IntegerQ GeoLog

メモ、覚え書き、もろもろ...

← 2011/11 →

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
My Yahoo!に追加 RSS
Counter

2011/11/27 (日)

プラモの箱絵と、雑感

前回、子供の頃にMe262のプラモデルを買った事を書きましたが、その箱絵を発見したので転載します。(本文さし絵がソレ)

1970年前後の旧い絵ですが、今見ても、かっこいいですネ。単にプラモデルの内容見本に留まらず、背後にストーリーを感じさせる箱絵です。まあ、旧い新しいなんて、優れたモノには関係ないのでしょうネ。

考えてみれば、私が今までアニメで実現したかったのは、こうした優れたボックスアートのように、1カットを「1枚の絵」として完成させる事だったのかも知れません。

プラモデルが辿った道のりを思い起こすと、色々と考えさせられるものがあります。

ガンプラがスケールモデルを駆逐したように、萌え路線が今までの豊富なアニメの作風を「結果的に」駆逐して、「萌えは興味ないけど、アニメは好きだった」層をどんどん手放しているのかも知れない‥‥と思う事があります。まあ、リサーチしたわけではないので、「かも知れない」レベルですけどネ。もしかしたら、プラモデルの時と同じ様に、アニメも、萌え路線のブームが去った後に大きく衰退するのかも‥‥と、考える事もあります。そのブームが去る経緯で、大津波の引き潮のごとく、ゴッソリとアニメ業界のリソースが海底の闇に引きずり込まれるように思われるのです。
*ちなみに、私は「萌え」そのものが悪であるとは思ってはおりません。「萌え」以外のものは全てダメ…みたいな風潮とそれにのっかる業界がイヤなだけです。

絵もストーリーも、既存の「売れ線」に準じるカタチとなり、どんどんバリエーションが狭くなっていますし、流れ作業で生み出される映像自体も「想像の域から脱し得ない」品質を繰り返しています。良くも悪くも「売れ線の縛り」が、作品の映像表現を「安定=凡庸」な内容に押しとどめているのです。凡庸な技術にあぐらをかいているうちに、どんどん開発能力=映像の独自性を損失していき、気付いた時には「刀がサビて切れ味を失っていた」なんて事も充分考えられます。

旧いプラモデルの箱絵を眺めていると、その当時の事ばかりではなく、その後から現在に至るまでの「いろいろ」が、脳裏をよぎります。



ちなみに、Me262は人気機種なので、今でも色々なメーカーから発売されています。
一番手軽なのはタミヤの1/100シリーズですが、その昔に組み立てた時は、Me262のプロポーション(特にキャノピーのあたり)がイマイチな感じがしました。

下は大きなサイズのハセガワのMe262。
この値段で出ると言う事は、旧金型ベースかな?

作成者 ezura

プラモデルの思い出

私が小学生の頃、オタクと言う言葉は存在せず、男の子はアニメやプラモデルを、ごく普通の楽しみの1つとして接していました。皆で自転車で模型屋さんに行き、思い思いのプラモデルを購入して組み立てて楽しんでいました。

自分のお小遣いで買った初めてのプラモデルは、レベル製の1/72のMe-262でした。小学2年生の頃、雨の日に傘をさして文房具屋に行き、Me-262の特に箱絵に惹かれて、一大決心をして購入した…と記憶しています。価格は100円でした。

自転車で遠乗りができるような歳になってからは、ダルマ屋模型店という在庫の豊富な店に行き、買える訳でもないプラモ(…まあ、小学生なんで、金などあるはずもない)を眺めては、ワクワクと想像を膨らませたものでした。

また、当時は松本零士ブームのはしりだった事もあり、「戦場まんがシリーズ」などで様々なミリタリーアイテムを間近に感じていました。漫画やプラモデルを見ながら、色々な絵を描いた事を思い出します。

なぜ、子供の頃、あれほどまでに惹き付けられたのか、完全には自己分析できてないのですが、少なくとも「単に造形がかっこいいだけ」という理由ではなく、実機の「向こう側」にある要素〜開発のストーリーとか搭乗員のドラマとか〜も含めて引き寄せられていたのだと思います。私が中学に進学した頃にいわゆる「ガンプラ」が出始めましたが、そんな理由ゆえに、どうにも馴染めませんでした。松本零士繋がりで「ヤマト」のプラモデルも作りはしましたが、「ひと夏」で冷めてしまいました。

実機のフォルムは、様々なしがらみというか、数多くの要因が寄り集まって形成されていますが、アニメのプラモデル(の元になったデザイン)は当然の事ながら空想の産物から脱し得ない(それが良さでもあるのですが)性質がフォルムに反映されています。小学校低学年の頃から実機のプラモデルに馴染んできた当時の私には、流行が移り変わろうとも、どうにも好きになれないものでした。

ガンプラも、もしかしたら、もっとハードなデザインだったら、好きになれたのかも知れませんが、当時のガンダム自体の持つ性質(玩具メーカーの影響)ゆえに、ディテールの「いちいち」が気になって、好きになれなかったのです。巨大ロボットがわざわざ巨大ライフルを手で持って撃つ…という事すら、滑稽に思えたのです。…今にして思うと、当時の私は「アニメとしては楽しんでいたけど、プラモデルとしては拒絶していた」のでしょうネ。
*ちなみに、プロになってから、ガンダムシリーズのイメージボードの依頼を受けた事がありますが、描き始めてすぐに手が止まってしまいました。巨大ロボットの兵法・用兵上の欠陥をどうしても拭いきれず、イメージの落としどころが見えなかったのです。ガンダムを撃破する絵は沢山思いつきましたが、活躍する絵は最後までイメージできませんでした。

私が一旦プラモデルから離れるのはその頃〜アニメのプラモがスケールモデルを駆逐し始めた頃で、アニメーターになって10年くらいしてようやくお金が安定してきた頃に、再度、軽いスタンスで付き合い始めて、現在に至ります。

最近、プラモデルは「オトナの趣味」のような扱いになっているようです。どうも、今の子供は作らないみたいですネ。まあ、100〜200円で買えるプラモデルが消え、何よりも街からプラモ屋さんが消えてしまったので、馴染めるはずもありませんネ。

