| 阿久 悠さんも逝く |
昨日(9/12)、阿久さんの追悼のテレビ番組を何気に見ていました。思わず「こんな曲まで!」と唸らせるような歌の作詞を阿久さんは手がけていたことに自分はビックリ! ピンクレディから石川さゆりの津軽海峡冬景色そして幼い頃にかすかに聞いた覚えのあるあの名曲『また会う日まで』の歌詞までもが阿久さんによって作詞されていたのです。 ジャンルやレパートリーの幅の広さより、自分がまだランドセルを背負う以前から思春期を経て青春期までの長い期間に渡る思い出の名曲の多くが該当することに久しぶりに大感動!歌とは不思議なもので、その歌が流行っていた頃のことと、自分にまつわる過去の思い出までもを甦らせてくれる。 そこには気持ちだけ随分と若返った"おかえり君"の姿があった、「過ぎ去った日々はいつも美しい、もう二度とは戻らないあの頃、思い出だけが頭の中を掛け巡る!」と似合わないことをのたまいながらテレビから流れてくる曲に合わせて気分良く歌を口ずさむ! 家内からヤジが飛んで来た「やめろや!へたな歌は!邪魔!邪魔!!」仕方なくおかえり君は歌を口ずさむことを止めました。
時を同じくこの日、07年9月12日に安倍晋三さんは内閣総理大臣を止めました。(辞任を表明しました。)
そして、おかえり君は「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめつづける 時代遅れの男になりたい!」(阿久 悠さん作詞の"時代遅れ"より)と心の中に刻み込むのでした。 以上 |
2007年09月13日 08時46分11秒
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| 美川を愛した翁が逝く |
「忙しい、暑い!」とのたまいながらダラダラと生活して気が付けば早、秋となりこのサイトの更新もままならず長い月日が経ってしまいました。 この間、風の噂によると6月に美川の生き字引とさえ云われた”神谷善蔵”さんが亡くなられたと云うことです、ここにそのご冥福を祈ります。ともに本当に寂しく感じる次第です、翁からまたおかえり祭りの思い出話の一つでも是非とも聞きたかったのですが!もう聞くことが出来ないと思うと更に寂しさも募ります。 『街の長老が亡くなると云うことは、図書館を一つ失うに等しい!』(誰の言葉だったか思い出せません・・・) まさにこの言葉がピッタリ当てはまる、きさくな方だったと思います。 自分個人としては、「あんたら若いもんは気ィ悪くするかもしれんけど、臺車ちゅうもんはやたらにヤンサンして練り歩くもんでねえげぞ! 毎年あんなんにあげて歩いとったら早ように臺車、ダメんなるわい! 次の世代に臺車を動かせるおかえり祭り残さんなんし、うるさいじじぃやなと言われるかもしれんけど、わしが生きとる間は悪もんになって、そう言うてくわ!」 とおかえり祭りを熱く語っていた翁の姿が今もまぶたに浮かびます。 あれから何年が経ったのか?昨年秋には町で元気そうな姿を見掛けたのですが・・・ この美川町を心から愛していた”善蔵さん”は今年(2007年)6月に亡くなったと云うことです。
合掌! |
2007年09月04日 07時25分32秒
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| 絶やすな!美川の祭り |
毎年、祭りが近くなるとここの伝言板を読み返しています。不思議に飽きないし新たなる発見があり自分でも胸が高鳴り美川人であることに嬉しくなるありさま。 今年は祭りの表舞台ではない、やや隠れた側面で美川人か美川に縁(えにし)があるものだけが理解できるであろうことに気づき、ますます美川の祭りの偉大な側面が理解できたようで、また一つ立派な祭りバカに一歩近づいている自分にこれまた慶びを感じています。 数年前には、美川出身の神奈川県に住む90歳のおじぃさんが、冥途の土産にどうしても美川のおかえり祭りが見たいと言い出したそうです。しかしながら体力的に自分自身では美川の地を訪れることが出来ず息子さんにその願いを託し、その息子さんがおかえり祭りの写真を撮りに来ていたと云うことです。おじぃさんの写真でもイイから美川の祭りが見たいと云う願いを叶えさせる為だそうです。 ご子息の方も美川の祭りに触れられて美川の良さを何かを感じとって帰って行かれたことでしょう! 近年、美川の祭りは往時の祭りを再現させようと復活の意気込みがあり、右大臣左大臣・申る子の隋身さん、獅子舞。そして今年は小獅子も復活するかもしれないと云う話を聞いています。このおじぃさんが生きているのであれば、ご子息の方かお孫さん、どなたでも結構です是非お伝え頂ければこれ幸いだと思います。 また、美川を離れて暮らしている人達の中には美川の祭りに毎年帰って来られる方も何名もいますし、金沢出身のシガーソングライターの松田亜世さんも美川の祭りに魅了された一人であり、毎年おかえり祭りに参加するためにこの時期に帰省しています。 今年に入り、自分が女性であるため青年団の年頃には直接祭りで活躍したいと云う思いが叶わず、その夢を自分のご子息に託し、今年は見事ラッパ手で晴れの舞台を演じられ夢が叶うと云う嬉しい話題。またまた、娘さんがお腹にいる時からラッパの音や青年団の団歌を胎教として聞かせたりしていたのが影響したのか、保育園にやって来た獅子舞を見てもよその子が泣いていても自分の娘さんだけは喜んでいたことを娘さんの口から直接聞けたことに対して、生粋の祭り好きである娘さんのことを微笑ましく見守っている母親の姿。この様子を想像することで自分もまたほのぼのとした楽しい気持ちになることが出来ました。 祭り当日の表舞台には決して現れることのない日本の祭りの心意気が美川の女性の間や美川を離れて暮らしている人達の間でも今も息づいている大切な話題として今回は取り上げさせて頂きました。 この美川の祭りは途絶えることなく、何十年先の次の世代にも必ずや受け継いでいってもらいたいものです。 町中が一致団結できる祭りがある美川!、そこには未来永劫に美川の祭りに出会えたことを何よりの喜びとして生きている日本人が多く暮らしている。そんな将来の美川はやっぱり最高です。 ついにその美川が最高の晴れ舞台となる祭りが到来する訳ですが、明日のよんめがその幕開けです。遠方より帰って来られる方へ、「気を付けて帰って来て下さい。」、そして今年もみんな祭りに熱くなれ! 『ハブ・ア・ナイス・祭り!!』 |
2007年05月17日 18時02分27秒
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| おかえり筋、新町の思い出 |
