コンセプチュアルなのに詩的、社会批判なのに楽しい、一味違う現代アートを作る坂田英三のパリ便り

パリに住んでもう二十余年。版画からはじめた制作活動だったが、田舎でのランドアート的作品から、水をあつかうエコロジカルな企画へと範囲は広がるばかり。フランス超田舎の旅行記だったり、パリの展覧会報告だったり、フランス社会批判だったり、制作=生活の現場を気のままに書き綴ります。

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2012年2月2日(木)

余計非難されそうだが、、、

前回私の「役立たず人生」に触れたが、期せずして学生時代の友人がパリに来て。某さんが「坂田君は国立大学で勉強させてもらったのにその恩恵を社会に返さないなんて」と言っていたと伝え聞かされた。私は受験勉強がよくできて「一流大学」の理科系に行き将来を嘱望されていた頃もあるのだが、そんなに頭がよいわけではない。しかしそう言うと「人を馬鹿にしている」と取られる。でも自分で自分の程はよくわかる。私が仮に研究職になったとしたら、それこそ大した研究でもないのをわかりながら予算を取る事に躍起になるしかなかっただろうし、官僚にでもなっていたら小心者の私の事だから長いものに巻かれて嘘の上塗りに貢献していた事だろう。だから「役立たず」になって褒められても良いと思うのだが、よく言えば惜しまれ、悪く言えば誹られる。
惜しんでくださる方は、当然ながら「芸術が社会に役立つ」とはよもや思っていないだろう。私も「役立つ芸術」を否定する。もし役立つとしたら「無用の用」という意味で、効用とか結果とかの尺度を外れたところでだ。
私は歩くのが好きだが、「役立たず人生」は歩く事にも似ている。現代では多くの人が「歩くのは時間の無駄でしかない」と思っているのではないか? きっとそういう人々は、私が公園や森をぶらぶら歩くのは「健康のため」と思っているかもしれないが、決してそうではない。歩く事に目的はない。あるとすれば歩くのが目的。さもなければ、どうせ戻って来なければいけないのだから、出かけない方がよいことになる。目的を持って歩いている人しかいなくなった街はきっと不気味だろう。

幸いにしてぶらぶら歩いているのは私だけではない。
(写真:今日の夕方散歩した、寒波到来で半分凍ったヴァンセンヌの森の池)

作成者 Eizo de Paris(エイゾウ・ド・パリ) [ コメント : 0]