。
後半生は機能する肺がほとんど無く、坂の上り下りは大変だった。三男である父には遺産は無く、祖父と暮らす家が全てだった。今ボクが住んでいるところもその成れの果て。

祖父は結核で痰がしょっちゅう出て、いつも機嫌の悪い家父長だった。
ボクは感染しないようにと注意深く遠ざけられていた。
一方祖母は良い人でボクは御祖母ちゃん子であった。なんでも嘘かホンとか、先祖は芝の増上寺の寺社奉行で、化け物退治で勇名をはせたとか。つまり旗本らしい。しかし、江戸っ子は、先祖がなんだったかとか、家の系図がどうだといった話はバカにする。今の自分しかない、つまり宵越しの銭は持たない式の現実主義、刹那主義が江戸っ子の本来の姿。
親戚一同、こういった話を笑い飛ばしていた。

ボクには東京が故郷で、しかし東京はふるさとと到底言える土地ではない。
何一つ残らない土地。残るのはかすかな記憶だけ。(続く)

2009/2/17 (Tue)  電気釜を

恥ずかしい話だが、ボクはこの歳になるまでご飯を炊いたことが無い。ご飯はいつも自然と出てきたから。何度説明を受けてもどうやって炊くのか忘れてしまう。

で、今頃になって自力で炊かなければならなくなった。というのも、入院中三食全てご飯であり、やはり和食が必要であると感じたから。とくに魚類はほとんど食べてこなかった。しかし動物性タンパクだけでは体に悪い。そして三食均等な比重で食べるべきなのである。これが消化器に望ましい。

静脈瘤が破裂する前までは、仕事柄、昼過ぎに起きてパン少し。午後9時過ぎに夕食。午前3時ごろから5時ごろ何か書いて就寝というパターンだった。体に良いわけが無い。そうは思っていたが、いまさら遅いのだ…。
ところが入院中は、朝8時に朝食。12時に昼食。午後6時に夕食という繰り返し。これは体が混乱する。そして病院の方がやはり正しい。

ボクは美食家ではない。そういうイヤミったらしい連中は軽蔑する。
トンカツとか天丼とかカツ丼、親子丼とかすき焼きとか食べていれば満足する。結果、高カロリーなものを夜遅くどーんと食べていたわけで、これは間違いなく悪いことだ。

また、ロシア風の前菜とボルシチとビーフストロガノフとか、キエフ風カツレツ。アルメニアやグルジアの料理。ハンガリーのパプリカチキン、チェコの鶏肉料理。ウィンナ・シュニッツェルなどなども、続けばよくはない。勿論、肝臓・胃腸の強い人は問題ないけれど。

ま、といった理由で三度目の退院後初めて外出したのが、新宿まで電気釜を買いに(今までは土鍋で炊いていたもよう。その前はガス釜。どちらもやり方がよく分からない)。
なんとか辿り着いて、購入。その後中村屋でカニピロシキを買いたかったけど売り切れ。更科で御前蕎麦食べて(いつも御前蕎麦。しかし永坂更科はたいして美味くないのに高価すぎる)、MUJIのカフェでウーロン茶がたいそうおいしかった。それにしても尿が出ない。肝臓が機能していないからだ。腹水が溜まっていく。

帰りは数歩歩いて足が攣り、また数歩歩いて攣る、繰り返し。地下街を抜け出るのに大変な苦労。入院で筋肉がなくなっているからで、さらに東洋医学でもよく言われるように肝臓は筋肉も掌るから当然弱体化している。

全く関係ないが、倒れる前にバーゲンで10年ぶりになんとなくスーツを買った。そもそも着る機会などないのに。
しかし、このまま着ないで死んでいくのも悔しいので、なんとか着ていった。
電気釜を買いに、スーツで…哀れな話。

2009/1/5 (Mon)  パジャマ原理主義

本来ならば家鴨か、アーニャン教司祭か、それとも閣下かジャックが新年の挨拶をするはずだが、さすがに演出する体力と気力なく、吐血以来グータラなパジャマ生活を送る我が身を晒すしかない。

