地中海とカフェ物語 DIARY

ギリシャでの暮らしの中で、気づいたことや、毎日の出来事を日記として綴っています。

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Thursday, May 25, 2006

重要!! ブログのサイト変更のお知らせ

いつもこのブログを読んでいただいてありがとうございます。

実はこのサイトでは字数制限があり、また写真も1記事1写真しか載せられないなど規制が多すぎるので、これからの日記の更新は、今までも使っていたミラーサイトの方、一本に絞ることに決めました。
左手のリンク先にも載せていますが、こちらのサイトとなります。

このサイトはこのまま保存しますが、これからも更新した日記を読んでいただくには、お気に入りに保存している方は、サイトのアドレス変更をしていただかないといけません。

これからも頑張って記事を載せていきますので、お手数おかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

作成者 chottocafe

Wednesday, May 24, 2006

世界の空港ランキング!  後編

(中編からの続き)
気になる、アテネのエレフセロス・ヴェニゼロス空港の評価は、南ヨーロッパで1位!! ちなみに、この南ヨーロッパの2位はヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港。
ギリシャではこのランキングが話題になっていないので、総合ランクはちょっとわからない。個人的な空港の感想としては、清潔だし、まだ新しいし、お店がすごく少ないこと、さらにストライキが多いことも除けば、悪くはないと思う。小さい考古学博物館のようなスペースも、空港建築でどういう遺跡が出てきたのか見れておもしろい。どうせ空港内のコーヒーも高いのだから、雰囲気のよいカフェなどがよければ、向かいの空港ホテル、ソフィテルに行ってしまってもいい。ちゃんと空港と同じような出発時刻、ゲート表のテレビも付いている。ちょっと優雅にお茶する時間がある人に、お薦め。
アテネの空港が新しくなってもったいなかったのは、以前のようにアクロポリスの上空を飛ばなくなってしまったこと。初めて飛行機でアテネへ来たときは、初めて見る上空からのパルテノン神殿に感動!
今でも、アテネからヨーロッパ方面に飛ぶとき、運がよければ見れるかもしれない。

作成者 chottocafe

世界の空港ランキング!  中編

(前編からの続き)
6位は印象的なドバイ国際空港。なんだか金色が目立つ独特のアラビアンな雰囲気。お店はものすごく繁盛していて、買物する人で一杯。 夜中の発着が多く、夜中というのを忘れるほど、賑わっている。X線の荷物検査がものすごく厳しくて、靴も脱ぐよう指示されてしまったのを覚えている。靴底の中の釘などが反応してしまうのだ。そしてトイレがおもしろいことに、日本のTOTOだった!洗面の蛇口も手が近づくと反応する、自動のもので、日本語で書いてあるのをそのまま使っている。ただアラブの人用に、便器の隣にはトイペだけでなくシャワーがついていた。アラブの女性はそれを使うらしい。

なんとなく上位はアジア各国が多く占める結果になった。残念ながら、ヨーロッパの主要空港は上位には入っていない。最高位は、ミュンヘン、次いでアムステルダム・スキポール空港が8位。9位がコペンハーゲン。このコペンハーゲンに行った事がないので、とても気になっているのが、このコペンハーゲン空港の人気の理由に、空港がIKEAのショールームのような雰囲気だということ。ちょっと見てみたい。

上位に入らない主要空港の中で、私の一番苦手な空港と言えば、パリのシャルル・ド・ゴール。いつも死ぬほど歩かされて、しかもターミナル同士が遠すぎて、乗り換えに間に合うかはらはらする。そして大きな空港のくせに、時間が余ってもお店が少なくてつまらない。
ロンドン・ヒースローはハロッズが入ってたりして、お店の充実度は満足だけれど、他は特に印象にない。
フランクフルトは店もまあまああるし、わかりやすい空港だけれど、中での移動に手押しかごが見つからないと、長距離を延々とスーツケースを持って歩くことになる。さらに遅延便が出発直前にゲートチェンジしたりして、正反対まで歩かされたことも記憶に新しいので、やっぱりまだサービスが足りないかも。

作成者 chottocafe

世界の空港ランキング!  前編

今日のパトラス最高気温:36℃ ペロポンネソス半島南部のカラマタ:38℃!!
SKYTRAXというイギリスの調査会社が、空港を実際に利用した旅行者のアンケートで出した、世界の空港ランキングというのがおもしろい。2005年集計の結果は;

