2010/11/27 (土)
F1.8の50mmレンズ
私はカメラに関しては、昔からEOSを使い続けており、デジタルに持ち替えた今でも、やはりEOSを使っています。数年前に発売された30Dと言う中級機種です。
中級機種ですとAPS-C、つまり「ライカ判の撮像面積よりも小さい」ので、フィルム時代に購入したEFレンズの画角が少々テレ方向にシフトしてしまいます。有り体にいえば画角が狭くなる訳ですが、焦点距離ミリ数の読み変えに馴れれば、特にどうと言う事はありません。
APS-C用に、EF-Sレンズシリーズも発売されてはいるのですが、私が愛用しているのは12,000円の「Canon EFレンズ 50mm F1.8 II」と言う非常に安価なEFレンズです。30Dに装着した場合、ライカ判換算ですと80mm画角相当になるんですが、実はそこがとても気に入っています。12,000円の安価なレンズが「明るい中望遠」として使える訳です。
アニメでは何かと「広角」もしくは「超広角」の画角がもてはやされます。おそらく「空間を創造する快感」が、画角の広い構図だと大きいのでしょう。しかし、私はもうずっと前から、中望遠の画角が好きでして、わたなべ(ぢゅんいち)さんや北久保さんなどの監督・演出家に「もっと中望遠を使いましょうよ」とねだっていました。
*まあ、今にして思えば、画角だけ85mmにしたところで、効果は薄いんですけどネ。色々と仕込まないとネ‥‥。
中望遠の構図は、パース線を引くきっかけが作り辛く、建築パースよりも、「平面構成」の感覚が必要になります。レイアウトで例えると、いわゆる「この部分に窓が来て、天井の端がここに見えるはずだ」という理屈で決着する構造的・立体的な取り組みではなく、「画面のここに窓が見えて欲しい、天井は見えない方が良い」といった直感的・利己的な取り組みにウェイトがかかる訳です。
中望遠レンズの作図が面白いのは、「理屈で成立している現実の情景を、直感的(直情的?)な構成で切り取っていく」事です。カメラの傾きや高さ、被写体との距離を調節して、自分の欲しい絵を作っていくので、作り手側(カメラマンや絵描き)に柔軟なフットワークが求められます。‥‥まあ、そこが面白いのです。
そんな事もあり、私のEOS30Dに付いているレンズは「EF50mm F1.8 II」である事が多いです。12,000円、実売9千円以下ですが、F値は1.8ですから、とても深度の浅い画面が作れます。コンデジと言われる小型携帯カメラではF値がどうしても暗いため、中々作れない画面です。
ちなみにアニメ作品では、「キャラクターのレイアウト上」だけの話で言えば、実は中望遠は、結構多用されています。単に、中望遠である事に無意識なだけです。試しに3Dで室内の芝居場を組んでレイアウトしてみれば、すぐに納得できます。コンテの通りに被写体をレイアウトしようとすると、カメラ位置が室内に収まらず壁を乗り越えてしまう事が多いのです。いわゆる「演劇舞台の室内芝居セット」(=観客側には壁が無い)を狙ったカメラアングルですが、意外に、絵コンテを描いた演出家本人はその事に無自覚な事が多いです。*判ってる人は判っているんだけど、判っていない人はかたくなに判らなかったりする‥‥。
「壁を通り抜けなくても、広角にすれば収まるじゃん」と言うのは、逆に3Dの初心者(アマチュア)に多い安易な方法でして、故に「演出意図の見えない、不必要に意味ありげな広角レイアウト」に陥ります。良い絵を撮る為には、壁くらいブチ壊してもバチはあたりません。
スチルカメラのプロではない私の場合‥‥かもしれませんが、ズームレンズを用いるより、50〜85mm(ライカ判換算)の単焦点を用いた方が、「グッとくる絵」が撮れるように思います。逃げ場が無い(=必然的に迷わない)ので、「撮りたいものを撮る」構造にハマるんでしょうネ。
追記:2010年現在は60Dまで型番が進んでいるのネ。デジカメはモデルの移り変わりが早いなあ‥‥と思っても、考えてみれば私の30Dは800万画素ですから、画素数ではコンデジに大きく引き離された「ひと昔前のレベル」ですね。でも、写りそのものは全然不満ないんですけどネ。
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ezura
2010/11/15 (月)
雑感〜新人育成に関する