それにしても、無意味な延命工作を未練たらしく続けている自分と、未来のある子供や青年たちがイスラエルに無差別に殺されていくパレスチナ、とくにガザ。輸血もできないだろうしモルヒネも無いだろう。出血も止められず目の前で死んでいく。

12月30日の麹町イスラエル大使館へのキャンドル抗議集会。寒いところに待たされて立ちつくす体力なく、不参加。思えば車椅子のヤシン師をイスラエルのヘリがミサイルで葬ったときも、同じく車椅子のハンディキャップのパレスチナ人を、戦車かブルで轢き殺したジェニン侵攻のときも、わがNGOは同じ抗議行動だった。イスラエル、パレスチナ双方の犠牲者に黙祷と…。そして大使館の門のポストに抗議文を投函。大使館からは誰も出てこない。多分申し入れ書は屑かごの中だろう。

今回の申し入れ書も、ハマスはロケット弾攻撃を中止し…、が最初に書かれている。つまり喧嘩両成敗ということらしい。建て前だとしても(誰に遠慮、配慮しているのか知らないが)、これではバカな日本政府見解と変りは無い。NGOとは所詮そんなものなのだ。
A.ネグリが言ったように、NGOは結局政府の周辺組織。マルティチュードとともに闘う組織ではない。

有志連合軍によるアフガニスタン攻撃やイラク戦争のとき、非対称という言葉が流行った。アメリカ軍兵士一人に対しイラク軍兵士1000人だか10000人だか忘れたが、人の命の交換比率。あるいは誤爆で死んだアフガニスタン人への補償額と貿易センタービルの死者に対する補償額の落差。「非対称」。吐き気をもよおすイヤな言葉だ。

しかし、この醜悪な言葉を使用するなら、ハマスのカッサムロケット弾500発。その内やっと1発が命中するかしないかのような素朴な兵器と、電子機器満載のイスラエルの最新鋭の攻撃機やヘリ、無人偵察機、ミサイル、戦車、巨大なブルドーザーとの非対称。そしてこの非対称を補填するためにパレスチナの自己犠牲、自爆攻撃や投石が存在する。こうして非対称はますます非対称を増大させる。極限まで。

もう一つ。報道、マスコミの非対称。
「イスラム原理主義ハマス」の原理主義という修飾語。いい加減にして欲しい。もしこれを続けるなら、「キリスト教原理主義ジョージ・ブッシュは云々」、と常に表記しなければバランスが取れない。

自爆テロも自爆攻撃と正しく訳してもらいたい。
さもなくば、「今回のイスラエルの国家テロは…」とか、「国際テロ組織アメリカ合衆国のジョージ・ブッシュは…」と書いてもらいたいものだ。マスコミは、先ず第一に正確な用語を追究しなければならないはずだから。

さて、ボクは昨年来パジャマ原理主義組織の一員。ただ食って糞して寝て死を待つだけの組織だ。世間的には、無害であるが、無害であるとは存在意味が無いと言うこととほとんど等しい。
残念でならない…

2008/12/27 (Sat)  韓国版カワカマスのヴァイオリン

韓国で「カワカマスのヴァイオリン」(東文選)が刊行された。
「ヤンとカワカマス」の次がこれということは、多分わかり易いからだろうな。

初めて契約したのが確か1999年。出版のテンポというのはこんなものだ。
この数ヶ月先さえ読めない時代に、なんとも不思議な世界が残っている。

それはそれとして、10冊目の翻訳本。
数字になんの意味も無いが、それでも、なんとなく嬉しい。
病に倒れると、感慨深くなるものなのかな…。
多分、ひどく弱気になるから。

おそらく、丁寧に訳されているのだろう。ハングルは相変わらず読めないけど、なんとなくそれは分かる。ただ、カバーの絵は、ボクは彩色したことがないヤツ。装丁家が勝手に色付けしたのかな…。ベニテングタケじゃないんだけどなぁ、このキノコは…。

