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見られないミステリー
連続ドラマを最後まで見終えたのは果たしていつだったろうか。しばらく日本に住んでいないこともあるけれど、日本に帰っている時期でも昔ほど見る気がしなくなったのはそれだけ嗜好が変わったのだろうし、他に没頭したいことができたこともあるし、興味自体がテレビから離れていった。 しかし、私のように日本に住んでいるときはドラマをほとんど見ることがなくても、外国生活が長くなると日本が恋しくなることもあり、インターネットを通じてドラマを見始める人は少なくない。それでも私は「今このドラマが日本で人気があるらしい」と言う話を聞いても、わざわざインターネットで検索して見る気にはなれなかった。アフリカでインターネットで動画を見たくてもダウンロードにかかる時間は長いし、一度見始めてしまうと続きを見るのが面倒だったから。 そんな先日、私はインターネットである連続ドラマに関する記事を読んでいたら、少し興味が湧いてしまった。そこで初回の話の動画を再生しようとしたら、回線の調子が良いのか、すいすい見ることができた。 衝撃的な場面から始まるこのドラマは、謎が謎を呼ぶミステリーものだ。あっという間に第一回目を見終え、私は第二話目にアクセスした。話はさらに謎が深まっていき、もちろん第三話目も見る気満々だったが、こういう数少ない生活の楽しみを早く終わらせてしまうのはもったいない。私は「一日一話」と決め、夜の楽しみにしようと決めた ところが、翌日アクセスすると動画が最初の数秒で止まってしまい、進まない。その日は結局続きを見ることができなくなった。 その翌日も翌々日もアクセスしたが見られない。そんな状態が一週間続いたので「あの日は特別に見られただけなのか・・」と残念に思った。こんなことならば、あの日に一気に見ておくべきだった。連続ドラマで、ミステリーものだから尚更続きが気になる。 続きを見るのを諦めかけていた最近、もう一度アクセスしてみることにしたら、今夜は見られるではないか。私はこの機会を逃してなるものかと見続けた。真夜中を過ぎて眠くなってきたけれど、このミステリーの真相が解明されるまでは見続けたかった。そうでなければまた何週間も待つことになりかねない。 結局、午前3時をまわってしまい、久しぶりに平日にこんな時間まで起きてしまった。完結を見届け、私はすっきりして眠りについたのだった。 こんな状況だから、もう下手にドラマを見るのはやめよう。その点、本はいつでも必ず読めるので楽なものだ。今の私にお勧めドラマの題名など教えないでもらいたい。
ブッシュからの便り
夜の11時になってもまだメール上で議論が続いている。スーダンとの国境近くの地域で我が組織は食料や物資を貯蔵するための施設建設作業に取り掛かっており、国内外から職員たちが現場に駆けつけている。 その現場から帰ってきたある職員はひげをたくわえており、汚い格好に汚いバックパックをかついでいた。私たちの用語で地方に出張に行ったときは「ブッシュ(茂み)から、こんにちは!」などとメールを送ってくる。 そのブッシュで数週間働いていた職員は体もやせていた。「何せまともな食べ物がないからね。食べられるものはせいぜい芋とかで、嫌になってしまうよ。ジュバから来た出張者にツナ缶とかを持ってきてもらったのだけれど泣きながら食べたねえ・・」と言う。 「とにかく道具が届かないことには何もできないんだ!」と、現場からメールで私たちの部署に依頼が来る。現地で工事をするためのまともな道具は何一つ手に入らないし、熟練工もほとんどいない。ジュバで道具をかき集めるだけ集めて飛行機で送り、現地にいる者だけで何とか完成させることが必要とされている。さすがにこうなると男ばかりが送り込まれ、現場には女性の姿はない。そもそも先日は空爆で辺りが爆破されていたような所なので女性は送りにくい所だろうが。 というわけで、何とか後方支援をしようと今週は多少は高くついても道具をできるだけ購入してきたが、めでたく明日には全てが揃うことになった。その詳細リストを現場に張り付く職員たちに送ったら「よっしゃーー。