2007/10/31 (水)
超簡易アクションレコーダ
…が欲しくなり、急遽作成する事にしました。今日中にはできあがる予定です。今まで私の作ってきた素組み(セルと背景を重ねるだけ)のアプリは、どれもフットワークが重めで、configを色々と設定しなければ動作しないのです。
単機能・軽動作・簡単操作のアクションレコーダが欲しくなりました。
今回作る「超簡易」アクションレコーダは、作画の感じをちょこっと確認する為のモノです。「ちょこっと」使う事を前提に考えられているので、高価なアプリの使用を控え、簡単操作で使えるようにしました。After Effectsの起動だとか、Photoshopのバッチとか、AnimeStudioでのオペレーションとかを経由せずに、とにかく簡単に映像を確認できるよう、割り切った設計となっています。(なので、開発(アルファ)も数時間で終わります)
必要なアプリケーションはmiとQuickTime Playerのみ。2つともコストフリーで入手できます。(Text Editではなく、miを選んだ理由は、行番号表示が可能である事と、明示的に文字コード等を確認しつつシートを書けるからです。)
必要なハードウェアは、コンピュータ一式以外はスキャナだけです。(*タブレットで描いた素材を使うのであれば、スキャナは不要です。)
タイムシートとなるテキストファイルと連番ファイルを収納したフォルダをアプリアイコンにドロップすると、シート通りのコマ打ちで映像をコンポジットして、QuickTimeを書き出します。
とにかくフットワークの軽い、作画スタッフ用のプチ・アクションレコーダとして作っています。完成して「多少は使い物になる」ようだったら、Webで配布しようと思っております。撮影スタッフが使うにはあまりにも役不足ですが、「今描いたラフ原画の動きを、すぐに確認したい」みたいな作画スタッフのニーズであれば、それなりに使えるかも知れません。
*ちなみに、今のところ、Mac版オンリーです。
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ezura
2007/10/29 (月)
わたなべさん、また夢に出る
昨晩の夢に、今年1月に亡くなったわたなべさんが出てきました。最近、魚市場の裏の駐車場で会う夢を見ましたが、今回は「びっくりドンキー」でハンバーグを一緒に食べる夢でした。
「病み上がりでハンバーグなんて喰って、大丈夫スか?」(1月に入院したが、無事退院した…と言う設定になっている)と聞くと、「いいじゃん、喰おーぜー」のような返答で、「ああ、これなら心配なさそうだ」と安堵したのです。……やはり私の深層では、依然、わたなべさんの死を拒絶しているのかも知れませんネ。
私ら(私とわたなべさん)は「金も無いのに」色々と食べ歩いたものでした。わたなべさんはKSR-II(80ccバイク)、私はTLM50(原付バイク)で、色々な土地を巡り、色々な「安い」食べ物を食べてまわりました。また、私もわたなべさんも「スパイス」には興味津々で、よくカレーを作って皆で食べたものでした。近場の吉祥寺パルコに出て、地下の本屋で買い物をした後に「くぐつ草」(喫茶店)で休むのも定番でした。
…ふと計算したら、もう10年以上も前の事…です。
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ezura
2007/10/22 (月)
私の味覚セレクト
聞くところによると、「味覚」と言うのは幼少の頃に趣向の基礎が確立されるようで、レトルトのスパゲちーナポリタンとかグラタンとかハンバーグのような「子供が好む」ようなものばかりを与えると、味覚が幼稚なまま育成されるらしいです。
子供に酒盗やエポアスを喰え!…と言っても無理でしょうが、四季折々の豊富な味覚を与えるのは、知識と経験を持つ大人の役割でしょう。
例え子供の頃は「苦手だなあ」と思っていたものでも、大人になって食べ直してみるとその味の良さがよく解るようになる事があります。実は私もその口で、小さい頃はどこが美味いのか解らなかった「七草がゆ」も、今では香草1つ1つを味わいながら食べるようになりました。
私の母は定年するまで共働きで働いており、仕事から帰宅した時にはヘトヘトだったでしょうが、手作りの食事をかかさず私に与えてくれていました。その成果か、現在の私は、出来合いのコンビニ食・ファーストフードが嫌いな人間になってしまいました。同じだけコストを割くのなら、自分で作った方が全然美味しいものが作れる!…と言う自身のスタンスは、母親の手作りの食事に毎日接して育ったからかも知れません。
そんな私の食材セレクトですが、現在は下記のようなものがお気に入りとなっております。特に手に入れにくいものをセレクトしてみましたが…、結構ゲテモノ的なものも多いですネ…。
・どぶろく
・ウォッシュタイプのチーズ(できればトロトロのヤツ・難点は高価!)
