2010年8月31日(火)
長い間お世話になりました
この「積読(つんどく)日記」を開始してはや5年と9ヶ月…。最初はほんの思いつきで開始しましたが、たくさんの方の暖かいご支援・ご声援を受け、何とかここまで続けることができました。
根がいいかげんな性分ですので、ごちゃごちゃとしたまとまりのない内容で、しかも何ら有益なることも書けず、いつも他人様のブログを拝見するたびに「やっぱりかなわない」と嘆いておりました。それでも優しい目で見守ってくださる方々がいる、ということが何よりの励みとなりました。
本当にありがとうございました。
この度、この「積読(つんどく)日記」もお引越しをすることとなりました。昨日も書きましたが、今まで使用していたジオログから、gooブログへと変更になります。
「続・積読(つんどく)日記」
http://blog.goo.ne.jp/banketong
今後はそちらで更新となります。
時々この「積読(つんどく)日記」もチェックしていますので、コメントをくださった方にはお返事いたします。ちょっと時間がかかってしまうこともあるかもしれませんが、必ずお返事致しますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
では続編にてお会いいたしましょう。
ちなみにこの画像(『漢學商兌』全4冊)は、この日記を創めたきっかけの一つともなったもので、当時やたらと線装本を買いまくり、その自慢を兼ねて本ブログを作ったのであった。あとは、本を研究の道具とみなすような研究者や学者じゃなくとも、一般人でも何とか楽しめる方法はあるんじゃないか、という思いもちょろっとあったりなかったり…。あの時はまだ若かった…。若さを失いつつ今になっても、相変わらず文章が稚拙なのが甚だ恥ずかしいけど、まあ初心を思い出してこの画像を載せてみた。
画像の許容量がたったの50メガバイトしかないから、ケチケチと小さな画像を載せてきて、「ああ不便だなぁ」と思い続けてきたけど、いざこれで最後となると、寂しいもんじゃのう…。いつの間にか愛着が湧いていたのかもしれない。
Yahoo!のジオログさんにも大変お世話になりました。
作成者
まっつん
: 2010年8月31日(火) 21:59
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2010年8月30日(月)
こんな使い方があったのか!!
一昨日、縦書きの電子書籍は、パソコンの画面が横長だから読みづらい、って書いたけど、その日記を載せた直後に「待てよ?」と思った。 ここで言った「電子書籍」とは、オイラはPDF形式のものを指していたのだが、「あれ?そういえば画面が横長ならば、PDF上で90度反転させればいいんでないかい?」と思い至った。だけどそうすると、自分の首まで90度反転させるか、もしくはパソコンの画面を90度反転させなければ非常に見づらい。自分の首を曲げるのはシンドイ。ではパソコンの画面を反転させるしかない。しかしそんなことができるのだろうか…。
いや、できる!!!

昨年買ったミニノートパソコン(最近になって、「ネットブック」という呼び方があるのに気がついた)は、買ったばっかりの時は特に使い道も重い浮かばず、やや放置の感があったが、今じゃ旅先はもちろん、家の中でも他のパソコンが壊れた時のピンチヒッターとして必需となっている。そのネットブック、実は前から「これは使えんなぁ」っていう機能があった。
 何と画面が動く。画面の両サイドには、マウス代わりやスクロールのボタンなどが付いている。
 分かりづらいが、その画面を真後ろに向けることができる。いやいや、画面を真後ろに向けて何の意味がある?結局キーボードを叩くには画面を真正面に向けないとどうしようもないではないか、無駄な機能を付けないで、その分安くしてくれればいいのに…そう思ったまま、長らくその機能のことは気にしていなかった。
ところが一昨日、急に閃いたのだ!「アレッ!?ひょっとしてこれって、縦書きのPDFを見るときに使うやつなんじゃないか!?」って。
 画面を真後ろに向けたまま倒すと、な、なんと!
「なんちゃってiPadの出来上がり!」
タッチパネルじゃないけど、手元にあるボタンでマウス代わりになるし、小さくて軽…いや、ちょっと重い、バッテリーが…。画面のように持つと、バランスが悪くて持ちにくいが、右側のバッテリー部分の方を持つと、結構持ちやすい。
今頃になって本来の機能に気付くのであった。そして今頃になって「良い買い物をしたなぁ」と思うのであった。でもやっぱりこれで読書しようとは思わないけど、単に標点を確認したい場合とか、その他学習用の貴重なツールになるかもしれない。 実は、ずうっと前から、iPadのような高価で高機能のものは要らないから、安くてPDFを読む専用の端末はないかな、と思っていたのだが、まさか目の前にそれがあるとは思いもしなかった。
…と、ただそれだけのお話。
パソコンといえば!
