SP時代のジャズ、ポピュラー音楽

SPレコードが音楽メディアの代表だった1955年以前、アメリカ大衆音楽の主流はジャズでした。ジャズが最も生き生きとしていた時代で、後の世界のポピュラー音楽に大きな影響を与えるほどのパワーとオリジナリティを備えていました。この時代の音楽とレコードにまつわるよもやま話を紹介します。(e-mail:jazz1920s@ybb.ne.jp)

← 2007年6月 →

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
My Yahoo!に追加 RSS
Counter

2007年6月30日(土)

Stock Yards Strut / Freddie Keppard's Jazz Cardinals

UHCA 74
rec. Chicago, c. July, 1926
Freddie Keppard (cor), Eddie Vincent (tb), Johnny Dodds (cl), Arthur Campbell (p), Jasper Taylor (wood blocks)

レコード番号は異なっていますが、昨日紹介したUHCA 73の裏面です。復刻版であるUHCA 73/74は、レーベルに書かれている通り1941年5月のリリースで、オリジナルはParamount 12399。フレディ・ケパードのリーダー録音のうち、発売となったのは、Salty DogとStock Yards Strutの2曲で全てで、ともに同じ日の録音です。

Stock Yards Strutは、このセッションにも参加しているパーカッション奏者ジャスパー・テイラーのオリジナル曲で、力強く、勢いのあるケパードのコルネットが全編を通して聴けるほか、途中、クラリネットとピアノのソロもフィーチュアされます。曲名のStock Yardは、シカゴのストックヤード(家畜置き場)のことです。シカゴ市街地南部、サウスサイドに位置し、アメリカ中西部から鉄道で集まってくる家畜の集散地として、機能していました。

録音メンバーについては、このSP盤のレーベルにはジミー・オブライアントと記載されていますが、最近のディスコグラフィでは一般的にジョニー・ドッズとなっているため、ここではジョニー・ドッズとしました。

また録音日については、パラマウント・レコードの録音原簿が残っていないため、推定に頼らざるを得ません。この録音についても、従来1926年9月頃といわれてきましたたが、ジャズ研究家および『ストーリーヴィル』誌編集者ローリー・ライトの最近の研究では、26年7月頃が正しいと結論づけています。

なおUHCAレーベルは、United Hot Clubs of Americaの会員のためにAmerican Record Corporation (後に一部Decca)が制作したレコードであり、いわゆる海賊盤ではありません。ミルト・ゲイブラーが経営していたレコード店コモドア・ミュージック・ショップを通じて販売され、1936年から41年にかけて計58枚がリリースされました。

作成者 De(G) : 2007年6月30日(土) 03:46 [ コメント : 0]

2007年6月29日(金)

Salty Dog / Freddie Keppard's Jazz Cardinals

UHCA 73
rec. Chicago, c. July, 1926
Freddie Keppard (cor), Eddie Vincent (tb), Johnny Dodds (cl), Arthur Campbell (p), Jasper Taylor (wood blocks), Papa Charlie Jackson (vcl)

バディ・ボールデンよりジャズ王を継ぎ、2代目ジャズ王と呼ばれたフレディ・ケパード(1890.2.27, New Orleans〜1933.7.15, Chicago)は、10代の頃からニューオリンズで最高のコルネット奏者とみなされ、1908年から1912年頃まで、その地位がおびやかされることはなかったといわれています。ボールデン・スタイルを発展させたプレイヤーといわれ、多くのミュージシャンが類似点を指摘しています。

ケパードの録音は、20曲強と必ずしも多くありませんが、1910年頃のニューオリンズ・ジャズを知るうえで、貴重な資料といえます。なお、1916年にヴィクターからレコーディングの話が持ち込まれたものの、奏法を盗まれることを恐れ、断ったとケパードは語りましたが、この話を証明する具体的な証拠(覚書など)は、残念ながら何も発見されていません。

ケパードは、1906年頃から、自楽団オリンピア・オーケストラを率い、プロのコルネット奏者として活動を開始しました。12年末、ビル・ジョンソンのオリジナル・クレオール・オーケストラに参加するためカリフォルニアに向かい、同楽団とともにシカゴ、ニューヨークを初めアメリカ全土を巡業、まだ無名でしたがジャズという音楽を広めるうえで少なからぬ役割を果たしました。18年からシカゴに定住、20年代はドック・クック、ジミー・ヌーンなどの楽団のサイドマンとして活動しました。しかしチャールズ・エルガー楽団に加わった28年頃には、アルコールの過剰摂取が原因で、ケパードの演奏には既に往時の勢いはなかったといいます。最後の数年間は、結核を患っていました。