思えば、昭和40年代〜1970年代の世情ありきで、私を含めた当時の子供たちはプラモデルに接したのでしょうから、現在は現在なりの世情が子供たちへ作用した結果、プラモデルから縁遠くなっているのでしょう。私の世代がどんな感慨を抱こうとも、今の子供らにはプラモデルは不要なのかも知れません。

ただ、私は「プラモデルを作りたくなる」ようなアニメーション作品を、近い未来に作れれば…と考えています。刺身のツマのような扱いのミリタリーではなく、「それでなくては、ならない」様な心に訴えかけるようなものを…です。まあ、今の画一的なアニメの作風では到底無理なんで、全く異なるスタンスでのぞむしかないでしょうネ。

私は単純にプラモデル本体のみが好きだった訳ではなく、箱絵(ボックスアート)や組立説明書も好きでした。説明書にある「実機について」の解説文は何度も読み返して、スペックを暗記してしまうほどでした。…まあ、そうなってくると、ちょっと一般的な子供とはズレはじめますかネ…。でもまあ、私にとっては楽しい読み物だったのです。

今はちまたの3Dモデルギャラリーが豊富です。ちょっと悪ノリして、某3DギャラリーからSu-17を拝借してポーズをつけて、背景は適当に作って、ハセガワの現行製品風な箱絵(この文のさし絵がソレ)を作ってみました。
*あくまでジョークで、このようなプラモは存在しません。

作成者 ezura

2011/11/21 (月)

StaedtlerとFaberCastell

日曜の朝日新聞(の別刷)で文房具特集をしていました。私は昔から、色鉛筆はファーバーカステルを愛用しておりまして(というか、たまたま使っていたのがソレ)、最近ではステッドラーのルモグラフを使い始めた事もあり、興味深く読ませて頂きました。

私自身としては、「画材でつべこべ言う前に、絵そのものが上手くないとお話にならん」と言うスタンスで絵と付き合ってきたので、ブランド文房具は「逆に敬遠」してきた経緯があります。1本150円もする鉛筆やセットで3000円もする色鉛筆を持っているのに、絵が下手なんて、カッコ悪いじゃないですか。…そういう「自戒の念」もあり、道具に「ブランド指向」を持ち込みたくなかったのです。

しかし、新しいアニメーション制作方式を自己研究していくうちに、鉛筆の描線に高い精度が不可欠な事が判明してくると、さすがに1ダースで400円の鉛筆では「役不足」だと実感するようになりました。私のニーズに適合するには、剛性と柔軟性のバランスが適度で、粒子が均質かつ細かく、濃度が一定である事が条件ですから、100円ショップで売っている様な「書ければ良い」というモノではダメなのです。絵筆の品質を鏡のように映し出す新しい技法では、相応の製品が必要なのです。

ステッドラーのルモグラフは、そうしたニーズに応えてくれます。製品そのものも、「ルモグラフのクオリティ、ここにあり」と言わんばかりの、「ブランドと言うよりはプライド」を感じさせる成りで、適正な対価を払いたくなるオーラを放っています。製品というのは、こうありたいものですネ。

まあ、今のアニメの原画作業には、ちょっとオーバースペックだとは思います。清書を他者(=動画)がおこなう原画行程の絵は、「元絵」であって「原稿」ではないので、鉛筆のクオリティにことさらに執着する必要はありません。‥‥それに2値化処理&150〜200dpiでは、ルモグラフが泣きます。

朝日の記事には他に「デジタルとアナログ」云々の記事も書いてありました。「デジタル原理主義」(朝日から引用)になりがちな時代に、アナログの要素を…というような話題ですネ。

ひと昔まえは、「アナログにどれだけ近づけるか」のような話題が多かったですし、その次は「何でもデジタルにする」ような話題に移り変わって、現在に至ります。その反動として「アナログ懐古趣味」のような流れも生まれてくるのでしょう。

ただ、私はアナログの使い方が「懐古」に陥るのは、絶対にイヤですね。古きを懐かしむのは隠居した人がやれば良いのです。懐古と温故は似て非なるものです。

私は「アナログの新しい使い方」を高いデジタル技術の土壌で実現しようと考えています。その為にも、ステッドラーやファーバーカステル、ミツビシやトンボ、ペンテルには、健在で居て欲しいのです。

作成者 ezura

2011/11/18 (金)

今更ながら、iPad、便利ス

iPadを常用するようになって1週間。iPadの便利さが身にしみて解ってきました。iPhone3GSの時は、すぐに限界を感じた(=3GS固有の能力の限界に加えて、私自身の「携帯嫌い」の特性も作用した故)のですが、iPadは不足をほとんど感じません。

まあ、モバイル用途ならMacBookもあるしで、最初から割り切って接していたのが良かったのかも知れませんし、軽量でバッテリーの持ちが良いのも好感の要因だと思います。

一番重宝しているのは、電子書籍です。といっても、ネットから購入したものではなく、蔵書をバラしてスキャンしたPDFです。iPadの軽量ボディに、何十冊も書籍が入るのは、今更ではありますが、やはり驚くべき事です。文庫や新書だけでなく、専門書やマニュアルも等しくiPadに収納できるので、非常に便利です。

ページをめくる処理も鑑賞に堪える処理速度ですし、文字も充分鮮明です。買い込んだものの読む暇のなかった専門的な書籍を、ちょっとした時間にどんどん読み進める事ができます。iPhoneじゃとても読む気にはなれませんでしたが、iPadなら(わたし的には)全く問題無しです。

自家電子書籍の作成は、なんといっても、スキャン時の設定です。使い始めの頃は、スキャンの設定も試行錯誤で、イマイチな出来のものも多かったのですが、コツを覚えてからは、軽量かつ奇麗な電子書籍を作れるようになりました。

こうなってくると、私が中学の頃から愛読している「世界の傑作機」を電子化したくなりますが、その類いの書籍は「本として一品もの」なので、バラす気にはなれません。毎号を2冊ずつ買って、1つをコレクション用、もう1つを電子書籍用にしたいところです。ただ歴史が長いシリーズだから、全部「もう1冊」なんて無理でしょうネ。