これで仕事ができるぞ!」とメール上からはしゃぎ声が聞こえてくるようだ。緊張感が張りつめる中でやるのは大変だろうが、なかなか味わえない環境の中でゾクゾクしてもいるのではないだろうか。 先進国から見ればジュバは「現場の最先端」とも見られるかもしれない。私もまた、住んでいたナイロビやダカールやヤウンデと比べてみては、ジュバでの緊迫感は一味違うことを感じている。町を歩く兵士たち、走る車の数台に一台は援助関係者なのではないかと思うほどの援助車の多さを見ても「現場だな」と思う。 それでも私の生活では食事も数種類の野菜が食べられるし、昼食のビュッフェには魚のフライなども出される。パンもジャムも、炭酸飲料もビールも、ソーセージも卵も手に入る。国境付近に比べればジュバは天国だろう。 今はジュバでの仕事に手いっぱいだが、そのうち私も「ブッシュ」を訪ねたい。私は最初からツナ缶を持って行くつもりだが。
歴史と共に
先週末のこと、私は塩野七生による「ローマ人の物語」全43巻を読み終えた。思えば当時住んでいたローマの職場の図書コーナーで初めてこの本と出会ってから4年近くが経ち、一年に一度のペースで新たな章が単行本版として発売されていたが、それも昨年で終了し、私は最後の章の3冊を1月の帰国時に購入していたのだった。ジュバに来て、先日からようやく落ち着いて本を読む気になったので一気に読破してしまった。 この本は古代ローマが始まって、西ローマ帝国が滅亡するまでの約1250年近くを書いた大長編だったが、私も何度も同じ巻を読み返したりしながら、この長編と共にあしかけ4年もローマ帝国に付き合い続けたことになる。一生にこれだけの長編を他に読み終えることはあるだろうか。 さて、「ローマ帝国の死を看取った」後は、今度は800ページ近くもある、アフリカ諸国の独立前から現代までを網羅した本(英文)を手に取った。これは先日ナイロビの本屋に行ったときに「アフリカのことを知りたければ、他の本には目もくれずにまずこれを読みなさい。それでも物足りなければ他に手を出せばいい」と店員に一押しされた本だった。 知らない単語も多いし、しっかり理解しようと思うと途中でつまってしまい、もう一度同じページを読み直したりしているので時間はかかっているが、急いで読む必要なんてない。ゆっくりしたペースで一ページずつかみしめて読んでいる。 こうしてローマ帝国や、アフリカの歴史を読んでいくと、自然と行間にある人々のドラマを想像してしまう。わずか10字から20字程度で書かれている一つの出来事の背景には実に多くの人々の迷いや悲哀や喜びがあったのだろうな。そんな彼らも今のこの世には誰一人としてもういない。 このように長く、複雑な国々の歴史に比べれば私がこれまで生きて、経験してきた年数など大したことのないようにも思える。それでも、ふと自分なりに思い起こしてみると、実に多くのドラマが自分の中で繰り広げられてきたことを感じる。 今でも日々のように小さな喜怒哀楽がある。後々になって振り返れば、それこそ10字にも満たない出来事ばかりだろう。小さなことだけれど、一つ一つを大事にしていきたい。そして、痛い思いを引きずりそうになったら、過去の辛いことも結局は何とかなり、今はこうして平気で生きていることを思って振り払うようにしていきたい。 小さな歴史だけれど、このブログも書き始めてから7年半。たまに過去の出来事を読み返して行間にある思い出をすくっては懐かしがっている。
国境を越えて
その女性が私のオフィスに入っただけで雰囲気が変わるような快活さを持った人だった。私たちは縦2メートル、幅3メートル近くにも及ぶ大きなステッカーを注文したのだが、念のために見本品として一枚持ってきてもらうことにしたのだった。印刷会社で働くその若い女性はそのステッカーを抱えて持ってきてくれた。 私がその見本の印刷具合を眺め、問題ないかどうか確かめている間にも彼女はずっとにこにこしながら私の質問にも答えていた。これほど愛想が良い人だと接しているだけで楽しくなる。 「ところで、あなたはどこの国の人なのですか」と彼女が尋ねるので、私が「日本人です」と言うと、「へえ、そうは見えませんね」と言われてしまう。中国人に思われたのだろうか・・。 