1位は香港国際空港。評価されているのは、スペース、明るさ、風通しの良さ、清潔さ、効率の良さ、市内との接続交通機関など。残念ながら、私は昔の香港の空港にしか降り立ったことがないので、比較ができない。昔の空港は一度、天気が悪いときの着陸で怖い思いをした。当時の香港の空港は世界一着陸が難しいというので有名だった。強風の為、機体を揺らしながら降下。窓からは立ち並ぶ高層ビルの明かりがすごく近くに見えて、その中を無事降り立ったときには、乗客全員から自然に拍手が湧き出た。ちょっと映画「ダイハード」を思い出すような着陸だったので忘れられない。

2位はシンガポール・チャンギ空港。ここは利用したことがあるけれど、たしかに設備が豊富だった。いろいろなチャンネルごとに、座って見れるTVのブースのようなものもあったし、もちろんインターネットのスペースもあった。お店も多くて飽きなかったなあと言う覚えがある。

3位はソウル・インチョン空港。空港の評価は高いのに、残念なのは、市内と直結する交通手段の整備だと書いてある。私も聞いたことがあるのが、ものすごい車の渋滞を起こすので、短い日本からの旅行でもソウル市内と空港の往復で大きな時間のロスがあるという話。

4位はミュンヘンの空港。成田からは直行便もあるから、東京の人は利用している人が多いと思うけれど、私はまだ使っていないのでノーコメント。

そしてなんと関空が5位。それも清潔さや、空港職員の対応の良さでトップだという。これはちょっと嬉しいニュースだ。

作成者 chottocafe

Tuesday, May 23, 2006

ギリシャの今日のニュース

猛暑。晴れでとにかく暑い。今日は35度まで上がった。

またギリシャとトルコの関係を揺るがしかねない事件が起こった。トルコの戦闘機3機(武装していた)が、飛行許可など取らずに、エーゲ海のカルパソス島近辺をクレタ島に向けて飛んでいて、その確認のためにギリシャの戦闘機が2機飛び立った。
トルコの戦闘機とギリシャの戦闘機が至近距離に接近していたとき、トルコの戦闘機の1機とギリシャの戦闘機の1機が接触。爆発を起こしてトルコの戦闘機のパイロットは脱出に成功したけれど、ギリシャ人のパイロットはギリシャ現在夜9時の時点でもまだ行方不明。

現在報道されている、もう1機のギリシャ人パイロットの報告によると、接触事故はトルコ人パイロットの操縦ミスによるものという。具体的な事故の詳細はこれから調査が進むまでわからない。

このトルコ人パイロットを救助するにあたって、最初ギリシャ海軍などの救助申し出があったのだけれど、トルコ側はこれを拒否。結局、パナマ船籍の商業船がこのパイロットを救助し、トルコ軍がヘリコプターでこのパイロットを受け取ったという。

今回の事件で不幸中の幸いは、すぐにトルコ政府とギリシャ政府がコンタクトを取って、国交関係を崩さないよう冷静に話し合っているということ。

今までもエーゲ海上をトルコ軍が領空侵犯する事件がよく起こっていたけれど、どうしてヨーロッパ共同体にも加盟しようとしているトルコが、ギリシャを常に脅すような行動を取るのか、よくわからない。そんなことをしなくても、アメリカ合衆国と仲の良いトルコはアメリカの最新兵器、戦闘機などを揃えていて、ギリシャを大きく上回る軍力を誇っているというのを、以前雑誌で読んだのだけれど。

作成者 chottocafe

Monday, May 22, 2006

現代ギリシャ 家事情   後編

(中編からの続き)
パトラスに残る数少ない古い建物の中で、石作りの壁のものがあって、とても気に入っている。当時どこから石を取ってきていたのかわからないけれど、今では石が一番高い建材だそうだ。とくに素敵なのは、白っぽい石で、よくインテリア・デザインの雑誌に紹介されている邸宅が壁や外壁に使用している。

