2013/5/25 (土)
深緑大汗ぬぐう秋がきた
秋がきたきた 秋がきた どこだ今どきどこにきた
新緑とりどり色とりどり 桜色 黄緑 若葉色 若草色 若芽色 萌黄色 淡紅色
これら合わせて春もみじ 秋がきたきた紅葉の山だ
田植えのすんだすぐ横に あるはあるはと黄金色 刈り取りせまる大麦よ
実りの色よこがね色 秋がきたきた麦秋だ
深緑に混じる茶色はなんの色 枯れた色なり竹の色
タケノコ伸ばし次世代に バトンを渡し葉は落ち葉 秋がきたきた竹秋だ
秋がきたきた 秋がきた どこだここだよ 今ここに
春は楽しい秋もくる 炎暑のまえに秋がきて むごい暑さを散らしてほしい
そうは問屋が卸すまい この夏またまた酷暑だと 予報は告げる ああ無情
作成者
house21
: 2013/5/25 (土) 09:43
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/24 (金)
老いたるは心配りで幸せに
ノンフィクション作家の沖藤典子氏がこのようにのべている。老いの作法、老いたる者の心くばりである。
≪老いたる者による、若い人への最高の贈り物は、愛のこもった言葉や励ましの言葉ではないでしょうか。この世に生きた証しを残したいと願う時、意外にも小さな実践が大切です。「ありがとう」「ご親切に」「よろしくね」――こうした言葉を若い人の胸に残せたら、それこそ大晩年の‘鏡’ですね≫(聖教新聞5.14付け「大晩年の底力」)
わたしは年長だ、わたしは社会的地位がある、わたしはたくさん苦労を重ねてきた、わたしは多くの人に影響力があったという気分がこうした謙虚な言葉を出すのに障害となっているとすれば、その人の晩節は悲しい。不粋だ。
若い人を誉めよう、讃えよう。若い人がもつ優れた点を正直に称賛しよう。嫉妬などせずにありのままの良さを認めよう。弱点が見つかったならばサラリと受け流して、それ以上の美点を探そう。教えるときは一言に万感の想いを込めて視線を外さずに指摘しよう。そして未来に目を向けよう。若い人に励ましとなり、勇気づけるだけでなく、自分の身を飾り少ないが未来に栄光をもたらすであろう。
作成者
house21
: 2013/5/24 (金) 18:42
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/23 (木)
微笑まし青春映画よおもてなし
『県庁おもてなし課』は爽やかで透明感のある青春映画である。原作は近頃話題の有川浩。主役である高知県庁職員の掛水(錦戸亮)と臨時職員の多紀(堀北真希)との恋物語に、新進の小説家である吉門(高良健吾)と佐和の恋を織り混ぜてテンポよく進む。
もちろん恋が主ではないのだが、観光の促進、故郷への想い、公務員と民間目線、企画を実現する仕事の進め方、知る人ぞ知る名所の発見と提示いった映画のテーマが、二組の男女が少しもどかしく恋物語を展開することによって補完され魅力を増すのである。
役所の予算の取り方など現実にはあり得ない設定もあるが、微笑ましく楽しく観た。多紀の輝く笑顔、さらさらと流れる髪。しっかり者のアルバイトとして周囲には一目置かれている多紀ではあるが、実は背伸びして不安だらけであることを掛水に打ち明ける。打ち明けるなら僕に話してよ、と思わせるほど凛々しくも可愛らしい堀北だった。錦戸の無邪気で澄んだ笑顔、やる気にあふれた若者らしい所作振る舞い。実にみずみずしくて気持ちがいい。海に向かって掛水が叫ぶシーンがある。「仕事させろ!!」。多紀も同調して「もっと仕事したい!!」と大声を繰り返す。純粋に求める気持ちが響いてきて好感がもてた。
利益を追求する民間ではない。だが高知のよさを発信し、外から人を呼び込むことは高知にとっての利益に直結する。県民にとって広い意味での福祉が向上することが、県庁組織の目的である。課された制約、例えば予算や制度的なハードルを乗り越えて、人を巻き込んで目的の達成に邁進するのが、県庁も含めた行政の使命である。
「広い意味での福祉」といったが、「おもてなし」ということは広い意味で、単に接遇や客あしらいのことではない。外から来た客を喜ばせ厳しい現実があることも知らしめながらもそこに魅力を感じさせる。住む人自身がそこが好きで堪らなくて魅力を感じているから、楽しみつつ暮らし続ける。去る人がまたここへ来たいという想いに後ろ髪を引かせながら、送る人はそこの魅力をさらに磨いて待つ。