お返しに「あなたは南スーダン人なのですか」と私は聞いた。「そうですよ!」と元気に言う彼女に「南スーダンで育ったの!?」と私は尋ねた。「いえ、生まれてから数年前までずっとウガンダで育ちました」と言う彼女。 そうだろうなと思った。こう言ってはなんだが「南スーダンで育ってここまで英語が流暢で、さらにこの天真爛漫な性格ができあがるのだろうか」と感じていたから。私の印象では南スーダン人の女性は物静かな人が多く、対してウガンダ人たちは本当に元気だ。 彼女の両親は二人とも南スーダン人だがウガンダに移住している。彼女も南スーダンとウガンダの国籍は持っているが、人格はもうウガンダ人なのだろう。数年前にジュバに初めて来たときは「怖くて動けなかった」と言う彼女。せいぜい数百キロしか離れていないだけで人は本当に違う。アフリカの複雑さと言うか・・。 石油会社に勤めるインド人が私のオフィスを訪ねてくれた。偉い立場にある人だがTシャツにジーパンと言う格好で、これまたとても愛想のある人だった。私が「燃料がなくなると私たちのスタッフは我を忘れたようにパニックになるので、今後とも供給してください」と伝えると、ケニア在住で出張中のこの人は「そりゃあ私もパニックになるよ。石油がなくなったら怖いから石油会社で働いているようなものだよ!」と大笑いする。なんとも陽気な人だ。 「ところで、あなたはケニア・インド人ですか」と私は尋ねた。ケニアにはそこで生まれ育ったインド人が多いので。しかし「いや、私は生まれも育ちもインド育ちの、ピュアーなインド人だよ」と彼は答えた。「ピュアー」を妙に強調するのが面白い。 「そんな君はピュアーな日本人なのかい」と尋ねる彼に私は少しだけ考えて言った。 「ちょっと不純物が混じっているかな」と。
私の最重要任務
4年もジュバに住んでいると、いつ蚊が出てくるかも的確に分かるようになるようだ。大の蚊嫌いのVさんは、一匹でも部屋に蚊がいると退治するまで眠らない。そんなジュバ在住歴4年のVさんが最も珍重するものは日本製の蚊を退治するスプレーで、ある日本人から譲り受けたときにその効果に感動したとか。 そんなVさんと話したのはバーベキューをしていた数週間前だった。「今晩はこうやって外で過ごせるけれど、あと2週間もすれば蚊が飛び出すから屋内で過ごすことが多くなるよ」と言った。 まさにその通りとなった。ジュバに雨が降り出すようになったのは4月の末辺りだったが、蚊は現れなかった。先週になって初めて蚊が部屋に飛び出すようになり、それ以降は毎日のように目にする。 それだからか、先週は二人の職員が私のオフィスを直接訪ねて来て「注文した蚊帳はどうなっているのか!?」と聞いてきた。蚊帳を購入する計画など私は知らないが、どうやら職員が居住する住居内の蚊帳や窓につける網に穴が開いているため、蚊に刺されている人が出始めたとか。そこで調達担当の私に新しい蚊帳を購入する指令がどこからか出たらしい。 「私たちの部署では暗黙のマラリア休暇を計算に入れています」と、ある職員が冗談交じりに言う。例えば年に一人の職員が30日間の有給休暇を取るとしようか。それを調整する中でマラリアのために誰かが病欠をすることまで計算に入れると言う。つまり30日間プラスアルファの想定をするわけだ。まあ、マラリアに限らず病欠はある程度想定しなければならないが、ここではマラリアはまるで足に擦り傷を負うような頻度で職員を襲うため、特にマラリアが目立ってしまう。 「蚊帳を新調することはあなたたちの最重要任務です!みんながマラリアにかかったらオフィスそのものが機能しなくなるのですからね!」と総務担当が笑いながら私に叫ぶ。早速、私たちは見積もり額を各業者に依頼することにした。 私も部屋の中では冷房をかけ、殺虫スプレーを使い、なるべく蚊を弱まらせようとしているが、気が付けばブーンと飛んでいる姿を目にし、足を中心にいつの間にか刺されている。これから半年以上もマラリアをもたらす蚊たちとの格闘が続くのかと思うとうんざりする。 本を読んだりしながらのんびり過ごした週末。蚊ごときに貴重な今後の週末をつぶされないように、気をつけたいものだ。
両立させる困難
