ブログ〜鵜の目鷹の目,旅の目で

私は旅するようにゆったりと、かつ鵜や鷹のようなまなざしで日常や出来事をとらえます。徒然草のように徒然なるまゝに硯に向ひて心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば…。マイホームは【ふみハウス】

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2014/4/17 (木)

あいさつを挨と拶にと分けたなら

昨今は挨拶するにも人を選ぶ。気心の知れた人にしか声をかけないという風潮である。不審者情報が流れ、ニュースでは行きずりの通り魔犯罪を報じているわけだから、なおさらのことであろう。それでも人の往き来が頻繁で人々が声をかけあっている町では、空き巣を狙う不審者には利く。彼らは顔を見られたくないから、顔を見て声を掛けてくる人は避けたいからだ。

そういう点では、邇摩(にま)高校がある仁摩町(にまちょう)の仁万(にま)は心地がいい場所だ。歩く人に「こんばんは」と声かければ、「こんばんは」と笑顔で返ってくる。庭先から声がかかることもある。

昨日の朝は邇摩高校の生徒昇降口でさわやかな声が聞こえた。わたしの出入りするところからは離れているので顔は見えなかったが、10人ほどの女子生徒たちが一列に並んで声を張り上げていた。わたしに向かって手を振っている子もいる。気持ちがいい朝だった。

挨拶は交友の幅を広げ、新たな出会いのチャンスとなる。人間練磨の出発点とも言えるだろう。挨拶の「挨」は押すという意味があり、「拶」は迫る義である。禅問答のやり取りにあって悟りの深浅を試すことに言葉の由来があるという。どちらかが発し、相手が受けることではじめて挨拶は成り立つ。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「お久しぶり」など、挨と拶が日々繰り返される 。マンネリ化した儀式だと考える向きもあるが、人間心理に与える影響は大きい。小さな社会でも、大組織にあっても挨拶は組織を円滑に動かす魔法の言葉だ。気持ちのよい挨拶を繰り返していけば、組織のチームワークは確実に高まっていく。

自分から声をかけるのは恥ずかしい。無視されたとしたらどうしようか…ええ格好しい奴、ウザイ奴と思われやしないだろうか…心配はつきないかもしれない。勇気をふるって自分が変われば、相手もいずれは変わる。自分の見方が変われば相手の良い面も見つかる。気持ちが豊かになる。また今日も昇降口で彼女らの挨拶が見られるだろうか。元気な声が聞かれるだろうか…。楽しみである。

作成者 house21 : 2014/4/17 (木) 07:50 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/16 (水)

かけがえない友はインフラ博報堂

博報堂生活総合研究所は、「インフラ友達」をテーマに2014年を予測しています。かけがえのない使える人々をインフラ友達と定義しているのですが、「使える」と「かけがえのない」という二つの言葉が同居することに違和感を覚えるものの、一緒にいるだけで気持ちが休まる友は、いわば「安心を与えてくれる友」=「居心地が良いから使える友」ということなのでしょう。

予測のベースとなる調査によれば、一人で過ごす時間は5時間20分/日まで増えているそうです。この15年間で30分も増えています。一人の時間を大切にしたいという意識が強くなったことであり、友人は多いほどよいと考えるのではなく質が大切だという意識に変わったと分析しています。ネットでは広い交流が可能ですが、地についた友人関係を求める現れかもしれません。

こんな友が欲しいというランキングを発表しています。

1位■避難所友(ひなんじょとも)/大災害時に避難所的に受け入れてくれる
2位■教友(きょうゆう)/菜園、料理、語学など生活の質を上げるための知恵を教えてくれる
3位■命友(めいとも)/ああしんどいなと思った時に電話すると、生きる気力を与えてくれる
4位■ネンイチさん(ねんいちさん)/めったに会わないが、友達でいることの喜びを実感できる
5位■目利き友(めききとも) /ネット情報の真偽、隠れた問題点などを見抜く目利き
6位■黙友(もくゆう)/落ち込んでいるときに、何も言わずに、ただそばにいてくれる

