平岡公彦のボードレール翻訳日記

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ
退屈について語りあうことに退屈することはできない(オビ1グランプリ落選作)。

書くことは抵抗すること。書くことは生成すること。書くことは地図を作ること。
(ジル・ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳,河出文庫,2007年,p.87)

2011年7月31日(日)

法治主義の公理系――スピノザ『国家論』を読む

 哲学者の國分功一郎は、スピノザの哲学を「説得を求めない哲学」と規定しているが、この原則がその『国家論』(1677年)へと適用されるとき、それは「説得を必要としてはならない」というより強い厳命へと変化する。


 国家は必然的に次のように、すなわち治者ならびに被治者がみな、欲すると欲せざるとにかかわらず、公共の福利の要求するところをなすように組織されなければならぬ。言いかえれば、国家はすべての人が、自発的にせよ強制されてにせよまた内的衝動によってにせよ、とにかく理性の命令に従って生活せざるをえないように組織されなければならぬ。
(スピノザ『国家論』畠中尚志訳,岩波文庫,1976年改版,p.64)


 国家の徳とは安全である。そのためには、「国事を司る者が、理性に導かれると感情に導かれるとを問わず、決して、背信的であったり邪悪な行動をしたりすることができないようなふうに国事が整えられていなくてはならない」(同書,p.16)。政治は統治者の資質や思惑に左右されてはならない。それをだれが担うにせよ、正しい政治が行われなければならないのだ。よって、統治者は正しい政治を行うように強制されなければならない。
 
 人を信頼してはならない。とりわけ人の善意を信頼してはならない。権力を握った人間は必ず堕落する。ゆえに、統治者は絶対に買収されることがありえない規模の人員を必要とし、また、いかに有能な人物であろうと、決して定められた期間以上に統治者の地位に留まることを許してはならない。「人間は一年の任官によってさえ傲慢になる」(同書,p.109)。それは現代の心理学者たちの実験においても明らかである。


人間は大抵の場合、正しい行ないは何か(ズルは悪だということ)を知っているが、自分が権力を手にしていると感じると、倫理的な過ちを正当化しやすくなる。例えば、約束の時間に遅れてスピード違反をする行為について、両グループの被験者に評価をさせたところ、権力を想起したグループは、その行為をする当事者が自分ではなく他人であった場合に、より厳しい評価を下す傾向を一貫して示した。つまり、ほかの者は法律に従うべきだが、自分は重要な人物であり重要な行動をしているので、スピード違反にも適切な理由がある、と感じやすいというのだ。
権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験 | WIRED VISION


 人の善意の代わりにスピノザが期待を寄せるのは、ある種の自然の采配である。「その大いさの関係上少なくとも一○○人の最善者を要する国家では、その最高権力は少なくとも五○○○の貴族に委ねられることが必要である。このようにすれば、その中には、精神の力においてすぐれた人間がきっと一○○人は見いだされるだろうからである」(スピノザ前掲書,p.119)。不正と背信が不可能な体制のもとであれば、最善者はみずからの徳によっておのずと他の貴族たちを指導する地位を得るだろう。この自然の采配は、のちにドイツの社会学者ミヘルスによって寡頭制の鉄則と名指されることになる。
 
 そして、統治者は絶えず入れ替えられ続けなければならない。なぜなら、「国家には、人間の身体と同様に、「時々清めなければならぬ何ものかが毎日溜る」」(同書,p.175)からである。老廃物を排泄し続けなければ国家もまた人体と同じく亡びることを避けられないだろう。「すべての貴族はあたかも一精神に統治される一身体を構成するように諸法律によって拘束されていることが必要である」(同書,p.133)というスピノザの言葉は、このように理解されなければならない。
 
 もしも最善者を選出する自然の采配に誤りがあったとしても、この代謝のサイクルさえ滞らなければ身体の健康は回復されうるだろう。この、それ自身もまた自然の采配にほかならない国家を組織する法がなんであるかを探究することこそが、政治哲学の使命である。

¤ˤۤó¥֥�¼ ů³ء¦»×Áۥ֥� ů³ؤØ
にほんブログ村

作成者 平岡公彦 : 2011年7月31日(日) 21:40

2011年7月24日(日)

方法論とはなにか――山脇直司『グローカル公共哲学』を読む1

 もしひとが技術にしたがって誰かに弁論を授けようとするならば、その弁論が適用されるべき対象の本性がいかなるものであるかを、正確に教え示すべきである。
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳,岩波文庫,1967年,p.123)