・酒盗、鰹塩辛
・深煎りのコーヒー(行きつけの店の)
・生バジル、生ローズマリー
・朝獲りの野菜(大雑把なくくりですが、いわゆる、農家直売の野菜)
もちろん、このような食材がコンスタントに手に入る事は無いので、ゆえに、見かけた時は予算の許す限りゲットするようにしています。
そう言えば今日、鰹塩辛が終わりそうになったので、1年物と2年物を通販で注文しました。鰹塩辛はそのままで酒の肴にはなるし、粉吹芋に塩の代わりとしてつけて食べても良いし、上澄み汁を「アンチョビソース」代わりに料理に使っても美味しいしで、「旨味」好きの方にはお勧め品です。
たとえお金をかけなくても、食の楽しみは味わえます。味覚の喜びは、創作の高出力ブースターとなりますから、仕事でヘトヘトでも食の簡略化はしないように心がけているのです。
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ezura
2007/10/21 (日)
食について
食については、色々と思うところがあります。何と言っても、生きていくための基本ですからね。
とあるスーパーの豚肉売り場に「ポークが食卓に届くまで」と言う小冊子が置いてありました。「このポークは、皆様の食卓に届くまで、衛生的な環境で、手塩にかけて育てられます」と言うキャプションと共に、可愛いブタちゃんの写真と身体をブラッシングするオジさんの写真、さらには白い衛生キャップをかぶった見学主婦らの写真が添えられていました。
そして、次のページをめくると、そこには「ソテー用切り身」になってパック詰めされた「豚肉」の写真が。
………。
この冊子を読んで、「とっても、良いワぁ」とでも思えと??
あどけないブタちゃんの表情。オバサンたちの興味本位の表情。そしてソテー用切り身。
食肉売り場で立ち尽くしてしまいました。私は。
また別の時。番組でドイツの田舎の特集を放映していました。道端で豚を一頭「潰す」様子を放映していましたが、数人の男女がせっせと作業に勤しみ、こぼれた血で道が赤黒く染まっていました。こぼしはするものの、血はちゃんとバケツの中に溜めて、後で保存食に加工するのだとか。もちろん、内臓も無駄なく使います。
それを見て、「自分も「状況が状況」だったら、ほ乳類レベルの生き物でも、自らの手で「殺めて喰う」だろうな」と思っていました。
子供の頃、たまごが「ヒヨコの元」だと聞いてショックだった事を思い出します。そのショックの後、「ヒヨコよりも目玉焼き」を選択した自分も、同時に思い出します。自分が「命を繋ぐ為なら、他の命を絶ってでも、養分として吸収する」生き物である事を、小さい頃から意識していました。
前に書いた、食に対する「主体性」を育成するのならば、「自分の手を一切汚さずに、セレクトするだけ食事」よりも、「釣った魚を、ピチピチと生きているうちに頭をハネて殺し、手を血だらけにしながら3枚に下ろして皮を剥ぎ、塩をかけて喰う」ような事をした方が、全然「主体的」に感じると思います。「自分で捕まえて、自分で殺して、自分で調理して、自分で盛付けて、自分で喰った」と言う方が。
つーか、「見識」とやらを豊富に有した「良い」大人が、「給食をセレクトする」事を「主体的な関わり」とか言わないで欲しい。…子供たちが勘違いするから。
でもまあ、そんな大人の譫言に騙される子供ばかりではないでしょう。見抜くヤツはちゃんと見抜くと思います。
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ezura
セレクト&リザーブ
Webで単語を調べている際に、「今日の新語」なるコーナーに「リザーブ給食」「セレクト給食」なる言葉を見かけたので、興味本位で覗いてみました。
リザーブ給食 【リザーブきゅうしょく】
献立の一部について,数種類の料理から一つを選べる給食。カレーとシチューから一方を選ぶ場合など。生徒による事前申告に基づき,料理は決まった数だけ用意される。食に対する主体的なかかわりを促す目的で,一部の学校が実施している。
私が読んで気になったのが、「食に対する主体的なかかわりを促す目的」と書かれている部分です。献立をセレクトする=既製限定品の中からチョイスする…のが「主体的なかかわり」ですか。随分とお手軽だ事…。
例えば、夕飯が「マズくてウザい」から、コンビニでチートスとコーラをセレクトして喰っても「食に対する主体的なかかわり」と言う訳だ。食べたいものを選ぶ…は、言い換えれば、喰いたくないものは喰わないのと同じだよネ。