おもてなしとは何だろう。掛水の台詞をはっきりとは記憶をしていないのだが、高知全県をレジャーランドにしていくためには、いいところが‘ある’だけでは不十分。いいところに‘気づき感謝’できること。さらに心に響くように‘表現’していくことが大切なのだ。そんなふうな台詞があったと思う。故郷や今住むところの魅力を内外に発信するにあたって、私にできることは何だろう? たくさん考えることのできる映画だった。
作成者
house21
: 2013/5/23 (木) 22:35
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/22 (水)
語らって目標定めOJT
OJT(On the Job Training)。職場の実務をやりながら上司や先輩が職員を教育訓練する手法である。反対に、職場を離れ研修会に参加して訓練を受けるのをOff JT(OFF the Job Training)という。よく知った言葉ではあるが、ではどのように、どんな方針でやるのかということになると、意外とやり方がわからないのがOJTでもある。(株)インソースの青木講師から有益な話を聞くことができた。概要とわたしの感想を取り混ぜて紹介する。
【人材育成をOJTで行う例】
●船の厨房に配属された職員AとB。指導員はαとβ。αはAに対し、「自分は忙しいから当分は皿洗いをやってくれ」と。βはBに「この船には300人の乗組員がいて10の部署に別れる。長い航海で食事は楽しみと健康のために重要だ。まず基本の皿洗いをやってもらう。皿を洗いつつ各部署で人がどんな仕事ぶりをするかを見てほしい。いずれ君には厨房でリーダーになってほしいのでそのつもりで」と示した。AもBもやっている仕事は同じだが、伸びが全く違うであろうことは想像がつく。目標と見通しをあらかじめ示し、「考え方の軸」を部下に擦り込むことがOJTの核心部分。
●新しく配属された社員Cを罵倒する上司。友人がCに「酷すぎる上司だな!」と言うとCは「いや違う。配属されたときに、君を1年後には一人前にするため少々厳しくやるがついてくるか?と聞かれた。僕ははい!と応えたから」。そういうふうに事前了解があれば厳しい指摘にも耐えられるし、モチベーションも保てるものだ。あらかじめ目標が明確にあり、本人が納得して取り組む姿勢があれば、その「考え方の軸」に沿って人は伸びていく。
【講師の実体験から「考え方の軸」】
●3.11の地震が起こったその瞬間、ディズニーランドではパレードの最中。パレードの高い櫓でパフォーマンスするのは多くは十代若者スタッフ。アルバイトとはいえ彼ら彼女らは「夢の国」の主体者であるという自覚が擦り込まれている。パニックに陥る可能性もあった園内でパレードスタッフはひたすら笑顔を振りまき客を落ちつかせ混乱を回避。地震による建物への被害がないと確認された2時間後にやっと来場者は室内に退避できた。全く見通しがない状況でスタッフはがんばった。本部に引き揚げたときに、彼ら彼女らはどっと泣き崩れて十代の顔に戻ったのを見た。夢の国を作る主体者という「考え方の軸」があれば、指示を与えられなくとも最適な行動を起こすことができる。
作成者
house21
: 2013/5/22 (水) 22:21
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/21 (火)
水辺にはひとが集まり穏やかに
水のある風景はひとを和ませる。そして絵になる。松江大橋に立ち宍道湖をみる。青い空、穏やかな湖面。空気は水気が多いようで、南の山山は霞んでいる。出雲平野にあるはずの出雲縁結び空港管制塔はみえない。わたる風は心地よく、春がうららと過ぎていく。さえぎる物がないということは、心が解放されていく。のびのびと生命力が広がっていく。
曇りののちに強風となり湖面が波立って水は泥色に変わっても、見通しがいいというだけで、ここに立つかいがあるもんだと思える。雨が降っていてさえも低い雲間から、太陽の光がわずかな滴となってこぼれているのを発見するのは悦びだと思える。
海に立つ。コバルトブルーに照らされて、エメラルドグリーンに輝く日本海は宝石だ。至宝の宝、夕陽をあびてイルカの道を照らし出す。夜になればと夜光虫。黒い海面に石投げて、キュルキュル光る静かに光る、なめらかに光る。彼方に光るはイカ釣り船の夜光燈。わずかにみえる水平線。地球の果ての丸い線。海辺の風景、楽しめや。