おかえり祭りまで早はや一ヶ月を切った。まだラッパの練習の音が我が家の窓から聞こえないのでピンと来ませんが、一昨日の土曜日は暖かくなりいよいよ近くなったと思わせる陽気でした。 つたない記憶でありますが、新町のおかえり筋の思い出を書いてみることにします。 子供の頃から親戚・知人からもおかえり筋が新町の時は雨が降ることが多いと聞いていました。10年前を振り返ると一日目の5/22は雨でした。20年前は両日ともに雨で、おかえりの日5/23の神輿の御たちの時は台風のような気象状況の中で神輿は動き出し、おかえり筋の新町では片付けたはずのストーブを出してきて火を入れていた家もありました。本当に忘れることが出来ない大変な祭りでした。 また興味深いのは新町には、東新町・西新町の臺車が二台あり、おかえりの日には、どちらが拾参番目となるかです。自分のじぃさんの話では、新町東を通る時は、拾弐番目が西新町の臺車で拾参番目が東新町の臺車となり、新町西になった際に入れ替わり拾参番目が西新町の臺車となると云っていましたが、実際にこのような入れ替えを見たことがありませんし、自分の近辺にも真意を知る人もいません。さてはて今年はどうなのでしょうか? 近年人口が少なくなった東西の新町の町内会、神輿と二台の臺車を無事に動かさなければいけない大役は大変なことと思いますが、どうか怪我や事故のないように頑張って下さい。 そして今年こそは久しぶりに二日ともに晴れ渡り、天気の心配のない、楽しい祭りを向かえたいと思います、そして何とか新町の二台の臺車の入れ替えを是非とも見たいものです。(事実であれば・・・) 十年前に二日目、5/23の晩に東新町の臺車が拾参番目に高浜のお旅所を出ておかえり筋に向かう姿を見た記憶がかすかにある、おかえり君でした。
以上 |
2007年04月23日 07時53分30秒
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| 『地震・雷・火事・親父』 |
3/25の午前9時半過ぎに能登で大きな地震がありました。美川地区は震度4程度のゆれが長く続き本当に怖い思いを久しぶりに致しました。十数年前にも能登で地震がありましたがその時よりゆれも長く続き、余震も起こり地震とは本当に嫌なものであると感じた次第です。 実際の被災地の能登では死者一名と多くの怪我人が出ておりなんともいたたまれない気持ちであると同時に知り合いや友人がどうしているのか本当に気掛かりです。 昔から怖いものの喩えに『地震・雷・火事・親父』があげられますが日本のおとうさんは『親父』から今は『パパ』に姿をかえあまり怖くなくなったようですが、『地震・雷・火事』は身近に到来すると今もほんとうに怖い存在であると痛感した次第です。地震は太平洋側のもので恐らく日本海側には来ないであろうと信じていた人もご近所には多くいたのも事実です。 『災害は忘れた頃にやって来る。』これもよくできたフレーズであるとつくづく感じるとともに自然の力には人間はやはり勝つことが出来ない、と云うより人間が自然に勝とうと思ってはいけないのではないか?とも思いました。都会の密集地帯であればさらに被害が多岐に渡っていたと思われます。 被災地の能登の人たちには何とも申し上げる言葉もないのですが、『災い転じて福となす。』の喩えの如く、これまで以上に他の地域との人の結びつきや地元の結束力が強くなり、今まで以上によい土地柄に甦って欲しいものです。 「頑張れ能登の人たち!」
追記、自分にも「安否はいかがですか?」とメールでお気遣い頂いた県外の方々、本当に嬉しく感じました。どうもありがとうございました。3/27
以上 |
2007年03月27日 07時07分19秒
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| 春を待ちわびる |
昨日(3/7)にこの冬初めてのまとまった雪が降り美川も、うっすらと雪景色になりました。本日も天気予報は雪。この雪が降ったことでこれで良かったんだと云うことを数人の方々から聞くことが出来ました。 多ければ迷惑なものですが、例年のように当たり前のように慣れ親しんだ雪景色を見てほっとする人、夏の水不足が懸念されていたがこれで多少は夏の水不足が緩和されるのではないかと云う人、雪が降らずに春を迎えると罰が当たり秋の収穫に悪影響が出るのではないかと云う人などいるようです。 曇りの日は全く感じられないが、3月中のお日様の光は結構強いもので晴れればそこらの雪を一揆に溶かし、濡れたアスファルトからは水蒸気さえも起こす力を持っています。 おかえり君としては、例年、この3月のお日様の力で雪が溶けたり、近所の道から水蒸気が湧いているのを見ることで美川の春の到来を感じてきたので、今年もそれを拝むことが出来そうでこれまた一安心です。これでいいんです、これで! 『冬来たりなば、春遠からじ!』この雪が溶ける頃に本当の春がやってくることでしょう。そして3月のお日様の力を雪を通して感じて春が来たことを実感する。 暑さ寒さも彼岸まで、そして『冬来たりなば、おかえり祭りも遠からじ!』結局行き着く先はそこなのですが、今年こそ両日ともに晴れになりますように!と少し早い祈りの気持ちを込めて終わります。 |
2007年03月08日 07時30分44秒
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| この冬の天気は? |
これほど、過ごし易い冬の美川ははじめてかな?この冬、雪景色の美川はまだ見ていません。スタッドレスタイヤは12月に早めに取り替えましたがノーマルタイヤでも充分な天気ばかりが続いています。昨日と一昨日の土曜・日曜も朝こそ放射冷却で寒かったが昼間は冬にしてはそこそこ太陽も出て気温もあがり、ここら辺の天気ではないような感じがする日となりました。 年配の方の中には、既に夏の異常気象を心配される人もいるようです。長年の経験からか冬は冬らしく、夏は夏らしくあったほうが、本来のその地域の気象で育つ植物も大きくなると云った考えがあるのかもしれません。 また『多くの欲を望むものは、いつかは罰が当たりよくない事が起きる。』と云った、慎ましく生きることの大切さを教えてくれているのかもしれません。「いいことばかり続いて、なんだかこの先どうなるかがこわい!」と良いことと悪いことが交互に繰り替えされてこそやはり人生、じぃさんがいみじくも『楽は苦の種!、苦は楽の種!』と口癖のように云っていたことが思い出されます。"楽"ばかりしていると、なんでもないことが"苦"に感じられてしまう。 暖冬ばかりが続くと暖冬にすっかり慣れきってしまい、普通の冬が来た際に交通事故やその他の災害が多く発生することを我々は学んでいるのですが、・・・・歴史は繰り返すものなのでしょうか?やはり少しは冬らしい天気でないといけないのかも知れません。 自分としては雪の冬があるから、おかえり祭りの当日が晴れるということが確約されるのであれば辛抱できそうですがどちらになるか祭り当日になってみないと判らないのであれば、過ごし易い冬の方が良いに越したことはないと感じるのですが、まだまだ偉大な先人達の見方が出来ないのかも知れません。でも毎年普通の冬が到来した際にも対応出来る準備だけはして起きたいと思う次第です。 夏の水不足や局部を襲う集中豪雨などの異常気象だけは来ませんようにと神にお祈り致しましょう!この祈りが叶えられた際の喜びの気持ちこそが祭りの原点だったりして・・・・(やっぱり、祭りかい!) 以上 |