『公共哲学とは何か』(ちくま新書)への私の批判に対し、著者の山脇直司さんからメールで直接「方法も制度設計もないという批判は『グローカル公共哲学 「活私開公」のヴィジョンのために』(東京大学出版会)を読んでからにしてほしい」という趣旨の批判をいただいたので、ご指示いただいた著書を読んでみました。
 
 最初にお断りしておきますが、私はべつに山脇さんと敵対したいわけでも、山脇さんの邪魔をしたいわけでもありません。ですから本書も、「この本からなにかを学びたい」、「この本を読んで成長したい」という姿勢で読んだつもりですし、公共政策についてのなにかいいアイディアが提案されていれば、微力ながらそれをたくさんの人に伝えるお手伝いをしたいとも思います。
 
 しかし、ほんとうに残念ですが、本書にはここでぜひ紹介したくなるようなアイディアは見あたらず、議論そのものも、私の批判に十分に応えてくれる内容だったとはとても言えません。あまり気は進みませんが具体例を示しましょう。私が本書に期待した方法論や制度論について、山脇さんは公共善を育む方法として次のような教育論を展開しています。


 グローカル市民教育には,現実の社会がどうあるのか(ある論)を理解するための「共感(シンパシー,エンパシー)や「共苦(コンパッション)」を涵養する教育と,各自が抱く「より善き社会についての夢」を語るユートピア教育や「おぞましい社会についての悪夢」を率直に語り合うディストピア教育も必要となってくる。
(山脇直司『グローカル公共哲学』東京大学出版会,2008年,pp.197-8)


 一応ここでは「ユートピア/ディストピア教育」という方法が示されてはいるものの、これだけではあまりにも漠然としすぎています。もう少し詳細なプランを示した提案はないかと探してみたのですが、少しあとのほうに「一般市民に開かれた大学や教育NPO,コミュニティ・センターなど,市民社会の制度・組織がもっとエンパワーされなければならない」(同書,p.198)とあるだけで、信じられないことに本書の教育論はこれで終わってしまいます。本書における教育の方法についての具体案と呼べるものはこれだけです。
 
 一般に、教育論では、「なにを」「いかに」教えるのかが示されなければなりません。後者の「いかに」論は、前者の「なにを」が確定してはじめて意味をもちます。そして、教えるべき内容は教えることが可能なことがらでなければならず、それをふまえて「なにを」を確定する議論が「いかに」論の基礎づけをなすことになるでしょう。本書の議論では、「なにを(べき論)」については一応示されてはいるものの、「いかに(できる論)」についての踏み込んだ議論は皆無であると言わざるをえません。
 
 とはいえ、「なにを」についても十分な議論がなされているとは言えません。たとえば、他人の失敗を嗤う人の喜びに共感することや、他人の成功を妬む人の苦しみに共苦することが公共善として望ましいはずはないでしょうから、「共感」や「共苦」も無条件にそれ自体として善い能力ではないでしょう。ならば、それを「善い共感」と「悪い共感」とに区別する基準が存在するはずなので、まずはそれをはっきりさせなければならないはずです。
 
 そのためには公共善を定義することが必要不可欠ですが、本書が提示する「公共的感情」「公共的想像力」「公共的理性」「文化の多様性の尊重」「諸文化に通底する公共善の尊重」といった諸理念は、いずれもそれ自体より厳密な定義を必要とする理念ばかりで、それだけで教育すべき内容に具体性を与えうるものではありません。
 
 もしも山脇さんがこの程度の論考で公共哲学の方法論を十分に示すことができているとお考えなのだとすれば、多くの市民の理解を得ることはむずかしいでしょう。


¤ˤۤó¥֥�¼ ů³ء¦»×Áۥ֥� ů³ؤØ
にほんブログ村

作成者 平岡公彦 : 2011年7月24日(日) 21:30

強制は必要である――山脇直司『グローカル公共哲学』を読む2

 実践における哲学の役割とは、目的を肯定する根拠を組織し、体系化することです。ですから、実践哲学においては、目的を肯定する根拠となりうる価値を枚挙するだけでは十分ではなく、ある目的を実現するための方法とその有効性、さらにはそれがいかなる価値の実現に貢献するのかが問われなければならないでしょう。
 