後は、、、出版元が電子書籍版も販売してくれるとありがたいのですが、…その辺、日本は色々と障壁が有りそうなので、あまり期待せずに待ちます。

作成者 ezura

2011/11/13 (日)

iPadのビデオ

今更なんですが、iPadのディスプレイって、かなり奇麗なんですね。色々と使い込んでみて、その美しさを実感しました。初代iPadも同じビデオ解像度なので(色味に若干の違いが見られるなどの情報もありますが)、とりたててiPad2だけの美しさではないようですネ。

iPad準拠の映像素材のビデオ設定は1280x720/H.264/10Mbpsで、私の常用するProRes4444の大体1/30となり、「いつものごとく、低ビットレートの品質にガッカリするのかな」と思っていたのですが、いやいや、かなり美麗で驚きました。

実は、iPadやNetBookで映像を見る機会は、以前にもあったのですが、その時はさして「奇麗」だとは思いませんでした。逆に、汚いとも思いませんでしたが、つまりは印象に残らるような品質では無かったのです。

しかし実際に自分で、高品位素材から生成したiPad準拠のm4vを再生したら、品質が予想以上に保たれているばかりか、720p素材をより一層美しく上映しているではありませんか。驚きとともに、過去のiPadに対する認識を一新しました。

以前に見た、iPadのビデオ品質の印象が残らなかった理由はおそらく、「もともとのマスターの品質がさほど高くない」「ダウンコンの際に然るべき最適化をおこなっていない」「ビットレートの設定が不適切」など、何かしらの理由により画質の低い映像ファイルを見たのが原因だったと思います。

iPadのポテンシャルを引き出す適切なムービーファイルを生成できれば、iPadのビデオ性能はちゃんと応えてくれるばかりか、品質をさらに上にブーストしてくれるのですネ。

iPadのビデオ設定は、iPhone4Sにも使えるようですが、iPhone4オンリーでの鑑賞の場合は、オーバースペックかも知れません。AppleTVの5Mbpsでも充分なような気がします。その辺はおいおい試してみようかと思っています。

作成者 ezura

2011/11/12 (土)

Compressorの売り方

MacOSXのAppStoreでCompressorというムービー変換&書き出し並列処理ソフトが、4,300円で売られています。私はFinalCutPro(以後FCP)を使い出したころから、Compressorにはお世話になっており、Compressorがあったお陰で救われた…なんていう事も少なからずありました。

FCPにバンドルされていた頃は、結果的に対象ユーザがある程度限定されていたため、「あるべき姿」で使われていたと思われますが、AppStoreで売られるようになり、製品のユーザレビューを読んでみたところ、その低い評価〜言うなれば「不適材不適所」ぶりにビックリしました。

ユーザ評の中には「使われ方が不適切な為、不当な評価に甘んじている」的な評価もありましたが、まさにその通りで、Appleの売り方がマズいゆえに、「使えないソフト」とまで言われています。単に「映像変換ソフト」として売っちゃあ、Compressorの評価なんて「フリーソフトで同じ事ができる」みたい言われて低くなる一方だと思うのです。

Compressorの一番の醍醐味は、クラスタによる同時処理です。マルチコアとハイパースレッディングを活用して、例えばiMacのi7・4コアですと、1つのムービーを8分割して同時に変換する事が可能です。8コアのMacProだと16スレッドによる同時処理が可能です。さらにはネットワークに存在するクラスタも活用して、速度を向上させる事もできます。

私はCompressorのクラスタ処理のお陰で、12時間くらいかかる変換作業が、2〜3時間で終わって、何とかイベントに間に合った事がありました。Compressorが無かったら、完全にOUTでした。

まあ、Appleの売り方が大問題なんだと思います。CompressorをAppStoreで購入できるようになったのは、入手しやすくて良い事かも知れませんが、もともとプロ仕様なソフトなのですから、ちゃんと「機能をアピール」しないと「イチゲンさん」は戸惑うばかりです。単に「iPhone動画変換ソフト」として買う人だって、今の売り方だったら存在するわけですから。…スクーター売場にレーサーバイクを置いて、「これ、凄く乗りにくいよ」と客に言われる様なものです。

多分、今後のAppleは、こうした「綻び」が徐々に多くなっていくんだろうなあ…と思いながら、Jobs時代を懐かしむのでありました。Jobs時代が痛快だったのは、買収した会社のソフトウェアをかけ算で飛躍的に面白くした事でした。今後のAppleが、足し算引き算しかできない会社にならない事を祈りつつ。

作成者 ezura

iPadとiPhone

2年間余、iPhone 3GSを使い続けてきたのですが、最近4Sが発売され、さらにはソフトバンクのキャンペーンにも押されて、機種変更に踏み切りました。同時に、基本使用料0円キャンペーン中のiPadも新規導入しました。

iPhoneは5まで待っても良いかと思ってはいたのですが、私はあまり携帯電話を駆使して生活するタイプでは無いですし、すっかり動作のトロくなった3GSを半年〜1年近く使い続けるのも「時間を無駄にする」ような気がしたので、4Sで良しという事にしました。

iPadに関しては、そろそろiPadやNetBookのような端末を用いたワークフローを試験し始めたい事もあり、重い腰を上げて、購入に至りました。私が仕事でiPadを使うには、サーバとサーバプログラムがセットなので、運用スタート時点からそれなりのシステムが無いと実行に移せなかったのですが、今後の動きに向けてそろそろ試験を始めようかと思っています。

以前にも書いた事ですが、私は今、コンピュータをプラットフォームとする制作システムを研究しておりまして、iPadやiPhoneなどのガジェットもそのシステムの一部として機能させようと目論んでいます。アナログ要素を含めた全ての要素を把握するために、アナログ情報とデジタル情報の「ブリッジ」が必要になりますが、「橋を渡す手段」としてiPadなどの端末を使うわけです。