狭い池や水たまり。これまた水辺の風景は、鏡のように写し出し、この世は二重に幻想だ。息を吹きかけさざ波を起こせや波浪注意報。あまりに強く吹きすぎて、呼吸困難息枯らす。
蓮の葉っぱに乗る水玉に世界は映る逆さまだ。ちいと揺らせて水玉はコロコロ合体、溢れだす。楽し楽しめ、水風景。晴れても雲でも雨でもよし。水はわたしの源なれば。
作成者
house21
: 2013/5/21 (火) 18:16
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/20 (月)
寄り添ってわたしを決して離さない
『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著,土屋政雄訳,2006年,早川書房,原題「Never Let Me Go」)は重いテーマの本だ。映画『わたしを離さないで』は、その重さをなぞりつつも、英国の田園や海岸が美しく描かれ、パブリックスクールの様子が想像できておもしろい。
主人公は優秀な介護人キャシー。「提供者」を回復センターやコロニーで世話する役目をもっている。幼なじみで親友のルースも、同じく幼なじみで後に恋人となるトミーも、提供の末体が弱ってキャシーに介護されていた。
三人がものごころついてから成人するまで過ごした施設ヘールシャムは、パブリックスクールのようでありながら、世間から隔絶されたところ。一般的にはクローン人間はブロイラーのように大量に育てられる。いわば健康な臓器を栽培するようにして大きくなる。非人間的な環境にクローンをおくことを拒否した教育者が、実験的に作った教育的施設がヘールシャムである。
キャシーの回想によって物語はすすむ。ルーシー先生は、まだ子どもだった彼女らに言った。
≪九歳、十歳の子供でした。でも、そんな年齢でも、微妙な話題であることを薄々感じていたのだと思います。当時のわたしたちが何をどれだけ知っていたか、いまとなってはわかりません。でも、自分が保護官とは違うこと、外の世界の人とも違うことはわかっていたはずです。≫
病気や怪我によって臓器を損じた人間のためのスペアとして、臓器を取り出され体を切り刻まれて「修了」していくクローンの運命。それに異を唱えた改革者たちの試みは失敗し、ヘールシャムは既に閉鎖されている。クローンたちに「人生」を全うする道はない。キャシーのように介護人として提供者の世話をすることで、提供を猶予されることもあるが、いずれその時はやってくる。
キャシーに提供の日時が通知された。ヘールシャムの牧歌的な世界は挫折したが、クローンではなく生きた人間としての幸せを感じた人生を振り返って、キャシーは提供者になっていく。
トミーはかつてキャシーに言った。
≪おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろう? 残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初から――ずっと昔から――愛し合ってたんだから。けど、最後はな――永遠に一緒ってわけにはいかん≫
そう、永遠はない。クローンのおかげで命を長らえた人間もいずれは死を迎える。遅かれ早かれ死ぬ。愛し合うことはもっと儚くて、流れに逆らうことはできない。だからこそ今が大切だよ。こんなメッセージを感じた。
作成者
house21
: 2013/5/21 (火) 21:50
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/19 (日)
晴れと雨繰り返しつつ暖と寒
体温調整が難しい季節がやってきた。きのうは数日ぶりに暖かくなった。むしろ蒸し暑くなり、シャツの袖をまくって風をいれ、日陰を求めて歩いた。きょうは一転して最高気温が17℃。おろかなことに、シャツを半袖、パンツも薄めのコットンパンツで、本来はきのうするべき服装で外へ出て後悔した。
ところが人が多い室内はムシムシするのである。半袖で来たことに安堵した。それもつかの間、昼食に入ったファミレスは空調でもって意外とヒンヤリしていた。やがて寒さを感じるようになる。ベストのボタンを掛けて、待っていた新聞紙を膝に掛けて調節した。
