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炎上
映画「炎上」(1958年/日本)を観ました。原作は、三島由紀夫著『金閣寺』(1956年)。監督は、市川崑。モノクロ映画です。上映時間は99分と短めですが、内容は濃い。展開も速いので、原作をあらかじめ読んでおいたほうがいいでしょう。 京都文化博物館リニューアル記念企画としての上映です。「炎上」は「京都映画リクエスト」で2位にランクインしました。会場の「フィルムシアター」もリニューアルされて、客席も174席に増加。入場料は総合展示料金(500円)で観られます。 冒頭に「あくまでも物語であって、歴史の一断片ではない」という注釈が表示されます。そのためか、金閣寺は驟閣寺(しゅうかくじ)、大谷大学は古谷大学に名前が変えられています。50年以上前の作品のため、さすがにセリフが少し聴き取りにくいです。 放火後に逮捕された溝口吾市(市川雷蔵)を刑事が取り調べるシーンから始まった後。驟閣放火にいたるまでが時系列で描かれます。ラストは懲役判決確定後、刑事に連行される途中で汽車から飛び降りて自殺します。このころの映画はエンドクレジットがないので、「完」の文字が出てあっけなく終わります。なお、史実では飛び降り自殺したのは母親です。 驟閣は、大覚寺の大沢池の畔に建てられました。実際の金閣は3階建ですが、セットの驟閣は2階建でひと回り小さい。終盤で派手に燃えます。 溝口吾市役の市川雷蔵が、吃音で気が弱い学生を演じます。まだ若く当時28歳ですが、その後37歳で夭折したらしいです。田山道詮老師役の中村鴈治郎は、住職らしい威厳があります。副司役の信欣三もいい。戸苅役の仲代達矢は声が若い。足の不自由さもうまく演技。五番町の女役は中村玉緒。中村鴈治郎の長女で、当時まだ10代ですが、面影があります。今と比べて声が高くてびっくり。 音楽は黛敏郎。あまり使われませんが、木魚か下駄を模したような打楽器で演奏されるモティーフがユニーク。 原作は、私(=溝口養賢)を一人称にして書かれています。哲学や美学的な内容が多く含まれ、表現が難しい部分があります。簡単に理解できるところでは、「自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えずにはいられなかった。」「美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。」「敗戦の衝撃、民族的悲哀などというものから、金閣は超絶していた。」「金閣がこれほど堅固な美を示したことはなかった!」「彼(柏木)は永保(ながも)ちする美がきらいなのであった。」「美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。」「金閣を私が焼けば、人間の作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである。」「世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。」「美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」「これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現われたことはない。」「美は、これら各部の争いや矛盾、あらゆる破調を統括して、なおその上に君臨していた!」など、発想が飛躍していきます。 また、溝口の心理の移り変わりも詳しく描写されます。「金閣と私との関係は絶たれたんだ」「私が金閣であり、金閣が私であるような状態が、可能になろうとしているのであろうか。」「小さな盗みが私を快楽にしていた。」「乳房が金閣に変貌したのである。」「金閣はどうして私を護ろうとする?」「いつかきっとお前(金閣)を支配してやる」「女と私との間、人生と私との間に金閣が立ちあらわれる。」「それにしても、悪は可能であろうか?」「金閣を焼かねばならぬ」「なぜ私が金閣を焼こうという考えより先に、老師を殺そうという考えに達しなかったのかと自ら問うた。」「金閣がいずれ焼けると思うと、耐えがたい物事も耐えやすくなった。」「決行を急がなければならぬ」「一体金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。」など、次第に思いを固めていきます。 映画では、南禅寺山門から見た、将校に母乳を絞って飲ませた女の話や、柏木たちと嵐電に乗って嵐山に行く話は取り上げられていません。また、鶴川の死もあっさり語られ、原作のように形見の手紙が紹介されることもありません。原作では、終戦について、「戦争がおわった。」とあっさり書かれていますが、映画でもいつの間にか終わっています。 最後は「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」の一文で締めくくります。
コクリコ坂から