「主体的なかかわり」なんて書くと「耳あたり」は良いでしょうが、…そんなこんなも含めて現代を物語っていますね。
住宅街の人気ラーメン屋で昼飯を食いたいがあまりに、近隣住民の迷惑顧みずにそこら中に車を路駐しまくる客たちも、そういった意味ではかなり積極的に「食に対する主体的なかかわり」を実践している訳だ。
ある時の話。新幹線の待合室で時間を潰していたら、4〜8歳くらいの兄妹を連れた若い母親が入ってきました。母親は子らに「ちょっとここで待ってて」と言うと、子だけを残して待合室から出ていきました。「今のご時世、ちょっと危ない気もするなあ…」と思いながら眺めていました。程なくして母親が戻ってきましたが、Starbucks風のコーヒーをちゅうちゅう吸いながら現れたのには驚きました。…「自分の分しか」買わずに戻ってきたからです。
飲料を飲む母親の姿を、兄妹がじぃっと見ていた情景を、今でも鮮明に思い出します。同時に、母親の平然とした姿も。
「今の母親は、自分の事を最優先する人が、すごく増えた」と聞いた事があるのですが、そうした現代の親達も「自由」「個性」「主体性」をまくし立てる教育の、ある意味での「申し子」です。
既存品の中からセレクトする程度の行為で、「主体性・個性」を育成できると本気で考えている大人も、そうした大人の指導方針に疑問を抱かずに乗っかる子供も、双方同じだけ「鈍い」んでしょう。
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ezura
2007/10/20 (土)
7.0に戻して、それから
CS3に見切りをつけ、7.0.1に戻したAfter Effectsですが、CS3使用時の「もしかしたら、上手く動作するかも」と言う余計な神経と労力を割かなくて済む分、効率的に作業環境・システムを組む事ができるようになりました。CS3を導入したのは、もちろんCS3にしか出来ない事を作業に組み込もうとしたからに他なりませんが、配備方針を変更する事でCS3の欠点を補う事としました。
当初の予定
・主力:After Effects CS3
修正後
・主力:After Effects 7.0
・特殊用途:After Effects CS3
例えて言えば、新型主力戦闘機の出来が悪く稼働率が著しく低いので、従来主力戦闘機を延命して持続配備し、新型機は特殊任務のみに用いると言う方針です。‥‥ありましたね、歴史上にもこのような事が幾度となく。
で、7.0に戻して万々歳かと言うとそうでもなくて、新たなバグを発見したりで、何とも上手くいかないものです。(レンダリングのポストアクションを実行すると、キャッシュがクラッシュして絵が表示されなくなる‥‥と言う程度のバグなので、充分切り抜けられますが)
一体After Effectsはどのバージョンが一番使いやすいのか。…業界的には6.5なのでしょうけど、スクリプトやエクスプレッションの面で、私の作業環境ではNGなのです。
CS3は今のところ、8.0.1からアップデートしていません。さらなる0.0.1のアップデートで直ってくれれば良いんですが、あの不具合の多さからして、結構時間がかかりそうです。
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ezura
2007/10/19 (金)
ツール、雑感
不具合の多いCS3でも、私にとってはパペットツールがあるが故に、やたらと蔑ろにもできないのです。逆に言えば、CS3が今後アップデートで安定すれば、わたし的には大満足なのです。
今日、数日ぶりにCS3を使いましたが、やっぱり不安定。。。。
頻繁にレインボーカーソルが現れて、ストレス満点。操作面だけとっても、7.0より確実に不快適です。これ作ったのダレだ?‥‥と言いたいところですが、考えてみれば、開発者さんたちもかなり急がされて「過酷な」スケジュールで作ったのかも知れません。‥‥つーか、たっぷりのスケジュールでこの出来栄えだったら、かなりヤバい。腕前云々と言うよりは、「振り返る余裕なし」ででっち上げたニオイがプンプン漂うのです。
しかしまあ、今回の一件で、作業環境の危うさを痛感してしまいました。
古くから存在する生産業は、何十年も道具を使い続ける事も多いようで、チーズのミルクを混ぜる機械とか、飴を練る機械などは、それこそ前世紀初頭から今まで働き続けているのもあるらしいです。コンピュータの薄命からすれば、何という驚異!