Salty Dogは、“パパ”チャーリー・ジャクソンのオリジナルとされるブルース・ナンバー。フレディ・ケパードのコルネットが存分に楽しめます。“Salty Dog”とは、魅力的な、刺激的な、セックス・アピールのある、あるいは浮気性の女(または男)を指す俗語のようです。

作成者 De(G) : 2007年6月29日(金) 00:15 [ コメント : 0]

2007年6月28日(木)

Original Tuxedo Rag / Original Tuxedo Jazz Orcestra

Hot Jazz Club of America HC 6
rec. New Orleans, January 23, 1925
Osacr Celestine, "Kid Shots" Madison (cnt), William Ridgley (tb), Willard Thoumy (cl,as), unknown (ts), Manuel Manetta (p), John Marrero (bj), Simon Marrero (b), Abby Foster (d)

オリジナル・タキシード・オーケストラは、オスカー・フィリップ“パパ”セリスタン(フランス語風に“セリスタン”と発音するのが正しい)とウィリアム・リッジリーのふたりが1917年から25年にかけて率いた双頭バンドです。

そのリーダーのひとり、セリスタン(1884.1.1〜1954.12.15)は、1906年にニューオリンズに移り住んだ後、インディアナ、エクセルシア、オリンピアといったブラスバンドを経て、10年には自身のタキシード・バンドを結成しました。17年から25年はオリジナル・タキシード・オーケストラを率いますが、その後リッジリーと離れ、タキシード・ジャズ・オーケストラを結成します。大恐慌になるとバンドを解散して造船所で働きますが、46年にカムバック、以後亡くなるまでバンドを率いました。

Original Tuxedo Ragの原盤はOkeh 8215。オーケーの第2回ニューオリンズ現地出張録音で吹き込まれたレコード(オーケー盤レーベルには、ニューオーリンズ郊外ポンチャトレイン湖ほとりのスパニッシュフォートで演奏されたと記されているらしい)で、セリスタンにとっては初録音にあたります。セリスタンのオリジナル曲でアンサンブル中心の演奏ですが、以前に紹介したピロン楽団の演奏よりもジャズ色が強いと感じます。

曲名、バンド名の“タキシード”は、常に“タキシード”を着て演奏していたことに由来するとも言われていますが、一時バンドでピアノを弾いていたスウィート・エマ・バレットによると、出演していたニューオリンズ市街地ノースフランクリン・ストリート沿いの「タキシード・ダンス・ホール」にちなんで付けたもので、必ずしも服装の“タキシード”とは関係がないと語っています。

Hot Jazz Club of America (HJCA)は、1950年前後に活動した復刻専門海賊盤レーベルのひとつ。Blue Ace、Century、Jazz Classicsといったレーベルとともに、コレクターとして有名であったサム・メルツァーが製造に関わっていたと言われています。52年になると著作権絡みで海賊盤に対する風当たりが強くなり、メルツァーは、53年10月、全てのコレクションを売却してしまったようです。

作成者 De(G) : 2007年6月28日(木) 07:58 [ コメント : 0]

2007年6月27日(水)

Elephant's Wobble / Bennie Moten's Kansas City Orchestra

Temple 532 (オリジナルはOkeh 8100)
rec. St. Louis, September 1923
Bennie Moten (p,ldr), Lammar Wright (co), Thamon Hayes (tb), Woodie Walder (cl,ts), Sam Tall (bj), Willie Hall (d)

1920年代に入り、レコード各社は、ブルースのヒットから黒人向けのレコード・マーケットの存在を認識するようになりますが、それにいち早く取り組んだのがオーケー・レーベルでした。ニューヨークでマミー・スミスの録音を行ってブルース・ブームの先駆けを作ったのも同社でしたが、1923年6月から現地出張録音を開始、アメリカ中西部、南部にポータブル録音機を備えた録音部隊を送り込み、現地の優秀なミュージシャンやバンドの発掘にも取り組みました。