また30年前の建物でも今の建物でも変わらない定番のものといえば、やっぱりギリシャだなと思わせる大理石。階段、窓、玄関の下枠は必ずといってよいほど、大理石を使う。うちのお義母さんの台所も、古いものだけれどシンクと台が一体になった大理石。大理石については、イタリアでも、とても衛生的で、料理にも向いていると聞いたことがある。うちのお義母さんも大理石派で、ステンレスはいやなんだそうだ。ただギリシャでよく使うレモン汁は白い染みをつくってしまうので、注意が必要。

そしてギリシャで標準的な床の材質。 
普通の家でも教会などでも、30年くらい前のものは、色とりどりの石を埋め込んで磨いて作られている、独特の床が一般的。これは古くさいと思われていて、今では普通タイル張り、もしくはフローリングなどが当たり前になっている。さらに、ちょっとゴージャスな邸宅などでは大理石やグラニーティを使って模様をつけたものもある。
最後に、夏非常に暑くなるギリシャでは、屋根の選択も大切。パトラスでは、瓦屋根が一番人気がある。実際熱を通さなくて最上階でも暑くなりにくい。ただコストはかかるそうだし、屋上を利用したいというのもあって、コンクリートにタイルを貼った屋上付きマンション、家もたくさんある。

作成者 chottocafe

現代ギリシャ 家事情   中編

(前編からの続き)
日本のように車庫証明が存在しないギリシャでは、車は住居の前に路駐が多い。ただ法律が変わって、最近のマンションは、地階に駐車場をつくることが強制されるようになったので、その駐車場を買えた人はそこに駐車。一つの独立したガレージがパトラスでは大体140万円はする。また、マンションの地階の周囲のスペースも(本当は違法らしいけれど、)場所代みたいなものを払って、各自自分の駐車スペースとして確保している人も多いらしい。

一定の地域には、日本の公団を思い出させるような、古いエルガティキ・カティキアというものもある。これは国が年収の低い人への補助として、安い〜無料同然の値段で買えるよう労働者のために建てた建物群。このエルガティキ・カティキアでも最近の新しいものは、今の普通のマンションと変わらなくて、ベランダも広くきれい。ただし、これを貸して家賃を稼いだりするのは禁止されているそうだ。

ギリシャの一軒屋(モノカティキア)というものは町の中心に近づくほど、独立した一軒ではなく、隣同士が壁でくっついた2階から3階建ての建物。階ごとに玄関が別で、兄弟、親戚で住んでいたり、どこかの階は学生さんなどに貸したりしている、一軒屋という名称ながら、小さいマンションと同じ感覚。

庭付き、またはプール付きなどの、本当の一軒家というのになると、パトラスでは、郊外でビーチも近い地域が邸宅の並ぶ住宅街になっている。庭が広いのが人気で、広大な敷地を芝生で埋めている素敵な家がたくさんある。こういう地域は夏だけ過ごすために別荘として持っている人も多い。一番人気はもちろん海岸に面する土地だけれど、限られている上に、この数年の土地価格の高騰で、さらに高くなってしまった。

逆に山を選択する人々もいる。高台から町と海を上から眺められて絶景という場所が、パトラスにもたくさんある。それも以前はただ同然だった土地が今ではずいぶん値上がりしているそうだ。それとちょっと怖いのは、ギリシャは夏に放火などの山火事がまだ多い。パトラスでも毎年何件かあるので、山に住んでいるとその火事に巻き込まれることがないとは言えない。

作成者 chottocafe

現代ギリシャ 家事情   前編

晴れ
ギリシャというと、どうしても普通イメージしてしまうのは、古代遺跡の数々、次に白い壁、青い屋根などのエーゲ海に浮かぶ島の家々。
でも観光名所以外の普通の家は、とても現代的。イタリアのように古い家々は戦争などで大半が破壊されたり、保存する法律が甘かったり?したのだと思うけれど、本当に古い家はとても少ない。

まずはマンション(ポリカティキア)などの特徴。
景気が悪いと言われているギリシャなのに、マンションの建築はあちこちで進行中で、どんどん新しいマンションが建てられていく。建築途中のマンションの骨格は近所でもよく見かけるけれど、柱の中にがっしりとした鉄柱を使わないのが、地震の多いギリシャでは気になる。幾人かに聞いてみたけれど、ちゃんと耐震性があるという。
持ち家率がとても高いギリシャだからか、持ち家や土地を売って新しくマンションを買うとか、土地を業者に売る代わりに、建つマンションの何室かは自分の物にするとか、不動産の売買の話は。知り合いなどからもよく出てくる話題。

