どこかしら不恰好なところのないものは、非情な様子に見える。――そこから、不規則さ、すなわち思いもうけぬもの、不意打ち、驚きが、美の本質的な一部分であり、特徴である、ということが出て来る。
(シャルル・ボードレール「火箭」『ボードレール批評4』阿部良雄訳 ちくま学芸文庫 1999年5月 p.49)
スーザン・ボイルさんの歌声には私も度肝を抜かれました。
そしてそれが池田信夫さんのブログで紹介されたのを見て2度驚きました(笑)。
2億2000万回も再生されてYouTube史上最大のセンセーションとなったSusan Boyleは、素人のど自慢の準決勝では音をはずしたが、無事に決勝に進出した。しかし、やはり予選の映像が圧倒的におもしろい。47歳のオバサンの意外な美声と、それに驚く審査員のリアクションが劇的だ。
(Susan Boyle - 池田信夫 blog)
スーザンさんの歌はほんとうにすばらしいものでしたが、毒之助さんの言うとおり、このお祭りの背景には容姿差別や年齢差別を当然とするような空気があることは無視すべきではないでしょう。その点については毒之助さんの記事を読んでいただくとして、ここではそういった差別を覆すほどの彼女の歌声の力について考えてみたいと思います。
池田さんの言うように、スーザンさんの歌声が会場全体を覆っていた冷ややかな空気を覆していくさまは確かに劇的です。審査員の3人も証言しているとおり、彼女の歌には聴く人を「恐れ入ら」せ、それを遇するにふさわしい態度を「目覚め」させる力があったことは間違いありません。美のこの力はまさに威力と呼ぶにふさわしい「強度」をそなえています。
美の威力は、彼女の容姿が私たちに喚起する道徳的義務を超えて、またそれとは別次元の義務を課し、尊重するように命じます。その義務とは「優れたものへの尊敬」です。この義務はカントが『実践理性批判』(1788年)のなかで「道徳法則への尊敬」と呼んだものに非常によく似ています。この義務は前者の道徳的義務ともからみ合い、それにさらなる正当性と重みを与えます。
道徳的法則は、知性的原因性としての自由の形式であるから、この法則は我々のうちにある主観的な対立物としてのこれらの傾向性に反対して、独りよがりを貶しめると同時に、実にそれ自身が尊敬の対象となるのである。そればかりでなく道徳的法則は、独りよがりを打ちのめしてこれを遜らせることによって、最大の尊敬の対象となり、従って或る積極的感情――換言すれば、経験的起源をもたないような、そしてまたア・プリオリに認識されるような感情の根拠にもなるのである。
(ルビ、傍点略。カント『実践理性批判』波多野精一/宮本和吉/篠田英雄訳 岩波文庫 1979年12月 p.155)
審査員たちが口にした「すばらしい」という言葉には「あなたの歌はすばらしい」と「あなたはすばらしい」という2つの賞賛がからみ合っています。この2つを区別することは困難です。この言わば技術への賞賛と一体となった彼女の人格への賞賛は、「尊敬すべき人物」とまではいかないまでも、「敬意をもって遇すべき人物」という評価が彼女に与えられたことを意味しています。
この敬意によって私たちは当初の彼女への嘲笑を密かに帳消しにしてもいるわけですが、美は道徳的な当為以上の強さをもって私たちをこの敬意への義務に拘束し、この義務は普段私たちの意識に上ることすらない深層において私たちの意識のあり方を規定しています。もしも美の本質というようなものがあるとすれば、それは否応なく私たちを敬虔にさせるこの威力の謎にこそ求められるのでしょう。

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