身勝手なばかりで、わがままな願望があらわれているような気がしますが、まあいいでしょう。一人になる時間を好んだとしても、ひとは誰でも一人では生きていけません。袖振り合うも多生の縁、と一時のふれ合いを大切にするもよし。ドップリと語り尽くし合うもよし。友を大切にするということは、自分のことも大切に思うことにつながるものです。

作成者 house21 : 2014/4/16 (水) 21:46 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/15 (火)

空気感出雲と石見離れてる

出雲市多伎町に続く山が仙山峠。ここを境にして出雲地方と石見地方が分かれる。出雲部と石見部では、お茶の飲み方ひとつとっても文化が違う。人の気性も異なると感じることもある。

その仙山峠の脇をすり抜けるようにしてJR山陰本線は海端を走る。切り立った岩盤と深い森が続き、列車の窓から見える岩礁には白浪が押し寄せて、青い海とおぼろな空の色がコントラストをなして目を和ましてくれる。

トンネルを抜けるのは4つだろうか、5つだろうか、石見に入る。大田市の波根駅に到着すると、出雲市の小田や田儀で感じていた空気が違うように思えるのは錯覚かもしれない。錯覚であってもよい。どちらがよくて、どちらが馴染まないとかいうのではない。どこか違う場所に来たかのような感覚が起きてくるのだ。

邇摩高校まで通勤を始めてまる2週間。その違和感はおそらく旅人が感じる情緒ではないかと思い当たる。わたしは日々旅を続け、鈍行列車に揺られながら、思索し景色の変化を楽しんでいる。

今朝はある生徒が驚いていた。わたしの長距離通勤を。その彼だって出雲部の端から通学している。他の教職員だって、ほぼ同様の道のりを車で通勤する。距離は変わらない。

ただ違うのは、列車の揺れに身をまかせながら、わたしは本を読み、ラジオ番組や音楽を聴く。そしてこうしてブログを書く。時折うとうとと眠る。その旅人の気ままさが、車での通勤者とは異なるのだ。車での通勤と列車通勤を比較しても、せいぜい30分程度の差しかないが、そこに大きな落差というか、異次元の旅人感がある。それを楽しみつつ、かわいい生徒たちの姿に目を細めながら、明日も通勤は続く。

(邇摩高校の「仁心の庭」に咲いている名を知らない花。静寂で慎ましやかだ)

作成者 house21 : 2014/4/15 (火) 22:37 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/14 (月)

決意して冷たい雪が温かに

『アナと雪の女王』をまだ観ていない人のために。エンドロールで席を立つなかれ。
笑えるオマケ、ピリッとほろ苦いやつが最後についてきます。得した気分になりますよ。

まだ観ていない人のために。日本語吹替え版を観るべし。
雪の女王エルサ役をやった松たか子の歌が素晴らしい。『Let It Go』でエルサは歌うのです……ありのままに、と。腹が決まった時に制御できなかった彼女自身の力をコントロールできるようになるのです。そこには愛の力も必要です。アナとエルサ、そして正義のジェントルマンと交わされる自己犠牲の愛。あらゆる人々が発露する慈愛によって、閉じられていた城の門が開放されて、魔力に支配されていた心が解放されたことを象徴するのです。門を開けて、叡智を集め、豊かな情感を表し、人の和でものごとを解決しようという国の行く末が決まるのです。それらが歌に見事に表現されているのでした。

まだ観ていない人のために。ナンバー2が堅実・賢明でないと国は守れないことを知るべし。
アナとエルサの父母、すなわち王と王妃は二人が幼い時に嵐によって命を落とします。エルサ女王が戴冠するまでに長い時間がかかります。その間誰が国政をみていたのでしょうか。物語には登場しません。どこの組織にあっても同じことですが、執政官なり、ナンバー2がしっかりしていないと組織は弱体化し、場合によってはつぶれます。その陰の努力と能力にも注目したいですね。

まだ観ていない人のために。脇役に注目すべし。
勇敢にして心優しいクリストフ、一見紳士の王子ハンスも重要な役割を演じますが、トナカイのスヴェン、なんとか公爵、雪だるまオラフ、かわいげな石のトロールなど魅力的なキャラクターがたくさん登場するのもこの映画の人気の元なのだと思います。