2007年01月22日 18時33分04秒
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| 年末、12月と云えば! |
みなさんはどんな事で、12月の歳の瀬を感じるのでしょうか?今年の自分は清水寺の漢字一文字で歳の瀬を感じました。今年の一文字は『命』でしたが、漢字一文字で一年間の主な出来事とかぶらせることはいささか難儀なことかもしれませんが、今年は見事と感じる次第! ちなみに昨年の2005年は『愛』、2004年は『災』、2003年が『虎』、2002年が『帰』、2002年が『戦』でした。これも記録することにするか? 阪神ファンならば2003年星野監督のもとでリーグ制覇をしたことは記憶に新しいし、この一文字から2002年には蓮池さんを代表とする拉致被害者の何人かが日本に帰って来たことを思い出すことも出来ます。 今年、2006年の一文字は『命』で、飲酒運転や幼児の虐待によるもの、竜巻での被害、そしていじめによる自殺で多くの命が失われたことが理由と云うことだそうです。自殺については個人的な見解で誠に申し訳ないのですが、自分のように、祭りバカは次の祭りを生きがいとして少々のつらいことはガマンできるのですが、何かケタ違いの楽しみを見つけて、これだけは譲らないと云う気構えで人生を楽しむことを考えて欲しいと思います。 自分で死ぬには相当な勇気が必要だと思います、生きるにも相当な勇気が必要です、どちらも大変なら是非生きる勇気の方を選んで下さい!『生きたくても、死ぬ定めの命もあります、生きることが可能なら自分で命を絶つことだけは避けて下さい!生きろ!!』 年末、清水寺の漢字一文字でこんなことを考えた、おかえり君はまた一つ歳をとり所帯じみて来ましたが是非来年も宜しくお願い致します。 少なくとも来年は一ヶ月に一度は必ず更新することを目標に頑張りたいなと思いますし、この落書き帳(プログ?)もスタイルも変えずに一月に一度は書き込んで行きたいと思います。 そう云えば、スタッドレスタイヤにも交換したし、手帳も来年のものを用意したし本当に12月はせわしない月ですね、そうそう、子供のクリスマス・プレゼントも用意しないと・・・・ 大人になると子供の頃は楽しかったことが、面倒なことに変わっているぞ!いまも変わらない慶びを与えてくれる、おかえり祭り。これだけは、死ぬまでケタ違いな楽しみを与えてくれる存在で居て下さい!『あなたのためなら、僕は死にましぇん!』(古るい!!) やっといつもの、おかえり君らしく締めくくることが出来ました、メデタシ メデタシ!
以上 |
2006年12月19日 18時02分26秒
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| ちょっとイイ話! |
先日、知人と話をしていた時に判った出来事ですが、その内容は某新聞に美川のもと青年団同士が結婚をされ、式を美川校下の藤塚神社で行ったと云う記事が載っていたと云う話でした。昭和の中頃までは藤塚神社で結婚式を挙げるカップルもいたようですが、昭和の後半になると美川のほとんどの氏子達も結婚式に藤塚神社を利用しなくなったと聞いております。 結婚式産業がつくり出した流行(はやり)、それが当人にとって憧れの内容であればいいんですが、そうでない場合も多いのも事実でしょう!利便性を重視して、巷(ちまた)では結婚式のためだけのうそっぱちの教会が乱立しております。そこで式をあげることが多くの若者の間で指示を受けているようですが、残念ながら自分はあまり賛成は致しません。最低でも日本人の男なら結婚式には紋付袴を着て欲しいものです、というより結婚式ぐらいは和服を着ないといつ和服を着るんや!と云う気持ちです。 美川で生まれ、美川で育ち、美川の祭りを通して夫婦(めおと)になったのであれば、やはりそれに相応しい式場は藤塚神社です。そんな素敵な選択が出来た若者が美川に存在したことを嬉しく感じているのは自分だけではないと思います。 藤塚神社で結婚式を挙げたニューカップルへ『末永くお幸せに!(おめでとう!パチパチ)』とともに、『元気で祭り好きな、お子様を産んで下さいな!』(時期的にタイミングが遅れたことお詫び致します。)
迷惑なカキコミも少なくなり、少しはやる気になってきました。この忙しさが一段落したら・・・あまり期待しないで気長に、見守っていてください。 |
2006年10月23日 12時41分29秒
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| ハンカチ王子よりタスキ王子 |
夏の甲子園で優勝した早稲田実業の斉藤君。甲子園のマウンドでハンカチで汗を拭うサワヤカな姿に多くの女性が虜になったようです、その使っていた布切れから『タオル王子』とか『ハンカチ王子』と騒がれてからはや一ヶ月が経ちます。 対駒大苫小牧高校戦の延長引き分けの試合は、地元の高校が試合している時のように緊張してテレビに釘付けになっていました。久しぶりに高校野球ファンの熱い思いを呼び戻した好ゲームだったとそう思います。 タオル王子こと早実の斉藤君ですが、先日プロ入りせずにマスコミで進学することをを表明していましたね。 有名ブランド大学の付属校、その大学に準ずる見事な応援団、純白のユニフォーム、整端な顔立ち、女性がなびくのは無理はない。(恵まれすぎじゃ!) 駒大苫小牧高校の選手は世のほとんどの女性を敵に廻して試合をしているのではないか?と試合途中から思いはじめました。そうなると自然に駒大苫小牧高校を応援し始めていたことは認めましょう!(なんせ不公平なことが嫌いな性分なもんで) 「駒大苫小牧、頑張れ!俺が付いているぞ!(なんの役にも立たんが!)」翌日の再試合は熱闘甲子園で試合経過を見ました。 二試合とも本当に好い試合、両チームに拍手を送りたいと最後は素直に感じました。 試合後は斉藤君ばかりを、視聴率目当てのマスコミは取り上げましたが、投手斉藤君の女房役のキャッチャーの大いなる影の努力があって、決勝の試合までにコマを進めることができたことを忘れてはいけません。斉藤君の切れのある変化球をキャッチするのに相当努力したということです。 美川のおかえり祭りでも、旗手やラッパ手がよく目立ちますが、実は青年団役員や青年団内部、青年団女子部や消防団さらに町の支えがあって、はじめて見応えのある美川の神輿が渡御していることを付け加えておきましょう! そして、おかえり祭り当日の青年団を今暫くは『タスキ王子』とそう呼んであげましょう! まだまだ先の事ですが、来年も頑張れ『美川のタスキ王子達!』