 私の理解する方法とは、山脇直司さんの『グローカル公共哲学』(東京大学出版会)の議論に則して例示するなら、共感したり共苦したりする能力を人に生じさせる効果のある行為や技術のことです。言うまでもなく、そういうものが存在するのなら具体例を示すことができるはずですが、本書の議論はそうしたことを問題にできる水準にさえ達していません。
 
 本来ならば、そこからさらに、共感や共苦の能力はそもそも教育によって引き起こしたり増減させたりすることができるものなのかというソクラテスが問うたような問題や、もしそれが可能であったとしても、そうした訓練によって身につけることのできる能力の水準がすべての人に均一ではなく個人差があるとすれば、すべての人が一定水準以上のそうした能力を身につけられることを前提にして制度を設計していいのかといった問題が議論されてしかるべきでしょう。
 
 こうした議論の不備による欠陥は、本書の「宗教的公共感情の育成」についての主張にも見て取ることができます。


 そうした育成は,政府の公と異なる「民の公共性」や「活私開公」に固執する公共哲学としては,政府の公によって強制的になされるのではなく,どこまでも,人々の自発性を前提とする形でなされるべきことであると主張したい。
(山脇直司『グローカル公共哲学』東京大学出版会,2008年,p.207)


 このように、それ自体可能であるかどうか疑わしい前提の上に議論が組み立てられていては、議論そのものが信頼のおけないものとなってしまいます。ちなみに山脇さんが平和論の典拠として挙げているスピノザ『国家論』では、山脇さんの希望はたんなる空想物語として全否定されています。


 民衆なり、国務に忙殺される人々なりが、もっぱら理性の掟だけに従って生活するように導かれうると信ずる者は、詩人たちの歌った黄金時代もしくは空想物語を夢みているのである。
(スピノザ『国家論』畠中尚志訳,岩波文庫,1976年改版,p.15)


 民の公共性が、人々の自発性にはたらきかけることによってそこから発生させるべきものであるとするならば、そうした公共性を喚起するための公共善が必要であり、それは「同意されるべきもの」として人々の同意に先行し、またそれとは別の根拠によって正当化されていなければならないでしょう。
 
 公共善に同意する能力には学力と同じように個人差があり、すべての人が等しくもつものではありません。そしてそれは、山脇さんの危惧するとおり、各人のおかれた状況や環境によって操作されたり捻じ曲げられたりしうるものです。


 現代ではメディアの操作などによって,公共感情がエモーショナルで非合理的なものに,また想像力が空想に化す危険性も存在する。そうした事態を避けるためにも,公共的感情や社会的想像は,公共的理性や討議的理性を伴わなければならない。
(山脇前掲書,p.53)


 グローカル市民教育には、当然ここで批判されている「メディアの操作」や「非合理性」の排除が含まれるでしょう。それを人々の自発性のみに委ねることなどできませんから、そこには強い方向づけが必要となるはずです。「だれがそれを行うべきか」という難問はひとまずおくとしても、こうした方向づけを強制によらずに行うことが可能だとは私には思えません。特定の方針を強要することは不適当だとしても、少なくともその前段階にある「方向づけを受けること」は強制されざるをえないはずです。
 
 制度設計は、こうした意味での「強制すべき正義」と不可分の関係にあります。私は本書にこうした問題についての議論の深まりを期待していたのですが、残念ながらそれは不十分なものであったと言わざるをえません。

¤ˤۤó¥֥�¼ ů³ء¦»×Áۥ֥� ů³ؤØ
にほんブログ村

作成者 平岡公彦 : 2011年7月24日(日) 21:30

2011年7月18日(月)

ベーシック・インカムは理想的な社会保障か――ベーシック・インカムについて考える1(再掲)

 ここしばらく、ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(日経BP社)を読んで関心を持った負の所得税との関連で、ベーシック・インカムについて勉強していました。
 
 ベーシック・インカム(以下、BI)とは、子供から老人まですべての個人に一定の額の現金を無条件に給付する制度です。ネット上の主な賛同者の意見はベーシック・インカム研究所の記事(参照)に、BIに関する文献はウラゲツ☆ブログの記事(参照)にまとめられていますので参考にしてください。
 
 BIのなにより特筆すべきメリットは、受給資格の審査が必要ないので、生活保護とは比較にならないほどスムーズかつ広範に生活困窮者を救済することができることです。それに加え、生活保護や失業給付や各種公的年金をBIに一元化することにより、審査等の人件費をはじめ、非常に大規模に行政コストを削減できます(浮いたお金はすべて給付にあてられます)。また、すべての個人が同じ額を受け取るのですから、受給への心理的な抵抗感もまったくなくなるでしょう。
 