きょうは気温17℃というのだけでなく、雨がシトシト降り続いたから皮膚やシャツが濡れると、体感気温が一気に下がる。こんな日は、カーディガンとか、薄手のジャンパーなど羽織るものをもって外へ出るべきだと学習した。こんなこと、今さら学習しなくても当たり前のことなのだが、油断というやつが大敵である。
風邪をひきやすいのは気温差が大きな原因だ。そういう点で今ごろNHKの天気予報はきのうとの比較で、2℃以上高ければ予想気温を赤字で示し、2℃以上低ければ青字で表してくれるのは、とても嬉しいことだ。
(写真は先週松江城山に咲いていたヒトツバタゴ。柳の木の幹に寄りかかり品をつくりながら流し目を送る美女のしなやかな小指のように細い花びら)
作成者
house21
: 2013/5/19 (日) 19:53
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/18 (土)
美しき青き地球に生まれしは
21世紀まであと30年。『2001年宇宙の旅』はその頃の映画である。IBM(映画にもロゴが登場した)が覇権を競う1960年代後半、21世紀になるとコンピュータはここまで発展すると予測していたのだろうか。原題は『2001: A Space Odyssey』。2001年宇宙のオデッセイ冒険物語という意味。オデュッセウスがトロイア戦争後に漂流と報復を重ねる物語である。コンピュータがヒトを越えようとしたこの映画と絡みを持たせているのだろう。
不協和音の弦楽器オーケストラ、不協和音の男女混成の合唱が存分に使われて、観る者を不安にさせる。一方で予定調和で物事が進んでいるときには、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』が軽やかにワルツを奏でる。もちろんあの有名なテーマ音楽は胸にズーンと飛び込んできて素晴らしい。
冒頭に人類の夜明けが描かれる。旧人類のもとに正体不明の巨大な板状の物体。黒い巨大な板が現れる。高さは5m幅は2mはあろうか。厚さは30cmほどだが、揺らぐことなく立っている。その力によってヒトは知恵を得た。動物の骨を武器として他部族との戦いに勝つ。投げ上げた知恵の象徴としての骨が、地球を周回する宇宙ステーションに切り替わって、時代は百万年を飛び越えた。
超高度な人口知能ハルが不調を起こしたのか?それとも反乱か。発端はハルの遊びだったのかもしれない。自身の影響力を図るための無邪気な遊び心。飛行士に疑われて、ハルに自己保身の心が芽生えた。ヒトを排除しようと画策するハル。しかしハルは、ヒトなくしては自身の知能を発揮できないことが十分わかっていなかった。頭脳さえ明晰ならばよしという不遜な考えがあった。木星軌道上でヒトとハルとの壮絶な戦いがあり、船長一人を残しヒトは死んだ。しかしハルも回路を切られて死んだ。そんなつもりではなかった、心を入れ替える、許してほしいと後悔の言葉を訴えながら死んだ。
残された船長は木星近くで黒い巨大な板を見る。そして宇宙のすべての光を集めたような幻灯が流れ行くのを呆然と見続ける。宇宙はビッグバンによって創世し、いろいろな元素ができて星雲が誕生する。煮えたぎった星々が冷えて惑星、なかでも地球が生まれる。冒頭の旧人類たちが生きた頃も経て、人類の時代がやってきた。
気がつくと船長は、豪華な一室に宇宙服ごと降り立っていた。そこで食事をする金持ち。何十年か歳をとった船長自身だった。次に目にとまったのは老いて死を間近にした金持ち。それも船長であり、やがて死んだ船長は赤ちゃんとなって生まれ変わる。宇宙空間に浮いてその根源となる力が黒い曼荼羅状の板にあるようだ。何を象徴するものなのか、映画では電磁波を発しているという説明をしていたが、よくはわからない。
すごいSFX撮影。コンピュータグラフィックがないあの時代にすごい映像ができたものだと思う。アポロ計画が進行しつつあるあの頃とはいえ、これだけの映像を想像するのは並大抵のことではなかろう。そして手塚治虫の火の鳥を思い出させるような輪廻転生と三世の生命観。そこにコンピュータに頼りすぎることの警告を織り込んで、感慨深く見終わった。と思いきや、エンドロールが終わっても「美しき青きドナウ」の演奏が続いて終曲まで荘厳な音楽が流れ続けた。地球は美しい、人間は弱いものではあるが尊厳あるものだ。日々を大切にせよ、諦めるな、美しいものを愛でよ、睦みあって生きよというメッセージが聞こえたような気がして目頭が熱くなった。