ただ、私は人間を「表計算の奴隷」にはしたく無いので、例えば人の労力がExcelなどの入力に費やされる時間〜単純なデータ入力の為にマンパワーが浪費される構造は極力ゼロにしたいと考えています。ゆえに作業当初から計画されたシステムやツールが必要なのです。マンパワーはもっと違うところに使わねばネ。

iPadやiPhoneを制作システムで計画的に用いる事で、まず何よりも入力ミスなどの人災が抑制され、リアルタイムに情報が更新され、信頼できる情報サーバを用いたダイナミックな運用が可能になります。

現在のアニメ制作フローは「スタティック」な(=融通が利かず段取りが固着している)中で臨機応変な対応を迫られるため、「とんだ大回り」をする事も珍しくはありません。「高速道路だけを使う」思考から離れられないので、渋滞が起ると、諦めてノロノロ運転するか、とんでもない大回り(例えば、関越道の渋滞を避けるために、一旦外環に戻り、東北道から回る…みたいな)で回避するしかありません。

しかし、私の構想する制作フローは、デフォルトのひな形は存在するものの、各段取りは「入出力のクラス(種別)が適合する限り」どのような組み合わせもできます。ひな形を全くの白紙にして組み直す事も可能です。先ほどの例えで言うと、高速道路だけでなく、一般道も電車も飛行機も使うので、渋滞が発生すると予測できた段階で、「乗り換え案内」で何種類もの別ルートを選択できる…というわけです。つまり、必要に応じて拡張も縮小も自在な、極めて「ダイナミック」なフローなのです。

iPadやiPhoneと中央情報サーバが無かった時代は、フローがダイナミックだと追っかけがやりきれなくて簡単に破綻してしまったでしょう。しかし、今は違います。運用のアイデアとそれを実現する技術さえあれば、コンシューマ向けの安価な端末を用いて、ダイナミックなフローが実現できます。

大人数・大電力を消費してアニメ制作を続ける現在のスタイルではなく、少人数・省電力による新しい制作スタイルは、作り出す映像のユニークさに加えて、コストパフォーマンス面でもかなりの競争力を持つと考えています。

作成者 ezura

2011/11/10 (木)

GarageBandの魅力

私は音楽の覚え書きや、趣味の音楽演奏にGarageBandとLogicを使います。

特にGarageBandは「できる事に限界があるがゆえに、深入りしないで済む」点が気にいっていまして、軽いスタンスで用いています。しかし、その気になれば、機能的な制限はあるものの、結構「それらしい」音楽制作が可能で、あなどれないソフトでもあります。

で、ふとGarageBandをAppStoreで見ると、「1,300円」。しかも、同一アカウントならば、インストールするマシンの台数は無制限。…おそらく、音楽ソフトウェアで世界最強のコストパフォーマンスではないかと思われます。GarageBandは、デフォルトでかなりの数のソフトウェア音源とループ音源を装備していますし、UIの使いやすさも抜群な上、1,300円の低価格が決定打となり、GarageBandに比肩するソフトウェアは、今のところ思い浮かびません。もちろん、お金を積めばいくらでも…ですが、1,300円ですもんネ。

でもGarageBandって、ループプレイヤーのようなもんでしょ? …と思っている人は、GarageBandの機能をまだ色々と試していない人ですネ。GarageBandは普通にサンプリング音源付きシーケンサーにもなりますし、マルチトラックレコーダーにもなります。ギターをライン録りしてアンプシミュレーターを(録音後に)かませて、変幻自在なギタートラック録りも可能です。

例えばピアノ。デフォルトで、そこそこ奇麗な音のピアノ音色を有しています。以下はさっと短時間でステップ録音(て、今は呼ばないのかな?)した、超有名なピアノ曲です。ツメは甘いですが、参考程度に。



もっと遅い方が好みだとか、ルバートが深いほうが好きだとか、アーティキュレーション・デュナーミクの解釈が云々‥‥とか、有名曲ゆえ色々とあるでしょうが、まあサンプルと言う事でご容赦ください。

上記ムービーの演奏は、「GrandPiano on Stage」という音源を用い、ピアノロール入力でちくちくと入力、ベロシティ(音の強弱)とゲートタイム(音の長さ)を変更、ペダル(サスティンのコントロール)を入力、リバーブ(残響)をつけて、テンポルバートもこれまたちくちくと入力して…という感じで作りました。

…まあ、これから先の深みの部分、例えば打鍵の際のミリ秒単位のズレとか、右手と左手別々のルバートとか、ハーフペダルなど、GarageBandの「ピアノロール」では出来ない事も多いんですけど、少なくとも「この程度」ならササっと簡単に出来てしまうのです。
*ただ、エンハーモニックがテキトー(例えばCminorだと、Abと表記すべき音が、G#と表記されたり…など)なのは、紛らわしくてまいりますけどネ。

DSP関連も結構揃っていて、リバーブやエコーはもちろん、EQやコンプやリミッターなども何種類もあり、Macを買ったその日から音楽制作を楽しめます。

その昔、「アマチュアの言い訳」は「ろくな機材が無い」でしたが、もし2009年以降のMacを持っているのなら、その言い訳は通用しません。私はマルチトラック録音をオープンリール(20万円もした)から始めたクチですが、GarageBandの性能には驚くばかりです。正直、「今の若い人たちが羨ましい」です。…でもまあ逆に、環境が揃っていると、油断して機材・機能を使いこなせない…なんて事もあるんですけどネ。

GarageBandの話題って、あまり耳にしないのですが、Macを持っていて、かつ音楽好きだったら、「聴く側」オンリーではなく、たとえ趣味だとしても「作る側」のスタンスで音楽に接してみるのは、(映像のセンスを磨く上でも)良いものです。

作成者 ezura

2011/11/6 (日)

絵を描く事〜2

かなり昔の事、私がまだ20代前半でアニメーター歴が(学生時代のキャリアも含めて)7年くらいの頃、姪っ子に「絵を描いて」とお願いされた事がありました。原画作業にどっぷり浸かっていた私は、[原画は描けるんだけど、漠然とした『絵』は描けないなあ…]と内心困惑してしまいました。…と同時に、高校時代までは絵を描く事と原動画を描く事はさほど遠い事では無かったのに、今ではすっかり隔絶してしまったな…と、自分の変わり様に呆然としてしまいました。

