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2011/11/27 (日)

プラモの箱絵と、雑感

前回、子供の頃にMe262のプラモデルを買った事を書きましたが、その箱絵を発見したので転載します。(本文さし絵がソレ)

1970年前後の旧い絵ですが、今見ても、かっこいいですネ。単にプラモデルの内容見本に留まらず、背後にストーリーを感じさせる箱絵です。まあ、旧い新しいなんて、優れたモノには関係ないのでしょうネ。

考えてみれば、私が今までアニメで実現したかったのは、こうした優れたボックスアートのように、1カットを「1枚の絵」として完成させる事だったのかも知れません。

プラモデルが辿った道のりを思い起こすと、色々と考えさせられるものがあります。

ガンプラがスケールモデルを駆逐したように、萌え路線が今までの豊富なアニメの作風を「結果的に」駆逐して、「萌えは興味ないけど、アニメは好きだった」層をどんどん手放しているのかも知れない‥‥と思う事があります。まあ、リサーチしたわけではないので、「かも知れない」レベルですけどネ。もしかしたら、プラモデルの時と同じ様に、アニメも、萌え路線のブームが去った後に大きく衰退するのかも‥‥と、考える事もあります。そのブームが去る経緯で、大津波の引き潮のごとく、ゴッソリとアニメ業界のリソースが海底の闇に引きずり込まれるように思われるのです。
*ちなみに、私は「萌え」そのものが悪であるとは思ってはおりません。「萌え」以外のものは全てダメ…みたいな風潮とそれにのっかる業界がイヤなだけです。

絵もストーリーも、既存の「売れ線」に準じるカタチとなり、どんどんバリエーションが狭くなっていますし、流れ作業で生み出される映像自体も「想像の域から脱し得ない」品質を繰り返しています。良くも悪くも「売れ線の縛り」が、作品の映像表現を「安定=凡庸」な内容に押しとどめているのです。凡庸な技術にあぐらをかいているうちに、どんどん開発能力=映像の独自性を損失していき、気付いた時には「刀がサビて切れ味を失っていた」なんて事も充分考えられます。

旧いプラモデルの箱絵を眺めていると、その当時の事ばかりではなく、その後から現在に至るまでの「いろいろ」が、脳裏をよぎります。



ちなみに、Me262は人気機種なので、今でも色々なメーカーから発売されています。
一番手軽なのはタミヤの1/100シリーズですが、その昔に組み立てた時は、Me262のプロポーション(特にキャノピーのあたり)がイマイチな感じがしました。

下は大きなサイズのハセガワのMe262。
この値段で出ると言う事は、旧金型ベースかな?

作成者 ezura