しかし、考えてみれば私の職種の道具も、「フィックスしてしまえば、後は現状維持」で構わないのかも知れません。私は従来の「セルアニメーション」と大きく異なる手法のアニメーションを計画していますが、ツールに関して言えば、After Effects CS3ぐらいの機能があれば、充分制作できる目算です。
つまり、100年物の機械よろしく、スッパリ割り切って、固定OSと固定アプリと固定マシンで映像を作り続ける事だって、可能だと言う事です。問題は2kオーバーの作業にはまだ環境が役不足である事ですが、数年で2〜3k制作環境をフィックスできれば、少なく見積もっても10年くらいはその環境で意欲的な作品が制作可能です。‥‥マシンを最新のものにして、何百万もするソリューションを導入しても、結局は「完成画こそ全て」ですから、ベースさえしっかり構築できれば充分やっていける(多少の工夫は必要でしょうが…)と思います。
ツールのフィックスと言う着眼点を与えてくれた事を考えれば、CS3の不具合も、ある意味「役立った」のかも知れません。でもやっぱり、不具合は不具合ですが。。。
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ezura
2007/10/17 (水)
武器の宿命
After Effects CS3の経緯は今まで書いた通り。
なんでアドビは、CS3のような不具合品を販売してしまったんだろうか。
‥‥ふと、武器の「立ち位置」を、思い出しました。
武器は、戦いに勝つ為に性能を向上させ、より強い武器になるよう改良を重ねます。しかし戦いに勝って、平和になると、武器は不要(もしくは売り上げが激減)になります。少々「うがった」見方をすれば、強過ぎる武器は、戦争を早期に終結させてしまう故、自らの寿命を短くするのかも知れません。武器は平和を願うと同時に、血にも飢えている訳です。
デザインや映画のツールも何か「武器」めいた宿命を感じます。PhotoshopやAfter Effectsの需要って、ある程度まで行き着くと、歩留まりになってしまうんじゃないでしょうか。売っているのは消耗品ではなく使用権=ライセンスです。スケッチブックならば、ページがいっぱいになれば、また新しいスケッチブックが必要になりますが、PhotoshopやAfter Effectsはその時点のバージョンで満足するのならば、「一生」買い替える必要はないかも知れません。
実際、私のiMacとそのアプリケーション群は、もう7年近く同じ状態で稼働しています。消耗品のHDDを1回交換しただけで、ソフトウェアのバージョンアップは一切していません。おそらく、これから先もよほどの事が無い限り、このままでしょう。
完成の域に達した(もしくは近くなった)アプリケーションほど、そうした「もう新しいのはいらないよ」と言う状況に陥りやすいのではなかろうか?
用紙などの画材はもちろん、車にしろ、家にしろ、消耗したりヘタってきたら買い替えや修繕が必要となります。本人がまだ使う気でいても、オイル漏れや雨漏り等で物理的に使えなくなります。しかしライセンスは使用者が現状以上を求めなければ、ライセンス自体にはメンテナンスは不要で、そのまま使う事ができます。
消耗品を売るのではなく、ライセンスを売る形態ゆえの、宿命とも言えますネ。
受信料や駐車料金・家賃のような定期使用料と言う形態にでもしない限り、売り切った時点で収益が落ち込むような構造を持っているのかも知れません。
故に、無理をしてでも、「新バージョン」でバージョンアップ料を徴収しないと、成立しない状態‥‥なのかな?