自分が描いている絵=原画は、かなり特殊で限定的なものであって、アニメ業界から一歩外へ出ると、まるでツブしの利かないものなのかも知れない…と、非常に強い危機感を感じました。「原画は描けるけど、絵は作れない」というその当時の自分の状態を自覚し、「この状態で何十年先も続けていけるのか?」という不安が芽生えました。

「アニメーターの原画がどうのこうの」とか言う話題は、アニメファン・マニアの間では大きな話題ですが、映像作品全体からすれば、「シーン・カットがどれだけ深く観客の感情に訴えかけるか」ですから、ほんの1要素に過ぎません。しかし原画を描き続けていると、線画が絵の中心要素であるかのような錯覚に陥ります。当時の私の状態は、原画作業・アニメーターという役職に偏重し過ぎており、「絵を描く人」として評価した場合、とてもバランスの悪いものだったと思います。

線画を描いた後で、どんな色に塗られて、どのような場面が出来上がるのか、20代前半の私は、あきれるくらい野方図でした。線画さえ良ければ、動きさえよければ、それで良いというあまりにも狭い視野。…思い起こせば、私はアニメで絵を動かしたくて業界に入ってきたのに、いつのまにか、線画オンリーの視点に陥り、他の事は付随物くらいにしか受け取れないほど、原画以外の事に「鈍感」になっていました。

…そんなんじゃあ、絵なんて作れるわけ、無いよね。確かに原画作業は線画を描き上げれば、「原画作業上での絵を描く行程は完了」します。しかし、「絵全体・映像全体からみれば、まだスッカスカで余白だらけ」なのです。なのに原画を描き終えれば「出来上がった」と勘違いしがちです。

でもまあ、実はアニメ業界の制作フローが「アニメーターを原画至上主義に至らしめる」という現状もあります。スケジューリングを見れば一目瞭然。あからさまに原画至上主義・原画中央視点のスケジュールです。ゼロから絵を描き起こすという原画作業の重圧を鑑みても、如何にも偏り過ぎたバランスです。

私は高校時代からアニメ制作に従事し、今年で四半世紀(!)に達しようとしています。その中で、上に書いたような思い悩みも少なからず経験し、業界がハマッているぬかるみも客観的に認識できるようにもなりました。なので、絵を描く・動かすという核の部分を、まずは自分とその周辺から、取り組みかたを一新していきたいと思っています。

…業界を変えるべきだとか言う論調もあろうとは思いますが、自分の身の周りも改善できない人が、業界全体を改善できるとは思えません。2000年から2011年までを振り返ると、業界というのは自立制御して動くものではなく、流される様にして動くものだと言うのがハッキリ見て取れました。例えば、私がAfter Effectsで撮影業務を始めた頃は、多くがコアレタスを使っていたのに、いつのまにか、「After Effectsが基本・規則」のようなカタチになっていて、色々な会社の撮影仕様書を垣間みると、After Effects以外のソフトを使うのはNG!のようなガチガチな体制になっているし、で…ほとほと呆れてしまいます。「流されるまま流される」幻影のような集合体による改善を期待しているばかりでは、何も事は始まらないんじゃないかと思います。

私の新しい取り組みに関する研究は、フェイズ1・2を終了して、次の段階へ進んでいます。アニメ業界のインフラを必要とせず、驚くほどの少人数で進める事ができるので、エラー&リトライ・フィードバックによる技術的成長が著しいのが強みです。作画に関しては、新しいタップ形式(一般的にはスタンダードな形式)を採用しており、幅広い事務用品から機材の転用が可能です。

絵を描く事から発想すれば、実は従来の様々なしがらみや足枷から解放されます。思えば、「原画=絵」ではなく、「原画<絵」という事に気付いた、20代の頃の葛藤が、今に至るまで作用し続けているんだな…と思います。

作成者 ezura

2011/11/5 (土)

絵を描く事

私が2010年代のキーワードにしている大きな要素の1つに、「絵を描く」事があります。アニメだけでなく実写や3Dの作品と関わってきて、さらにはこの10年間のアニメ業界の変遷を目の当たりにした際、反って強く実感できたのが「絵を描く」と言う事です。

これは、「昔の、絵だけでアニメを作っていた頃に、戻りたい」という事では全くありません。むしろその逆です。絵だけでなく、実写や3Dの長所をどんどん取り入れるべきだと考えています。

しかしそれは、実写や3Dが絵の代わりになるという事ではありません。依然として、「絵を描く」行為はある種の「聖域」のまま存在し続ける事が、よくよく認識できたのです。

何度も書いている事ですが、「何かが、何かの代用品になる」という構造が存在するうちは、まだまだ技術的に未発達で幼いと言う事であり、つまりは結果物も「ポテンシャルを引き出せていない幼さ」を残すと言う事です。絵、3D、実写それぞれのアドバンテージをより加速させて作品造りに望むべきだと考えます。言わば、「映像表現の楽市楽座」のような形態です。

絵を描く事は他ジャンルでは真似できないユニークな表現手法ですが、考え違いしないように注意したいのは、絵を描く事は原画を描く事と同義ではないと言う事です。私が2010年代に確立したいのは、「絵を描いて動かす」基盤をコンピュータ上で構築すると言う事です。決して、コンピュータを使って原画を描く事〜紙と鉛筆の代用品にしたいわけではありません。私はこれからも紙と鉛筆を使い続けますが、それは道具として、紙と鉛筆が非常に優秀だからです。もちろん、タブレットも道具の一つとして使います。紙と鉛筆のスタイルを守るべきだ、とか、コンピュータでアニメを作るならタブレットだ、とか、思考を固着させるつもりはありません。手先の道具の話ではなく、絵を描く・動かす行為を、どのようにコンピュータ上で展開していくのかを問うているのです。