お知らせです。
そろそろこの「積読(つんどく)日記」も心機一転、お引越しを迎えることになりました。散々もったいぶってきましたが、もうすぐこのヤフージオシティーズ版もおしまいです。
来月からは「続・積読(つんどく)日記」として日記を書き続けていこうと思っています。なので、ここでの日記につきましては、9月からの更新はありません。もしも、このつまらぬ日記をまだ読んで下さる気力のある方、もしくは「可哀想だから読んでやるか」という心優しき方がおられましたら、上記のリンク先、もしくはこの日記の左側にあるリンク先をブックマークしてくだされば幸いです。まずは取り急ぎご連絡申し上げました。
作成者
まっつん
: 2010年8月30日(月) 22:06
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2010年8月29日(日)
〇一七 四部叢刊續編經部 『重校三禮圖』
 聶崇義 集注 張元濟 跋 上海書店?(出版年不明)
本書も、1冊200円で買ったもの。全20巻。本書のとびらには「析城鄭氏家塾重校三禮圖」と題されており、その後に「四部叢刊三編經部」とある。あれ?表紙の背の部分には「續編」って書いてあるのは一体…。元々は「三編」として出されたものが、後になって本書の形態になったときに「續編」に組み込まれたものなのか?最初は何かの間違いかと思ったけど、本書の頭についている番号が、先程載せた『儀禮疏』のほうは〇一五・〇一六、本書は〇一七として連続しているから、きっと種類ごとに再編成でもしたのかな?よく分からないけど、そんな瑣末なことが気になったのである。 また、とびらの裏には「上海涵芬樓景印蒙古刊本原書板高廿一公分寛十六公分」とある。張元濟の跋文を見ると、最初の二巻は汲古閣本を用いているようだ。よく見ると字の大きさが違う。あとは本書の元の版本が宋版なのかそうでないのか、ということが書かれていて、結局蒙古(元?)版だという結論を出している。 本書はその名の通り、三礼(周礼・儀礼・礼記)に出てくる衣服や器物、王城や祭祀の制度等々を図解したもので、その絵を眺めているだけでも良いかも。
まあ、この絵を目的に買っただけなんだけどね…。
確か、記憶が曖昧なのだが、この『三礼図』、確か冨山房の漢文大系の『礼記』の巻末に、おまけみたいな感じでこれがあったような気がする。学生時代にそこを読んだ記憶があり、だから本書を見つけた時、すぐに漢文大系を思い出したのだが、どうなのだろう。う〜ん、その漢文大系、持っているはずなのに、部屋のどこかにあるはずなのにず〜っと見つからないんだよね。あんまり真剣に探す気がないからなんだけど、だから本書を買ったともいえる。「まあ、部屋の中をひっくり返す手間よりも、200円で本書を買い、ざっと絵を眺めるだけでも元は取れるかもね」っていう極めて不純な思いで買ったのであった。それにしても「安い」って恐ろしいねぇ。もう本当に部屋に余計なスペースはないのに、これ以上本が増殖してしまうと、その分だけ他の本を処分しないとダメなのが分かっているのに、ついつい買っちゃう。
 四部叢刊ってとんでもなく膨大な量だから、全部揃っているのは図書館とかでしか見た事がないけど、こればっかりは膨大すぎて「全部欲しい」っていう気持ちが全然湧いてこない。そもそも、そこそこ安い四部叢刊の端本を見つけても、「今ならば四部叢刊よりももっと読みやすい標点本とか整理本とかがあるから別に買わなくても良いや」っていうけしからん気持ちがあるのも事実だ。でもここまで激安で売られているとついつい買ってしまう。積読病を発症してしまうのである。
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まっつん
: 2010年8月29日(日) 21:11
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四部叢刊續編經部 〇一五・〇一六 『儀禮疏(一)(二)』 全2冊
賈公彦 疏 顧廣圻 後序 張元濟 跋 上海書店?(出版年不明)
全50巻のうち、巻32から巻37までが元々欠けているようだ。1919年に「初編」、1934年にこの「續編」、1935年に「三編」が商務印書館から出されている。数々の古典を影印している。たぶん、元々は線装本だったかもしれない(たまに古い線装本を古本屋で見る)。本書はタイトルが書かれたとびらの裏に、「上海涵芬樓蔵本景印景汪閬原覆宋刊本原書板高二十二公分寛16公分」と書かれている。元々の版本の大きさが22×16cmで、それを影印したことが明記されている。本書はそれをさらに影印したもので、恐らく1980年代に洋装本として上海書店から出されたものかもしれない。寡聞にしてよく分からない。
本書は、昨日立ち寄った神保町で見つけたもの。この「續編」がめちゃうちゃ安い値段で売られていた。1冊200円!
