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hikkenさんが紹介されたサイトより ・・・
・・・「教信行証」は従因向果です。私が教えを信じて、たくさんの行を積む、それによって結果を得る。因から果ということです。しかし南無阿弥陀仏はそうではありません。儀式もまた、そうではありません。従果向因という形になっています。
従果向因ということは例えば職人の技術や芸能の身に着け方などもそういう形になっています。最初は理屈は教えられません。私たちの持っている理屈にあわないこともあります。しかしそれをいえば叱られます。
戦後の民主主義の教育の今は、自分の意見を言うのは当り前になっていますが、それは良い面だけでなく弊害もあります。どうしても従因向果になってしまいやすいのです。
間違っていてもまず黙って聞いてみる。ある意味では聞法においてもそういうことは必要なのかもしれません。形として、すでに完成したものとして与えられているということです。
自分の視点からは間違って見えても、その全体像が分かったときには、その合理性もわかるのです。仏教を学ぶときにはやはり、自分がこう思うということだけを言っていては聞法にはならないでしょう。
やはり聴き続けるしかありません。
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 10:08
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 10:10
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 10:36
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 10:56
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 14:00
投稿者 らん : 2012年2月19日(日) 15:52
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 18:16
投稿者 hikken : 2012年2月19日(日) 19:38