この辺の話は違う言い方だと、絵を描く当人が、「原画描き」なのか「絵描き」なのか、どのように定義しているのか…という事でもあります。

私が想い描いているのは、「絵を動かす絵描き」です。私自身、従来の原画作業を引き受ける場合は、原画マンに徹しますが、新たなアニメーション作品の絵を作る際は、別次元に脳内をシフトして描きます。技術云々以前に、価値観がまるで異なるので、同じ感覚で絵を描けないわけです。

私の考える新しいやり方は、まず何よりも描線の質が、従来の原画とは全く異なります。現状の原画の描き方では荒過ぎますし、レタス合わせの動画の描き方では表現力に欠けます。技術的には原画でも動画でも無い、新しい描線を実現する技術が必要となります。描線の品質は絵を描く当人が責任を持つ事になります。

私としては、絵を描くと言う行為に、よりナマナマしく近づけるので願ったり叶ったりですが、もしかしたら(というか確実に)「そんなの出来ねえ」と言う人々も続出すると考えています。しかし、私はそれで良いとも思っています。何故ならば、10年前に業界が一斉にフィルム撮影台を捨てたのと同じ現象は、二度とご免だからです。ユニークな手法でユニークな映像作品を生み出す一派…というカタチが好ましいと考えています。

後記:現在アニメで主流を占めている絵柄だと、レタス線が相応なような気もします。今の絵のままで描線を変えたところで、ほとんど効果がないでしょう。「アニメの絵を描く」と言う事が今までの路線を踏襲する事ならば、私が目指している絵は、「アニメ」から逸脱しているのかも知れません。

作成者 ezura

2011/11/4 (金)

雑感

私は4〜5年前くらいまでは、アニメ制作におけるコンピュータの活用を色々と模索していました。しかし極端なスケジュール圧縮や作業価格の急激な下落を目の当たりにして、急速にモチベーションが下降していきました。そうした流れの中、代用品という発想そのものが「その道具の能力を封じこめる」スタンスだと言う事に気付くに至ったのです。

紙と鉛筆で最大のポテンシャルを発揮するものを、わざわざコンピュータでボルテージダウンさせて作業する必要はありませんし、3Dにセル描きのまねごとをさせて、広範な能力を封じ込める必要も無い…と実感するようになりました。

もしコンピュータを使うのであれば、従来の技術を凌駕する「さま」を映像作品において提示しなければなりません。同等ではダメで、あくまで凌駕です。でなければ、「何のためにコンピュータを使ってるの?」と言う疑問が生じ、「コンピュータを使う意義」…つまり説得力に著しく欠けてしまいます。コンピュータを使っているから少々ショボいんだ…という言い訳をしているうちは、誰も認めてくれないように思います。

私がBLOOD劇場版2000やイノセンスなどの劇場作品で目標としてきたのは、「フィルムと同じ事ができるよ」ではなく、「フィルム撮影台を遥かに凌駕する表現が可能だよ」と言う事です。作画を紙ベースでおこなうという部分はそのままに、撮影技法を新しい次元へと刷新したかったのです。まあ、それは概ねうまくいきましたが、その後の展開は私の意図しない方向にどんどん流れていきました。その事については、ここでクドクドとは言うまい。

私が今、独自に(自腹で)研究している新しい制作方式は、今までのアニメ制作方式とは甚だしくかけ離れています。アニメーターの定義は確実に変異しますし、必要とされる能力も様変わりします。

なぜ、そのように様変わりするのか。答は簡単で、「コンピュータをプラットフォームにする」と、思考を根本から切り替えたからです。「従来の道具の代用品にするのでは無く」…です。「フィルム撮影台がプラットフォームだった過去」とハッキリと境界線を引き、「アニメーションを作るとは、どのような事か」を再定義…ジョブズ風に言えば、「再発明」しようと決断したからです。

じゃあ、タブレットで原画や背景を描くのか…というと、そうではありません。コンピュータをプラットフォームにすると言う事は、アナログ技法を拒否する事ではなく、逆にアナログの美点をヴォルテージいっぱいまで「デジタルのフィールドで加速」させる事でもある…と私は考えています。その辺りの事は、この10年でよくよく実感できました。

では、鉛筆を現在どれだけ上手く使っているかと振り返れば、現在の業界フローはレタス互換(=2値化)で鉛筆の表現力もへったくれもありません。動画の描線は絵を描くと言う行為と言うよりも、スキャンの為の前処理をしているような状態です。デジタルの都合でアナログの魅力を殺しているうちは、まだまだ発展途上の幼い段階と言えます。どんなに手のこんだ映像を見ても、描線がレタス線の時点で、私の目には「2000年代の過去の映像」に映ってしまいます。まあ2値化自体が、コンピュータの処理能力が著しく低かった頃に生み出された処理なので、過去の産物に見えてしまうのは仕方の無い事です。

しかし、アナログを含めた様々な要素がデジタル上で高次元に結実すると、アナログ以上に「生っぽい」感触になると私は考えていますし、…実際そのような結果が研究では出ております。デジタルを代用品ではなく、生粋の高品位な道具として高度な技術で用いると、逆に「手描きって最高!」だと実感できるのです。私が、2010年代で目標にしているのは、このあたりです。

ただ、現在私が、非常に警戒し、教訓としているは、10年前に業界が一斉にフィルムを捨てた現象です。

前にも書いた事ですが、伝統を継承する人々は絶対に必要だと思います。新しい技術が出たからと言って、皆で移行する必要はありません。昔の方が良いというファンだって大勢存在するでしょう。新しい技術はその技術の必然性を強く実感している人だけが使えば良いので、目先の目新しさで従来の技術を破棄するのは、全くもって愚かな行為だと思います。昔のアニメを作り続けたいのだったら、フィルム撮影台を捨てるべきではなかったのです。

…とまあ、こんなような雑感は、「デジタルアニメ」黎明期の12〜15年前であれば、単に自分の頭の中で巡るだけだったのですが、今はBlogやTwitter(私はTwitterにはとても手が回りませんが)でボヤけるので、ごく小規模ではありますが、自分の考えを人目にさらす事ができます。今の私の感覚は、12年前の「新しい標的をロックオンした」感覚とかなり近いものがあります。「確信」と言っても差し支えないです。…ここ数年、苦労した甲斐があったなあ…としみじみ思います。