この四部叢刊、中国古典に興味がある人ならばよく目にする叢書かもしれない。長所・短所は色々あるようだが、恥ずかしながらこの四部叢刊をちゃんと手にとって見たのは初めてだったりする。安かったから初めて手に取るっていうのも我ながらどうかと思うが、その価値はともかく、字が非常に見やすい。めぼしいものを探っていたら、本書が現れたので思わず買ってしまった。
ううむ…まさかこうやって『儀礼』関係が増えていくとは思いもしなかったよ…。
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まっつん
: 2010年8月29日(日) 09:27
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2010年8月28日(土)
『文選』 下
蕭統 撰 李善 注 商務印書館(出版年不明)
今日も暑くてかなわんのう…。暑い上にちょっと忙しいものだから、朝起きても疲れていて動けなかった。でもいつまでも布団の中でウダウダしていたら、今日はそれだけで終わってしまいそうな予感がした。そもそも暑すぎてウダウダすらできない。
『漢語史稿』を手に取るも、どうも集中できない。フッと気が向いたので、『文選』の影印縮刷本を読んでいた。そうしたら、何故か声に出して読みたくなった。でも読めない漢字が多いので、字書で調べながら読んでいたが、つっかえつっかえでぎこちない。何か最初からピンインが振られている古典はないものだろうかと思い、そこで、ネットで色々調べてみた。とりあえず『詩経』を読むことにした。いやはや、以前に「電子書籍は気に入らん!」って書いたことがあったけど、じっくり読もうとするものや、縦書きの本(パソコンの画面が横長だから、どうしても縦書きのものはいちいちスクロールさせないといけないので、じっくり読むどころではない)はやっぱり未だに読む気がしないけど、学習用に用途を限ってみると、結構ネットの世界というのは便利なものだと思った。
『詩経』の注音版をダウンロードして、全編(だったかどうかは不明だが、それでも結構な篇数があった)を音読していたら、2時間近くもかかってしまった。オイラは普段からあまり喋る方ではないので、こうしてずっと口を動かしていると非常に疲れる。それでも、昨年『千字文』を暗誦していた時に近い高揚感があった。正直暗誦はイマイチだけど、それでもほぼ毎日MP3プレイヤーにダウンロードした『千字文』を聞いている。
「文言基礎」にて、部分的に『詩経』は読んだことあったけど、沢山は読んだことがなかった。そもそも『詩経』は難しい、というイメージが強かったから近付くこともなかった。だが、少しだけ読んだ時、そのリズムを口にするだけでもなかなか面白いのだと思った。読みたい本が山ほどあり、その後暗誦はちょっとお休みになっていた。でも「何か朗読したい」という気持ちは変わらなかった。
そこで基本に立ち返り、変に「訳そう」とか「意味を考えながら読もう」とか余計なことを思わずに一気に朗読し終えたら、以前よりも『詩経』が身近になった気がした。ああ、こういうのって大事なのかもしれない、と思った。「取り合えず『詩経』の全てを(じゃなくとも大部分は)目にし、そして口から発したぞ」という小さな自身が生まれるからだ。自分の身の丈に合ったレベルで少しづつ楽しめば良い。そこに一般的な中国古典愛好者の利点があるのかも。
…と、余計なことをグダグダと書いてしまったが、要するに、『漢語史稿』を読むはずだったのにやっぱり気が変わってしまった、という言い訳をしたかったのである(苦笑)。
実は今日も神保町に行ってしまった。
…いや、ねぇ、ほら、あれ、え〜っと、なんていうか、何だろ?
…あっ!
そうそう、オイラには「こんな本を探してくれ」って頼まれていることがあるんだった。いわば使命だ!
う〜む、良かった、大義名分が見つかって…(汗)。
それで本書を見つけたのである。下巻だけの端本で315円。実は『文選』の縮刷影印本を買った日(先週)から目を付けていたのである。いや、本当は既に持っているのだが、別に「オイラなりの使い道」があったのだ。色々書き込んだり、切ったり…。まあ、使うのかどうかも怪しいものだが…。
そして今日も色々と「おっ!これはっ!?」という端本がいっぱいあった。その中からめぼしいものを5冊ほど買った。5冊買っても全部で1200円ちょっと。こういう日はとても嬉しい。何か良い予感がしたんだよなぁ、今日は。まああくまで「端本」だからね、端本にしてはまあ良かったかな、という収穫であった。
そんなわけで、すっかり満足して帰宅したのだが…な〜んか忘れている…。でもいい、今日は暑い、さっさと帰るか…。
家に帰って思い出した!
ああそうだ、本の探索を頼まれていたんだっけ。自分の欲しい本に目が眩んでしまい、もう全くの役立たずですな、オイラは。
作成者
まっつん
: 2010年8月28日(土) 22:55
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2010年8月27日(金)
忙しいのである
何だか来週も引き続き仕事が忙しいようだ。忙しいのはとても良いことなのだが、その反面、「ああ、またこうして無為(自分のやりたいことができないという意味で)に時間が過ぎて行くんだなぁ」という気持ちもある。昨年までは比較的仕事に重きを置いていたので、残業や休日出勤もさほど苦ではなかったが、今は頭の中で「こうしたいな、あれをやってみたいな」というのが色々出てきていて、それが打ち砕かれるとちょっとストレスになってしまっている自分に気付く。でも仕事をしないと生活できないから、あまり我侭言っていられないのかなぁ…。
ま、ちょっとした愚痴である。
というのも、昨年から楽しみにしつつ、唯一有料の会員となっている9月の某三國志関係の学会、急遽仕事の都合で行けなくなりそうになってしまった。とっても悔しく、また悲しい思いでいっぱいなのである。せっかく今年は東京で開催されるというのに…。本当はこの好景気を喜ぶべきなんだろう、いち社会人としては…。でも、オイラの中にはそんな余裕は微塵もない。残念だ。