私が所属する「国連機関・調達グループ」だが、この2週間ほどでだいぶ協力体制ができてきた。とは言っても私の組織を始め、5つの国連機関のメンバーだけではあるけれど、私が参加し始めて最初の数週間に比べれば具体的な形となってきた。 そんな中心メンバーたちと話していたら、5名中3名もがMBA(経営管理学修士)の通信教育コースを受講していることが分かった。仕事をしながらでも通信教育ならば修士が取れるのは魅力だが、同時並行でやっていくのは大変だろう。 私を含めた多くの人たちが「ジュバに住めば大した娯楽もないから仕事以外にすることもなく、勉強に打ち込むことができるだろう」と思って赴任する。このメンバーたちもこの機会にとキャリアアップや自己研さんを目指して通信教育を始めることを決めた。 ところが南スーダンは俄然ホットな場所になってしまったため、多くの国連職員は仕事量の多さと複雑さ、難解さに四苦八苦している。特にスーダンから大量の帰還民が押し寄せてきている昨今では、人道援助に携わる多くの職員は「グループワークどころではない」と感じているのも事実だ。私を含めて。 MBAを受講しているその3名のメンバーたちの悩みはもっぱら「仕事と学業の両立」だ。仕事を午後7時から8時までに終え、それから食事を取って「勉強モード」に切り替えるのは楽ではない。テレビのリモコンを押してしまって面白そうな映画でもやっていた日にはそれで夜は終わる。 Tさんの悩みは「グループワーク」だと言う。あらかじめ割り当てられたグループに対してまず課題が与えられる。全世界に散らばる受講生たちはその課題に対してコメントを出し合い、オンラインで発表を行ったりもするということだ。 「働いていない人たちは時間があるから異常に長いコメントとかを載せるんだよね。さらに、こちらはインターネットの接続も不安定だから参加できないこともあるけれど、先進国にいるメンバーはこちらの事情をよく分かってくれないし・・・。」とTさんは嘆く。 同じジュバに住んで週一回集まって行うグループワークでもこれだけ大変なのに、お互いに会ったこともない人とオンラインで行うグループワークなんて、私にはできない。 Lさんは今週末そのMBAコースのテストがあるらしいが、そのためだけに隣国のウガンダに飛ぶと言う。会場となる場所が南スーダンにはないからだ。今年に入ってから全ての週末は勉強に費やされていると言うLさん。 みんな大変な状況の中、頑張っているんだな。さらに上を目指す気持ちを私も忘れずにいたい。
無駄な時間
「ジュバに赴任してまだ三か月も経っていないのか・・」と思う。日々のようにあちこちでサーカスが繰り広げられている職場環境にも慣れてきたが、今週は些細なことに時間を取られ、物事があまり進まなかった。 特に今週はよく苦情が来た。相手側の状況を想像すればその苦情も理解できるが、向こうは私の状況を全く考えてもくれず、一方的に責める。 例えば私は隣国で働くある職員に希望の商品の見本を送った。その見本を元に業者に見積もりを取って欲しいからだ。その見積もり額が私に送られてきたので、それを踏まえて正式に注文をした。 ところが「この注文票にある額で生産ができるわけない!」との苦情が業者から私に来た。私が怒られる理由が分からない。私が頼んだ職員と業者の間でコミュニケーションの不具合があったのだろうに、なぜかその職員から私が責められてしまう。 また、私は先日から南スーダンに点在する地方事務所に燃料タンクを調達しようと奔走していたが、ある事務所では敷地に問題があるため決断ができない。私は慎重に丁寧に進めていたのに、その事務所のスタッフが「だーかーらー!!何度言ったら分かるのですか!!」とこれまた怒鳴る。何度も言われた覚えはないのだけれどね。 私がこの職員たちに対してミスを指摘することは簡単なことだが、そうしたところで相手は言い訳を考える時間を取るだけの話だ。いま大事なことはとにかく進めることなので、私は冷静に、今後の対応策だけに問題を絞って返事をした。私は自己防衛に費やしている時間がもったいなかったので、事情をよく分からない第三者が見れば私だけがミスを犯したようにも見えるかもしれない。 国連組織では残念ながら、こんなケースが多い。