2012年3月15日(木)
3.11あれからの宮城県気仙沼市本吉紀行
葉が落ち裸の木々の廃墟の大谷駅は寂しい
えぐり取られた陸橋 途切れた線路が悲しい
漁船が打ち上げられ 瓦礫と車が横転してる
人影が見えない浜辺はうみねこが鳴いている
葉の枝に引っ掛かったままの布切れがなびく
海水を浴びて立ったまま茶けた杉達があわれ
人が家が全てが 流された痕跡に言葉を失う
仮設道路を 時折往来する工事車両の土埃り
瓦礫 車の残骸 殺伐とした風景に心が痛む
昔泊まった民宿は柱と壁の一部だけが残る
ここは日本で綺麗な海水浴浜に一番近い駅
砂浜は無残に跡形もなく消え土嚢が重なる
ビデオに残る砂浜は跡形もなく無残である
国道脇の津波浸水想定域表示板が空しく建つ
ここは二十メートル以上の津波の痕跡だった
ここも 何もかも変わった 何もかも失った
いたる所の高台に分散した仮設住宅表示がある
怒り 悲しみ 諦め 辛さ 背けられない現実
ここから明日を見つめていく歴史作りが始まる
古から続く津波と闘う事が宿命の沿岸地である
1年後の3.11犠牲者を弔う厳かな追悼があった
時間が止まった 悲しい切ない1年が経過した
極楽浄土での犠牲者の安寧を祈り黙とうする
作成者
元花山震災復興支援の会 事務局長笠原昭夫
: 2012年3月15日(木) 10:39
2012年3月14日(水)
3.11を苦しみ抜いて「若きなでしこの決意」
母と一緒に高台に逃げる途中津波に襲われた
「だめだ登られない」それが母の最期の言葉
二人で冷たい津波に飲み込まれ 母は消えた
私は 辛うじて流される屋根の上によじ登る
逃げ遅れた幾人もが 同時に流されて行く
何がどうなったのか 気が動転していた
体の体温が奪われ つかまる手の感覚が薄れる
山側に家が回転しながら瞬時接岸し飛び降りた
本当に運がよかっただけ 偶然の命拾いだった
尋常でない引き波の強さは 人、家、車を奪って行く
時に家同士が衝突し砕ける音、人の助けを求める悲鳴
多数の車が人を乗せたまま、木の葉のように彷徨う
この世の生き地獄に 紫色になった唇が小刻みに震える
私は何も出来ない だれも助けてあげることが出来ない
私だけ助かった罪悪感 後ろめたさで涙が止まらない
生きるってなんなの 苦しむために生きていくの
生きる意味がわからない 心に開いた底なしの穴
屍になった心は 感情が薄らぎ 交わす会話も虚ろ
このまま 私はだめになってしまう もうだめに
父のすすめで 十代の被災者交流参加が転機となった
お互いのこの想いを語らい少しずつ心が戻ってきた
心を開き 心の内を話すことで気持ちが楽になった
悲しみは私だけでない みんなが苦しんでいるだもの
1年かかったけど、やっと人生の目標を見つけました
それは 医療でこまった人のために生きる道を選びます
優しさで心を通わせ人を助ける 私の人生の使命と思う
もう泣きません 笑顔を振りまきます 人を幸せにします
お母さん笑顔で見守っていて下さい そんな自分にガンバ
作成者
元花山震災復興支援の会 事務局長笠原昭夫
: 2012年3月14日(水) 10:48
2012年3月12日(月)
3.11大津波 亡き妻と我が幼子を祈る
深い 悲しさ辛さに苛まれ 守れなかった命を後悔する
無念の中 命を奪われた君達の 永久の別れに泣き崩れ
生きる希望を見失い 喪失感だけが体を覆い尽くす
今年の桜を見ても素直に綺麗と感じられなくなった
君達と一緒に見るからこそ 綺麗と心が言うのです
凍てついた心を溶かす術を だれか教えて下さい
こころの苦しみを取り除く 処方箋を与えて下さい
未だ押し付けられる心の苦しみは癒えることがない
それでも 僕は生きて行く 君達の想いを胸にしまい
人は明日起きる不幸が分からないから生きられる
人は明日幸せが有ると信じられるから生きられる
きっと いつの日か 希望を取り戻せる日が来る
僕は 信じたい 信じる 信じ込みたい
君達が「しっかりしろよ」と後押ししてくれそうだ
最愛の妻「淑子」と幼い我が子「佳太」へ
「ぼくは、がんばって生きて行くから見ていて下さい」
「短か過ぎた 数年の幸せだけどありがとう」
「無念だろうが、安らかにお眠り下さい」