アニメーターは、新人の頃にお金が稼げなくて苦労するケースが多い様です。皮肉な事に「上手く描ける」ようになるほど、貧乏になる時期があります。貧乏=ハングリー=向上欲‥‥という構造をその時期にイヤと言うほど叩き込まれる訳ですが、そこで脱落する人が多いのも事実です。
アニメーターで「脱落」する段階は、おおまかに書くと以下の様な順序です。
●第1段階
アニメの作画そのものに違和感がある(=仕事が合わない)
●第2段階
中々上手くなれない(=自身の能力が伸びない)
●第3段階
稼げない(=作画品質の高評価を得るものの、作業数が少ない)
まだその次の段階もありますが、世間で言われる「アニメーターの人材育成が云々」という話題の中心は、大体このあたりだと思います。「上手くなったら、普通、稼げる様になるのでは?」とお思いでしょうが、上手くなり始めの頃は、「上手い作画をするために無理をする」〜すなわち、1カットに数カット分の労力を注ぎ込むので、稼げなくなるのです。下手だった頃の方が、収入が安定していた‥‥なんていう笑えない話も往々にして存在します。
私自身、描けば描くほど思い通りの原画に仕上がるという実感を手に入れた時期、その代償として「どん底」の生活をしていた事があります。述懐するに、その時期は「いつダメになってもおかしくない」状態で、色々な面が非常に不安定でした。しかし、強烈な「ハングリー精神」「開拓精神」はその頃に養ったのだ‥‥とも思います。本当に辛辣で皮肉な話‥‥です。
業界では「人材の空洞化」「新人育成の重要性」などの危機感が年々増している様に思いますが、わたし的には、現アニメ制作スタイルを維持したままで問題を解決するのは、おそらく無理だろう‥‥とも思っています。現アニメ制作スタイルが成立しているのは、まさに「今までの色々」ゆえの事でしょう。原画単価も動画単価も、予算の中から算出したものですが、単価を「喰える程度に」上げると(色々とやりくりをしても)どのみち予算が膨張します。電卓で計算すれば、リアルに数字で出ますよネ。
じゃあ、予算を上げてもらおう‥‥と考える訳ですが、売れるかどうか解らない未知数のテレビアニメ1話分に何千万円も出資するのは、自分を「お金を出す側」に置き換えて考えれば、ありえない事だと容易に想像できるでしょう。数千万の予算を注ぎ込んでも、それはあくまで「今まで貧乏だったのを普通のレベルに引き上げる」ためで、作品の出来そのものが大きく向上する訳ではないのですから、出資する側にとってはあまりにも旨味の無い話です。今までの3倍の予算を注ぎ込んだのに、何も代わり映えしない作品が出来上がったら、‥‥結果は目に見えています。だからといって、消費者サイドに「DVDの値段を3倍にします」なんて‥‥、これも結果は目に見えてますネ。
新人育成を叫ぶにも、これらの問題解決の糸口が見えていなければ、結局は「じゃあ、誰が金を出すの? どこからお金を持ってくるの?」という話に行き着き、頓挫する事は明白です。今のキャパでは、もうどうにもならないんじゃないかと思います。
「割る数」を小さくする〜人員規模を小さくすれば、作業あたりの単価を上げる事が可能です‥‥が、今の作り方じゃダメですよネ。人と時間とお金が沢山必要な、現アニメ制作の構造から抜け出ない限りは。
私は従来構造ゆえの「新しいものが作りずらい状況」から脱したい事もあり、「改善」のレベルではなく作業システムを「転換」する方法を考えています。アニメーターも色彩チームも美術チームも、依然として必要なスタッフですが、システム上での使い方と人数の規模が大幅に変わります。もちろん、演出・監督に求められる技能も大きく変わりますし、企画自体も「今までのアニメの企画」然としたものではNGです。
制作の構造を新しく作り直して、スタッフに必要充分なお金が行き渡るベースを形成した後で、ようやく「貧乏を強要しない」新人育成が可能になると考えています。
‥‥ただ、問題は、新人にハングリー精神をどのように植え付けるか‥‥というところです。技能が低くてもテキトーにお金が稼げる‥‥みたいな状況になっちゃっても、結局は破滅でしょうから。
自分の技能を上げれば稼げるようになる‥‥という状況を作るべき、言い換えれば「アニメ制作システムを再発明」する事が必要なんでしょうネ。
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ezura
美の仕掛け