自分の誤りを認めず、責任を転嫁するか言い訳し、周囲の人間に「問題があるのはこの人だ!」とアピールするような職員を多く目にしてきた。 この組織は苦境に陥っている人に救いの手を差し伸べることを使命としている。仕事の本質とは離れている意味のない言い合いは避け、私が成した一つの行為のために人々が一日も物資を手に入れ、支援金が一日でも早く来れば私はそれで満足だ。その目的達成のためには、下らない糾弾には付き合っていられない。 目的が見えなくなる人たちは辛いが、私には自分自身がどんな人間であるべきか、こういう状況に身を置いているからこそ見えるようになってきた。少なくとも今週の私に対して、私だけは満点をつけたい。
把握できない理由
「驚いてしまったよ。私は彼らの怠慢を注意しただけなのに、それが侮辱と捉えられたのだからね」とDさんは言う。Dさんは民間企業に働く人で、ジュバには「助っ人」として短期的に働いてくれている。 三日前にある職員が車の予約をした。我がオフィスでは車を手配したいときはメールで事前に予約をするシステムになっている。その職員は今朝8時半にオフィスを出て、少し離れた場所にある農家を訪ねることになっていた。 ところが予約をしたはずの車は整備工場にあり、それを呼び寄せ、さらに給油を怠ってもいたために出発が大幅に遅れてしまった。そのために予定が狂い、その職員はいくつかのミーティングをキャンセルする羽目になった。 Dさんは「何日も前から連絡を受けていたのに、何をしていたんだ!」と責任者たち(南スーダン人)に注意した。その注意の仕方が激しかったために彼らは逆切れし、「そんな言い方をしていいと思っているのか!私たちだってプレッシャーと闘っているんだ!」と突っかかってきた。 このオフィスでプレッシャーがないスタッフの方が少ない。自分たちの怠慢を注意されてここまで憤られる南スーダン人の気質にDさんは呆れるしかなかった。「私の職場でこんな態度を取ったら即刻クビだろうね」とも。 私たちのオフィスには60台ほどの車が登録され、40名強の運転手が在籍しているが、私が日常的に目にするのはせいぜい車は20台、運転手も20名ほどだろうか。Dさんはその残りの40台の車と20名の運転手を追跡調査しにきた。 これを聞いた私は「は?冗談でしょう!?」という顔をした。車はペンやノートではない。うっかりどこかに置き忘れたり、落としたりするものではないはずだ。なぜ「どこにあるのか分からない」などということが起こりうるのか。 「それを調べるために私が呼ばれたんだ」と言うDさん。このオフィスではそんな基本的なことまで外部の人に依頼しなくてはならないほど混乱しているということだ。多くの車はどこかの修理工場に放置され、地方のオフィスに行ったまま戻ってこなかったりもするらしい。なぜそれが記録されないのか。 百歩譲って、そんな車の行方を把握するのが大変だとしても、運転手の雇っている数と実際にいる数になぜギャップがあるのか。40名も運転手がジュバにいるはずなのになぜ私たちはいつも「運転手がいないから待ってくれ!」と言われて待たされるのか。 身内の恥をさらしてしまったが、このようにコントロールの利かない混乱状態のオフィスにいる私の境遇を知ってもらいたかった。 「これだけひどければ、何をしても改善に貢献できるだけやりがいはあるよ」とDさんはつぶやいた。私も大きく頷く。
ジュバを経験した者
「私もアフリカでは20年以上働いてきましたが、ジュバより大変な場所はありませんね。ここでやっていければ、どこでも何とかなりますよ」とRさんは言う。そんなRさんはジュバで働いてすでに4年が経とうとしている。 私自身は今までそれほど大変な任地は経験したことがなかった。敢えて挙げれば協力隊員のときの、どこへ行くにも徒歩で山道を歩き、現地の言葉を話し、病気も多くした生活だろうが、あの当時はプレッシャーや仕事量の多さはなく、給料をもらってもいなかったので気楽なものだった。 Rさんの仕事の内容は知らないが、もし1年後にでも私が「ジュバを経験すればどこでもやれる」と言っているとすれば、その理由は分かるような気がする。 一か月近く前、私は数十トンの食料をある業者から購入する手続きを取っていた。