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ezura
2007/10/16 (火)
After Effects CS3、限定使用に切り替え
‥‥です。あれこれと時間と労力を割いた揚げ句、事実上の本格稼働凍結。
パペットツール等、必要な機能があるので、完全凍結はしませんが、しばらくは7.0でいきます。必要な時のみにCS3を使い、平常作業は7.0で使い続けるよう、シフトチェンジしました。原因は、95%くらい、After Effects CS3の不具合に因るものです。路線を変更するほどの「進路大変更」は普通「複数の原因」が絡み合っての事ですが、今回はズバリ「CS3の不具合」が原因です。改良よりも改悪が勝っているようでは、余暇の楽しみ程度ならまだしも、日々のプロ業務に耐える事はできません。
After Effects CS3で頻繁に発生する障害(かつ、以前のバージョンではほとんど遭遇しなかった障害)は、以下のようなものです。
・タイムラインウィンドウでアクティブコンポジションを切り替えるとレインボーカーソルが回り出し、絵が出るまでに時間がかかる
・同じく、アクティブコンポジションを切り替えるとレインボーカーソルが回り出し、そのままフリーズ、もしくは突然クラッシュ(ウィンドウがすべて消えて「クラッシュした」云々のアラートが表示)する
・レンダリングを実行すると、1フレームもレンダリングすることなく、クラッシュする(16bit、8bitモードの両方で発生)
・プリレンダリングしてレイヤーキャッシュを低く抑えても、クラッシュする(寸法は2k以下)
‥‥なんだ、メモリ・キャッシュ関連のエラーっぽいのがほとんではありませんか。
もちろん、レンダリング前のキャッシュのクリアから、メモリ設定の度重なる見直しなど、手をつくした上での障害です。アドビの文献にも目を通し、記載の対策を実践してみましたが、改善効果は全くなし。
After Effects CS3のオペレーションを表現するならば、「はさみで風船をつまんで、並べる作業」のようです。こんなAfter Effectsのバージョンは初めてで、今でも信じられない気分です。あれほど危なっかしく感じられた7.0が、すご〜く安定しているように感じるのですから。
よほど「パペットツール」に惹かれていない限り、現時点のAfter Effects CS3は全くお勧めできません。
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ezura
2007/10/15 (月)
夢にて
一昨晩、懐かしいわたなべ(ぢゅんいち)さんの夢を見ました。ちょっと数週間居なくなった隙に、死んだと間違われてお葬式を出されてしまったのだとか。くわえタバコのいつもの表情で話すわたなべさんの顔を見て、とても嬉しくなって、心の底から安堵したのでした。「間違ってお葬式を出されるなんて、わたなべさんだったら、ありそうな話ですネ」と笑い話をしていました。…しかし、夢から覚めると、現実は変わらずにありました。
わたなべさんとは、よくバイクであちこちに出かけたり、作品論議を交わしたものでした。…なんて書くと、ただの仲良しだったと思われてしまうのですが、そんな「お友達感覚」レベルではなく、運命共同体とも言える間柄でした。
特に作品造りに関しては、毎日のように演出論・作画論・シナリオ論などを熱く交わし、自分たちの作品に結実させようと「喰うものを削って」でも作業に没頭しました。しかしながら、10年以上前のアニメ制作現場においては、自分たちの理論は「絵に描いた餅」でしかなく、幾度となく挫折を繰り返し、やさぐれていました。
そこに現れたのがコンピュータによる映像コンポジットです。わたなべさんのアパートで、Mac Quadraを基幹としたCG制作のパンフレットを見て、構想を膨らませたものでした。
斯くして、CGの技術を体得する為、行動を開始し、現在に至ります。10年前の私は、清積さんにPhotoshopのアイコンをデスクトップに作ってもらわないとPhotoshopを起動できないくらい、コンピュータ音痴だったのですが、今では小さなソフトウェアだったら自分で作れるくらいにコンピュータを習得しました。それもこれも、作品を完成する為に必要な知識・技術だったからです。
わたなべさんもプログラムをやっていた…と聞きました。私たち2人は暗黙の了解〜お互いに力をつけた後、充分な戦力をもって、今度こそは理論を実現する〜があったのです。
最近、逢坂さんもお亡くなりになられました。私は面識こそ無いものの、北久保さんの作品で作監としてご一緒した事があります。………痛恨です。人がどんどん死んでしまう。
健康は全ての基本だと思います。どんなに高い理想を掲げようと、制作を支えるタフな肉体を維持できなければ、実現不可能です。情熱だけではどうにもなりません。作品創作のプレッシャーを健康状態へ反映させてしまう行為とは、決別しないといけませんネ‥‥自分は。
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ezura
不整合、吹き出た