品質の高い食材を用意する事は、美味しい料理を作る為の基盤になりますが、良い食材があれば無条件に美味しい料理が出来上がる訳ではありません。そんな事は誰でも解る「常識」ですが、他の事柄に置き換えると、案外見落としているものです。
「でもそこに、調理のテクニックが加われば」‥‥と考えるのですが、そもそも「どんな料理で人を魅了したいか」が不明瞭のまま、漠然と高価な食材を2つ3つ買っても、偶然でもない限り、食材の「適材適所」にうまくはまるとも思えません。
美味しい料理が出来上がるには、ちゃんと「からくり」〜総合的な「仕掛け」があるのです。
アニメ制作も同じで、良い原画、動画、ペイント、背景が揃ったところで、観る側の心を惹きつけるカットに「必ず」仕上がるかというと、そんな事はありません。そつなくまとまったカットにはできても、印象深く心に残るカットになるかどうかは、全く保証がありません。もし印象に残るとすれば、「動きが良かった」とか「表情が良かった」などの、局所的な記憶がほとんどです。
しかし実は、「食材を鍋にいれて無水調理」みたいな方法は、フィルム時代のテレビアニメからの「調理法」でした。ゆえに「メイン食材の旨味」‥‥つまりは原画のクオリティが重要視されてきた訳です。無水調理は、品質の高い道具と適切に扱う知識は必要ですが、調理法そのものは極めてシンプルですから、生産性の面でも有利だったのでしょう。
私は学生当時、アニメの原画マンを志していましたが、水彩・油彩の方面にもグラグラと揺れていました。原画作業の「線画部分だけ」という作業上の特性は、非常に局所的な絵の描き方になるのではないか‥‥と感じていましたが、その不安を遥かに凌駕するほどの「絵を動かす魅力」に惹かれていたので、アニメーターになったのです。
しかしアニメーターとしてキャリアを積んでいくと、既にアマチュア時代に感じていた「線画だけ」という絵・映像との関わり方に、閉塞感を感じる様になりました。特に「手薄」になりがちなエフェクト作画に、「線画オンリーゆえのアプローチの狭さ」を痛感していました。
「線画オンリーで物事を思考する事そのもの、つまりは、自らの『絵を作る仕掛け自体』に問題があるのではないか」と感じたのも、アニメーター時代でした。私がその時代に、カメラなどの光学方面に強い関心を持ったのも、「絵の要素はフィルム上で結像する」と言う事、「フィルムに絵が結像する仕掛け」を知る必然性にせまられたから‥‥でした。つまり、
フィルムに結像できるものは、観客に届く
フィルムに結像しない事は、やっても無駄
‥‥という事を悟った訳です。
原画に限らず各作業工程でも、フィルム結像に作用する要素を最大限に意識しなければならない‥‥という事を20代半ばで強く実感しました。原画作業のみに猛突進したところで、「フィルム上の絵の出来具合に作用する仕掛け」を意識していなければ、自身を無駄に消耗するだけ‥‥だと気付いたのです。
そんな実感をもとに研究を重ね、成果を過ぎ込んだのが「BLOOD劇場版」でした。‥‥が、ピックアップされていたのは「デジタル」絡みの事ばかりでした。現在の評価もそんなところじゃないかな‥‥と思います。作品内に「何かの仕掛け」が作用している事を見抜く人は少数でした。
もちろん、「美の仕掛け」を実現するには「デジタル」は必要不可欠だったのですが、「デジタルだけ」で仕掛け無しに完成した訳ではありません。ちゃんと「タネも仕掛けも」用意して作品制作をおこなったゆえの結果でした。
「仕掛け」というものは事前に仕込んでおくものです。しかし、「仕掛け」自体に無自覚・無認識ですと、「仕掛け無しにミラクルな事が『デジタル』だとできる」と思ってしまいます。この誤解は、最近特に多い様に思いますが、まさに「デジタルの悲劇」ですネ。知識の少ない人ほど「簡単にできる」と思い込むようで、3Dは特にその「被害」にあっているようにも思います。
でもまあ、仕掛けがあろうがなかろうが、結局はお客さんがどのように受け取るかという事につきます。自動販売機よろしくスタッフと技術を購入して「皿に盛るだけ」のような方法でも、今は「コンビニ」的な世情も反映してか、それでも「美味しい」と思う人もそこそこにいるんじゃないかと推測できます。仕掛けに凝りすぎて高価になりすぎても、お客さんは引いてしまうでしょう。