我が組織では10トン買うのも1万トン買うのも、組織内部の手続きは変わらない。そして、外部には「地元の農家を助け、農業を促進するために我が組織は地元の作物を積極的に買う」などと謳ってはいるが、国外から輸入するよりも1ドルでも高ければ地元の農家からは購入できない。 私だって地元の農家から買ってあげたいが、彼らは食物をすぐにでも売りたい。私たちは細かな手続きを通して、何枚もの書類を作成し、いくつもの承認プロセスを経てようやく購入できる。そんなことをしている間に農民たちは作物を売ってしまっている。 その度に私は「なぜその農家が作物を売ってしまったのか」とう説明を書類にまとめ、しかるべき人たちを招集して説明し、この購入をキャンセルするためのサインをもらい・・という過程を辿る。そんな今日はせっかく契約した業者が農家に払うべきお金を使いこんで逮捕されるという事件が起こった。今までの私の努力がまた泡と化した。 南スーダンで活動している組織はたくさんあるが、国連の調達業務は細かな規定を守った上で、次々とトラブルを解決しなければならなく、その度に弁解や正当化する書類を作成してばかりいて、物事がまるで進まない。私は一つの円をぐるぐる回っているようだ。 「ジュバを経験すれば」とは言うが、のんびり自由気ままに楽しくやっているスタッフもいる。きっちりやりたい性格の人間が、細かく、時には非現実的な規則の中でがんじがらめに遭いながら、「これもあれも全部緊急!」という組織で、約束を守らない南スーダンの業者を相手にするという全ての要素を考えたとき、私は「確かにここで乗り切れば・・」と言えるかもしれない。 まあ、あれこれ考えても仕方ないし、やるしかない。とりあえずは明日起こるだろう問題をどうにか解決し、今週を乗り切ることを考えよう。
ジュバで起こったある事件
南スーダンは私にとってアフリカで住む4番目の国になる。一口に「アフリカ」と言っても様々な国があるわけだけれど、常識的には考えがたいことはどこの国に行っても目にする。 同僚の娘の先生が銃で撃たれて亡くなった。こんな悲しい話を聞くなり私は「事件に巻き込まれてしまったのか」と尋ねた。実際に起こった話は信じがたいものだった。 ジュバの中心には霊廟がある広場がある。独立記念日の際にはここに大勢の人々が集まり、新たな国の誕生を祝福された。この広場では毎朝6時に国旗が揚げられ、夕方の6時に下げられるセレモニーがあると言う。 この国旗が揚げ下げされる際は、通行人も車両も全てが止められる。このセレモニーの存在自体も、人も車も止められることも私は知らなかったが、特に驚くことはなかった。何せ大統領が通行するだいぶ以前から主要な道が遮断され、交通を完全に麻痺させることが普通に行われるような地だから。 だが、驚いたのはこの国旗掲揚のセレモニーの最中に立ち止まらず、そのまま通行した人が射殺されたというニュースだった。彼女はケニア人の教師で同僚の娘の先生だったということだ。 詳細についてはよく分からないが、同僚の説明ではこの先生は非常識なことをするような人ではなかったと言う。彼女が制止を振り切り、大統領の車に向かって突っ込んでいったのならば話は別だが、国旗の掲揚の際に立ち止まらなかっただけで殺されるのは尋常ではない。一体どういう罪を彼女が犯したと言うのか。 さらに考えてしまうのは、このような事件が起きてもケニア政府は何の抗議もしないのだろうか。新聞を見てもこの事件が大々的に報じられている様子もない。もし、被害者が日本人だったらどうなっていったのだろう。いや、そもそも日本人であれば発砲されることはあったのだろうか・・・。 「考えられないよ・・。だって、たかが国旗だろう!?狂っている・・」と南スーダン人のスタッフたちも言う。どうやら彼らにとってもこの事件は信じられないことだったと分かり、私は安心した。「まあ、そういうことも普通にあるよ」なんて言われた日には私は荷物をまとめてジュバを去るだろう。 先日から続々と南スーダン人たちがスーダンから「帰還」してきている。南スーダンで暮らしたこともないような人たちが、「追放」されるという形で今後も大量に移ってくる。未知のこの国の未来をどう彼らは見つめているのだろうか。