本当に久しぶりの記入となりました。最近は伝言板がエロサイトにならないように、迷惑カキコミを削除することだけしか出来なかったことをお許し下さい。
以上 |
2006年09月13日 12時55分09秒
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| サムライブルー |
美川のおかえり祭りが終わり、早や一ヶ月が経つ。ワールドカップのサッカーもブラジルに負け、残念ながら決勝トーナメントに進めませんでした。 自分にとってはおかえり祭りと同様少し淋しい終わり方となってしまいました。特にメチャクチャ、サッカーが好きや!と云う訳でもないのに国と国が戦うスポーツとなると何故かそんな気になります。 今回のワールドカップで気になったことの一つに"サムライブルー"と云う言葉があります。北海道の函館には、箱館戦争で亡くなった旧幕府軍を弔う為の碧血碑があるらしく、「 義に殉じて流した武人の血は、3年経つと碧になる」と云う故事にちなんで建立されたということです。"碧"はもちろん濃い青系の色です、また旧幕府軍の陸の刀での戦いに大いに活躍をした新選組の羽織も青色をしてました。 知り合いの話によると『武士の世界では死をも覚悟して事に臨む際の色は青である。』と云うことらしいです。 ここでフレグランスの話となり申し訳ないのですが、三船敏郎さんをイメージして作られたとも言われている『サムライ』と云う名のコロンがあるのですが、このコロンも淡い青色をしています。ちなみにビンは"上(かみ)・下(しも)"をイメージした形であるとのこと。やはりこれも『サムライブルー』なのでしょうか? 皮肉なことに、今日は月曜日です。おかえり君の心も"ブルー"一色、『マンデー・ブルー(ブルーマンデー)』です。何故か『サムライブルー』と書かれるとライトの感じがして『武士紺碧色』と書いた方が日本的でイイと感じる自分に、改めて歳をとったのかなと思うしだい。 また次の楽しみを探して生きて行こうか! |
2006年06月26日 12時45分30秒
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| ついに"よんめ"がやって来た! |
ついに、この日がやって来た!。早く来て欲しいような、もっとゆっくり訪れて欲しかったような複雑な気持ちです。例年に比べて祭りが近づいている実感が少ない今年。 今朝起きて、気持ちは今一つ盛り上がっていなかったが天気が雨時々曇りの残念な予報となっていた。自分ではどうしようもないが何とかならないかと神棚にお願いをしてみました。いつもは会社の昼休みには天気予報など気にもしないのがここ数日、何回見ても天気予報など変わるはずもないが、祭り初日が晴れに変わってくれないか!と祈るような気持ちでネットを確認する、やはり曇り時々雨。そんなこんなを繰り返しているうちに本日の昼に急に心が祭りモードになって来ました。 今年は大丈夫か!と思っていましたが、やはり本日午後からは仕事が手に着かなくなりそうです。やっぱりおバカは直らない!今日は定時になったらすぐに帰宅することにしよう。(例年同じやろ!) もし神様が願いをひとつだけ、叶えてくれるなら『どうか、明日20日とあさって21日に雨が降りませんように!』とお願いすることにします。「雨が降るのなら今のうちに降ってしまえ!」 やっぱり、美川が一番輝く日"おかえり祭り"がやってくるんや!とあらためて実感する、おかえり君のよんめの昼下がり。 自分と同じことを考えている美川の男衆は、何人もいると思います。みんなで雨が降らないことを祈り、明日の祭りを迎えることに致しましょう!『出でよ晴れ男!、出でよ太陽!、』「晴れてくれ!、晴れてくれ!」と何度も何度も心のつぶやきは繰り返される。 |
2006年05月19日 12時43分32秒
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| 一ヶ月をきりました! |
個人的には、出張に行っていたり、天気も雨の日が多くほとんどラッパの練習の音を聞いていません。出張の帰りに美川大橋を通過する時に、一瞬だけラッパの音が聞こえたような気がした日がありましたがそれだけです。本当にラッパの音だったのでしょうか? 不安定な天候のせいで、「もう一ヶ月を切ったのか!」というのが実感です、近所の桜も葉桜となりやはりそんな季節なのかなと思う今日この頃。 さて今年のラッパの仕上がりはどうなのでしょうか?自分などには判らない微妙な音の違いがラッパ経験者の同級生には判るようで「今年は去年より少し上手い!」「今年は少し下手や!」との声を祭り当日には聞きますが、手厳しいOBを持つ現役のラッパ手にとっては耳が痛い話だと思います。よほどの違いがない限り自分には判断が出来ません。現役ラッパ手の皆さんへ、いろんな罵声にめげずにどうか頑張ってイイ音色を出し、祭り終わる瞬間には男泣きの涙を流すことが出来ることをめざし練習に励んで下さい。経験者の話によると『ラッパの音が出ないと、男泣きの涙も出ない!』と云うことらしいですよ。 このラッパの練習の音は美川の風物詩のようにもなっており、この季節段々上手くなって行くラッパの音で祭りが益々近くなって来たことも感じます、ふる郷の音と感じる方も多くいるのではないかと思います。 ラッパの音のほかに、自分にとって祭りに絶対必要な音は、臺車(だいぐるま)のギー・ギーの音がそれです。『よんめ』の思い出の音として少年時代からの記憶として残っていますが、こばを作っているおじさんの体調の悪い日も多くなり、近い将来の後継者が心配されます。このギー・ギーの音がないと美川のおかえり祭りも随分さみしくなると思うのは自分一人ではないと思います。このギー・ギーの軋み音の爆音が魔除けになり神さまの露払いの役目があると云う説もあり、祭り本来も意味からもやはり絶対必要な音の一つだと思います。 ここ数年、少しずつですが往年の祭りの復活に近づいてもおり、いい傾向の中で何とか臺車のこば問題もクリアして欲しいと願います。 いつの時代にも、『桜が散り心は寂しいはずなのに、何故か嬉しさ隠せぬ美川人!(祭り前が祭りの始まり)』として至福の時をすごせることを願う次第です。祭りまでの一ヶ月間、美川人として過ごせることに本当に感謝です!そして、祭り好きの皆さんのお越しをお待ちしております!!