(写真は仁万の街角に咲いていた花ニラ。降りたての雪よりも白くなく、今朝の日本海の水平線界隈の色よりも白い)

作成者 house21 : 2014/4/14 (月) 20:35 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/13 (日)

下を向き八重の桜は目を奪う

わたしの住む町内に出雲村田製作所はあります。ケータイやパソコンにはなくてはならないセラミックコンデンサを生産するのが出雲村田製作所。その工場の敷地が年に数回開放されます。椿は約千種、桜は71種もあり、いずれも珍しいものばかりです。今日は恒例の桜の一般公開日でした。正門から入ると広い駐車場が開放してあって、警備員や職員が誘導してくださいました。

いままで何度か見に来ていますが、何度見ても見事なものです。八重桜は各種さまざま。珍しい形、微細な色の違い、花の付き方や葉っぱの出具合もいろいろで、楽しく観察し写真におさめてきました。幸いに雨の予報ははずれて雲は厚くはありましたが、いい花見日和でした。構内の道路でイソヒヨドリのつがいが何かをついばみながら、複雑な音色で語り合っていました。街中のビルで縄張りを主張するこの鳥を見る季節ではありますが、つがいを見るのは始めてでした。

桜の開放は20日日曜日にもあります。節くれだった枝を虎の尾に見立てた市原虎の尾や桜湯の原料となる関山など満開の八重桜の類を楽しむことができるでしょう。抹茶のサービスもありますから、また来週も行ってみようかな…。

(淡緑色の御衣黄(ぎょいこう)は淡い黄をベースに淡緑色の筋がはいる花びらが波をうっています。興味深い趣があります)

作成者 house21 : 2014/4/13 (日) 21:04 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/12 (土)

春は鳥春は花なり春楽し

燕尾服をまとったツバメが縦横無尽に飛び回っている。巣づくりに精を出している。ヒバリが鳴いている。ひらひらと蝶蝶のように舞い上がって楽しげだ。街中ではイソヒヨドリが天使のような声で歌っている(天使の声は聞いたことがない)。トンビは高く高く上空の空気をつかんで丸く丸く滑空している。ウグイスはもう十分に上手に鳴けるようになったようだ。スズメも名を知らない鳥もにぎやかに春を過ごしている。水辺ではカイツブリがけらけらと鳴いた。春に鳥が喜ぶ。

花盛りである。鮮やかなタンポポの黄色。花の横には綿帽子が並んでいる。菜の花はレモンイエローに染まってどこか美味しそうだ。ムスカリは別名グレープヒアシンス。極小の提灯の形でヘブンリーブルーが美しい。スイセンは黄をベースにしてさまざまな色と形で目を楽しませてくれる。桃は今でもローズ色で艶やかだ。象牙色のハクモクレンが終わったら、ラズベリー色のモクレンが花を広げつつあった。学校の中庭や民家の鉢にはパンジーやビオラが百花繚乱のおもむきだ。ソメイヨシノは終わったが、八重桜が花芽を広げつつある。たわわに豪華な花を垂らすのももうすぐだ。色とりどりのツツジも陽光を浴びて空にむかって花開こうとしている。目を下に転ずればシバザクラが地を染めて。春は花盛り。

(写真はムスカリ。わたしにはグレープというよりは、異世界の建築物にみえる)

作成者 house21 : 2014/4/12 (土) 21:47 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/11 (金)

能力は農につながる人立ちぬ

『能力』は能ふる力。頭と体を使ってその人を計れる力。偏差値、IQ、英検、入学試験……点数をつけられる機会はたくさんあるが、嫌になるくらいシビアに点はついてくる。

『脳力』は頭脳の力。能力を裏打ちする力は多くは脳髄に由来するが、覚える計算する組み立てるといった知の力。あるいは身体を操ってコントロールするのも脳ならば、脳力は運動力でもある。脳はとても大切な器官だ。