映画「コクリコ坂から」(2011年/日本)を観ました。スタジオジブリ制作のアニメーション映画です。企画・脚本は、宮崎駿。監督は、宮崎吾朗。「ゲド戦記」(2006年)に続く監督第2作です。原作は、高橋千鶴(作画)・佐山哲郎(原作)による漫画『コクリコ坂から』(1980年)。少女マンガらしいですが、宮崎駿曰く「当時は不発に終わった」とのこと。大人向けの話なので、子供が観ても難しいでしょう。 舞台は、1963年の横浜。船乗りの父親を朝鮮戦争で亡くした松崎海(長澤まさみ)が主人公。ご飯を作って買い物もする自立した高校生です。海のあだ名が「メル」(フランス語の「mer」から取った)というのが少し分かりにくい。ストーリーは、友人の風間俊(岡田准一)の出生の秘密(親が子供を預けた)と、高校の部室が集まる「カルチェラタン」(清涼荘)の取り壊しを阻止する運動の2つからなります。カルチェラタンは、鐘時計もあって教会のような建物です。みんなで大掃除して、理事長に直訴しに東京まで出かけます。学生自治がある時代で、高校生が集まって全学討論会が開催されたり、新聞が発行されたりしています。ラストは、海と俊が亡くなった父の友人に会えたところで、あっさり終わります。 なお、コクリコとは、フランス語で「ヒナゲシ」という意味らしいですが、一度もコクリコという言葉は出てきません。海が住む家を「コクリコ荘」と呼ぶらしいです。ものすごい高い丘の上にあります。家の前で、海が信号旗を掲揚します。どういう意味があるのかあまり説明されないので、少し不親切。 アニメーションは、東京オリンピック前の高揚感や、白黒テレビから流れる長嶋茂雄の活躍など、当時の時代感が出ています。 声優では、松崎海役の長澤まさみ、風間俊役の岡田准一ともに、声質も表情も違和感がありません。 音楽は、武部聡志。かなり多く使われます。冒頭から歌で始まります。手嶌葵が歌う主題歌「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」(作詞:万里村ゆき子 作曲:坂田晃一 編曲:武部聡志)は最後で流れます。森山良子が1976年に歌った曲のカバーです。名曲ですね。 また、挿入曲として、「白い花の咲く頃」(1950年)が生徒によって合唱されます。椎名林檎も歌ったことがありますが、こんなところで聴けるとは驚きました。坂本九が歌う「上を向いて歩こう」も流れます。
東京公園
映画「東京公園」(2011年/日本)を観ました。原作は、小路幸也(しょうじゆきや)著『東京公園』(2006年)。監督・脚本・音楽は青山真治。 写真家を目指す大学生の志田光司(三浦春馬)が、歯科医の初島隆史(高橋洋)から妻百合香(井川遥)の尾行を依頼され、東京都内の公園で写真を撮影するストーリー。血がつながっていない姉の志田美咲(小西真奈美)との恋愛も描かれます。光司の家に同居している高井ヒロ(染谷将太)は幽霊で他の人には見えない、マスターの原木健一(宇梶剛士)はゲイなど、登場人物が変わっているわりには、ストーリー展開は平凡です。東京公園というタイトルについては、「東京は公園を取り囲む大きな公園」というセリフがありますが、原作にはないので映画オリジナルです。途中で挿入されるゾンビの映画は本格的に撮影されていますが、なくてもよかったでしょう。劇中劇を入れたのは、青山によると「東京の二元性を表わしている」とのことですが。山田勲生・青山真治の音楽は使いすぎてややうるさめ。 志田光司役の三浦春馬は、あまり感情を出しません。富永美優役の榮倉奈々は明るいキャラクターを好演。志田美咲役の小西真奈美はかわいい。三浦春馬とのキスシーンはドキドキしました。初島百合香・写真の志田杏子役の井川遥はセリフがありません。初島隆史役の高橋洋のインパクトが強烈。 原作は、僕(=志田圭司)の一人称で書かれています。文体は「多いんだ」「感じるんだ」など、柔らかい口調で書かれています。各章にタイトルがつけられています。圭司が亡くなった母親を想う「detail」から始まり、圭司が百合香を追う「○○公園」と、圭司がヒロなどと会話する「days ○」が交互に配置され、中盤に母親の入院で帰省する「Homecoming」から構成されています。 最後のページに「To “Follow Me!”」と書かれています。これは、小路が初めて観た洋画「フォロー・ミー」(1972年)のオマージュとしてこの作品を書いたという意味とのこと。 「真剣に撮った写真には確かに真実の姿が映る」「ファインダーを覗けば、その人をレンズ越しに捉えて写真に撮れば、その人がどういう人かがわかるという確信が僕にはあった」「写真集なんかを観るとそのカメラマンと被写体との関係を勝手に感じてしまうこともある」など、写真に対する知識が豊富です。 ・原作と映画では出てくる公園が違います。共通している公園はひとつもありません。映画では撮影しやすい公園が選ばれたのかもしれません。海沿いの潮風公園はいい風景でした。百合香がアンモナイトのように渦巻き状に公園を散歩していたというオチは映画オリジナル。 ・主人公の名前は、原作は圭司ですが、映画では光司。故郷も原作では北海道旭川(小路の出身地)ですが、映画では伊豆大島です。 ・初島が光司に百合香の尾行を依頼した際、原作では百合香を妻だと明かしますが、映画では明かされません。映画のほうがミステリアスで面白かったです。また、原作では、圭司は百合香と会いたい気持ちが高まり、言葉を交わさずに会話できるようになります。 ・映画では、百合香に似ているのは亡くなった母親の杏子ですが、原作では高校時代に付き合った里菜。映画の母子愛のほうがストーリーとして美しいでしょう。 ・姉の名前も原作では咲実ですが、映画では美咲。映画のほうが感情が前面に出ます。涙を流したり、光司とキスしたりするのも映画オリジナル。 ・ヒロの本名は、原作では広井博司ですが、映画では高井ヒロ。原作では生きている設定ですが、映画では亡霊で、富永の元カレだったという設定です。原作では少年院に送られたため、親子の縁を切られた過去も書かれています。