(追記2013.5.19)「あの有名なテーマ音楽」と書いたが、あれがリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』なのだと知った。ずっとこの映画のものだと思っていた。トホホ。。。
作成者
house21
: 2013/5/19 (日) 08:17
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/17 (金)
おむすびは人と時とを結ぶもの
朝日新聞「be」の5月4日付けで「私が好きなおにぎり」を特集していた。1位はシャケ、2位梅干し、3位昆布、4位めんたいこ、5位たらこの順となる。7位の炊き込みごはんと11位にランクインした塩むすびが、私は好きだ。
隠岐の島には「バクダン」と呼ばれる海苔むすびがある。醤油やみりんで味を付けた海苔をご飯が真っ黒になるほど回りにつけて、まん丸く仕上げる。色や形が爆弾を連想させるところからこの名前がついたのだろう。
かつて地域のお母さんたちと一緒に、残り飯でおにぎりをつくる機会があった。私がごはんを三角にして握っていたら、「あんた器用だねえ」と感心されたことがある。隠岐島の島後(小結隠岐の海の故郷)ではもっぱらバクダンしか作らない、ひとつの証拠である。
「be」によれば、「おむすび」の起源は古事記に登場する神「カムムスヒ(神産巣日神)」に由来するという。スサノオが殺したオホゲツヒメの遺体から五穀を取り出したという神も、実った穀物を握って食べたのだろうか。
熱々のごはんを火傷しそうに握って食べる。便利な携行食として外で食べる。いろいろな味をつけて食べる。みんな美味しい、冷めても美味しい。べったりと黒くひっついた海苔巻きも美味しいし、コンビニのパリパリ海苔もいい。ごはんの美味しさを引き立てるおにぎり、おむすび。大好きだ。
作成者
house21
: 2013/5/17 (金) 20:13
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/16 (木)
疑われ無実の罪を被るまい
昨日都立高校の教師が痴漢の疑いで逮捕されたという。JR埼京線の車内で20代女性の体を触ったということで、板橋駅で当の女性から駅員に引き渡された。本人は容疑を否認している。
現行犯か冤罪かはわからないが、罪に問われる可能性は高く、たとえ冤罪であっても社会的に制裁を受けてしまうことになる。2009/7/12 (日)に書いたのだが、混んだ電車で「この人、痴漢!」と騒がれないためには、吊革をつかんだり本を持ったりして、手をフリーにしておかないことがまず第一だ。
『「この人、痴漢!」と言われたら』(粟野仁雄著)には、このような知恵が授けられている。
まず、その場で話し合うこと。その女に対して、「あなたが被害に遭ったことは気の毒に思うが、犯人は私ではない」と冷静に静かに対応する。名前や連絡先を名乗り、名刺など渡す。そして「必要があれば連絡を」と言い残してその場を去る。
女と話し合おうとして駅事務室に一緒に行ってはならない。なぜなら現行犯の場合は警察官や鉄道公安職員でなくても「私人逮捕」(刑事訴訟法213条)ができるから、事務室に入った時点で私人逮捕となるのだ。話せばわかると思いきや、女と話す機会もないまま警察へ連行されてしまうことになる。
駅のホームで騒ぎを聞いて駆けつけた駅員には、「この人が私が痴漢だと訴えていますが違います」と丁寧に説明する。そして「私人逮捕になるから絶対に事務室には行きません」と断る。駅員が事務室に強引に連れて行こうとしたら、「あなたは痴漢の現場を現認したのか?」と厳しく詰問する。事務室に入らないかぎり、駅員には強引に連行する権限ははないから大丈夫。
さらに栗野氏は重ねて述べる。女や周囲の賛同者が強引に駅事務室に連れていこうとするならば、「間違っていたら刑法の虚偽告訴罪であなたを訴えますよ」と言うのが効果的だと。「痴漢の被害があったとしても、人違いなら虚偽告訴罪は成立します」と言えば、興奮が少しは冷めて女性は引くし、いい加減な訴えはまずい、と考え直してくれるはずだと。やってもいないことを責められると誰でも腹が立つが、興奮して声を荒げてしまうと警官が飛んできて御用になってしまうと、冷静さを求めている。