しかし、訳者の一人でボクの作品をこよなく愛してくれるキムさんのメールを読むと、ただただ、嬉しく、感謝あるのみ。今この時も、韓国のどこかで誰かが、この作品を読んでいるのかもしれない。

以下はキムさんのメール…(原文のまま)

先生、こんばんは。無事に届きましたね。
ちょうど先生にメールを送ろうと思って入ったばかりです。先ほど帰宅しました。夜、外国語学院で日本語を教えています。

今日、東文選の社長に会いました。本が出てからまだ会っていないからです。社長はいつも先生に’頭が上がらない’と言っています。表のイラストにつきまして、前もって先生に許諾を得ていないことにも申し訳ないと、後は伺います。
社長は今年大変だったそうです。むりやりに何かをしようとしても運が詰まる今年があるでしょう。来年はいい予感がするとのことで、頑張ろうと思っているそうです。
それながら、編集長は韓国では最高の実力だと指折られている編集者さんで私のつまらない翻訳を練るに練るを繰り返すわけで時間がカかり過ぎることになるんです。
編集長も社長も’ヤンはとても愛らしいので、こんなにいい作品はちゃんと作らなければならないと、心の丈を尽くしています。先生に恥ずかしくないちゃんとした韓国版を作ってから先生のところに伺うと言っていました。

来年は社長も編集長も私ももっと頑張ります。
先生にもラッキの女神様がウィンクしますよ!
                             韓国のキム

2008/12/20 (Sat)  草原の祝祭・新版

拙著「草原の祝祭」の新版が完成した。
二、三年、いや、その前から依頼されていたのだけれど、なかなか手直しが進まなかった。

ここに来て、残された時間など考慮して、入院中にエピローグの校正を終え、簡単な後書きを付け加えた。
そして、家に戻って装丁の作業。
こうしてなんとか完成したが、クリスマスの店頭には間に合わないだろうな。

初版との違いは細かく見てゆけばかなりある。全頁手直しした。しかし、ほとんど気がつかないだろう。

地図も新しく載せた。これは役に立つはず。
サヴィンスキは勿論、オネガもソロヴェツキィ島も
見つけることが出来る。
ただし、サヴィンスキが鉄道から離れているなどと
文句を言わないでもらいたい。これはフィクションなのだから。

また、イラストは、初版時はデジタルではなくて写真撮りだったので、
かなり粗雑だったものが、この新版では原画に近い状態で再現されている。
やや薄いが、これはもともと鉛筆画なので原画もこんな感じなのだ。

全体としてほぼ満足の行く出来上がり。
今まで英国版に負けていたが、互角になったかな…

2008/1/31 (Thu)  韓国の閣下とジャック

去年、2007年の6月に韓国で「閣下!」
の翻訳本が出版された。

「閣下!」と「閣下2」の二冊と
当ホームページの「閣下とジャック」
から、翻訳者(「ヤンとカワカマス」
の訳者でもあるキムさん)と出版社
(samingbook)が選び出して一冊に
仕上げたようだ。

ソフトカバーで軽いサブカルチャー本
といった感じ。ハードカバーより似合
っているなぁ。

で、韓国読者の受けは?
これがなかなかよく分かっている。
ネット上に30くらいの感想が載って
いて…とにかく皆よく書くこと、驚き。
なるほど東洋のラテン、KOREAの人々。
政治・社会に関心深く、自分の問題として考えている。
外国の翻訳本だから評価が甘い、ということはあるのだろうけれど。

でも日本に対してはある種の色眼鏡があると思っていた。
厳しい視線があると…
それが全くない。

それにしても日本ではまるっきり感想がなかった。
そんなものかもしれないけれど、寂しいナ…

OhmyNews(韓国のネット新聞)では、
「韓国の読者のために」というボクの前書きを引用しながら、韓国大統領選について記述している。
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000796115

こんな調子なので、今連載している岩波「世界」においても、ケチ臭いヤホン(邪本=日本)のことは後回し。なるべく世界的なことにこだわろうと思っている。というか、ますますそういう気分になっちゃうナぁ…

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