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まっつん
: 2010年8月27日(金) 23:54
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2010年8月26日(木)
『漢語史稿(修訂版) 』 上冊
王力 著 科學出版社(1958年8月第二版)
これも「端本」として買ったものである。315円。本書といい、著者といい、かなりの有名人である。
日頃からお世話になっているxuetui様の『学退筆談』でも、唐作藩という中国の音韻学の大家が王力氏について語っている動画を紹介されているし、そもそもオイラが何かを語れるほど詳しくないので、余計なことは書かないこととする。関係ないが、最近中国の学者が語っている動画をいくつか見ている。かの彭林先生が語っている動画も見た。やはり熱い方だったんだ、と改めて思った。オイラはこれだけ中国の本を買っているにも関わらず、本音をいえば「中国」そのものにそんなに強い関心はないと思っている。まあ、普通の人よりはあるかもしれないけど、それでも中国のこういう伝統や学術を重んずる所は結構好きかもしれない。動画として残っていること自体がスゴイと思った。
本書はたまたま神保町で安く売られていたので買っただけなのだが、何故か「読みたい!」という気持ちが強い今日この頃である。部分訳ながらも、ネット上にある和訳を読めば良いじゃないか、とも思うのだが、もともとこういう言語に関する本はなかなか難しい。たぶん、オイラのレベルじゃ日本語の説明を読んでも理解しきれないのは明白だ。だったらいっそのこと、中国語のままの本を読んでみたい。「理解する」レベルには全然届かないけど、「何となく用語とかが記憶に残る」もしくは「何となく中文が読めている」という、内容云々とは関係ない、低いレベルでの自己満足感を味わいたい、とも思った。
もちろん読むつもりで買ったのだが、今は京都で買った本にはまっている。思いのほか面白すぎて夢中になっている。薄汚くて古くて臭い古本だが、まさかこんなに面白いとは思わなかった。
というわけで、何故か、今は読みたい本が沢山ありすぎて困っているのだ。どういうわけか、京都にいる頃から仕事も忙しくなっているので、あんまり時間が取れそうもないけど、たぶん、今そういう状況だから逆に読書欲が増しているのかもしれないね。現実を忘れたい気持ちが強いのかもしれない。
今のところは本書は次に読む予定。だけど気が変わってしまう可能性が大いにあるので、今のうちにここに載せた次第である。
作成者
まっつん
: 2010年8月26日(木) 23:40
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2010年8月25日(水)
『三國志』 第3冊
陳壽 撰 裴松之 注 中華書局(出版年不明)
何の変哲もない中華書局の標点本。通称「書局本」。先週土曜日に行った神保町で見つけたもの。この巻だけワゴンに置かれていた。100円。
たぶん、以前に比べて比較的容易に手に入るこの書局本、全然珍しくも何ともないし、三國志が好きな人ならばきっと多くの人が持っているかもしれないもので、実際オイラも2セット持っている(最初に買った1セット目のやつは乱丁落丁があった)。じゃあ何故中途半端なこの端本を買ったのかというと…。
単に安かったから(大方の予想通りだと思いますが…)!
その日は「端本を買おう」という気持ちが強かったので買っただけなのである。
オイラは人一倍飽きっぽい上に、人一倍理想家というやっかいな人間なのだが、やはりこういう端本をひょいと買って、その日のうちにサクサクっと読めたらカッコいいかもなぁ〜、と思いながら買っている。そして「どうやって使うかなぁ」と悩んでいるうちに、次の本を買ってしまうと、忘れ去られてしまうのである。これは本にとっても災難だろう。
…あれ?いつかそんなことを書いたような気がするけど、まあ遠い昔のことだな…。気にしない。
…あ、でも本書は、既に持っているものよりも、印刷、もしくは紙の質が良いから文字がクリアに見える。いや、やっぱり印刷状態が良い。きっと本書の方が新しいのかもしれない。
作成者
まっつん
: 2010年8月25日(水) 22:41
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2010年8月24日(火)
『十三經注疏−周禮』
鄭玄 注 賈公彦 䟽 阮元 校勘 藝文印書館(出版年不明)
今月の2日に載せた『儀禮注疏』と同じ出版社のもので、先週土曜日に同じお店で買ったもの。画像では分かり難いが、この猛暑の中、一日中炎天下にさらされた状態で路上に置かれていたためか、表紙はボロボロになっている。やはり本書も1冊1000円だが、中身は思ったより綺麗だ。
また例によって『周禮』そのものに興味があるわけでもないが、孫詒譲の『周禮正義』(標点本と、訓点が振られているものの端本)を持っていたので、全く無縁ともいえず、且つまた最近ちょっとだけ「礼」に関心を持ち始めたこともあって買ったのだった。今のところ、これを何に使うか何も考えていない。何かしら強い思い入れがあったわけでもなく、あの日はまさかその後続々と色んな本を買うことになろうとは思いもしなかった。今思えば、あの日は「端本(はほん)デー」だったのかもしれない。こうやって中途半端に買っていくから、あとでセット物を買うときに非常に悩むんだよなぁ…。
正直、こういう端本を買う時の心境は、「まあ、パパッと何かを書き込んで、有効に使ったら処分すれば良いんだよ」と、一見非情なように思われそうだが、ある意味有意義にその本を「使い切った」ことにもなると思う。
…ま、いつものように「見事に使い切ってやろう」という心意気だけで終わってしまうんだけどね。「どうやって使うかなぁ」と悩んでいるうちに、次の本を買ってしまうと、忘れ去られてしまうのである。これは本にとっても災難だろう。