要は、コンビニ弁当か定食かセットメニューかコースディナーか‥‥を、ちゃんと見極めて作る事が肝要なのです。ただ、コンビニ弁当の方法でコースディナーは作れないし、仮に調理不要のレンジ解凍食材でコースディナーを作っても、お客さんは見抜くだろう‥‥という事を、覚悟した上で作らないとダメなのだと思います。
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ezura
2010/11/10 (水)
アピール度の低下
私はデジタルに移行してから、技術屋〜すなわちアニメ制作におけるアッセンブリやパーツの専門職として振る舞ってきた訳ですが、ここ数年、「商品本体」の「魅力の衰え」に強い危機感を抱いています。業界内のデジタル技術がこなれて全体の質が平均化された事も大きいのでしょうが、買う側にとっては単に「サプライズの少ない」商品になっている事に変わりありません。10年前のBlood劇場版の頃とは、状況が大きく変わっています。登場人物やストーリーに工夫を凝らすのは、実写作品でも同じ事。アニメで作る以上、アニメ作品ならではの「サプライズ」が問われていると思うのです。
危機感を抱くだけでは、物理面では何の変化も得られないので、何かしらの行動を起こす必要がある訳ですが、業界の状況を見ると「そんな事より、今が大事」とばかり、行動を起こす体力自体が無い状態です。現状維持の状態を崩さないように、当たり障りのない新要素だけを足す…のですから、作品上に大きな変化が表れないのもしょうがない事です。そのような映像内容の「小変更」に、ユーザの目はもう随分と馴れちゃったんじゃないのかな…と思います。
私は自費を投じて、色々な自己研究をおこなっていますが、それは映像内容に「大変更」をもたらす為のものです。しかし、現在の業界標準仕様の作品制作スタイルでは、活用できないものばかりです。思えば、攻殻ゲームのオープニングを作っていた頃の状況と良く似ています。作品作りの構造を大きく変えないと導入できない技術ばかりなので、簡単には実現できないのです。「新しい技術ができたので、明日から作り方をかえましょう」なんて、現場にとってみればとても受け入れられない、無理な話です。
作業体制は変えたくない(色々な理由で変えられない)けど、ユーザの関心を惹く新しいものは作りたい…。
まあ、難しいですよネ。作り方を変えるからこそ、今までとは違ったものが出来上がる…のですから。
「だったら、技術にテコいれしてみるか」と言った増強案も出てくるのですが、漠然と技術にお金をかけるだけでは、作品の魅力の向上には中々繋がりません。
作品全体の視点で「ユーザに対するアピール度」を考える際に、プラグインがどうとか色深度が12bitだとかは、ハッキリ言えば「カテゴリの違う」話題です。凡作のレンダリングを12bitにしたところで、どれだけお客さんにアピールできるのか?…まあ、考えるまでもない話です。「デジタルアニメ」の定番が(良くも悪くも)出来上がった現在、従来技術の完成度が増したり生産性が改善されたところで、作品のアピール度が大きく向上する訳ではないのです。
しかし、逆の視点でみると、新しい技術を知らないが故に、作品企画に「新しい息吹」を持ち込めないのも事実です。企画・発案の時点で従来の枠に収まっているのですから、他との差をアピールできなくて当然です。企画会議で「何か新しい作品を作ろう」と話し合ったところで、新しい技術に疎いのだから、実の伴わない虚しい空論に行き着くだけです。
つまり、技術者は「既存の概念からはみ出さない」中で技術を高めるだけだし、企画・計画をおこなう人間は「既存の要素からしか想像できない」という、絵に書いた様な「下降スパイラル」に落ちている状況です。「別の畑」の要素を導入したとしても、その活用法は単なる「トッピング」程度に終始するので、全体像は変えられないままです。
新しいものを作る為には、新企画を実現する新しい技術、新しい技術に触発されて生まれる新企画…という同時両方向のアプローチが必須なのです。
そんなこんなをここ数年考えていますが、もうそろそろ潮時、「動く時」なのかも知れません。15年前〜「自分のやりたい事はセル用紙の上ではできない」と決断した頃〜の様に。
幸い、Macをはじめとした映像制作システムは、15年前のソレとくらべて、非常に低価格化かつ高性能化しており、少数派の弱者にとって有利に作用します。
ただ、今足りないのは「人材」です。これも15年前と同じ。Mac/WinとAfter Effectsをメインに使うのは現在の撮影業務と同じですが、作業内容は天と地ほど大きく異なりますので、人材の転用が難しいのです。絵を作れる人間と絵を動かせる人間の両方が必要なのです。