『悩力』とは悩む力。誰でも悩んではじめて人間としての器が大きくなる。悩めば人の悩みにも同苦できる。人の心もみえてくる。悩まない人に多くの人をリードするビションやパッションは示せない。人をその気にさせて伸ばすことはできない。それからすると悩力が増せば、『能力』の能ふる力は与ふる力となって、他人を幸せにしていくことができるだろう。

さらに『農力』という言葉も使える。農業系高校の学科で、自家農地で自家菜園で、田舎の雰囲気でつちかえば農力が伸びる。漫画や映画の『銀の匙』では、食いっぱぐれない力を持ってほしいと校長先生は生徒に望んだ。食糧生産がグローバル化して地域の農業が危ない瀬戸際にあって、各人が農のノウハウを身に付けることはまさに死活問題だ。

『能力』はすべて点数に換算できるわけではない。脳力も悩力も農力もすべて織り交ぜて、その人がもつ可能性を能力という。「能」に「心」が伴えば『態』となる。態とは姿、ありさまのこと。そして『能ふる力』は『与ふる力』にも進化していくだろう。その人がもつ可能性を出し切れば多くの人に貢献していくことができるにちがいない。

作成者 house21 : 2014/4/12 (土) 18:33 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/10 (木)

勤労と仁心の末に創造が

『勤労』
労働ではない。勤労である。響きもいい。労働というと、わずらわしく使役されるイメージがあるが、勤労は務めて励み、身を労(いたわ)りながらチームワークでことを進める。私にはそんな感じがしている。生きる者はすべてが勤労しなければなるまい。ハンディキャップがある人も自分独自の方法で社会に貢献していくことが勤労であろうかと思う。

『創造』
教育にとって創造とはむずかしい概念だ。そもそも教育とは鋳型にはめる作業を第一とする。先人がなし遂げてきた手法をなぞり、自分にもできるように努力しマスターして、そののちに始めて創造という段階がやってくる。道のりは遠いけれども、そこには創る醍醐味がある。

『仁心』
他人や弱いものを慈しむ心である。礼儀をわきまえ、幅の広い配慮ができる人徳をもった人にのみ可能となる。これも実践はむずかしいが、不断の努力がいずれ実を結ぶことだろう。

以上3つが島根県立邇摩高等学校の根本精神である(解釈はわたしの独断)。校訓という手あかのついた言い方ではなく、「根本精神」というのがいいではないか。いかに知性を高め、思いやりの心を育むか。情操を豊かにすることと、正しい生活習慣を身につけることをいかに両立させるか。体を鍛え負けない精神と自信をいかに持たせるか。勤労とは素晴らしいものであり喜びの元であることをいかに知らしめるのか。いかに地域社会にある課題を認識し、解決のために動くことができるのか。古今変わらぬ課題である人間関係をいかに円滑にすすめていくのか……。

こうした問いを不断に発しながら教員の皆さん方は、心を砕き、常にアイディアを研き、体も張りながら全力で奮闘しておられる姿を、この十日ほど見てきた。学校という世界も実に興味深いと思う毎日をおくっている。

明日は早くも金曜日。まずはわたし自身が果たすべき業務を勤労としてこなしていかなければなるまい。さすれば創造はいずれついてくるであろう。そしてかわいげな生徒たちには硬柔とりまぜて仁心をもって接していきたいものだと思う。

(仁万の町の庭先にあったツツジの花。名前は知らない)

作成者 house21 : 2014/4/10 (木) 19:38 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/9 (水)

青い春いろんな色に春染まる

レンギョウが咲き、ユキヤナギがあでやかな白を染め、桜は盛りを過ぎたとはいえ、未だに勢いを残す。校内はペチュニアやビオラ、パンジーに満たされている。チューリップも咲いてきた。やがて万朶と咲き誇るツツジの群落とともに、風薫るすてきな季節はやってくる。

今日は入学式が挙行された。はにかんだ笑顔があり、締まりのない笑みもあったし、感動を面に表さない仏頂面もあった。思春期の彼ら彼女らなりの表現で、晴れやかだけれども不安がいっぱいな主役の座を表していたように思う。