先程、孫詒譲の『周禮正義』と本書の出だしだけを読み比べていたら、最初に本書を読んだ後に『周禮正義』を読むと、いきなり『正義』を読むよりも孫詒譲の意見が分かりやすく読めるのかもしれない。でも何十年かかるだろう、そういう読み方は…。それは無理だから、どこか一篇、いや、本文の1行分だけでも、そうやって読み比べるも面白いかもしれないね。
作成者
まっつん
: 2010年8月24日(火) 22:30
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2010年8月23日(月)
嘉業堂叢書 『儀禮疏』 全10冊
鄭玄 注 賈公彥 等疏 文物出版社(1982年7月木版刷印)
この間の土曜日は出勤だったのだが、午後3時には仕事の目処がついたので、早々に会社を後にした。土曜日はもう、頭の中は本のことでいっぱい。それもそうだ、京都であんなにスゴイ本を見せられたら平常でいられるわけがない。それと、探してくれるよう頼まれている本もあるし、さらに、京都に行く前と行った直後に神保町へ立ち寄った時、もう殆ど路上に投げ捨てられているかのような扱いを受けている本がいくつかあり、それらがもし売れていなければオイラが買ってしまおうと思っていたのだ。
神保町へと向かう電車の中、たまたま方向が同じだった後輩と雑談していたら、「まっつんさん、今日は何冊買うつもりなんですか?」と訊かれたので、「野暮なことを訊くんじゃない!大体ねぇ、もう『何冊買った』とかで満足するようじゃまだまだ甘いのだよ。『買わないことで満足する』、それくらいじゃないと『通』とはいえないのだよ」と、自信満々で答えたら、それをスルーして、「まっつんさんは本当に神保町ばっかり行ってますねぇ。大好きなんですねぇ」って言われちゃった。「バカ言ってんじゃない!!オイラはねぇ、あくまでキャラ作りのために…(以下省略)」とキツク叱りつけたら、「無理しなくてもいいのに…」と呆れられた。 くっそ〜、何か悔しいぞ。
…と、いいつつも、気付けばやはり神保町に佇んでいるオイラがいた。
友人の母様、いつもオイラのことをお気にかけてくださり、大変恐縮です。僕はまた、神保町に来てしまいました。1週間以内に3度も行ってしまいました。厳しい暑さが続いております、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
…あ、いかん、つい私信を…。
そんなわけで、仕事帰りに立ち寄った神保町、予定通り目的のお店で売れ残った端本などを300円とか1000円とかで買い、また他のお店でも100円とかで端本を買った。頼まれていた本の探索のことも忘れてはいなかったが、そろそろカバンが重たくなってきたので、帰ることにした。 そうして最後に立ち寄った水道橋駅近くの古書店で、本書を見つけた。一応線装本だし、中身も木版本らしいのだが、出版されたのが1982年と非常にあたらしい。ちょっと前のオイラだったら見向きもしなかっただろう。難しそうな『儀禮』だし、冊数が多いし古い版本に比べて紙がしっかりしている反面、とても重たいし、何より新しすぎる。全然惹かれる要素がなかった。

だが、最近オイラは『儀礼全訳』や十三經注疏の中の『儀禮注疏』の影印縮刷本を買ってしまっている。全く興味がないわけでもない。それでも、まあこんな線装本を買うことはなかったろう。
…京都に行く前は…
京都で綺麗な刷りと綺麗な保存状態の版本を見たり触れたりしていたら、「ああ、こういう綺麗な版本がひとつでもあればなぁ」という非常に困った誘惑に駆られたのだ。「書入れを前提にした大きめの版本もカッコいいよなぁ」とか…これは非常に危険な誘惑のサインだ。マズイ、マズイぞ!!
本書を目の前に逡巡するオイラ。刷りの状態は飛びぬけて綺麗とは言えないが、もう理屈抜きに迷う。お値段も4800円と微妙だし。安くはないけど、高すぎるわけでもない。

ええい!ままよ!
とばかりに買ってしまった。まあこれくらいならば別にまだヘコむことはないんだけど、問題はこれをきっかけに、こういう本がさらに増えていくんじゃないかという危惧が…。 大きさも、およそ18.8センチ×28.9センチと、A4サイズより若干小さい程度。文字も大きくて見やすい。これを見ていると、先日買った縮刷影印本はとてもじゃないけど字が小さすぎて読めない。
…字が大きくても読めないんだけど、まあそれは置いといてやっぱり文字は大きい方が目に優しくて良いよね。 昨日はちょうど縮刷影印本と本書を見比べている時にカブトムシがやってきたのであった。

しかし『儀禮疏』といえば、確か日本の学者が校勘した本もあったな、ということで、その校勘した本も注文してしまった。いや〜、危険だ、実に危ないぞ!!
作成者
まっつん
: 2010年8月23日(月) 22:10
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2010年8月22日(日)
しつこいなぁ…
先程、カブトムシが飛んできたので、一通り写真を撮った後、外へ放してあげた。何せオイラは昆虫大好き少年だったからね、昆虫だけには優しいのだ。その後、風呂に入り、一日の汗と疲れを洗い流してから、今度は何気なく『文選』を眺めていた。そしたら…
「カタッ!」
…おや?またかい、でも今回は柔らかく網戸にぶつかってきたな、さっきは「ガタッ!!!」だったのに、と思って網戸を開けたら、またもやカブトムシが…。
しかもよく見ると、小さな角の下にはさっき来たのと同じ小さなくぼみがある。いや〜、一回目と違って静かにぶつかって来たのは学習効果か?でも何故同じ所に来る?
「おいおい、さっき放してあげただろ…何でまた来るんだよ…お前はばかか?」
思わずキツいツッコミをいれてしまう。だが、コイツはどうもオイラの手のひらに載せるとおとなしくなる。オイラの手から離れようとしない。うむ、可愛いやつじゃ…。そうか、ひょっとしてオイラに会いに来たのか?毎晩「ガタッ!!」って音させていたのはお前だったのか!?
さっきは『儀礼注疏』を眺めている(※注意:決して「読んで」いたわけではありません)時にやってきたので、もしかして、こやつは漢籍目的でやってきたのか?そうか、お前も積読仲間なんだな?
