2010年3月29日(月)
プロットライターという立場
ある日のできごと。
電車の吊り広告で、何気なく、新刊の小説の宣伝を見ていたら、あらすじが、ずいぶん前に私がプロットライターをやった企画(そっちは映像作品にする予定だった)とそっくり。
そのときは、「こういう偶然もあるのねー」と思ってました。
ところが、どうやらこの小説は、私が関わってた企画が、映像作品ではなく、小説になって出版されたものらしいことが分かりました。
映像化の話はなくなった。
↓
でも、このままこの企画を埋もれさせるのは惜しい。
↓
ならば、小説として出版しよう!それが売れれば、今度こそ映像化できるかも!
と、こういうことなんじゃないかと。
で、先日、この小説を読んでみました。
ターゲットにしてる層の人たちが好みそうな作品にすごくうまくまとまっていました。
うーん、そうか、ここの部分はこうすれば良かったのか……という発見がいろいろあって面白かった。
ただ、この作品が「小説になった」という結果をこういう形で知るっていうのは、私がその程度の存在でしかないってことの表れなんだよな、とも思うわけです。
プロットを書き終わったら、役目はそこまで。その後の経緯はよく分からない。
プロットライターとはそういうものよ、というのは分かってるけど、心情的には正直淋しい。
やっぱりきちんと「自分の作品です」と言えるものが書ける状況を作っていく努力もしないと……と改めて思いました。