以上 |
2006年04月22日 19時24分44秒
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| 4月ばかより祭りばか |
4月1日はエイプリルフールですね、「どんなユーモラスなうそを云おうか?」と考えることをしなくなって、はや十年近く経ったかもしれません。歳をとると、どうでもイイことが多くなっていくようです。 しかしながら、子どもの頃から変わらない気持ちもあります。「いよいよやって来る、今日からおかえり祭りのラッパの練習が始まるんや!」と云うワクワクした気持ちです。昨日はラッパの練習は行なわれたのでしょうか?、我が家の二階からは残念ながらラッパの音を確認することが出来ませんでした。 毎年この時期に決まったように発病する季節の病、今年は少しばかり早い到来でした。もはや美川人としてしか生きて行くしか選択肢が残されていない自分に寂しいやら少しばかり誇らしいやらの少し複雑な気分です。 美川校下の風物詩とも云えるラッパの練習が始まるこの季節、実際には2日間しかないおかえり祭りですが、この時から心の中で祭りが始まるのが美川人の自然な姿なのかもしれません、自分だけではないはずです? そしてまもなく、自分と同じやまいをわずらっている方が今年もこのサイトに遊びに来てくれることでしょう!、今年も伝言板に皆さんの温かく、熱いメッセージを書き込んで下さい。それが楽しみであり励みとなり、このサイトを今後も続けて行くことが出来ると思います。 『祭り前が祭り』美川にとって本当にいい季節が始まりました! |
2006年04月02日 08時48分33秒
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| おかえり君の方丈記(ほうじょうき) |
まれに天気が快晴で飛行機の座席が窓側になることがあります。いつもはすぐに寝たり、雑誌を読んだりすることが多いのですが、気持ちがイイのでずっと窓から景色を眺めていました、海に浮かんでいる船を発見!「あの大きな船がなんと小さく見えるのでしょう、そして遠くには日本一の富士山も見える、そして船よりチッポケな自分が何を悩んでいるだ!」と話は続くと思いきや、そうではありません。 自分の目は船ではなくしばし海岸線に釘付け。波の模様(海の青い部分に対して波の白い部分)が時間が経過してもほとんど変わらないように見えることに興味深々、おかえり祭りを担う(になう)人々とが重なり合った時に思わず感動! 『昨年、今年とおかえり祭りに参加したメンバー、あと50年、60年もすれば(100年なら絶対!)ほとんどのメンバーが総入れ替えになっていると思います、しかしおかえり祭り自体は今とほとんど変わらないことがずっと繰り返されているに違いありません。今と同じ変わらない大切な気持ち:美川に生まれ"おかえり祭り"に出会えて良かった!、ラッパを吹けて良かった!、旗手をして良かった!、神輿の渡御に参加できて良かったという損得抜きの感謝の気持ちも毎年後輩達がきっと受け継いでくれるに違いない!』、そして頭の中は仕事のことを忘れ鴨長明さんの「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくととどまるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・」のフレーズが・・・携帯電話も鳴らないし、無料で頂いたドリンクを片手にプチハッピーなひと時が流れているのでした。 科学では解明されない大自然の力が織り成す波の模様と同じように、大切な日本の心の文化の一つでもある"おかえり祭り"に対する人々の気持ちを、美川人の偉大なるDNAが子孫へと繋いでくれることを確信し、さらに個人的には未来の美川にも祭りおバカさんがたくさん登場し、その中のほんの一人か二人でイイので自分と同じようにこの祭り文化を記録して次の世代に残すことを考えるおバカさんも現れることを期待しながら・・・・ 「まもなく、羽田空港です!、シートベルトは緩みのないように!・・・」 ♪〜今、緑酒の夢破れ!〜♪"ジャパーニズビジネスマン"という言葉でプチハッピーなひと時から目がさめる自分なのでした。 |
2006年03月12日 09時19分08秒
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| 三寒四温 |
2月25日は暖かく天気も良い小春日和でした。少し遠出をして気分転換を図りに行って来ました。家に帰るのも遅くなり途中で時計を見れば17時を過ぎ、「もうこんな時間!」でもまだ辺りが明るいことに気が付き思わず感激!一月の初めは17時になれば辺りは真っ暗でした。 これからの季節は三寒四温と云って少しずつ少しずつ日が長くなり、寒い日と暖かい日を繰り返しながら暖かくなって行き、やがて桜の咲く季節となります、そして夜な夜な青年団のラッパの練習の音が聞こえる季節を迎える訳です。例年と何ら変わらないこの季節の繰り返しなのですが、何故か春が近くなると嬉しさがこみ上げて来ます。 小林一茶さんは『雪とけて、村一杯の子どもかな』と春を待ち侘びる雪国の子供達の気持ちを簡潔に詠(うた)いましたが、雪国では春の訪れは、大人も子供も本当に待ち遠しいことだと再認識した次第です。今シーズンの冬は、12月にドカ雪が降ったために冬の期間が本当に長く感じられます。あと数週間もすれば本当の春が訪れることでしょう!この寒さもそれまでの辛抱ですね、体に気を付け嬉しい春を迎えましょう!! |
2006年02月27日 07時39分47秒
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| 不思議に縁のある人 |
今回は、少しいつもとはパターンを変えて書いています。 世の中には不思議に縁のある人が何人かいるもんです。名前は知らないが、出張でよく見かける人が何人かいます。中には飛行機の中で偶然にも二回隣になった方がいます。飛行機の場合は席を間一つ空けて座っている為に言葉を交わすこともないのですが、何故か不思議におかしくなり心の中で笑えてきます。 恐らく相手も同じことを考えているのだろうか? 『話を掛けてこないのは、お互い男でやや中年気味のサラーリーマンだからか?』それとも『俺がいかつい、親父に見えるから話掛けてこないのか?』,『もし、俺が独身であんたが若く可愛い女の子だったら"神が導き給われた作戦"で声を掛けるのに残念だなどとと同じことを考えているのかい?』等と頭の中を止め処もまくいろんなことがよぎります。みなさんはこんな経験はありせんか? お酒も入り段々本性が現れて来たようです、どうもすいません。「おもしろき、ことも無き世をおもしろく!」(高杉晋作氏)。今の自分にはこの言葉がピッタリ当てはまりそうです。
どうも失礼しました。 |
2006年02月09日 22時42分48秒
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| 恵方寿司(えほうずし) |