試しに昨日神保町で買った(苦笑)『文選』の上に乗っけてやると、動きがピタリと止まる。ほほう、分かるか、『文選』の素晴らしさがおぬしには分かるかい!ワシですら分かっておらんのに…。 まるで舐めまわすかのように『文選』を読んでいるではないか!!!やるな、カブト氏(うじ)…。
…と、無理矢理カブトムシと漢籍を結びつけて再び撮影。その後はまた逃がしてあげたけどね。
ていうか、何やってんだオイラ?
…京都でクマゼミの写真を必死に撮っていた時と同じくらい、突如我に返り、己の愚行にブルーになるのであった…。
作成者
まっつん
: 2010年8月22日(日) 22:39
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カブトムシ
今日も暑かったのう…。昼間は京都で買った古本を読もうと思ったけど、暑すぎて全然そんな状況じゃなかった。
夜になっても暑い。風が吹けば多少なりとも違うのだろうけど、ここんとこ全く風が吹かない。いつものように網戸にして、『儀礼注疏』と『論語總説』を眺めつつ、友人にメールを打っていたら、ベランダで「ガタッ!!」っていう音がした。「また今年もやってきたな」、そう思い、網戸を開けて外を覗くと、小さなカブトムシ(オス)が歩いていた。もう夏の風物詩だね。今日だけでなく、本当は毎晩「ガタッ」っていう音がしていたんだけど、面倒くさいから気にしてなかった。
まあ、今日は気が向いたからカブトムシを捕まえて、嫌がらせに友人に写メール。返す刀でこの日記にもUP!!
しかし小さいのう。いつからこんなにカブトムシが小さくなっちゃったんだろう。きっと腐葉土とかの栄養分が少ないんだな。今じゃペットショップには外国のコーカサスオオカブトムシなど大きなカブトムシが普通に売られているし…。そういうのを見慣れたから余計に小さく見えてしまうのだろうか。そうそう、この間生まれて初めて本物のヘラクレスオオカブトを見てしまった。あれは本当にデカかった。昆虫大好き少年だったオイラにとっては感慨深かったけど、やっぱり冷房の効いたお店の中にカブトムシがいる、という違和感は拭えない。オイラにとっては、今日みたいに暑苦しい夜に出会ってこそ、というのがある。
…と、またもお茶を濁すのであった。
作成者
まっつん
: 2010年8月22日(日) 21:33
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いざ東京へ
8月17日:正午〜午後
苦労して辿り着いた寺町、さっそく目的の本能寺に入る。どうやらここは、あの織田信長が最期を迎えた時の場所とは違うらしい。アーケードと一体化していた。目立たない。ある意味、ここで京都のすごさを感じた。だって、歴史の教科書にも載る、誰もが知っているあの信長が最期を迎えた有名な場所であるにも関わらず、そんなに大っぴらな感じがしないから。もう京都といったら、教科書に載るような場所だらけ、というか歴史そのものだから、信長公ぐらいで大騒ぎしないのかもしれない。 「敵は本能寺にありーーッ!!!」って、勢いに乗って進軍してきたけど、途中難所に見舞われ、伏兵にも遭い、辿り着いた時には我が兵力(体力)はみるも無残なものだった。
 本能寺(左)の近くに天性寺(右)というのもあった。他にも小さなお寺が沢山あった。だから寺町なんだね。雰囲気のある古書店にも立ち寄った。仏教関係の古書店が多いのだろうか。 その後もアーケード内を散策しようと思ったが、とにかく広い!今のオイラにはその全てを見る力は残っていない。なので、とりあえず食事をとることにした。 気付けばオイラの目の前に、和食屋、うなぎ屋、ラーメン屋の三大巨頭が立ち並ぶ。どれも大好物ばかりだ。でもなぁ、せっかく京都に来たのだから…
ラーメン屋に入った。やっぱり絶品だった。チャーハン(「焼飯」と書いてあったのに、そう呼んでしまった)も美味しい。
腹ごしらえをして、お次は博物館に…けど、もう体力が…。次来る時に誰かと行けば良い。今回は普通の旅行とはちょっと違ったものだったから、逆に言えば京都そのものの魅力を堪能する余地はまだまだ沢山残っているのだ。元々オイラは普通の旅行が苦手なんだし、今度は得意な人と一緒に行けば良いか、そう思い、京都駅に向かうことを決意した。
…が、アーケード内を適当に歩き回ったので、今自分が何処にいるのか分からない。バスが通る道まで出たが、どっちの方角に駅があるのだろう(xuetui様が最初に「京都は方角が大事」と言っていた意味を、この日身を以って実感したのであった)…。とりあえずどこかへ行くバス停を見つけたが、よく分からん。途方に暮れていると、おっちゃんが話しかけてきた。「兄さん、何処へ行くねん」と。 「京都駅です。」 「ああそれなら、ここのバスはもう行ってもうたから、あっちのバス停が○×△。?…」 よく聞き取れなかったが、要するにもう一個先に行けば一番早いバスに乗れるらしい。一通りお礼を告げ、言われた方向へ足を向けると、 「兄さん兄さん!違うで!あっちや!」 …わたくし、全然人の話を聞いておりませんでした(汗)。何故か固い握手を交わし、「兄さん、気いつけてな」と言ってくれた。
う〜ん、さすが、京都の人達は困っている人を見ると放っておけないというのは本当だったか。東京にはない優しさがあると思った。教えてもらったバス停で待っていると、すぐに京都駅行きにバスが来た。バスの中でも、フレンドリーに話してくるおばちゃんに出会う。 駅に到着。ああそうか、こうなっていたんだ、駅の出入り口って…。京都タワー。でかいなぁ…。
 沢山の思い出を胸に、新幹線に乗って京都を後にした。さらば京都! 車内ではいつの間にか爆睡。
そうしてあっという間に東京駅に到着。何かほぼ5分置きくらいに新幹線が発着しているように思える。山手線顔負け。 さて、東京駅に着いたが、この切符は東京駅周辺まで有効だから、そのまま帰るのはもったいない。
…というわけで…

気付けば神保町に…
アレ…引いた…?