*ちなみに、タイムシートの書式は激変するでしょうネ。紙の上でシートを書く行為自体が無くなるかも…。
年々、アニメ業界内部の衰退が危惧されていますが、私は新しいドクトリンに基づいたアニメ作品を作る事で、新天地を切り開きたいと思っています。…もしかしたら、同業者から「こんなのはアニメと認めない」と言われるかも知れませんが、あえて「アニメ」のジャンルにカテゴライズされる必要もないと考えています。私は、絵が動き、音が聞こえてくる「映像のお話」、すなわち「作品/商品」が作れれば良いのですから。
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ezura
2010/11/9 (火)
ProResの効能
QuickTimeの運用には結構なコツがいる‥‥と前に書いたのですが、コツを踏まえて気を使いながら運用したゆえの「収穫」は、それ相応のものがあります。特にProRes422, 4444を選択した場合は、運用の気づかいに見合うだけの見返りがあります。
ProResは10bitまたは12bitの色深度を持っているにも関わらず、高い圧縮効率ゆえに(フルHDとしては)非常に軽量な容量を実現しているのが特徴です。アニメの場合、ベタ面にグラデーションがかかる事が多い(パラやフレアだけでなく、フェードイン&アウトやディゾルブなどのトランジションでも)ので、色深度は大きいほどバンディング(トーンジャンプとも)のリスクが減ります。
*もちろん、ポスプロで不適切な減色をおこなった場合は、バンディング等の絵崩れが発生しますが‥‥。
高い圧縮効率と聞くと「少なからず、絵が壊れちゃうんじゃないの?」と思うのですが、適切なレンダリングをおこなえば、非圧縮画像にひけをとる事はありません。ロスレスのアニメーション圧縮QTや非圧縮のAVIに比べて、遥かに容量が小さく、Mac Pro相当のマシンならばリアルタイム再生も可能である上に、画質にもたっぷりとした余裕があります。Mac/Winの垣根さえなければ、ProResを積極的に使いたいところです。
ProResコーデックは、特に編集やグレーディングにその恩恵を得られます。かなり無茶なグレーディングをしても、ProRes4444ならば持ち堪える事が可能です。グラデーション部をディザ状にしなくても、バンディングを防ぐ事ができます。
ProResコーデックはおそらく、デジタルワークフローの統合的な視野で見ないと、その有用性が伝わり難いのだと思います。各々の作業セクション内でフォーマット・コーデックを制定しているレベルでは、ProResを使おうなんていう発想は生まれ難いです。私も素材作りからコンポジット、編集、グレーディングを兼任する事で、ようやく「なぜProResが出現したのか」と言う必然性が理解できる様になりました。理解を得る為には、WhitePaperだけでなく、作業からの実感が必要なのですネ。
WindowsでもProResが書き出せる様になると非常に楽なのですが、‥‥Apple的にはそれはやりたくないんだろうな‥‥。
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ezura
2010/11/8 (月)
UbuntuをDesktop版へ移行
EeePCのUbuntuをNetBook Remixから通常のDesktop版に入れ替えました。理由は、1024pxのモニタ解像度であれば、NetBook Remixでなくても充分使えそうだと言う事と、やはりMacOSXやiOS等に比べると使い勝手がいまいちだった事です。EeePCのトラックパッドの使い難さ(MacBookに比べると‥‥ですが)が悪い方向に作用した事もあります。当初、「モバイル風」なUIでUbuntuを使ってみても良いかも‥‥と考えていたのですが、そんなこんなで「小さなデスクトップ」的な運用に切り替えました。
1024pxだと、メニューが収まりきらないんじゃないかと思ってたのですが、実際に使ってみると、特に破綻している様には見えません。充分、使えそうです。画面上下にメニューやドックがあるスタイルは、やっぱり定番であるがゆえの「使い勝手の良さ」があります。定番を覆すUIを作るには、それ相応の総体的な取り組みが必要なんでしょう。