一時期すたれていたという暖炉も、最近人気だそうで新築は暖炉付きが多い。暖炉付きは借りる場合、家賃がちょっと高め。
窓はアルミサッシで、ガラスは一重と、しっかりした2重が多い。網戸も新築はついている家が多い。こういった新しいギリシャの建物は、窓は日本と同じスライド式。古いマンションや家の場合はイタリアと同じ観音開きが普通。もちろん当時の建物はアルミではなく木枠、木の雨戸なので手入れも必要。アルミは傷まないので塗り替えもいらないし、掃除も楽というので、今は大抵の人がアルミを選ぶ。
ギリシャのマンションの魅力はベランダの広さ。夏暑いせいか、必ずといってよいほど、広いベランダがあって、夏はごはんもベランダで食べたり、夜も集まっておしゃべりしたりする。

先日ベランダの日よけを見に行って教えてもらったのだけれど、日よけもギリシャ独特の特徴があるという。イタリアでは、日よけといえば、表も裏も赤・緑・黄色などが白地と交互に縞々になっているものばかり。ギリシャの日よけはほとんどがイタリアからの輸入。でもギリシャの流行は縞々ではなく、外側は無地で、内側に花などの模様が入っているもの。そのため、イタリアのメーカーなどは揃って、ギリシャ専用デザインの生地を製造しているという。

作成者 chottocafe

パトラス ヨーロッパ文化首都イベント(6月−9月プログラム)

晴れ
今までも何度か紹介している、このパトラスの今年のイベントだけれど、ちょっと忙しくしている間に、さらにすごいブログラムがいくつか追加されていた!
その特にお薦めをここで紹介。

まず、一つ目は6月6日に、なんとあのイタリアの俳優ロベルト・ベニーニがパトラスへやってくる!
ダンテの「神曲」の一部を、詩的なモノローグというトスカーナの伝統手法で表現するパフォーマンス。これはパトラスで一番雰囲気のある遺跡、パトラスの古代劇場で行われる。

また世界でも有名な日本のダンスグループLeni-Bassoとダンスの演出家、アキコ・キタムラさんが、ギリシャで初めての舞台を披露するそうだ。これは6月10日、11日の二日間。現代ダンスと新しいマルチメディア技術を使用した現代的なダンスということ。

それからずいぶん前に検討されていた、とてもユニークな企画が実現するらしい。
6月21日に行われるハーバー・シンフォニー!!
これは何かというと、パトラス港に停泊している船が揃って、船の汽笛を使って音楽を奏でるというもの。これはもちろんチケットなどいらないし、その時パトラス港かその近辺にいれば聴く事ができるので、もし運良くチャンスがあれば!(時間はまだ不明です。)

また7月15日には、驚くことにかの有名なテノール歌手、ホセ・カララスのコンサートもある!これも古代劇場で行われる。

などと、既に決まっていたプログラムがさらにグレードUPしていて楽しみが倍増だ。


EUROPEIAN CAPITAL OF CULTURE-PATRAS 2006
チケット予約はこのサイトで。またギリシャ国内からは電話800-100-5000でも予約できます。

作成者 chottocafe

Sunday, May 21, 2006

ギリシャとイタリア バジリコの微妙な違い

昨日行きつけのドイツ系スーパーLIDLで、欲しかった夏のバジリコ(英語:basil)を手に入れた。ここでなぜ「夏の」と言うかというと、実は、ギリシャでよく出回っているのは、冬も越せるバジリコで種類が違うのだ。よく似ているので、去年も一昨年も間違えてこの冬のバジリコをもらったり、買ったりしてしまった。乾燥したバジリコの瓶詰めをスーパーで買ってもやっぱりイタリアのものとは違う香り。

この冬も越せるバジリコは、茎が細いながら木の幹のようになる。問題は、味が違うということ。私の好きなイタリア料理には何回も使っているけれど、なんかきつい味になってしまう。イタリアで普通売られているものは、全て夏のバジリコで、日本ではスウィート・バジルと呼ばれるけれど、種類としてはbasil genoveseというものだと思われる。調べて見るとバジルは種類があまりにも豊富で、判別が難しい。