…嫌だなぁ、キャラ作りだってば!!「まっつんはいつも神保町に行っている」って、あちらこちらで言われるものだから、ついつい期待に応えようとして無理してやってきたに違いないじゃないか!オイラだってねぇ、そんなに神保町が好きじゃないんだよ、大変なんだよ、古本好きのキャラを維持するのは…。
本当は、旅の途中で「こんな本を見つけたら買っておいてください」というメールをもらったので気になっていた(無かった。見たような気がしたのに…)のと、やけに吉川幸次郎氏の本が読みたくなったのでやってきたのであった。1冊だけ買って早々に帰宅した。 感動の旅日記から一転、珍道中となってしまったが、それもオイラらしくていいや。
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まっつん
: 2010年8月22日(日) 07:32
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2010年8月21日(土)
幸運も尽き…
8月17日:午前
そうして感動的な大団円を迎え、いよいよホテルのチェックアウトの時間。この日は適当に市内を散策する事にした。
が、実はずっと気になっていた場所があった。
それは…
 大宮駅!
いや〜、京都に来る途中で地図を眺めていた時、この駅名を見て「ここかぁ!ここにあったのか!」とテンションが上がったのだ。だって…
 こういう大宮駅も知っているから…。ネットの電車乗り換え案内のサイトで、いつも「大宮」と入れると、京都の大宮か埼玉の大宮のどちらかが必ず出るので、気になっていたのだ。
こうして四条駅近くのホテルから、阪急大宮駅まで歩いて行った。しっかし、この京都の地図って、直線が多いからついつい「歩いて行けるかな?」と思っちゃうんだけど、実際歩くと結構遠いのね。朝っぱらから照りつける太陽の下、大きな荷物を担いで汗だくになって歩いた。
よし、見たぞ!
…吾ながらくだらないところで時間と体力を消費してしまった。さて、次は寺町に行ってみるか。そこに少しだけ古書店があるらしいのと、是非本能寺を見たかったのだ。
だが、この場所から京都市役所へ行くにはどう行ったら良いのか?何度も何度も路線図を見るがよく分からない。どうやら電車もバスも一本で行けるものはなさそうだ。さあて困ったぞ、また四条駅まで戻るか?
そう思っていたら、不意におばちゃんが話しかけてきた。
「兄さん兄さん、何処へ行くんや?」と。 「いや〜、ここから京都市役所に行きたいんですけどね」 「京都市役所かぁ!ある意味いっちゃん(一番?)難しいかもしれんわあ」
とか何とか色々おばちゃんに教わった。どうやらまずは二条駅前行きのバスに乗り、そこで降りてから京都市役所行きのバスに乗り替えると良いらしい。
「二条駅前のバス停は裏にあるよ!」
と言っていたおばちゃんの言葉の意味が分からず、とりあえずバスに乗り、二条城の西南側で降りた。今思えば、そこから地下鉄に乗れば良かったんだけど、その時はバスに乗ることしか頭になかった。ちょっと乗り換えのバス停を探すも、見つからなかったので、二条城の城壁に沿って南側道路を歩いて行く事にした。ま、途中で次のバス停が見つかるだろう、と。
だが、とんでもなく長い直線。太陽は真上に昇っているし、荷物が重い。行けども行けども城壁が左側にあるし、バス停もないし、タクシーも通らない!
 長い!結構歩いたよ。地図上だとあっという間に着きそうなのに(涙)。このままずず〜〜っと東に向かって行けば市役所があるはずなんだけど、いい加減疲れた。「あれ?地震かな?」と思ったら、実は眩暈だった。このままだと日射病で倒れるかも…。仕方ない、急遽予定を変更して二条城の中に入って休むか! そう思って必死に歩き、ようやく城の東側へ…。
 ふう〜、長かった…。実に長かった。やっと城門にまで辿り着いた。入場料を払っても良いから、どこか日陰で休みたい。
よし!入ろう!!

あはははは…はぁ(号泣)
どうやらオイラの幸運も昨日で尽きたらしい…というか、いつも通りに戻っただけらしい。でもちょっとだけオイシイ。 仕方ないので、またもや東に向かって歩いた。荷物が重い〜、暑いよ〜…。
その間ずっとクマゼミがシュワシュワ鳴いている。そういや、オイラまだクマゼミってやつを見てないな、と思い、街路樹にいたセミを撮った。
 くっそ〜、やっぱりこのデジカメはダメだ。何度も失敗しては撮り直す。
…はっ!何やってんだ?ここでセミなんか撮ってる場合じゃないだろ…。突然我に返り、再び市役所に向かって足を引きずるのであった。
本当に限界だ…あっ!地下鉄の駅だ! 意地を捨てて地下鉄に飛び乗った。
あと一駅なんだけどね…(号泣)。
そうしてやっと着いた寺町!