かの都立高校教員は、本当に痴漢をやったのか、それとも不運が身に降りかかってしまったのか。真犯人ならば裁かれればよい。しかし冤罪ならば、被害が最小限であるように願っている。何よりも、現に痴漢被害を受ける女性はたくさんいるが、一人でも被害者が少なくなるよう願っている。今、橋下市長が物議をかもす軍隊の性欲処理機能。それが真実ならば、男はみんな辺りかまわず性欲を撒き散らす野獣ばかりだ!ということになるではないか。いやいや、決してそんなことはないのだよ。
作成者
house21
: 2013/5/17 (金) 04:28
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/15 (水)
白茶飲み旅に出たよと初夏の候
今日は初夏そのもの。至福のお茶で喉をうるおし気分を癒した。松江市殿町の一角にある『Timeコレクション』。古い蔵を改造したモダンな空間。器を中心にバッグや小物を展示販売している。店の空間で「時を収集するように」見定めて、家に帰っても豊潤な時間を過ごしてほしいという発想だそうだ。室内には香の品ある匂いが広がっている。
二階にはTimeコレクションに附属する紅茶コーナー『パンジェンシー』。強い刺激や辛辣な皮肉を意味するpungency。紅茶の世界では、「ほどよい渋みで美味しい紅茶」という意味に転じるということだ。これも英国一流のウィットとユーモアから転じたものだろうか。
木の床にはペルシャ絨毯が敷いてあり、 天井の梁や柱も洗練されてミニゴージャス。白壁には品のいいリトグラフなどの絵や小物がかけてあり安らぐ空間だ。試飲担当は紅茶コーディネーターの若い彼。痩身のオシャレなイケメンだ。彼が優しい口調で蘊蓄を説くとすべてに納得してしまう。芳醇な空間に浸りながら、お茶だけでなく大遷宮や島根の観光地の話題で会話が弾んだ。外の緑や空気の装いのせいだろうか、室内にはどことなく初夏の季節が漂っている。
本格紅茶を目の前でいれて試飲を楽しませてくださった。お茶はリリーミュゲーテブランという高級な「白茶」。摘み立ての鈴蘭のような華やかな香りを白茶に封じ込めたという謳い文句である。ティーポットに勢いよく湯を注ぐ。沸騰直前の湯が最もよく淹れられると。ポットが冷めにくいように布の帽子を被せて美味しくなるのを待つ。急かさず落ち着いた気持ちでお茶を淹れると「妖精が褒美として美味しくしてくれる」と師匠が教えてくれたと。白茶は旨い日本酒のように淡い金色をしている。軽やかで柔らかい甘味がある。飲むと口中に美味しいお茶のフレーバーが広がった。残り香がある。冷えてくると少し渋みは出るが、これがほどよい渋み。決してえぐさを感じないのが素晴らしい。
茶を淹れる、味を楽しむ、匂いにひたる、会話やムードを楽しむ・・・そうした茶がもたらす一連の流れを「旅」だとイメージしていると、彼は爽やかに確信を持って語ってくれた。飲み終わってからも種々の会話を楽しみ店を出た。1時間たっても口中が爽やかで馥郁とした甘さを感じたのは、私の舌や鼻、体全体が茶とともに「旅」を楽しんだからだろう。
家に帰ってからダージリン紅茶を飲む。ファスト・フラッシュ・ダージリン。つまり一番詰みのダージリン。ふだん飲むファミレスのダージリンとは違う。色が違い、香りが違い、口に広がる。時間の経過につれてどこか味わいが変わるように感じた。チョコがさらに甘く美味しく感じた。贅沢な時間だった。
作成者
house21
: 2013/5/15 (水) 22:17
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/14 (火)
欲深に心の地平広げたし
デフォー作『ロビンソン・クルーソー』は孤島でのたくましいサバイバル生活を描いたものだと思っていた。もちろん、難破して一人生き残ったロビンソンの二十数年にわたる自給自足生活を描くことが中心だとは言えるが、実際に読んでみると(鈴木建三訳,集英社文庫)、意外な側面があるのを知った。最低限の物質さえあれば、体は飢えず心は満ち足り、キリストの神の愛を感じて暮らすロビンソン。いつ死ぬかわからない船乗りであったときには感じなかった信仰心が彼に芽生え、神と対話しながら生きる喜びを描く物語である。