作成者 ezura

2011/11/3 (木)

ミリタリーの扱い

私はミリタリー関連のメカが作中に登場する際には、大小の差こそあれ、「格」が必須だと思っています。違う言い方をすれば、賑やかしの浅はかな使い方ではなく、思慮深い使われ方がなされるべきだ‥‥と言う事です。

これは単に「歴史上のツジツマを合わせるべきだ」といった単純な発想とは違います。ツジツマは合っていた方がベストですが、要はそのメカ個々のもつ生い立ち・イメージをちゃんと活かすと言う事です。敵勢力を破壊・殲滅する目的で開発された「死の番人」たる「風格」が、どこかしらから匂うような使われ方が、私の好み…と言うか、接し方のポリシーなのです。

ですから、「有名なメカを出してハデにすれば良い」と言うような、テーマパークのパレードみたいな使い方は、それはもうゲンナリしていまいます。

私は演出をしないので、メカがどのような使われ方をするかは、他人にまかせる立場です。都合、メカを上手く使ってくれる人を信頼してきました。故わたなべぢゅんいちさん然り、北久保さん然り、そして押井さん然り、です。

Blood劇場版では、絵コンテ以前の段階で軍用機のチョイスが甘く、その点を北久保さんと相談して、機種を変えていきました。F-4、B-52だったのを、F-4C/D、F-105B、C-130、B-47へと機種変更し、「機種のチョイス」からも「どこからか死の匂いが世界を覆っている雰囲気」を表現してみたのです。F-4Cは、嘉手納の所属機がどこぞへの中継がてら横田に立ち寄っている‥‥というツジツマにして、登場させています。しかし、B-52はどうしても出したく無いと思っていたので、北久保さんと相談してB-47へと変更したのでした。

ラストカットで十字架のように見える爆撃機のシルエットが、B-52である必要があるかどうか、北久保さんと話し合った事を思い出します。結果、「B-52」ではなく「爆撃機」というキー、さらには「横田」と言うキーの方が重要だと言う事になり、B-47になりました。ベトナム・北爆‥‥というキーも重要でしたが、そこでB-52を出してしまったら、「横田」というリアル感を損なう事になっていたと思います。「素人はB-52がその時代の横田に駐留していない事なんて知らないよ」と言う人もいるかも知れませんが、私は「素人を騙せればそれで良い」なんて生理的にムリでした。

以前、架空戦記アニメの原画で、「ドイツ軍ポーランド進入」のカットを担当した事がありました。その時、絵コンテに描かれていたのは、事もあろうに、ティーガー‥‥。架空戦記だけれども、それはあまりにも無いんじゃないかと思い、「せめてIV号戦車の初期型を‥‥」と演出さんにかけあって、機種変更してもらいました。何か意味があってティーガーならともかく、「ドイツで戦車と言えば、思い出すのはタイガー戦車でしょ」という「およそ思慮を巡らせたとは思えない」素人誤摩化しの取り組みにより、大変な原画を描かされるのはご免だったのです。

アニメの呑気さ‥‥。例えば、12.7mmの機銃掃射なんて凶暴過ぎて、人間がまともに喰らったら、さっきまでそこに居た隣人が「お肉」になってしまう訳です。でも大体12.7mm機銃は、どんな軍用機にも搭載されている一般的な銃なので、アニメでの描写も凡庸です。まるで手持ち花火のような描写です。

そんな中にあって、押井さんのミリタリー描写は、「兵器の威力の実感」がとてもヘヴィーで、信頼できるのです。ミリタリーが登場しただけで「ゾクッ」とした緊張が走るのは、まさに押井さんがそのようにミリタリーを扱っているからに他なりません。ビジュアルエフェクトにしてみれば、ミリタリーカットにおいて、苦労して費やした効果が作品の魅力に直結するのですから、喜びもひとしおなのです。

3Dを手にする様になって、微妙なニュアンスの動きの表現が、軍用機・AFV(装甲戦闘車両)でも可能になってきました。After Effectsで臨場感を増強すれば、作画ではあきらめてきたシーン描写も、充分可能です。でも、そこで安易なミリタリー表現をしてしまうと、折角の3D技能も「素人ごまかし」の道具に転落してしまいます。例えば軍用機の飛行シーンで、セル時代のアニメよろしく、空背景をすごく速くスライドしたりとかネ。3Dで説得力のある造形が手に入ったのなら、背景のモーションなどのカメラワークも、相応に格好良くすべきでしょう。

まあ、解りやすく言えば、絵コンテ‥‥です。もちろん脚本の要素も大きいですが、絵コンテ・演出の段階で、ミリタリーは重くも軽くもなります。ロボットアニメの尺の感覚じゃあ、タマラんのです。私は以前、3秒で空母沈没とか、メチャクチャな尺で原画を描かされた事がありますが、ナミダが出るほど嫌でした。演出さんに内容は若干変えてもらったんですが、絵コンテでそうなってりゃあ‥‥、救えないですよネ。

わたし的には、ミリタリーの無駄使いはなるべく避けたいなあ‥‥と思っております。

作成者 ezura

2011/11/2 (水)

ソビエト機

私は旧ソビエト軍用機のデザインが何とも言えず好きです。もちろん、ドイツもアメリカもイギリスも、日本旧海軍・陸軍の飛行機も好きなのですが、ソビエト機の無骨なデザインも負けず劣らず好きです。ミグですとMIG-19,25、スホーイだとSu-9,11,15,17,24,25あたりです。特にスホーイ設計局のデザインが新旧ともに好きです。ただ、Su-27,35あたり(フランカーね)になると、ちょっと出来過ぎてて歯ごたえが足りない気がします。‥‥まあ、好みとしか言いようがないスね。

ここらへんのややマイナーな機種は、とにかくプラモが少ないので、最近では、ちまたの3Dモデルギャラリーで造形美を眺めています。

フリーの3Dモデルと3Dソフトがある、さらに空の画像もフリーで手に入らなくも無い‥‥となれば、動きとコンポジットをたしなむ私としては、「空を飛ばしたく」なります。以下。