‥‥感のある、現在の作業環境であります。CS3導入が引金となっているのは確実ですが、影に隠れて目立たなかったものがポコポコと表に出てきて、何か「モグラタタキ」のような作業に追われております。16bit悩ましと書いたのも、その一つです。
おかげで、アドビスクリプト…いわゆるアドビ拡張のJava Scriptをさらに習得できたのですが、他にまだ何があるのやら。
過去のスクリプトを改造して対処しておりますが、それはまるで、四号戦車からナースホルンとかフンメルとかブルムベアなどの「派生戦車」ばかりがどんどん生まれた状況のようです。繁雑で、作った本人でも管理しきれなくなりそうです。
でもまあ、こんな事も戦訓の数々です。これから先、さらに意欲的な作品を作ろうと模索した時には、もっと複雑怪奇で運用の難しい局面だってあるでしょう。試行錯誤は避けて通れないのだと思います。
しかし、その試行錯誤はあくまで「未来のカタチ」をイメージしたものでなければ…と思います。
動力=馬力のイメージをずっと変えずにいると、ともすれば「エンジンを組み込んだ馬」を作りかねません。エンジンで前脚と後脚のギアを動かして歩行させる…なんて、自動車の存在を知っている人間からすれば、冗談のような話でしょう。
私は戦車をよく引き合いにだしますが、それは、戦車の捉え方によって戦局が大きく動いた過去があるからに他なりません。戦車の捉え方…つまり、戦車を「動く砲台」と捉えるか「戦う車」と捉えるか…と言う事です。少なくとも1940年の独仏戦においては、そうした「戦車(=兵器)の運用方法」が戦局を左右する重要な一要素となりました。1940年のドイツ戦車の火力・装甲はフランス戦車に比べて決して優位とは言えないものでしたが、運用方法が大きく異なっていた…と言う過去があります。1940年独仏戦でどちらが勝ったかは、歴史の通りです。
アニメの撮影と呼ばれる作業も同様に、「デジタルの撮影台」なのか「映像をコンポジットするコンピュータ」なのか…と言う捉え方の違いによって、その利用方法・運用手法は大きく異なると思います。
1997から2007までの10年間は「コンピュータ導入」に費やした感のあるアニメ業界ですが、これから先はその運用方法が問われるように思います。…何故かというと、他の色々なモノがそうした経緯を辿っているからです。
なので、多少繁雑だろうが、メゲてはいられないのです。
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ezura
2007/10/12 (金)
16bit、悩まし
私が主として関わる作品のコンポジットは、大抵16bit/チャンネルで演算し、最終的に8bitにまとめあげる手法を採っています。その理由は、「広い空間で計算する」為、つまり、「身動きのしやすい、広い作業場」として16bitを用いているのです。
8bitは256階調ですが、16bitでは65536階調となり、256階調では切り捨てていた数値を切り捨てずに計算可能となります。小数点の切り捨てをあなどると、以下のように許容し難い誤差のしっぺ返しを食らう事になります。
round ((round ((round ((round (5 / 2.2)) * 1.4)) / 2.2)) * 1.4)
計算結果:1
5 / 2.2 * 1.4 / 2.2 * 1.4
計算結果:2.02479338843
*上記は四捨五入の例ですので、厳密な8bit/16bitの比較ではありません
この誤差がたまりにたまって、エスカレートすると、バンディングなどの「階調喪失」となって表われるのです。
そこで「16bitだと、バンディングが出ないんだ」と考える訳ですが、それは少々、構造の本質を見失っています。16bitは「悩み解消」のおまじないではなく、活かすべき場所に用いて初めて威力を発揮するものです。
ともあれ、After Effects内部計算だけでもデータの喪失を防げるから万々歳じゃないか‥‥と思うのですが、「万歳」だけで済まない所が悩みどころです。
まずはメモリを多く必要とする点が悩ましいです。…大量のデータを扱うのですから、大きな蓄積場所=メモリが必要なのは、至極当然の事なんですが、むやみやたらとレイヤーを重ねて処理を重ねて16bit演算すると、最悪はオーバーフローし、クラッシュの危険性もあるのです。…つーか、CS3はそんなのバッカリですけどネ…。
さらに悩ましいのが、「16bit非対応」のソフトウェア(プラグイン)の存在です。特にレタス作品の作業の友「koji's smooth」はどうも16bitが苦手のようで、「気泡」のようなノイズが出てしまいます。「range1.0以上での回避策」が通用しない事も多々あり、作業上のアキレス鍵となっています。
16bitは、まだまだ互換性も低く、軽はずみな気持ちで使用すると、結構イタい対価を支払う事にもなりかねません。
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ezura
2007/10/10 (水)
importFile()の件
7.0でimportFile()の返値がおかしい!‥‥と書いたのですが、7.0.1では正常にフィックスしているような動作となっています。
7.0では何をインポートしてもプロジェクトの1番目のアイテムが返るという珍動作でしたが、とりあえずは安心して良いのかな??