≪私は、自分の現在の状況をこのように決められたことにたいして、神の意志にすべてをゆだねるだけでなく、今の境遇にたいして 心から感謝するように決心した。私のような人間がまだ生きているのだし、自分の犯した罪にふさわしい罰も受けず、この島でとうてい期待すべくもないさまざまな恩恵を受けているのに、不平などいうべきではないのだ。私は自分の境遇に泣き言などいわず、ただひたすら喜び、無数の不思議が重ならなければ、とうてい手にはいらなかった日々のパンに毎日感謝すべきなのだ。(中略)大きな奇蹟、いや奇蹟の連続によって自分は養われてきたのだし、世界じゅうの無人の場所のなかで、打ち上げられてこれ以上に私に好都合だった場所を、ほかに言ってみろといわれてもとても言えるものではない。≫
≪価値があるものというのは、私がそれを使えるものだけである。食べるものや、その他の 欲望をみたすものだって、十二分にあったけれど、それ以上は私にとってはなんだというのだろう。≫
感謝すること、そして欲少なく足るを知ること、これが物語の主題である。これを五十九歳の時に書いたデフォーは、その後6年間猛烈に小説を書き進めたという。当時の五十九歳は相当の年配であるが、デフォーは小説という精神を深める開拓作業を絶え間なく行い続けた。人間にとって心の地平を広げるという面にあっては、いくら欲深であっても決してかまわないのだ。
作成者
house21
: 2013/5/14 (火) 23:13
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/13 (月)
歴史的神の引っ越し風が吹く
縁結びの神・大国主命を祀る出雲大社では、60年ぶり大遷宮が行われている。国宝の本殿が数年かけて大改修され、祭神が再び元の本殿に戻るのが「本殿遷座祭」。先週5月10日の夜にあった。参加した人の話によると、千家宮司の祝詞が終わり社殿の扉が閉まったときに一陣の風が吹き抜けたとか。10日は天気が崩れ朝から雨が降っていた。夕方には晴れ間が出ていたにもかかわらず、遷座祭が終わると同時に雨が降り始めたとか。大国主命は再び本殿に帰ってきたのだ、ともっぱらの噂である。翌11日は「本殿遷座奉幣祭」、12日以降奉祝祭や関連奉祝行事が続いて行われ、出雲の国はまたとない賑やかな時を迎えている。
日本神話や出雲神話に描かれる国造りや国譲りの物語は、出雲にあった比較的強大な地方政権を畿内の大和朝廷が滅ぼし傘下に収めたことを象徴的に現したと言われる。その罪滅ぼしというか、怨霊となって祟られることを怖れた大和側が高さ48mにもなる高大な建物を建てることを許した。何度も倒壊したので今は半分となっているが、今でも神社としてはとても大きなものだ。
通常は神無月とされる旧暦10月が、出雲では神在月となる。旧暦10月10日から1週間あまり、神迎祭に始まり神在祭、神等去出祭(からさでさい)と、出雲では八百万の神が集まるというイリュージョンがある。こうした名誉を滅ぼした出雲国に与えたというのも、復讐の祟りを怖れた大和政権の政策であるように思う。
神が集まる、中でも大神たる大国主命が居住の社を引っ越したというイリュージョンには魅力がある。ロマンがある。そのイリュージョンに浸りたいと多くの人が出雲にやってくる。喜ばしいことである。大型連休中もそれが終わってからも、たくさんの観光客の姿が見える。今日も松江駅や市内のバス、観光地には外から来たと思われる老若男女がリュックやボストンバッグをもって歩き回っている。出雲の空気に浸り、イリュージョンに浸り、この時節と出雲の空気を楽しんでくれている。出雲人としてもできるだけもてなして、ひとりでも多くの出雲ファンが増えていくようがんばるときがやってきた。
作成者
house21
: 2013/5/13 (月) 22:47
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/12 (日)
一票は格差を認め議場にて
一票の格差を是正する案として、高野克則氏がクリーンヒットを放っている(5月9日付けの朝日新聞)。小選挙区制で問題となるのは、議員一人あたりの有権者数が即格差につながり、格差を解消するためには区割りを変更しなければならないことである。区割りを変更することは、市や町といった行政区域が分断されるばかりか、選挙民と議員との間にせっかくできたつながりを分離しかねないことが問題だ。
そこで高野氏は一票の格差をあえて認める案を提示する。