 給付される額は論者によってまちまちですが、日本の人口を1億3000万人とすれば、BIを月5万円(年間60万円)給付すると78兆円、月6万円(年間72万円)給付すると約94兆円、月7万円(年間84万円)給付すると約109兆円の予算があれば実現できる計算になります。こうしてみるとあまりに非現実的な額に思えますが、小沢修司先生の試算(参照)や小飼弾さんの試算(参照)などをみる限りでは、月6万円くらいまでなら財源はなんとかなりそうです。
 
 と、ここまで好意的に紹介してきましたが、私はBIには反対です。
 
 理由は大きく2つあります。1つは、BIを導入すれば、たしかにたくさんの生活困窮者を救うことができるとはいえ、収入に非常に高率のBI税が課されることによって、逆に低所得者層を固定化し、どんなに働いても低水準の生活から抜け出せない社会になってしまうおそれがあるからです。のちほど試算しますが、BIが導入されれば、給与の約半分が税金として徴収されることになります。
 
 もう1つは、労働へのインセンティブの問題です。山崎元さんをはじめ、BIに賛成する人の多くは、BIは労働へのインセンティブを阻害するおそれはないと言っていますが、ほんとうにそうでしょうか?


 おバカさんが分からないらしいのはこの点。BIは無条件且つ定額なので、所得水準の如何に関わらず「より稼ぐと、より多くのお金を得ることが出来る」。現実的な額(一人月5万円とか)なら、労働意欲を削ぐことはないだろう。「働かなくてもカネを貰える」のは、生活保護も一緒。だが、生活保護は、稼ぎが増えると貰えなくなる。BIの方が労働インセンティブに対して中立。
ベーシックインカム7つの長所 - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」


 たしかに、自分の好きな仕事ややりがいのある仕事に就いている人なら、BIがあるからといって仕事を辞めたりはしないでしょう。しかし、だれもやりたがらないつらい仕事に就いている人はそうとは限りません。そして、そうしたつらい仕事に従事する人が減れば、それに依存するモノやサービスの価格は高騰するでしょう。
 
 そのなかには、ごみ収集や屎尿処理のように、私たちの生活に欠かせないものもあります。そうしたサービスへの負担が増えれば、BI支給額に占めるそのための費用の割合もどんどん大きくなり、せっかくBIによって救済されたはずの貧困層の生活がふたたび困窮することにもなりかねません。
 
 以下の記事では、こうしたBIの問題点について、さらに踏み込んで考えてみたいと思います。

¤ˤۤó¥֥�¼ ů³ء¦»×Áۥ֥� ů³ؤØ
にほんブログ村

作成者 平岡公彦 : 2011年7月18日(月) 20:34

ベーシック・インカムは貧困層を固定化する――ベーシック・インカムについて考える2(再掲)

 新田ヒカルさんと星飛雄馬さんによる『やさしいベーシック・インカム 貧困のない社会を実現する理想の社会保障』(サンガ)では、ベーシック・インカム(以下、BI)によって家計所得が増加する3つのモデルケースが提示されていますが、これはほんとうに正しいのでしょうか?
 
 同書の試算は以下の条件に基づいています。


ベーシック・インカム支給額 月額8万円
ベーシック・インカム税率 45%
ベーシック・インカム税制の場合、医療、介護などの現物給付部分の社会保険を残すと仮定し、その維持のために社会保険料(収入の4%相当)を徴収してその部分は非課税とする。
(新田ヒカル/星飛雄馬『やさしいベーシック・インカム』サンガ,2009年,p.146)


 まず気になるのはBI税率45%でしょう。国税庁民間給与実態統計調査参照)によると、日本の民間企業が国内で一年間に支払う給与の総額は約200兆円です。その45%を徴収すれば90兆円ですから、国民全員にBIを毎月6万円給付するために必要な約94兆円をほぼ賄えます。
 
 では残る月2万円分の財源約31兆円はどうするのかという疑問が生じますが、それはのちほど検討することにして、まずは年収300万円のサラリーマンを例に、大まかに試算してみましょう。
 
 現行税制では、給与に所得税を課税する際に、給与収入から必要経費相当分である給与所得控除を差し引いて所得を算出します。この例では、計算式は300万円×70%−18万円で、192万円が所得となります。
 