手に入れにくかったイタリア定番のハーブには、サルヴィア(英語:sage、ギリシャ語:ファスコミロ)もある。やっぱりギリシャ料理によく使うものしかギリシャの市場では見つからない。去年は偶然お義母さんの知り合いが、畑で取れた大量のサルヴィアを要る?と聞いてくれたので、とっても嬉しかった。それもまとめて冷凍庫に保管してちょっとずつ使っていた。

イタリアのトスカーナでは定番の3大ハーブ、バジリコ、サルヴィア、ローズマリーノ(英語:rosemary、ギリシャ語:デンドロリーバノ)はどれもギリシャのパトラスあたりの普段の料理では使っていないハーブ。(ロースマリーはギリシャでも一般に使われるハーブなのですが・・・)
ちょっとイタリア料理をと思っても、うちのお義母さんときたら、「え?これを食べるの?」などといろいろ反応してしまう。バジリコ、ノーズマリーノはともかく、サルヴィアなんて薬代わりのハーブティー用だとしか思っていない。
逆にイタリア(トスカーナ)で、もしディオズモス(英語でspearmint)やアニソス(英語でdill)、カネラ(=シナモン)を使ういつものギリシャ料理を作ったら、やっぱり「え?これを食べるの?」という反応が私のイタリア人の友人(特に年配者)からは返ってきそうだ。

こんなに近い隣の国で、こんなに食べているものが違うんだなあ、と思うとおもしろい。

作成者 chottocafe

今日はコスタスのお祝いの日

晴れ
今日はまたギリシャにとても多い、コスタスのネームデイ(ギリシャ語ではヨルティと呼ばれる聖コンスタンティーノスの祝日)だ。コスタスの本名はコンスタンティーノス(男性名)だけれど、通常はコスタス、コスタキスなどと省略形で呼ばれている。女の子の名前ではコンスタンティーナというのもある。だんなさんの叔父さん、親友の一人、名づけ子の兄弟と、数え上げるときりがないほど、コスタスがいる。
前もヨルゴスのネームデイのときに記事に書いたけれど、ギリシャでは、こういう日、電話会社、携帯電話会社、お花屋さん、ケーキ屋さんの稼ぎ時となる。

うちのだんなさんの亡くなったノノス(=ギリシャ語で名づけ親)もコンスタンティーノスさんだった。今日はその奥さんであるノナが実家に来ていて、義兄の家族もあわせて大人数で、お義母さんが作ったおいしいユヴェッツィ(写真)を食べた。昨夜は昨夜でユーロヴィジョンを見ながら、みんなで夜遅くに食事。豚や牛レバーとポテトのオーブン焼き、トルテリーニをチーズをかけてオーブンで料理したもの、サラダ、そしてケーキまでつまんでしまったので、ちょっと食べすぎの二日間。

毎日暑くて30度まで日中いったりするのに、ニュースによると、来週さらに暑くなるという。涼しすぎた春から急激に夏が来てしまったようだ。

作成者 chottocafe

ユーロヴィジョン 結果速報

なんと1位は、私にとっては意外なフィンランドの懐かしのヘビメタ。怪獣風マスクが受けたのだろうか?
曲は昔流行ったなあーと言うような15年位前の雰囲気の普通のヘビメタ。そしてなぜかギリシャも一番票が集めたのはフィンランド(自分の国以外に投票するシステム)で、私の周りのギリシャ人(あまり若くない世代)はみんな信じられないとわめいていた・・・。ヘビメタの流行を知らない若者に受けたのかもしれない。

2位は私のイチオシだったロシア!あー負けちゃってもったいない!何回も聞くほどさらに聞きたくなるような歌だったし、演出も気に入っていた。
3位は聴かせるバラード、期待どおりボスニア-ヘルツェゴヴィナ!2位と3位には大満足。

ギリシャはちょっと確認できなかったけれど、8位〜10位あたりだった。やっぱりギリシャ風の歌を歌うべきだったのではないか、と私達は言い合った。実際票を集めたロシアもボスニアなど、現地の言語で歌った国は上位を占めていたし、せっかくギリシャまで各地からやってきているのに、当のギリシャがギリシャらしい歌を歌わないとは・・・というのもある。