上のSu-17の機番を見て、「3Dモデルの入手先はあそこだな」とすぐ解る人もいるかも知れませんネ。

3Dは某有名フリーソフトで動かしていますが、アニメーションに関しては中々の低機能で、上記ムービーの様に動かすには、結構コツが要ります。逆に言えば、コツに馴れて、After Effectsで臨場感を足せば、そこそこな感じの映像に仕上がります。上記ムービーはモーション付けから3Dレンダリング・After Effectsでのカメラワーク・エフェクト・QTレンダリングを含めて制作時間は3時間未満、もちろん、作業要員は私1人で、機材は自宅のMacProだけです。

気流を感じる動きや、急速な機動にカメラがちょい遅れるカメラワーク、露出の変化、フレアのアニメーションなど、現状のアニメ制作フロー(=技術レベルにバラつきのある複数の作業者を経由するフロー)では制御の難しい要素も、1人の人間が制御すれば平然とこなす事が可能です。仮に現状アニメ業界フロー内に限定して、タイムシートとPAN目盛りだけでこのような挙動を表現できる(つまり、指示通りに流れ作業で撮影して上手くいく)のは、かなり限られた人々(例えば磯さんとか)だけです。参考のムービーは4秒の他愛のない内容ですが、いざ、アニメ業界フローで同じ事をしようとすると、思い通りにならない事が多いです。

自分の好きなデザインのメカが、自分の思ったように動くのは、痛快で楽しいものです。新しいアニメーション制作フロー上でならば、その「楽しみ」は実際の作品に直接的に作用させる事が可能です。しかも、大所帯で足回りが重くならず、少数人数で軽快に制作できます。

あと、3Dで動かす話題で思い出すのは、アニメの場合「2コマ(12fps)にしないと馴染まない」とか、「アニメ風な描線と影付けにしないとシックリこない」などと言われがちな事です。しかし私が思うに、カット内容の発想からコンポジットに至るまで上手くコントロールできていれば、無理に3Dをセルアニメ風にしなくても絵作りは可能だと思っております。いつまでも「セルアニメの思考」で絵作りをスタートするから、3Dに違和感を感じるんじゃないでしょうか。頭の中で動いている絵がセルアニメなのに、出自の異なる3Dを使おうとするから、出来上がった際に「似て非なるモノ」になってしまうのです。頭の中で既に3Dの絵として動いてなければ、違和感はいつまでたっても払拭されません。パスタをだしつゆで煮て、「どうして、今一歩、うどんにならないんだ」と悩んでいるようなもんです。

つまりは3Dをセルの代用品にするんじゃなくて、新しい作風を「こんな味わいもアリだな」とお客さんに受けとってもらえば良いだけの話です。

‥‥で、例の3Dモデルギャラリーですが、Su-17やSu-9はあるものの、Su-15などは無くて、やはりソビエト機はラインアップに偏りがあります。モデルを作ってくれる人々の「胸一つ」ですから、Su-9があるだけありがたいんですけども。さすがに、Su-27フランカー系列はいっぱいあるんですけどネ。

作成者 ezura

2011/11/1 (火)

HDD、高騰

タイの水害で、3.5インチのHDDがほぼ2倍の価格まで高騰しております。WD(ウェスタンデジタル)の製造拠点がタイにあったらしく、工場が直接の被害にあった‥‥と、ニュースは伝えております。

バックアップ用HDDの調達目的で、のほほんとWebショップを覗いてみたところ、見慣れた型番のHDDがありえない価格で表示されているのを見て、異常事態に気がついた次第です。ついこの間まで6000円だったモデルが今では12000円越えです。

よって急遽計画を変更し、既存のHDDの残量に分配してバックアップする事にしました。私の場合、今すぐどうしても必要な物では無かったので特に問題は生じていませんが、打撃を受ける人々も多いのではと思われます。

しかしまあ、今年は「物流安泰」「インフラ安泰」の神話崩壊の年となりそうです。電気、ガソリン、電池、水、etc......。あって当たり前、さらには安くて当たり前という感覚に浸り過ぎた人々(もちろん、私も含む)に対し、強烈な平手打ちがカマされた年だった‥‥と、後になって述懐するかも知れませんネ。台風で木が倒れて電線を切断すれば停電になりますし、震災で固定&携帯電話の通話が役に立たなかった事も記憶に新しいです。日頃から皆、大小の差こそあれ、「インフラありきの生活」をしているわけで、基盤にヒビが入る事の怖さを実感したと思うのです。

言い換えれば、今までの基盤〜インフラへの疑心が芽生えた年‥‥ともなるかも知れません。

インフラへの疑心‥‥。私の身の回りに置き換えて考えると、似た様な疑心は随分前から芽生えていました。アニメがゴールデンタイムに放送されていた前世紀と、同じ(か、マイナーチェンジによる)様式・技法でアニメを作り続ける事への疑問です。つまり、アニメ業界インフラの「未来への適応」に対する疑心です。

あくまで私個人の考え‥‥ですが、今までのアニメ制作の流儀とは根本的に異なった、全く新しいインフラを整備して、アニメーション作品を作りたいと考えています。これは今までの要素をバラして組み直す制作フローの再構築ではなく、企画・脚本・演出・作画・美術・色彩・コンポジット・編集など全ての要素に対する「新定義」です。違う言い方ですと、「今までの常識との決別」とでも言いましょうか。こうした考えが単に机上の空論なら「妄想」で終わるんですけど、実際に実現可能な事が解ったのが、私にとっての2011年です。

今年は震災によって、今まで「鉄壁」と思われていたモノに、大きなヒビが入った年です。まさかガソリンスタンドやスーパーマーケットが、「あんな風になる」なんて思ってもみなかったでしょう。

私の生まれる前から存在していたテレビアニメ(と同手法のアニメ)も、この先の未来、いつまでも「鉄壁」であるとは限らないな‥‥と、ふと、HDDの高騰ぶりから連想してしまうのです。「今までの事」がこの先、何十年も同じ様に続く保証はどこにもありません。恐らく、「興亡」のサイクルからは、何事も逃れる事はできないように思います。

作成者 ezura
前の記事  |  次の記事