ここ数年の間に、大手スーパーやコンビニの商業戦略の影響で節分の日の"恵方寿司"なる行事が全国的に広まっているようです。もともと、この"恵方寿司"の風習は京都を中心とした関西地方の行事だったようです。節分の日に"恵方"を向いて太巻きの寿司を食べるといい事が起きると云う習わしが全国に広まっていったようです。ちなみに、2006年の"恵方"は南南東の方角だと云うことです。全国的な風水ブームも追い風になったことでしょう。 本来は"恵方"や"吉方"とはその年の"歳の神(としのかみ)"がやって来る方角であり、大晦日の日に"歳の神"がやって来るのを待ち侘びる行事のうち、新しい暦になっても"恵方"だけが旧暦のまま節分の日に居残ったようです。 また古く日本人は魂(生命エネルギー)は時がたつと衰えていき、正月には"歳の神"から新しい魂(生命エネルギー)を頂戴し再び甦ると信じてきました。 その際の『御歳の神さまからの魂』→『御歳魂』→『おとしだま』→『お年玉』に変わっていったようです、今ではすっかり"お金"に変わってしまいました、本当に現金な話であると感じる次第です。 この『おとしだま』ですが、九州ではトシダマという丸い餅を子供達に配る風習がある地域があり、全国的に見るとトシダマという丸い餅ではなく「みたまの飯」を配ったり食べたりする地域もあるようです。 美川のおかえり祭りでも"みたま"と云って豆を入れて餅米を炊いたご飯(赤飯に似た食感)に黄な粉をふり掛け食べますが、美川の"みたま"も自分は「みたまの飯」に何か関係があるに違いないと睨(にら)んでいます。 もしそうであれば、美川のおかえり祭りでも我々は新しい魂(生命エネルギー)を頂いているのでしょうか? 皆さん、そんなことを考えながら今年の美川のおかえり祭りでは"みたま"を食べましょう!きっといい事がありますよ。(Good Luck!!) |
2006年01月26日 12時41分44秒
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| ブログ |
最近、ブログと云ってインターネットで日記を綴ることが流行っているそうです。プロ野球ヤクルトの古田選手のブログが本になり書店に置いてあるのを発見! この落書き帳などもスタイルはブログの部類に入ると思うが、とてもとても毎日記入し続けることなど出来そうもないので当初から月2回程度を目標に感じたことを勝って気ままに残すツールとして使用している次第です。しかし過去を振り返えると全く何も書かずに過ぎ去った月もあります。「いかんなぁ!気つけよっと!!」 恐縮ながら使う側が勝手にブログを違うスタイルのものに変えてしまいました。 もともと、自分は本来の日記でも3日坊主に終わると思う、ましてや人様の目に触れるような文章を毎日綴ることなどは絶対無理やと思います。 歴史をさかのぼれば、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の土佐日記は男である紀貫之が女性の立場で書いた日記ということです。 自分の中で違う目線でものを書くためにこのようなスタイルで日記を書いていたのでしょうか?少なくとも人の目を意識して日記を書いていたことは間違いないと思います、ということは日本で最初にブログなるものにトライした人は紀貫之と云うことになるのでしょうか? いずれにせよ、このコーナーは自分らしく月2回を目標に何か書いて行きたい、そのスタイルは変えないつもりです、『初心忘る(わする)べからず!なり』。 昨年の更新の少なさは反省しながらも・・・ |
2006年01月16日 08時50分40秒
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| 香箱ガニ |
1/6の朝に車の雪を取り除きながら、ラジオを聴いているとラジオから何やらおいしそうな話が聞こえて来ました。 聞き取れた範囲では、どうやら開高健さんは石川で云うところの「香箱ガニ」が大好物だったらしい、ちなみにお隣の福井県では"セイコガニ"ということでです。この「香箱ガニ」のことを開高健さんは海の宝石箱とも呼んでおり、焚きたての白いごはんのうえに「香箱ガニ」の甲羅の中味を乗せ丼ぶりにして食べるのがこれまた旨いと云うことです。 ズワイガニの足は確かに旨い、しかし高い、「香箱ガニ」は足こそズワイガニに負けますが甲羅の中の何ともいえない色々な味が楽しめ、値段に比べお得感さえも味わえます。我々庶民は地元に住んでいてもズワイガニなどはめったに口にしません。「香箱ガニ」になるとシーズンに三度ぐらいは食べます、庶民に親しまれた地元の味として大切にしていきたいカニです。 冬将軍の久しぶりの到来ですっかり気が滅入っているいる自分ですが、この土地の冬の味覚を楽しみながら、雪かきに精を出すことにします、美川の皆さんも雪かき本当にご苦労さまです。 |
2006年01月07日 15時13分47秒
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| 今年も宜しくお願いします! |
他のホームページの管理人さん何人かと以前に話をしたことがあります、何度か掲示板(このサイトでは伝言板)を荒されたりとか、顔が見えないことをいい事に好き放題の偏った意見を書き残して往生したことがあると聞いています。 幸いこのサイトではそんなに嫌な思いをせず、美川やおかえり祭りが大好きで人情深い方のメッセージを頂くことが多く本当に嬉しく感じる次第です。今まで頂いた伝言の数々を少し読み返すとやはりそこには皆さまの熱い思いがあり、このサイトを立ち上げて良かったと感じています。一時は更新が進まず閉鎖も考えたこともありますが他に"おかえり祭り"のサイトも見つからず「これは止める訳にはいかないな!」と更新も出来ないまま放っておいた状態でも止めないで良かったと思っています。 もしこのサイトの掲示板(このサイトでは伝言板)が荒らされることがあっても皆さんと同じ熱い思いを、ストレートに伝えることにします、不器用な自分にはそれしかありませんから。 今シーズンは12月から異常なほど雪が降り例年なら春がもうそこまで来ているような錯覚さえ感じますが、あともう一回大雪が降る期間があると思います。皆様事故や体調に気を付けて下さい。 そして本当の春の訪れが来たら、例年通りこのサイトに遊びに来て伝言板にカキコミをして下さいな、宜しくお願い致します。 2006年、賀正 (おかえり君より) |
2006年01月01日 20時20分28秒
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| 野生的な五感 |
今年の秋に岐阜県で手造りログハウスを製作している先輩から便りが届きました、『なにやら変な虫が大量に発生しました、この虫が大量に発生すると大雪になります。とご近所の方が教えてくれました。』と書いてありました。見事な虫の知らせだったと思います。 折りしも丁度同じ時期に気象庁の大型スーパーコンピュータを駆使しての長期の気象予報では今回の冬は雪の少ない暖冬であると予想していました。個人的にも今年の夏から秋にかけて当てて欲しい天気はほとんどはずし、当てて欲しくない週末の雨だけはピタリと当てていると皮肉な予報結果となりました。 科学技術を追求しての天気の予報もせいぜいが6時間後の天気を当てるのが精一杯ではないのでしょうか?そんな感じがします。天気予報に関しても、虫の知らせ以外にも、天気に関して日本では経験からいろいろなノウハウを持った人がいるのに何故それらを有効に活用出来ないのか不思議です。もともと天気予報を外したからといって、内部的に顛末書などの謝罪の事務処理があるのかも知れませんが、我々にお詫びなどしたことがないのですから、天気予報にも野生動物や虫などの長期の天気予報を取り入れて欲しいものです。コンピュータの長期の気象予報と野生生物の長期の気象予報の取り組みで星取表なんかあれば天気予報も、もっと楽しくなると思います。 併せて我々人間も太古の昔は持ち合わせいたであろう、野生的な五感をもう少し取り戻す努力をしないといけないのかも知れません。自分などは雪かきで体のあちこちが筋肉痛でイタイ、イタイ。もう既に体が雪国仕様となっていないのかもしれません、いけないことです。『まず櫂より始めよ!』 またこの大雪、雪が少ない美川でも大変な積雪となりました、皆様車の運転や雪かきで事故、怪我などしないようにご注意下さい! |
2005年12月19日 08時17分09秒
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| アノラックはどこに? |