≪各議員は自分の出身選挙区の有権者数「持ち点」とし、議会で議決する際には議員ごとの「持ち点」を集計して多数決をするのである。(中略)これだと、同じ議員バッジをつけている議員の間で「一票の格差」は生じるが 、有権者のそれに比べれば、本質的な話ではない。≫
決をとるごとに、賛成33,212,321票、反対25,678,912票などと莫大な多数決票が生じるという違和感はあるが、いい考えだと思う。
さらに私の考えを加えれば、「持ち点」に直近の投票率を掛けて割り引くのである。自分たちの代表にできるだけ多くの「持ち点」を与えたいと支持者は選挙活動に力が入るから投票率か上がる。若い人にも関心事となるから、選挙など行ったことがないという人の気持ちをくすぐって選挙地図に地殻変動が起こるに違いない。
作成者
house21
: 2013/5/12 (日) 13:57
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
2013/5/11 (土)
今も利く二十歳であればもっと利く
『20歳のときに知っておきたかったこと』(ティナ・シーリグ著,高遠裕子訳,原題「What I Wish I Knew When I Was 20」)を読んだ。今さら遅いじゃないかと思うのは悔しい。そう思うなかれ。明日からできる知恵や心構えがたくさん詰まっていた。要は実践するかどうかだ。
≪あなたのために何かしてくれた人に対して感謝の気持ちを示すかどうかで、あなたの印象は大きく変わります。あなたのために何かをしてくれたということは、機会費用がかかっているという事実を忘れてはいけません。つまり、あなたのために時間を割いてくれたのだとすれば、その人自身やほかの誰かのために割く時間を犠牲にしたのです。自分の頼み事などたいしてことないと思いがちですが、忙しい人にとって、たいしたことのない頼み事などないのです。自分のやっていることを中断し、わざわざ時間を割いて、あなたの願いに応えてくれたのです。それがわかっていれば、お礼を言わないなんてありえません。お礼状は書いて当たり前で、書かないのはよほどの例外だと思ってください。≫
≪人助けも大切な習慣です。大学時代、わたしは週に一度、両親に電話していました。毎回、電話を切る前に母は、「何かしてあげられることはないの?」と聞いてきました。母のこの気遣いがうれしかったものです。母にしてもらえることはほとんどないのですが、必要があればいつでも手を貸してくれるとわかっているだけで安心しました。(中略)力になろうと申し出ると、喜んでくれる人がほとんどです。たいていはささやかなことで、相手が望むのもふつうは控えめなものです。≫
≪マイケルは(中略)子どもの頃から、有名人に手紙を書いては、返事をもらうのが何より楽しみでした。たいてい返事が来ました。いまでもこの趣味を続け、自分が尊敬する人たちに電子メールを送っています。ほぼ百パーセント、返信が帰ってくるそうです。長い付き合いになることもしばしばで、そのなかから面白いチャンスに恵まれたりもします。マイケルが自分から相手に何かを求めるようなことはありません。最初は、相手の行為に対する御礼であったり、業績を褒め称えたり、単純に質問したりするだけです。場合によって、自分がお役に立てることはないだろうかと申し出ることもあります。人と接するのに、声をかけられるのを待ったりしません。自分から動くのです。≫
≪わたしは学生に「失敗のレジュメ」を書くことを義務づけています。私生活や仕事上、あるいは学校で犯した主な失敗をまとめてレジュメにするのです。それぞれについて、その経験から何を学んだかも書いてもらいます。(中略)レジメを書き終えると気づきます。失敗というレンズを通して自分の経験を見ることによって、自分が犯してきた過ちを受け入れられるようになるのだと。(中略)挫折すれば学習するし、おなじ過ちを繰り返さない可能性が高まるからです。失敗はまた、その人がスキルを広げる挑戦をした証でもあります。≫
≪よき観察者であり、開かれた心を持ち、人あたりがよく、楽観的な人は、幸運を呼び込みます。(中略)≫
そして著者は、「光り輝くチャンスを逃すな」とスタンフォード大学の学生たちに常に言い続けているという。チャンスはいつでもある、そこらかしこに転がっている。刻一刻と過ぎる時間を大切にしていきたいものだ。
作成者
house21
: 2013/5/11 (土) 22:07
[
コメント
: 0]
[
トラックバック
: 0]
|