しかし、珍動作のバージョンが存在する故、万全を期すならば、app.versionでユーザのバージョンを調べてから動作に入るような段取りが必要かも知れません。
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ezura
2007/10/9 (火)
美術展と言えば、
ムンク展が上野でやってます。できれば上野には行きたくないんですが、ムンクじゃ行かざる得ない…でしょう。ゴミゴミした中にいくのは気が引けるし、仕事もつまっていますが、「生のムンクの数々を観る」なんていう機会はそうそう国内では無いですから、何とか時間を捻出して行こうと思っています。
美術展紹介記事で知ったのですが、ムンクって紙幣になるくらい、認知された画家だったのですネ。ムンクのあの「根っこ」を強烈に絵画化した作品が、なぜ大衆に受け入れられるんだろうか?‥‥いや、絵そのものより「ムンクは有名な画家」と言う事での認知なのかな?…一億総エロトスではあるまいに。
以前の、クノップフ展を見逃した大失態(痛恨)を繰り返さないためにも、今度のムンク展は(気が重いけど)上野に行かずばなるまい。
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ezura
画集も届く
10月半ば以降に届くはずだったAmazon購入の画集が、スピーカー到着から間髪をいれずに届き、少々慌てました。…どちらも代引きだったもので…。
洋書の画集もAmazonだと簡単に入手できるので、何とも楽なご時世になったものです。そのかわり、「店頭にポツリと残された、未知の本と出会う」機会は通販では中々生まれません。
Amazonの弱点は、「在庫にないものは手に入らない」と言う当たり前の状況とは言え、簡単に「在庫切れ」になってしまうところにあります。Amazonに無いものでも、実際の店舗に足を運ぶとあっけなく手に入るものも少なくありません。まあ結局はいつもの原則どおり、「道具は使いよう」と言う訳で、通販と小売り購入を使い分けるのが良いのでしょうネ。
画集を見たり、美術展に行くのは、他者の「絵にする方法」を見るためです。絵も音楽もそうですが、技術をさらっただけでは「絵にならない」「音楽にならない」のです。落とし所というか、決着というか、落とし前のつけ方というか、つまり「成立のさせ方」が重要で、技術は底辺でささえる為の基礎に過ぎません。
私のように「1作品を何人もの人間で分担して作る」作品制作をしている人間は、そうした「全体像と各個技術とのバンドル(集束)」を見失う事があります。…実際、「全体像なんてどうでも良い。自分に課せられた仕事だけ上手くやってりゃ文句は言われない」みたいな風潮はそこかしこに存在します。
しかし、最終的に目にする=受け手に届くのは1つの映像作品「だけ」です。
では各人が目一杯ハデな技術を盛り込めば良いだろうと言うと、そんな事は勿論無く、ハデな料理の見本市みたいな状態になってしまいます。エビフライとステーキと寿司が1枚のプレートに盛りつけられた料理なんて、キツい冗談としか思えません。
「やり過ぎ」も「やらな過ぎ」もNGである訳です。また同時に、共和の状態は作品それぞれで異なるので、「xx過ぎ」の判断は通り一遍では通用しません。
そういった意味で、優れた絵画(私の主観でしょうが)は、意図したものをどのように制御して決着させているか…が非常に参考になるのです。優れた演奏も、優れた映画も、同様に非常に参考になります。
とは言え、画集は高い。すぐに1万円オーバーになってしまうので、気をつけないと…。
作成者
ezura
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