松代、無言館研修の一日目は、東京からずっと雨。松代でのフィールドワーク中も雨。風もあるせいかほんとに冷たかった。松代の国民宿舎に着いてから、会議もやったのですが、暖かくて眠気が襲ってきます。食事前にお風呂に入ったのですが、鉄分の多い茶色の温泉。でも、これで冷え切った体は温まりました。
さて、松代の象山地下壕。簡単に説明しておくと、先の戦争の末期、軍部は本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに大本営と政府各省を松代に移すという計画のもと、松代にある三つの山の下に地下壕を掘りました。
着工は1944年11月11日午前11時。翌45年8月15日まで、約9ヶ月の間に、当時の金で2億円の巨費と延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員されました。当時のことですから食糧事情も悪く、工法も旧式なため、多くの犠牲者が出たといわれています。
しかし、完成する前に敗戦となり、長い間、放置されていました。それを松代の高校生が沖縄に修学旅行に行き、改めてこの地下壕のことを学び直し、1989年に歴史的遺跡として見学できるように整備されたそうです。
なぜ沖縄かというと、この地下壕が完成し、遷都されるまで、何とか沖縄で持ちこたえるよう、沖縄が盾になったわけです。結局、その前に敗戦になったのですが、改めて沖縄の犠牲の上に今の日本があるということがわかります。
さて、中に入ってみると、碁盤の目のように通路と、部屋部分が掘られています。ところどころに削岩用のロッドやその跡が残っています。 象山の近くの舞鶴山の山腹には、天皇たちを非難させるための御座所が、鉄筋コンクリートの建物と地下壕で作られました。そこは現在気象庁の地震観測所になっています。
翌26日は、上田にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」へ。薄日は差しているものの雪が舞っていました。圧倒的な絵の量と亡くなっていった画学生たちの手紙などが展示されていて、胸が締め付けられる思いでした。
戦争について改めて考える寒い研修会でしたが、梅や木蓮、レンギョウ、雪柳などの早春の花に慰められました。今こうして平和に暮らしていることに感謝です。