おかえり君が子供の頃は、今頃の季節になると子供達は皆アノラックを着て小学校に通学しました。このアノラックは新しい時は雨風にも強く雪合戦の際にもクッションになったりと随分使い勝手がよかったのですが、数年が経過したものは雨が生地にしみ込んでくるという欠点もありました。 個人的な話になりすが、私が小学校高学年になる頃には男子用のアノラックも黒色以外のものが登場しました。これにより、お兄さんがいるおじま(次男坊)のアノラックは水がしみ易いのと黒いのが特徴でした。古いアノラックには冬のシーズンが来ると防水スプレーを掛けることが必須になります。 現代ではゴアテックスなど、通気性が良く水に強い生地も開発されており、今もアノラックが存在するのであれば使い勝手の良いアノラックがあると思うのですが、アノラックと云う名称をあまり耳にしません。おそらく帽子の収納性を良して機能が同じで名称だけは洒落なものに置き換えて違うものとして存在しているのでしょう!スキーウェアや防寒ハーフコートなのかな? はたまた、悪天候の日には大切なご子息の送り迎えには車を使用するため、子供達のアノラックのニーズがなくなり廃盤になったのでしょうか? ごつい暖かな帽子がついている冬用のジャンパー、色は黒色、黒のゴムの長靴が良く似合うそんなアノラックを着て歩いている小学生は今はいません。これも懐かしい雪国の昭和の冬の思い出となったのでしょうか。 以上 |
2005年12月07日 12時55分42秒
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| 祭りのお囃子のテンポ(早さ)、今と昔! |
本当に長い間このサイトの更新が出来なかったことお詫び致します、少し落ち着いて来ましたので、途中になっていた落書き帳をアップします。 2002年5月のおかえり祭りに獅子舞が復活しました、お囃子はテンポの良いリズミカルなものでした。津幡の獅子舞のお囃子を参考にしていると聞いています、気忙しい(きぜわしい)現在の我々の生活リズムにはゆっくりとしたお囃子より、早いテンポのお囃子の方が心地良く感じるのでしょうか? ここで、能登のキリコ祭りに目を移すと石崎奉燈祭りのお囃子は、宇出津のあばれ祭りや柳田のキリコ祭りのお囃子を参考にして創られたと聞いています。この石崎奉燈祭りのお囃子は宇出津や柳田のお囃子に比べかなり早いテンポのものですが、自分はこのお囃子と統制の取れた大きな掛け声がもたらす独特の雰囲気を始めて見たときに、背筋に戦慄が走るような共鳴感を覚えました。 話を加賀に戻しますが、伝統ある鶴来のほうらい祭りの獅子舞のお囃子と云えばゆっくりとした面持ち(おももち)のもので、長い年月の間鶴来の先人より受け継がれた伝統の"テンポ(速さ)"であると思います。宇出津や柳田のキリコ祭りのお囃子と同様に古き良き伝統を受け継ぐと云うことで、これはこれでとても大切なことだと思います。 その時代を生きる人々の心地良さを優先したお囃子のテンポか、古き良き伝統を受け継いだお囃子のテンポか、どちらが良いかは自分個人では判断できるはずもありません。 新しくお囃子を始める祭りにとっては、どうしても現代の生活に合せたリズミカルな早いテンポのお囃子になる傾向があるのでしょうか? こんなことを考えながら、あちこち祭りを観て廻ることでまたひとつ楽しみが増えたような気持ちになります、不思議ですね! |
2005年11月01日 18時59分42秒
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| 夏の日の想い出前半(美川編) |
自分が小学生の頃は美川小学校の児童が居る家には、『遊び中』『勉強中』の札が玄関前の何処かに提げられていました。画用紙の半分くらいの大きさに"遊び中","勉強中"の白抜きの字が並んで書かれており、それを折り曲げて使います。(実際の大きさは画用紙の1/4程度になります)『遊び中』『勉強中』の白抜きの字に各自が好きな色を塗ると夏休みの始まりを実感しました。自分は遊びには青色、勉強には赤色を塗る傾向が強かったです。今思うと遠方に親戚が居る親達は結構恥ずかしかったかも知れませんが昭和後半の美川の風物詩に近い存在だったと思います。 夏休みの宿題と云えば、初めは快調に仕上げて行き途中は全くしない、夏休みの終わり頃に思い出したように毎日莫大な量をこなし親から叱られていた記憶が、あくまでも自分はですが・・・ 夏の朝は6時に起きてラジオ体操に行きます、今でもラジオ体操第二の音楽が流れるとなんとなく体が動くのもこの頃の影響なのかもしれません。また当時は各町内会対抗の球技大会が行われており男子がソフトボール、女子はドッヂボールで、ラジオ体操の後に少しだけキャッチボールをしたのもイイ思い出です。朝7時過ぎに一旦家に戻りご飯を食べて10時近くまで夏休みの宿題をして10時からは球技大会の練習をします。球技大会は8月の第一日曜日に行われることが多くそれが終わるとなんとなく寂しさを感じました、夏半分の終わりを告げる一里塚になっていたのかもしれません。 後半に続く・・・・ |
2005年08月11日 08時44分04秒
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| 『紙鳶(いか)あげ』って、なに? |
新潟県の三条市では凧のことを『紙鳶』と書いて"いか"と呼ぶそうです。 そのため、空に飛ばす"凧(たこ)あげ"のことを"いかあげ"と云うそうです、最初は自分も少し変だと思いました。 江戸時代には"凧あげ"の存在より先に"紙鳶(いか)あげ"が存在していたようです。ある時期に"紙鳶(いか)あげ"は全くもって宜しくない!との禁止令に対してほとぼりがさめた頃に、見た目には"紙鳶(いか)"とは少し違うものを造りそれを"凧(たこ)"と呼び、これを空に飛ばし"凧あげ"と呼んだそうです。実質的には"紙鳶(いか)あげ"の復活なのですが、皮肉にも"凧(たこ)あげ"の誕生と相成ったようです。 しかしながら、六角紙鳶(凧)の発祥の地、三条市では長い年月の間"紙鳶(いか)"と云う呼び方を継承してきており、現在の小学生も皆、凧のことを『紙鳶(いか)』と呼んでおりとても微笑ましいく思いました。 ここにも先人達の呼び方を頑なに守り続けた男達の思いと地域の結束があるようで、親から子、子から孫へ伝えられた和の心を感じました。 全国的な呼び方の"凧あげ"に負けないようにこれからも"紙鳶(いか)あげ"と呼び続けて欲しいものです。どうやら"凧あげ"より"紙鳶あげ"の方が由緒は正しいようですので、くれぐれもお間違えなく。(変らないからこそ愛されて続ける、こんな類の話題が好きでついつい応援したくなる昨今の自分です。)
出所は、2005/06/07 朝のめざましテレビからです。 |
2005年06月07日 12時35分06秒
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| Oh! とうきょう(頭狂)! |