ただやっぱりアンナ・ヴィッシーはベテランの貫禄があって、舞台での存在感はすごかった。歌の終わりには、うちの近所からも拍手が聞こえてきた。

そして実はユーロヴィジョンは、賭け事にもなっていて、正式に今日締め切りでトトカルチョのように予想を賭けられるようになっていた。ギリシャはその予想で1位候補だったというのが、とてもギリシャ人らしい。そこではスウェーデン、ロシア、ボスニアなどのほうが、フィンランドより上の予想だったのだが、やっぱり結果はわからないものだ。 また票が集まっていなかったけれど、私の気に入った歌は、ノルウェーの女性歌手とラトヴィアのアカペラ。今年のユーロヴィジョンは、本当に良いものと、面白さなどの受け狙い(フィンランドやリトアニア)へ票が分かれて、実力どおりの評価ではなかったように思う。

今日もいろいろと凝った演出が素晴らしかった。票のカウントの間にはギリシャの歌4000年の歴史という内容で、古代劇から近代までの歌と踊りを見せるような演出がされて、見ごたえがあった。またゲストにはナナ・ムスクリも登場した。

作成者 chottocafe

Saturday, May 20, 2006

歴史に翻弄されたギリシャ人の末裔たち  後編

現在ギリシャ在住のオチェナ村出身のある男性は、このポディアカの由来に興味を持って、子どもの頃学校の先生に聞いたとき、ギリシャとの関係については一言も教えてもらわなかったという。彼の人生が転換するきっかけは、アンタルヤで観光業に就いていたとき、あるギリシャからの観光客にポディアカを理解する人がいて、同じ言葉をきいて涙を流したことだった。これが、生まれて初めて、自分が本当は100%ギリシャ人であると知る初めての機会だったそうだ。
それを機にギリシャに来ることを決め、今はギリシャでポンドスの文化を収集してネットに載せている。今の子供達はだんだんポディアカを話さなくなっていっているので、こうやってポンドスの文化を保存したいと望んでいるそうだ。(彼のサイトを見ると単語が時々ギリシャ語と同じで共通点がわかりますが、文章は残念ながら意味がわかりません・・・。)言語だけでなく、音楽、踊り、楽器にも独特のものがある。(同じサイトで音楽も聴けます。)
ただ、これさえもトルコ政府は望んでいないようで、ハッカー集団を使ってこのサイトの妨害を何度も試みていると彼が言っていた。

でも取材で見た現地のポンドスの人々は、ギリシャもトルコも兄弟のようなものだと感じている。彼らは独特の文化を持っているけれど、住んでいるところがトルコであるかギリシャであるかは、気にしていない。単純に、ポンドスが彼らの故郷なのだ。

ただし番組では、トルコは何か(トルコの統一が脅かされるような出来事)を恐れている、ということを何度も言っていた。トルコ軍のインターネット・サイトには、疑わしいギリシャ人がいたら、通報すること、というので特別な電話番号まで載っている。
そしてこのポンドスの人々もトルコ政府と問題を起こしたくないと、口をそろえて言う。
番組で話していたあるパソックの政治家によると、今のトルコには、隠れたギリシャ正教徒(イスラム教化を強制された人々)、つまりイスラム教徒として暮らしているギリシャ人が200万人はいると推定しているそうだ。
efxinos pontos:カナダ、モントリオールにある、ポンドス出身ギリシャ人組織のウェブサイトです。ここではポンドスの歴史や文化について、英語とギリシャ語で読めます。

昨日5月19日は、ポンドスのギリシャ人虐殺、追悼の日だそうです。

作成者 chottocafe

歴史に翻弄されたギリシャ人の末裔たち  中編

(前編からの続き)
これが失敗に終わり、当時分裂しかけていたオスマン帝国を守る為にアナトリアに派遣された、ケマル・アタトュルクがこのギリシャ人たち(大半は非武装の住民たち)を襲い、殺戮、追放を行う。ケマルがアンカラに迫ってきたギリシャ軍に勝利し、さらに地中海へ下ってイズミール(現スミルナ)まで手中にするのはこの直後1922年のことだ。