 そこから現行の所得税5%と、それから忘れてはならない住民税(市区町村民税と都道府県民税)10%を算出すると(住民税は翌年の給与から引かれますが、計算上はこれでも問題ないでしょう)、合計約29万円になります。年収からこれらの税金と社会保険料(健康保険と雇用保険と年金)36万円(便宜上年収の12%とします)を差し引くと、手元に残るのは約235万円です。
 
 続いてBI導入後を試算してみましょう。BIが導入されれば、必要経費相当分はBIで補填されるとみなされますから、給与収入にそのままBI税が課税されます。年収300万円からBI税45%と住民税5%(行政の効率化の結果半額になったとします)を算出すると、合計150万円になります。年収からこれらの税金と年間の健康保険料(雇用保険と年金はBI税に一元化)12万円(年収の4%)を差し引くと、手元に残るのは138万円です。
 
 BI導入前後を比較すると、年間約97万円、月では約8万円実質的な収入が減ることがわかります。BIが月6万円では赤字になるので、ここでふたたび足りない月2万円分をどうするかが問題になります。
 
 この不足分を消費税の増税で補うと、前出の新田さんの試算のとおり(参照)、消費税によって物価が上がった分を穴埋めすることになるだけですから、実質的な生活水準は向上しません。では、それ以外の財源はどうでしょうか。平成22年度一般会計予算参照)によると、所得税と国債を除いた歳入は約35兆円です。ここから国債費20兆円を引くと残りは15兆円ですが、これをBIにあてるのはどう考えても無理でしょう。
 
 したがって、BI支給額は月6万円が限界です。しかしそれを給付すると、144万円(年間BI給付額の2倍)以上年収のある人すべての実質収入が減少します。ですから、BIによって最底辺の貧困層の生活はたしかに改善されるものの、独身のワーキング・プアの生活はむしろ悪くなる可能性があります。
 
 そしてなにより最悪なのは、高率のBI税のせいで、働いても働いても生活水準が向上しなくなることです。

¤ˤۤó¥֥�¼ ů³ء¦»×Áۥ֥� ů³ؤØ
にほんブログ村

作成者 平岡公彦 : 2011年7月18日(月) 20:32

前の記事  |  次の 5 記事   
2011年7月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
バックナンバー

2012年4月

2012年3月

2012年2月

2012年1月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年9月

2011年8月

2011年7月

2011年6月

2011年5月

2011年4月

2011年3月

2011年2月

2011年1月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年9月

2010年8月

2010年7月

2010年6月

2010年5月

2010年4月

2010年3月

2010年2月

2010年1月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年9月

2009年8月

2009年7月

2009年6月

2009年5月

2009年4月

2009年3月

2009年2月

2009年1月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年9月

2008年8月

2008年7月

2008年6月

2008年5月

2008年4月

2008年3月

2008年2月

2008年1月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年9月
新着記事一覧

プラトンの偉大さ――プラトンの倫理学1

ハイデガー超入門――『暇と退屈の倫理学』をめぐる國分功一郎さんとの質疑応答2

ハイデガーと決断――『暇と退屈の倫理学』をめぐる國分功一郎さんとの質疑応答1

國分功一郎さんへ――國分功一郎『暇と退屈の倫理学』についての質問2

消費をどう見るか――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む2

宇野常寛について――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む1

概念の創造の実践――國分功一郎『スピノザの方法』を読む

概念の創造の方法――國分功一郎「ドゥルーズの哲学原理(1)」を読む

トップページ(音声ガイダンス:『がくっぽいど』)

知の公共圏の構築――今こそ梅田望夫『ウェブ時代をゆく』を読み返す

2011年のバックナンバー(下半期)

2011年のバックナンバー(上半期)

記号の消費と疎外――ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』を読む1

記号の秩序と主体――ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』を読む2

環世界論への疑問――國分功一郎『暇と退屈の倫理学』についての疑問1
リンク

平岡公彦の読書日記
   新ブログ

にほんブログ村
   バックナンバーはこちらから

プロフィール
   Amazonで公開中のプロフィール

L'Invitation @ Baudelaire

ボードレール語録

池田信夫 blog

404 Blog Not Found

極東ブログ

内田樹の研究室

平野啓一郎公式ブログ
My Yahoo!に追加 RSS


Counter


プライバシーポリシー - 利用規約 - ガイドライン - 特定商取引法の表示 - サイトマップ - ヘルプ・お問い合わせ
Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.