出張などで東京に行ったことがある人は御気付きかも知れませんが。どの電車の会社か自分は忘れましたが、アナウンスで「次の電車は・・・」,「今度の電車は・・・」と云うフレーズを聞いたことがあるかと思います。 この「次の電車は・・・」,「今度の電車は・・・」、一体「次の電車」と「今度の電車」どちらが先に来るのか自分はよく判らなくなることがあります。田舎者の自分にとって頻繁に耳にする「次」「今度」のフレーズとして「次、飲みに行きましょう!」や「今度、飲みに行きましょう!」と云うフレーズがあります。時間軸を頭に描くと、自分の中では「次、飲みに行きましょう!」(場所を替えて即)が先で「今度、飲みに行きましょう!」!」が後(日を改めて近いうちの意味)になります。みなさんはいかがでしょうか? さらに、子供が母親に「おもちゃ、買って買って!」の攻撃に、応戦する母親が子供に「今度!今度!」と云う。この場合の今度は『今は絶対に買わないが、日を改めて別の日に買うかもしれないが、買わないかもしれないよ。』であり、自分は「今度!今度!」と聞いてどうしても直ぐに買ってもらえるとは予想も出来ません。電車に対しても同じで「今度の電車」がすぐに来るとはピンときません。 しかしながら、東京近辺の電車に限ってはどうやら「次の電車」より「今度の電車」の方が先にくるようです。自分と同じ思考回路の頭の持ち主の方はくれぐれもご注意あれ! そう云えば、従来の「今日の調子は全然ダメだった。」(全然+否定形)の構文が「今日の調子!全然いいよ。」(全然+肯定形)と云う従来の禁じ手の構文が当たり前のように東京を中心に関東からマスメディアを通じて地方へ波及しているようです、「今度の電車」も同じように単に知らなかっただけ(時代遅れ)かも知れません。自分にとっては『おかしい!全然ダメが正解や!学校で習ろた国語の文法の時間は一体なんねんて!』と今も思う次第、何とも恥ずかしいことで、地方の頑固親父症候群かもしれませんね。いずれにせよ、自分にとってはやはり、Oh! とうきょう(頭狂)!です。 (都会に馴染めない故郷大好き野郎でした。) |
2005年06月02日 12時47分00秒
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| 長年の夢 |
人それぞれの"顔","性格"に違いがあるように価値観も随分違いがあるように思う。他人から見ればたいしたことにないと思われることでも自分にとっては非常に大切なことに思うことがしばしばあります。 結婚当初、金沢か松任で暮らすかそのまま美川に暮らすか少しもめた事があり、家内に頭を下げてなんとか美川で暮らすことが出来きた時は本当に嬉しかった。何故かと云うと生まれて来る子供には美川小学校に入学して欲しいからです、更に出来れば入学前に子供を臺車に乗せて、我が子を乗せた臺車を曳いて祭りをしたいと云う夢があるからです。子供が生まる前からのイササカ変なこだわりでした。 普通の人のささやかな夢は『少しでもイイ家に住みたい、イイ車に乗りたい、イイ物を食べたい、だからイイ収入が欲しい。』で、恐らくこれが漠然とした幸せに繋がると信じていることと思います。しかしながらこの親父の夢は他人とは少し変わっており『自分の子供を臺車に乗せて、子供が乗った臺車を曳く。』この事に必要以上にこだわりを持っておりました。"ものより思い出!","お金で買えない価値がある!"などとテレビで聞いたようなコマーシャルの文句をのたまいながら! そしてその夢が叶う時が今年ついにやって来ました、昨年は飾り人形が怖いだの嫌だので臺車に乗らなかった倅が今年は何とか臺車の上に!少し動いたら「やっぱり降りる!」などと云うのでないかと親父は内心心配していましたが、ついに臺車が動く時が来た!倅の顔を見ると嫌そうな様子ではなく、かなり楽しそうに笑顔でずっと乗っていました。高浜お旅所に着いて倅は臺車を降りた訳なんですが、親父と手を繋いで家路に向かう途中、倅曰く「臺車楽しかった!また乗りたい!」。この言葉を聞いて親父は何とも云えない気持ちになり、「至福の時を味わうとはこの事か!」と一人心の中で呟きました。 "美川に生まれ育ったこと"と"おかえり祭りとの出会い"に自然に心から感謝出来た瞬間でした。そして『今の自分と同じ気持ちを倅が親父になった時には受け継いで欲しい!』と倅の頭を優しく撫でながら、暫くは幸せなひと時に浸っていました、めでたしめでたし!! |
2005年05月26日 19時15分20秒
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| よんめ(宵宮)が大好き! |
昨日伝言板を読み返していました、あっと云う間に一年が経ったように思います。伝言板のカキコミだけでも自分にとって結構貴重な読み物になったような気がします。また会ったこともないのですが、『祭りが近くなるとキチガイな程、祭りのことばかり考えてしまう!』と云う自分と良く似た"祭りっ子"さんや『美川の青年団大好き!』の"美川だ〜いすき "さんは今年も元気で祭りを向かえているのか少し気になったりもしました。その他カキコミをして頂いた祭り好きのみなさん、本当にどうもありがとうございました。 明日はいよいよ『よんめ』です。自分はこの『よんめ』の日が気持ち的には一番好きです。"元青年団OG"さんのカキコミと全くもって同じで、『指折り数えて待ちに待った祭りですが、祭り当日はあっと云う間に過ぎ去ります!そしてまた長い我慢の毎日が始まります。』だからでしょうか? 本番の祭りを明日に控えてまだまだ100%の楽しみを残しながらも、『よんめ』は各町内の臺車が練り太鼓の音や美川独特の臺車の軋み音に気が付き、あわてて玄関をとび出ると一年振りにみごとに装飾を施した臺車を目の当たりにして胸が高鳴ります。一方家の中では毎年祭りが来る度に嗅いできた赤飯と押し寿司の匂いが入り混じったなんともいえない香りに祭りが来ることを実感します、そして我が家では亡くなったじぃさんがやっていたように『よんめ』の日に神棚の掃除をします。出来ることならこのタイミングで時間が止まりますように!とか祭り当日の時間がゆっくりと流れますように!と祈りながら・・・これが自分が向かえる『よんめ』です、みなさんはどんな『よんめ』を向かえるのでしでょうか? 本番当日はお互い、酒やビールを飲み過ぎ気が付くと『お着き無事終了!』とならないように気をつけましょう。 みなさん!イイ祭りを!!(5/19会社の昼休みにて) |
2005年05月19日 12時45分44秒
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| おかえり筋今町の思い出 |
美川の祭りのおかえり筋は10年に一度巡って来ます、その為に"10年一昔(ひとむかし)"と云う伝説に近いこの言葉に自分は割と親しみを感じています。 30年前は、もの心が付いて初めて向かえた今町のおかえりの年で、当時の美川小学校の児童の間でも2日目のおかえりの日に今町の臺車が最後の拾参番になるかどうかが祭り前の話題の中心でした。(30年前に既に生きていたと云うことはかなりのおっさんなんですかね。)祭り2日目の夕刻今町の臺車が先頭を切ってお旅所を進んでいった姿に我々は「今町の臺車はおかえりの時でも壱番なんや!」と感動したことを覚えています。(通常はおかえり筋の町の臺車が拾参番を勤めます) 20年前の驚きは悲しい出来事でした、自分の目の前で中町の臺車がひっくり返ると云う大変ショックな事故が起きたことでした。大怪我をした人がいる!と誰もが思い救急車までお旅所近くにやって来ましたが、幸い救急車に運ばれるような怪我人が居なかったことに周囲の人達は胸を撫でおろしていたことをはっきりと記憶しています。この年の前後に屋根形の臺車の後ろに補助の支え棒が着きはじめたと聞いています。時代は平成になりましたが、これからは臺車の本来のあるべき姿を見直す必要があるかもしれません。 10年前は初めておかえり筋の同級生から2日目の招待状の葉書が届き、祭りまえから嬉しく騒ぎ廻っていたことを覚えています。
さて今年、昨年秋から日本列島各地を襲った台風、新潟地震、そして先月起きた兵庫県尼崎の電車事故。あまり祭りに浮かれてばかりいてはいけないと感じなながらも祭り前になるとやはり嬉しくなることは否めません。 白山市となって初めてのおかえり祭りですが、無事に祭りを向かえることが出来ることに感謝をし、祭り当日事故が起きないように・・・、祭り当日が晴れますように・・・と毎日神棚に祈願しながら当日を向かえたいと思います。 |
2005年05月16日 12時53分23秒
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