作成者
元花山震災復興支援の会 事務局長笠原昭夫
: 2012年3月12日(月) 11:10
2012年3月11日(日)
生涯 忘れられない3.11の衝撃と祈り
今日の新聞に市町村別の震災・大津波犠牲者名と年齢が記載してあった。一人一人の尊い命が生きた証し、重みがあった。
老若男女問わず尊い命が突然、奪われた日である。この悲しい事実に今後、年がいかに過ぎようとも、忘れることなく、頭を垂れ、御霊たちの安らかな眠りに就かれている事を、ただただ、ご祈念申し上げ続ける日となった。
残された被災者・遺族の皆様は、東日本大震災・大津波から、予期せぬ不自由な生活を強いられ、又、突然失われた命と向き合い続けても整理がつかぬ日々で、心の中は、どんよりと垂れ下がる鉛色の雲を背負い続け、息苦しさから抜け出さない心境の事と思います。
少しでも心に隙を見せれば、今後の先の見えない生活等で、閉塞感が頭を過(よぎ)る、そんな苦しみに苛まされている日々。まさに、明日を手探りで模索し続けている事と思います。
希望の灯を、共に探そう。探し出そう。少しづつでいい。焦らなくてもいい。地域住民みんなが寄り添い合い、歩んでまいりましょう。
特に心を病んだ人には、心を寄り添ってやって欲しい。話を聞いてやって欲しい。優しい言葉をかけてやって欲しい。
みんなで労わり合って欲しい。
生きる希望・勇気がきっと見つかる。地域復興が早期に実現することを切に願います。
防災担当者・専門家の方々へお願いします。
今回の大津波を風化させることなく、確実に伝承し続ける方策を早急に実現実行して下さい。人が犠牲にならない地域津波防災を確立させて下さい。それが、犠牲者に報いる唯一の事です。
作成者
元花山震災復興支援の会 事務局長笠原昭夫
: 2012年3月11日(日) 11:40
2012年3月9日(金)
大津波を忘却の彼方へ追いやってはならない
21年7月末に読んだ本の折りの当時の私のブログである。
それは史上最大 犠牲者520名を出した航空機墜落事故を基にした小説「沈まぬ太陽(三)御巣鷹山編である。
本の裏側を見るとこの様に記してある。
「歳月と共に、世間の関心が薄らいでも、遺族の悲しみに時効はないというのが、厳粛な事実である。史上最大の惨事が、風化されつつ有ることは決して許されない。ご遺族が語られた一言一言は重く、家族に記された遺書に接して、航空事故が、人間の尊厳をも打ち砕いてしまうものであることを知った。この事実を書き遺すことによって、亡き五百二十名の声なき声、無念の思いに報いたい。山崎豊子」と記してあった。
この文章に感銘を受けた。
この小説は、遺族の深い悲しみの事実を知らされ、涙で目が曇り、読むのを中断させられた時がしばしばあった。大惨事の恐ろしさ、事故にたいする、当時航空会社の安全対策の現状を鋭い洞察力でえぐり出していた。
古今東西、さまざまな人的・自然がもたらす大惨事は発生し続けている。一命を落とされた方の無念と共に、ご遺族及び直接遭われた方たちは、今後の人生を狂わされる。だが、時間と共に世間の関心は薄らぐは世の常である。しかし、一方でご遺族は、人知れず、消えない深い悲しみを一生涯背負い続けている事実もある。
昨年の岩手・宮城内陸地震に関しても同様の事が言える。風化させてはならない。一命を落とされた方々がいること。震災復興に想いを傾けている人々がいることを忘れたはならない。
今後の防災に活かし、被害を最小限にするためにも、忘却の彼方へ追いやってはならない出来事である。
そして、今回の津波による超大惨事が襲いかかってから1年が経過しようとしている。今後私たちが防災について、すべきことは何かあらためて考えよう。
大津波は時間と共に、人々の心から忘却されることが、大惨事を繰り返させる。未来の人々に自戒を含め、どのように伝えていくかが必要なのではないか。
「絶対に命が助かるハード・ソフト両面の防災」を沿岸部各地で議論し、確立させることが急務である。
(避難誘導する命、避難者の命どちらの命も守る防災であって欲しい)
作成者
元花山震災復興支援の会 事務局長笠原昭夫
: 2012年3月9日(金) 10:38