 …あれ?何しに来たんだっけ?
 あ、そうだ、本能寺と古書店見に来たんだ!
作成者
まっつん
: 2010年8月21日(土) 23:18
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旅の終わり
8月16日:夜
こうして感動のフィナーレを迎え、解散となった後、そこで新たに出会ったxuetui様の弟さんと、アメリカから1年間の留学に来られ、そして今(8月21日現在)はもう帰国されたアメリカ人の方(一応個人名を控えさせて頂くので「Eさん」とお呼びする)と共に、近くの居酒屋に行った。
いや〜、オイラにとってはまたもや素敵な出会いとなった。Eさんは中国の仏教を研究されているようで、日本語はもちろん、中国語も非常に堪能なのだ。また日本への造詣も深く、はっきり言って33年間日本で生きてきたオイラ以上に日本や日本のお酒や食べ物について詳しい。今回の五山送り火の文字や鳥居などのマークについて、強い興味と「なぜ『大』なのか?」という疑問を抱いていた。
あ、そうそう、33年間といえば、xuetui様の弟さん(すみません、自分自身が人から「弟さん」と呼ばれるのが大嫌いなので、人様に対してもそう呼ぶのは失礼なのは重々承知しておりますが、お名前を聞きそびれてしまいまして、申し訳ないですが、ここでは「弟さん」と呼ばせて頂きます)とEさん、そしてオイラの3人、な、何と!!偶然にも同い年だったりする!!!
うあ〜!
何だ!?
この偶然は!!
もうオイラの中では一気に親近感が増す。しかもお二人とも古本、好きそうだし…。Eさんも仏教関連の本を相当集めているらしく、「日本の本の装丁は300年以上後世に残るほどしっかりしている」というようなことを言っていた。オイラもう緊張の糸が緩んで、しかも日本酒をたっぷり頂いたのでほろ酔い気分だったので曖昧だが、「ああ、この人は本というものを、自分だけの所有物ではなく、人類共通の財産だと考えているんだなぁ」と思ったのだけは覚えている。
また、xuetui様の弟さんも、中国哲学(これもまた詳しいことを聞きそびれてしまった)のご専門らしく、中国語はもとより、英語も堪能だった。物凄く知的な会話が繰り広げられるも、何故かとっても楽しい。本当に頭の良い人は、「誰も知らないことを知っている」というのを自慢とも思わずに、ただ自分自身の内から湧き出てくる強い探究心を満たすための方法として、沢山の知識を身につけ、そして様々な難しいことを考えるのだなぁとその時思った。まあ、オイラはただ「へぇ〜」と頷くことしかできなかったんだけどね。
最後にEさんと熱い握手を交わし、弟さんとは熱い携帯番号を交わしてお別れを告げた。ほんの短い時間だったが、本当に素晴らしい出会いだったと思った。偏狭將軍の異名を持つオイラだけど、なかなか一言では言い表せないぐらいの素晴らしい経験をさせて頂いた。
また、宿に向かうバスの中で、xuetui様と交わした会話が忘れられない。やっぱりこれからは中国の時代、でもオイラに何ができるだろう…。この思いは今でも消えずに残っている。まあ、とりあえず今オイラにできることは、我慢して読んでくださる方がいる限り、この日記を書き続けることだね。
あとはラーメン屋から研究所に向かう途中に交わした会話も残っていますな。そうかぁ、積読していても引かれない世界ってのもあったんだぁ…。そうだよなぁ、あの下鴨神社で清楚な女性が汚い本を普通に手に取って眺めていたもんなぁ…。あれはオイラにとって驚愕の光景だったね。「しまった!生まれてくる場所を間違えた!」って、ちょっと思っちゃったもん…いや、ちょっとだけだよ…(苦笑)。
本当は一日で旅の様子を書き上げても良かったんだけど、じっくり思い返しながら書きたかったので、あえて何日にも分けて書いてきたけど、時間が経てば経つほど、本当に貴重な体験だったんだ、という気持ちが強くなるのであった。
xuetui様をはじめ、京都で出会った方々、そして台湾料理のお店探索に電話を通じてご協力くださったxuetui様の奥様、大事なお父さんを横取りしちゃって悲しい思いをさせてしまった御嬢様にも、深く感謝の念(と「ごめんね」という気持ち)を捧げたいと思います。
あ、あとはオイラが休みの間に、忙しい中、代わりに仕事をやってくれた職場の人達にも感謝でござる。先日読んだ『南米でオーパーツ探してる場合かよ!!』に、オイラがお気に入りの一節がある。
「たとえ自分の金で来ているとしても、我々旅行者は現地の人たち、そして母国の人たちに旅をさせてもらっているのである。現地の人の助けは言わずもがな、例えばオレがこうして旅をしていられるのは、オレが旅をしている間に旅をせず日本で一生懸命働いている人たちが日本経済を支えてくれるからだ。」
オイラの場合、「日本」を「職場」に置き換えると、まさしくこの言葉に当てはまるのである。
「んな、オーバーな!」と言われそうが、たった2泊3日の小さな旅行だったけど、間違いなくオイラの中では大きな旅になった。世の中って広いんだな、と心から実感したのであった。
作成者
まっつん
: 2010年8月21日(土) 21:29
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