邇摩高校校歌はこう歌う。
  数百の学徒つどい来て
  若い瞳もかゞやかに
  撞(つ)くや真理の暁(あけ)の鐘

百名足らずの新入生たちが学舎に集った。列席された親御さんは我が子の姿をどのように目に焼き付けられたであろうか。まだ幼さをたっぷり残してはいるが、君たち青年の熱と力で時代を継承し、創り出す時が来るだろう。いや、来てもらわなくてはならぬ。式典の最中に多くの顔を眺めながら様々なことを考えた。

若いっていいなあ。それだけで楽しい。だがそれは、今思えばということであって、あの頃は複雑に思いが交錯していた。嫌なこと、つまらないと思うこと…マイナスの感情に支配されることが多かったような気がする。しかしそれらは消え失せて、楽しかった思い出だけが脳裏をよぎるのはなぜだろう。それは歳をとったということなのだ。若さのエネルギーを発散させ、若さゆえの失敗もし(無為に過ごしたことも含め)、だからこその今がある。と思えば…歳をとるのもまんざら悪くない。

(写真は邇摩高校の園芸ハウス内にある赤いチューリップ)

作成者 house21 : 2014/4/9 (水) 19:49 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/8 (火)

軸足を決めて跳んだは葛西なり

ソチ五輪で銀と銅のメダルを獲得した葛西紀明が結婚していたという。婚姻届を出したのは五輪から帰国後であるが、プロポーズは個人の銀メダルを獲ったその夜。国際電話を使ってのことだ。20代後半の奥さんとともに次の平昌五輪でもメダルを目指すというから、今後ほほえましい二人三脚が見られるのだろう。悲願の金メダルは獲れなかったかもしれないが、銀の夜のうちに愛する人を射止めた葛西。もう立派に金メダルを獲得したと言ってもよいだろう。

ひとに「モテキ」というのが本当にあるかどうかは知らない。葛西はこの冬のヒーローとなり、世界中から注目される存在となった。まさにモテキと言っていいし、何だってワガママが許される男になることもできたはずだ。しかし葛西は中心軸を失うことはなかった。愛する人に軸足を決めて、再び挑戦の日々を送ろうと決めた。素晴らしい人よ。幸せであれ。さらに栄冠をつかめや。私たちにドラマのシャワーを浴びさせてくれたまえ。

(明日は邇摩高校の入学式。ペチュニアが誇らしげに花を咲かせている。会場の屋内運動場はもちろんあちらこちらに鉢植えがあふれんばかりに飾られている)

作成者 house21 : 2014/4/8 (火) 18:18 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/7 (月)

少しずつ日本の四季は移り往く

≪日本人は「微妙な変化に対する適応・適合を第一とする」というべきではなかろうか。朝昼晩の気温・湿度の変化に合わせると同じく、常に相手に合わせようとし、成り行きに適応することが大事だとする。なるべく相手を傷つけないように、相手に逆らわないように、お互いに仲良し倶楽部の一人となることを大切にする。これは裏を返せば、一貫した原則を貫くことを大事にしないことである。自分の重んじる価値基準に従って行動の原則を通すと、「頑固者」「偏屈」「風変わり」というマイナスの評価を得る。≫ (大野晋『日本人の神』河出文庫,2013年)

「仲良し倶楽部の一人となることを大切にする」ことの典型が、暮れ・正月のあいさつ回りであり、転勤時に辞令片手にあちこちを回り歩くことだ。職場という安定した共同体において、これからも変わらぬ関係でよろしく!というメッセージである。ぬるま湯的な甘さを指摘されもしてきたが、だからこそ日本人は精神的な安定を保ってこれたように思う。今や多くの職場でそうした年中行事は廃れつつあり、人事当局も喜ばず、外部の目も厳しい。ここ10年の変化は際立っている。

職場だけではない。多くの組織で人の出入りが頻繁となって活力と自由の気風を生む一方で、安定していた組織の紐帯が解き放たれて孤独を感じてしまう人も多くいる。そこに精神的な病のもとが現れていく。「一貫した原則を貫くこと」がなかったから、厳しさへの免疫力がないと言われても仕方がない。それが日本というものだったからだ。細やかに微妙な変化を感じとりながら、適度に優しい自然を愛でて暮らしをたててきた私たちの環境は変わった。これ以上変わらなくてもいいのにと思う。でも変わっていく。