定番‥‥に関して言えば、例えば「GALAXY S」は外から内からiPhoneそっくりですが、スマートフォンの定番をiPhoneが広めてしまった以上、酷似してしまうのはしょうがない事かも知れませんネ。
でも折角、Apple以外のメーカーがスマートフォンを作るんだから、iPhoneとは違うデザイン(内外とも)にして、Appleを脅かしてほしかったとは思います。半ばコピー品のような内容で競合を脅かすのは、‥‥まあ、正直寂しいですね。
UbuntuのNetBook Remixは、EeePCのトラックパッドの操作性が邪魔して、色々と試す前に、使いこむ気が失せてしまった訳ですが、Desktop版にしてからは、ごく普通にストレスなく使っています。NetBook Remixを使う場合は、指先で(トラックパッド等を)タッチして制御する事を考慮して、ハードウェアUI性能の高いUMPCをチョイスする必要があるかも知れません。
また、Ubuntu10.xの具合が評判通りとても良いので、もっと高性能な「母体」が欲しくなって来ます。EeePCでこれだけ使えるんだから、i7とか4GBメモリとか1440px解像度だったら、さぞや‥‥と思わずにはいられません。実際、事務や会議(プレゼンとか)だったら、Ubuntuで充分イケそうに思います。
Linux系のOSって、ロースペックまたは旧式機をあてがわれる事が多いですが、Ubuntuは是非、現役標準マシンで使ってみたい‥‥と思っています。
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ezura
QuickTimeの運用
QuickTimeをファイル形式に選択した運用は、特にProRes・H264コーデックで幅広い知識が必要と経験になります。特に重要なのは「経験」のほうで、然るべき検査・検証フローを組まないと、とんでもない落とし穴が待ち受けています。
QuickTimeのガンマシフトやカラーシフトは、別にProResに始まった話ではなく、随分昔から騒動の的になっていました。After Effectsの「従来のガンマに合わせる」云々のオプションは、その騒動のあらわれ‥‥でしょう。ProResコーデックもちゃんと扱わないと、いとも簡単に落とし穴にズボっと落ちます。最悪、時間切れで抜け出せない事もあるかも知れません。
そんなQuickTimeをさらに「悩ましい存在」にしているのは、「Player」の存在です。QuickTime Player‥‥、まさに「迷走」と呼ぶにふさわしい混乱・不整合の根源です。QuickTime Player Xがリリースされてから、さらに問題が悪化しました。
ProResで書き出したQTファイルをPlayer7とPlayerXで再生すると、両者での再生時にガンマがズレます。Player7は正しく再生されますが、PlayerXではAfter Effectsの8bitモード時のようなガンマのずれが生じて、画面全体が暗くなります。
(Appleにとって)他社製のソフトウェアでの不具合ならともかく、自社製のQuickTime Playerで不具合が生じてしまうのは、内部的な混乱と呼んでも差し支えないでしょう。実際に使うユーザ側で、QuickTimeはガンマ&カラーの運用に最大限の注意を要する‥‥という事を知らないと、大混乱に陥る事と思います。
逆にそのへんの運用をわきまえていると、思いのほか、回避策を簡単に実行できます。
QuickTime周りは面倒でトラブルも発生しやすく、まあ正直、迷惑な状況‥‥ではありますが、プロスペックに耐え得る画質を有したフルHDサイズ・数兆色の動画ファイルで、(コツさえ解っていれば)運用の容易なフォーマットはQTくらいしか見当たらないのも事実です。数百万もする機材でないとまともに再生できないファイル&コーデックや、HDCAM等のテープ運用は、機材調達費・維持費・運用コストの点で比較するまでもありません。
ガンマシフトで騒がれる事の多いProResも、使い方をわきまえれば、非常に高画質かつ廉価、稼働性の高いフォーマットですから、QuickTimeをあーだこーだ言うよりも、運用のテクニックを身につけるべきだと思っております。
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ezura