暴力は、おのずからそれをふるう者にとっては快楽である。それが悪であり、醜い行為であるとされるのは、暴力を受ける者にとってはそれが苦痛だからでしかない。
アンソニー・バージェスによる原作『時計じかけのオレンジ〔完全版〕』(ハヤカワepi文庫)の解説で映画評論家の柳下毅一郎氏が評しているとおり、洗練された暴力にはわれわれを魅惑する美しささえある。
語弊をおそれずに言うならば、『時計じかけのオレンジ』は暴力の楽しさを教えてくれた。スタイリッシュに磨き上げられた暴力はすばらしく魅力的なのだとキューブリックは見せてくれたのだ。
(柳下毅一郎「時計じかけのオレンジみたいに不思議」,アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ〔完全版〕』乾信一郎訳,ハヤカワepi文庫,2008年,pp.311-312)
非難に恐れをなして口をつぐむ必要はない。この評価は、歴史がこの作品に与えた破格の地位によっても裏づけられている。必要とあらば、われわれはアレックスのほかにも暴力と死を愛する映画史に冠たる殺人鬼たちの名をいくらでも挙げることができる。人が暴力に魅せられることがなかったならば、彼らの栄光もまた決してありはしなかっただろう。
ところで、表現の自由に敵対するポピュリストたちが信じるように、過激な暴力表現や猥褻表現は人を凶悪にするのだろうか? SF作家の山本弘氏は、日本ではマンガの性描写や残酷描写が過激化しはじめた1960年代以降凶悪犯罪が激減していること、アメリカでは逆にマンガに非常に厳しい規制が導入された1954年を境に凶悪犯罪が急増していることを根拠に、規制推進派の迷信を否定している。
マンガの表現と青少年の犯罪の間には、規制推進派が主張するような正の相関関係ではなく、負の相関関係(表現が過激になれば犯罪が減る)があるのだ。
無論、相関関係があるからといって因果関係があるとは断言できない。相関関係はあっても因果関係のない事例はいくらでもある。
だが、少なくとも、相関関係が存在しないところに因果関係を求めるのは無茶だということは、子供でも分かるだろう。
(山本弘のSF秘密基地BLOG:「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する)
こうした批判もむなしく、東京都の青少年健全育成条例改正案は2010年12月に可決されてしまったが、ここで注目したいのは、過激な暴力・性表現と犯罪件数とのあいだの負の相関である。
両者の因果関係を立証することはむずかしい。性犯罪が増えるかどうかを確かめるために、実際に大勢の人をポルノづけにしてみるわけにはいかないからだ。だが、欲望と虚構との関係をめぐっては、興味深い実験結果が報告されている。
チョコレートの『M&M’s』を食べるところを想像してみよう。自分の前にボールいっぱいのM&M’sがあり、そのひとつを口に入れて噛み、味わい、飲み込む。次のひとつも。その次も――『Science』に昨年12月10日付けで発表された論文によると、30個の想像上のM&M’sを食べたあとに実際のM&M’sを食べる場合、想像しない場合よりも、消費が少なくなるのだという。
(「想像上の行為」も現実的影響:食べ物で実証 | WIRED VISION)
欲望の対象を想像のなかで味わうことは、現実の対象への欲望を抑制する。もしもこの性質があらゆる人間の欲望にあてはまるものだとすれば、通念に反し、卑猥な妄想を事細かに繰り広げる性癖をもつ人物のほうが、性犯罪者になる危険性は低いということになるだろう。そして、そうした想像力の貧困な社会では、現実に引き起こされる悪はより大きくなるのだ。
人間の欲望は抑圧によって消えてなくなりはしない。塞き止められた流れは、むしろ出口を求めて荒れ狂うだろう。社会の安全のために必要なのは、欲望を禁圧することではなく、それをしかるべく管理することである。

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