(満開の桜の次には葉桜がやってくる。季節は微妙に日々移り変わり、やはり私たちはそれを愛でる)

作成者 house21 : 2014/4/7 (月) 18:15 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/6 (日)

大胆に四捨て五入れ四字熟語

「四捨五入」 4までを捨ててしまう思い切りのよさ、5以上を切り上げるというこの大胆さ。気分がいいなあ。
「使者誤入」 ひとや各国からの使者の出入りが多い国にあっては、入国管理上誤って危険人物を入れてしまうこと。
「試射悟入」 弓や銃の試射をくり返すことによって悟りの境地に入ること。実体験こそものの理解への道との教え。
「試射午入」 弓の稽古をする際には馬の絵柄の的に狙いを定めると的中率が高まるという。科学的根拠もあるとのこと。
「死者御乳」 亡くなった方に好きだった牛乳を口に含ませてあげること。死に水や末期の水の変化形。好みによっては山羊や馬の乳を使う。
「支社娯入」 本社から支社へ都落ちしたと落胆するエリート社員に、ここにこそ会社勤めの醍醐味があると教えてやること。
「試写御乳」 映画の試写会の前には牛乳を飲んでおくと映画を味わい尽くせるというある映画好きのまじない。
「止瀉碁柔」 下痢がひどいときには碁盤に向かって黙考すると下痢が和らぐという昔からの言い伝え。
「詩車語柔」 詩心のある者が車に乗り込んで語り合うと、周囲の心荒んだ者たちも柔和になっていくという意味。
「史斜後入」 歴史を斜にかまえて眺めると後世にも受け入れられやすい説を残すことができるというある歴史学者の考え方。

今日の苦しいお遊びはお仕舞い、ここまで。もちろん「四捨五入」だけが実際にある四字熟語。

(仁摩健康公園に先週咲いていた垂れ桜。あでやかではあるが、満開のソメイヨシノのような妖艶さは感じない)

作成者 house21 : 2014/4/6 (日) 17:49 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/5 (土)

レンガ積む日々に努めて明日を知る

重そうなレンガを運んでいる作業者にある人が尋ねた。
「何をしているんだい?」
一人目が答えた。「石を運んでいるんだよ」
二人目は「壁を積むために運んでいるのさ」と答えた。
そして三人目は、誇り高く答えた。「聖堂を建ててるんだ!」と。

表面上、三人は同じ作業をしている。けれども彼らの内面はこれほどまでに違っている。見えている世界も違うことだろう。言われたことを単にこなしているだけなのか。それとも次のステップに目を向けてはいるが、理解はそこまでなのか。自分自身が当事者として大きな目標を成し遂げる意志を発露しているのか。

わたしたちの日常はもちろんのこと、教育の場でも応用できる考え方だ。無機質な公式を覚えることは試験以外に役にたつのか、大昔の年号や時代背景を知ることは面白いことなのか、介護の過程で被援助者の目を見て話しかけることにどんな意味があるのか……もろもろのことが、次の次の…段階を視野に入れて全体像が見えることで意欲が増していく。全てがお見通しになってしまっては面白味はなくなるから、謎は残っていたほうがいい。自分がどういうふうに変化していけるのか、その謎の追究を手助けするのが教育であろう。

自分にとっても自身は教育者。自分の先生である。完成はあり得ないとしても、高みに向かって飽くなき追究を続ける先生に教わる生徒は幸せである。そしてその幸せを他者にも及ぼしていくエネルギーをもつことだろう、わたしも含めて。

(邇摩高校の玄関前に咲く花。鮮やかな黄がまぶしい。名前は知らない)

作成者 house21 : 2014/4/5 (土) 10:36 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/4 (金)

成功と愛することの反対よ

『成功』の反対は「失敗」ではない。『無為』、すなわち何もしないことである。何事も着手しなければ始まらない。簡単にできることであっても、艱難辛苦の末に成し遂げられるものであっても、始めなければ始まらない。たとえ失敗があったとしても経験は蓄積される。けれども、無為の結果に何ら積み重ねはない。あとでふり返った時に、ほろ苦い思い出として心に留まることはない。