ポンドスでは、何千人とも推測されるギリシャ人の子供達が親をなくし、その大半がトルコ人に養子にされて、トルコ人として育てられることになる。同じく上記のカナダにある団体のサイトによると、この時期は12万人ほどのギリシャ人が亡くなったり殺されたりして、結果、第一次大戦前の迫害時代とこのケマル支配時代の1914年から1923年の間を合計して、ポンドスのギリシャ人697,000人の内41%以上もの人々が殺されたり亡くなったりした計算になるという。
この孤児になった子供達の話は、ヨルゴス・アンドレアーディスという作家の「タママ」という本が、トルコ人監督によって映画化もされているそうだ。少し番組内で映された内容では、大人になるまでイスラム教徒、トルコ人として育った女性が、一枚の写真をきっかけにテッサロニキに住む実の兄を探し当てて会いに行く。

1923年ケマル率いるアンカラ政府が連合国とローザンヌ条約を締結。正式にトルコが独立国家として認められ、ギリシャのイスラム教徒、トルコのギリシャ正教徒の住民交換が行われた。このときにギリシャ正教徒であるギリシャ人たちはこの地域を去り、イスラム教徒であったギリシャ人たちは残った。この、残ったイスラム教徒のギリシャ人たちが住み、今もポディアカと呼ばれるギリシャ語に近い言語を話す、山中の村オチェナ(トラペズンタから南西に下ったあたり)という所が取材された。

学校ではもちろんトルコ語しか使われないし、クラスでポディアカを話すことは禁止されている。実は、トルコ政府は、このポディアカと呼ばれる人々、その文化・言語の存在を公式に認めていない。そして、ポンドスの人々も問題を起こしたくない、クルド人のような目にあいたくない、などいろいろな感情があって、お年寄りも子供達に本当の歴史を教えていない。またこの地域ではトルコ政府によって、徹底的にイスラム教の宗教教育が行われたそうだ。

作成者 chottocafe

歴史に翻弄されたギリシャ人の末裔たち  前編

曇り
昨夜、私のお気に入りの番組、メガというチャンネルの「ファケリ」で複雑な問題を取り上げていた。黒海沿岸のポンドスという地域に住んでいたギリシャ人の末裔の歴史だ。とても興味深かったので、内容を出来るだけ書き留めた。

現在はトルコ領である、黒海沿岸(右下あたりに位置する)の町、トラペズンタ(英名はTrebizond)は、古くからギリシャ人の町であったが、コンスタンティノープル陥落8年後の1461年、ここもオスマン帝国に占領された。この支配から逃れる為に、黒海沿岸の裕福な町、村から、大半のギリシャ人がポンドス(Pontus)地域(トラペズンタを含む黒海沿岸から山間部への一帯)の山中深くへ逃れ、そこで新しい町や村を築いた。

そこで自由に暮らしていたギリシャ人たちも、17世紀末になってイスラム教への改宗をせまられることになる。ギリシャ正教の教会は当時モスクへと建て替えられ、そのことは、現地のガイドブックなどには、今も全く触れられていない。
その後もまだギリシャ正教を守っている人々はいた。19世紀末の記録でもまだギリシャ正教徒のギリシャ人は697,000人もいたという。ところが1900年代初頭、トルコはこのギリシャ正教徒の男性を強制的に労働キャンプへ送りこむ。ここでは、ひどい環境での労働によりたくさんの人々が亡くなったという。さらに東方の奥地へ逃げた人々もいて、彼らの中からも、厳冬の逃亡生活によってたくさんの死者がでた。ギリシャ人だけでなくアルメニア人も住んでいたトラペズンタ近くの村々では、彼らの家も、教会も崩れかけて廃墟となっている。あるポンドス出身のギリシャ人組織サイト(在モントリオール:サイトのアドレスは記事の最後です。★)によると、この迫害によって亡くなったポンド地域のギリシャ人の数は、17万人にも上る。
この地域への取材の最中、なぜか、絶えずトルコの諜報組織が取材陣を追跡している、ということもレポーターが口にしていた。緩和しそうで緩和しないギリシャ・トルコの緊張した関係を象徴しているようだ。
第一次世界大戦でのオスマン帝国敗北後には、まだ残っていたギリシャ人たちが、この黒海沿岸地域に「ポディアコ・クラトス」というポンドスのギリシャ人による、独立した民主主義国家を建国しようとする。(中編へつづく)

作成者 chottocafe
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