6月号の「ともしび」(教研から出されている冊子) 「親鸞を流罪にした私の罪」武田さんの講演の抄録ですが、おもしろかったです。
親鸞をアイドル化しているんじゃないか、というお話。 私にすればむしろカリスマ化しているんじゃないかと思えます。
「親鸞だったら」「いま、親鸞がいたら」 そんな発言多くないですか? 「寄らば大樹の陰」なのか、自分の考えはないのかしら。
先日の「女性会議」で、「坊守章」のことが話題になり、ケンケンガクガク、 終わりのない討論がされていました。(私は早々に抜けましたが)
「坊守」ではない方には関心のない話ですが、坊守の位置づけがいろいろと 変わったことで、この「坊守章」の意味合いも変わって来ました。
今は、願事礼金¥15000を添えて、依用許可手続きを出願することで、着けられます。 しかしながら、坊守条例では坊守も得度をすることが奨励されていて、 得度をすれば間衣輪袈裟を依用するわけで、なんだか変なことになっています。
坊守大会などでは坊守章をつけた人、間衣の人が入り交ざっていました。 だから、どちらにせよ、着けたい人が着ければいいと思うのですが、 先日の組の坊守会の案内に、聞法の時は「坊守章」を着けましょう、 という一文が書かれてありました。
人間て、「みんな同じ」が好きですよね。 お揃いの輪袈裟を作ったり。
生まれながらのあまのじゃく性がムクムク起き上がってきて、 同調する気にはなれない。 さて、私はどうするか?