このベニー・モーテン楽団のElephant's Wobbleは、1923年9月、ミズーリ州セントルイスに本拠を置いて実施したオーケー第2回目の出張録音で吹き込まれました。モーテン楽団の初録音のひとつで、この日のセッションにおいて、モーテン楽団は計8曲を録音しました。うち3曲づつはブルース歌手エイダ・ブラウン、マリー・H・ブラッドフォードの伴奏を務めたもので、インストゥルメンタル演奏は、このElephant's WobbleとCrawdad Bluesの2曲しかありません。

ベニー・モーテン楽団はカンザスシティ初のジャズ・バンドで、1935年のモーテンの突然の死まで、事実上カンザスシティのジャズ界に君臨した名門バンドです。カウント・ベイシー、ホット・リップス・ペイジ、ジミー・ラッシング、ベン・ウェブスターなど、多くの有名ジャズ・プレイヤーが去来しています。23年から32年まで定期的にレコーディングを行っていて、その録音を順に聴いていくと、カンザスシティ・スタイルの概ねの変遷を辿ることができます。

初録音に当たるElephant's Wobbleは、リーダーのモーテン作曲のブルースを基調としたオリジナルのリフ・ナンバー。3管がフロントのバンド構成などに、まだまだニューオリンズ・ジャズの影響が感じられます。ソロは、ラマー・ライト(co)〜サモン・ヘイズ(tb)〜ライト(co)〜ウディ・ウォルダー(cl)〜サム・トール(bj)。

Templeは、珍しい音源を数多く復刻している海賊盤レーベルですが、その詳細は不明です。ビニール盤であることから、1950年前後にリリースされたものと思われます。

作成者 De(G) : 2007年6月27日(水) 11:28 [ コメント : 0]

2007年6月26日(火)

Choo Choo / Frank Trumbauer and His Orchestra

Okeh 41450
rec. New York, September 8, 1930
Andy Secrest (cnt), Nat Natoli, Harry "Goldie" Goldfield (tp), Bill Rank (tb), Frankie Trumbauer (c-mel,as), Walter "Fud" Livingston (cl,ts), Chester Hazlett (as), Min Leibrook (bassax), Matty Malneck (vln), Roy Bargy (p,celeste), Eddie Lang (g), George Marsh (d)

ヴィブラートのほとんどないサウンドと、スムーズに流れるフレージングを特徴とするフランキー・トラムバウアーは、Cメロディ・サックスの第一人者です(とはいっても他にジャズでCメロばかりを使い続けた人はいない)。

第一次大戦後からプロとして働き始めまたトラムバウアーは、シカゴのベンソン楽団やレイ・ミラー楽団を経て、25年にはセントルイスで自楽団を結成します。同楽団にはビックス・バイダーベックも在団、盟友となった二人は、後にSingin' The Blues、I'm Comin' Virginiaなどの名演を残します。トラムは、ジーン・ゴールドケット楽団(26年)、エイドリアン・ロリーニ楽団(27年)の後、20年代後半から30年代半ばは主にポール・ホワイトマン楽団で活躍しました。

汽車の“シュッシュッ”という音を意味するChoo Chooは、そのホワイトマン楽団在団中の録音で、メンバーも概ね同楽団からピックアップしています。トラムバウアーは、次のように書き残しています。

『ある日のリハーサルのこと、チャーリー・ストリックファーデンがバリトンサックスで汽車のような変な音を出した。… マティ・マルネックと私は、そのアイデアをもとに曲を書き、Choo Chooと名付け、9月8日、自分のグループでオーケーに録音した。

『ロンドン・プレス紙は、そのレコードの批評を掲載した。批評では「序曲<1812年>以来の最も叙述的な音楽作品」「確たる形式の音楽で、音楽が背景を語っている」といった仰々しい言葉が並んでいた。我々は音楽史に残る何かを作曲したかのような扱いで「ダンスバンドから生まれた不滅の名曲」とまで記されていた。

『このコメントを読んで、びっくり仰天した。そもそも、あの日ストリックが出した汽車のような音を使って、冗談で作った曲だったから。最初の部分を覚えているが「君も一緒に行ってくれ、僕と汽車ぽっぽにのって」という歌詞も書いた。多分、列車での旅に戻りたかったに違いない』

(『Tram / The Frank Trumbauer Story』(Philip R. Evansほか、Scarecrow Press, 1994)より)

作成者 De(G) : 2007年6月26日(火) 07:26 [ コメント : 0]
前の記事  |  次の 5 記事