『愛する』ことの反対は「憎む」ことではない。『無視』、すなわち心に留めないことである。憎む相手は根っから嫌な人。それでもその相手と交友を結ぶ他人がいる。こちらとは相性が合わないのか、それとも根っからの悪人なのか。生まれついて悪辣人は珍しい。ならばこちらの心根に問題があるのか……千々に心は乱れていく。こちらの心は相手から離れられない。相手を無視するということは、透明人間のように扱う無慈悲な関わりだ。陰湿なイジメのひとつが無視。イジメられるほうは鬱々とした疑心が自身の内に向かい、精神を蝕む残酷なやり口だ。

何人(なにびと)も生きるかぎりは人間関係をなす。簡単なようで難しい。人には相性がある。すぐに心安くなる人もいれば、小難しいしかめ面に引いてしまう人もいる。それでも袖振り合うも多生の縁、同じ組織に属すれば目を合わせ膝をつき合わせていかなければならない。やがて思わぬ面が見えてきて有益なつきあいが始まることもある。成功することも、愛することも、わたし自身の心の内から始まる。

(写真は仁万田台の田圃の一角に咲くレンゲ。赤紫色が清冽でバランスのよい花形に心が和む。強い風で列車が止まり、焦りつつも人の少ない車内で足を伸ばしつつ…今は無為でいるしかないか)

作成者 house21 : 2014/4/4 (金) 07:40 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2014/4/3 (木)

桜には不思議な力妖しくて

桜の時季。ソメイヨシノがこちらでは満開直前。ハラハラと散りゆく満開は今日あたりだろう。午後には雨。散り去く花を惜しむときがくるのは残念だ。この時季が希望に満ちたときであるのは確かだが、なにか不安で落ち着かない。進学、就職、転勤など環境が変わっていくからだ。花見があるのも一つの原因かもしれない。それはどこか妖しい。坂口安吾は『桜の森の満開の下』で、凶悪な山賊に言わしめた。

≪どっちを見ても上にかぶさる花ばかり、森のまんなかに近づくと怖ろしさに盲滅法たまらなくなる≫

花冷えの風が肌を刺すとき、風がなくしんしんと花が舞い散る夜桜を見ていると、どこか穏やかではいられない。春が来たという喜びだけにとどまらず、満開の桜花には魔力がある。

梶井基次郎は『桜の樹の下には』で、≪桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。≫と桜花の見事さを劇場のように表した。

昔話『花咲か爺』にも桜花の力が描かれている。心やさしい老夫婦。犬が「ここ掘れワンワン」と鳴き畑を掘ったところ、小判がわんさと出た。隣のいじわる老夫婦は、その犬に無理やりやらせたが、ガラクタしか出なかった。怒ったいじわる夫婦は犬を殴り殺す。悲嘆したやさしい夫婦は犬をねんごろに弔い、墓の傍らに植えた木はたちまち大木となった。木で臼を作って餅をつくと小判となる。隣のいじわる夫婦は臼で餅をつくが、出てくるのは汚物ばかり。激怒して彼らは臼を燃やす(哀しむばかりで怒らぬやさしい夫婦)。やさしい爺が灰を枯れ木に撒くと桜が満開になった。「枯れ木に花を咲かせましょう」と。お殿様がご覧になり褒美を与えた。妬んだ隣の夫婦は懲りずにマネをしたが、お殿様の目に灰が入り罰を受ける(強欲と無慈悲が身を滅ぼすことを学ばぬいじわる夫婦)。

この物語をさかのぼれば、桜に行き着く。桜の化身があの犬だったのかもしれない。満開の桜の群落には輪郭がにじんだ絵のような不思議さがある。そのにじみが春の私たちを狂わしていく。桜は妖力を持っている。

(朝の山陰本線の沿道に見えるソメイヨシノは淡い春霞に染められている。写真は昨夕仁万の桜)

作成者 house21 : 2014/4/3 (木) 07:34 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]
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