2012年5月27日(日)
フリーマーケットやまぞえ市場と長寿岩
今日、山添村でフリーマーケットが開かれる。
今日の行事を朝、紹介しても、「ったく、役に立たない」けど、朝の10時から午後3時まで「フリーマーケットやまぞえ市場」とのことである。
桜井グルメグランプリに出店されていた山添の方にお聞きしたが、名阪国道の山添インターを降りたら、すぐ分かるとのことである。
物産展も期待が持てそうで、勉強が忙しいあっちゃんを誘って出かける。
そこで、山添長寿岩のことである。
山添インターまで行ったならば、必見である。
福祉センターの工事の時に掘り出されたものであるが、現代の磐座である。
フリマ会場から500mである。

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koza
: 2012年5月27日(日) 06:14
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2012年5月26日(土)
桜井の町、区(町内会)の仕事
5月は町内会(桜井は区という)の仕事が激増である。
川掃除があった。
役員会が2回ある。連合区の役員会も開かれる。
区費(共助費という)の徴収がある。
そのうえ、なんの義務もないが「カラオケを楽しむ会」まで開催してしまった。
社会福祉協議会、民生委員の会議と数えれば10日も使ったかもしれない。
ブログでも何回も書いた。
ブログ村などを見ても、町内会のくくりはない。
記事などを読んでみたが、あまり積極的な話はなく、「わずらわしい」とか、「水路掃除不参加金を払った」とか。1000円とか2000円で免除してもらうというのは都市では普通のことのようであるが、とりあえず桜井あたりでは聞かないけど。
町内会との関わり合いで悩んでいる方には、僕の言葉などはなんの力にもならない。
でも、今日は町内会の役員もけっこうジタバタしているという話である。
区費(共助費)の徴収のことである。
組ごとに集めるが、いくつかの企業、病院などは僕の担当である。
不動産関係の新規出店者もあり、今年もいろいろ話は複雑である。
住んでいる人からみても「区に入る必要はあるのか」、「区はなにをやってくれるのか」、「入らなかったらどうなるのか」などの意見がないわけではない。
企業、事業所はなおさらである。
僕は二つのことを述べる。
区は地域の互助会。地域の環境を守り、困った時に助けあう。
もう一つは災害、非常時のセフティネット。事件・事故・災害などの時、地域の協力が組織できるのは区(町内会)であること。
実際はもう少し生々しく語るけど、こんなことをお話しする。
後は金額の折り合いである。
「決算書がありますか」は普通の質問で、これはすぐお見せする。
今回は「規約が見たい」というのもあった。
規約を示し、
「本区は○○に居住する者及び事業所、営業所等を有する者をもって構成する」とか、
「日本赤十字社の事業の円滑な運営に協力し、同時に非常災害時には自助・共助の対策を行う」などを示して、納得してもらうことに努める。
けっこう大変。
でも、けっこう楽しく区の仕事をすすめている。
わが区は住宅街だが、こんな商店街もある

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koza
: 2012年5月26日(土) 08:55
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2012年5月25日(金)
巻向山 ダンノダイラと白山
先日、ガイドしていた時に、「ダンノダイラご存知ですか。『ならら』でワンダラーかよちゃんが登りましたけど」と、お話があった。
どうも桜井の出雲つながりとのことである。
ダンノダイラは初聞きで、初瀬朝倉宮を「黒崎の天の森」という論もあることから、そこらあたりのことかなとも思いながら、「知りません。今月はあいにく、かよちゃんも読んでない」と申し上げた。
調べてみると、ダンノダイラは黒崎といっても上も上で、三輪山から初瀬にかけての稜線上にある様子である。
奥不動寺のすぐ上である。
辰巳和弘元同志社大学教授の講演で、「古代人の槻の樹に対する思いは纏向から始まった」とし、さらに纏向の大型建物に軸線のズレがあるが、それは斎槻(ゆつき)が岳(巻向山とみられる)に合わせたものではとの推論を聞いたことがあった。
巻向山に役者がそろっているという感がある。
巻向山
巻向山には白山というものもある。
黒崎、出雲から登ればダンノダイラ、磐座がある。
稜線を越えたあたりには巻向山の微高地(奥不動寺)があり、遺跡があるやもしれない。
ふらっと見てきた。
ダンノダイラ、桜井の出雲の野見宿禰顕彰会が案内看板を立てていたが、「大昔の出雲ムラ跡(伝承)。古代の神聖地、祭祀の霊場」とあった。
出雲の野見宿禰顕彰会というのも、なかなかのものであるけど・・・
さらにダンノダイラ、奥不動寺との関係も気になるが、このお寺にはまだ一度もご挨拶をしたことがない。
画像は
ダンノダイラの磐座
白山を登る。とにかくボロボロ。石灰岩?十分怪しげ。
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koza
: 2012年5月25日(金) 05:53
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2012年5月24日(木)
「森本六爾論 ― 一粒の籾痕―」と「断碑」
先日、南音羽に芝房治さんを訪ねた。
観音寺のことをお聞きしたのだが、お話の中で「談山神社の氏子総代なんだから鎌足公をもっと好きにならなくては」と、芝さん書かれた一冊のご本をいただいた。
その本に付録として、「森本六爾論 ― 一粒の籾痕―」がある。
森本六爾なら松本清張の「断碑」がある。
「断碑」。清張の初期の短編である。「小倉日記伝」に続く、いやそれに先立つものかもしれない。
古代史に対する清張の深い関心が土台かと思うが、森本六爾の妻、ミツギさんが小倉出身で生家の方からの取材?が契機との説もあるようである。
「清張は六爾に厳しい」との評価もあるが、実は清張は六爾が大好きである。
「日本農耕文化の研究に収められた論文は、今日に新しい考古学への転機となったという人がある」と人の評価を引いているが、これが清張の心である。
松本清張は文芸春秋の全集で読んだ。古本屋に頼んでおいて、ボーナスの時に10冊くらいづつもらって読んだ。若い時の懐かしい記憶である。
ところが、この時に「断碑」を読んだ記憶がない。
今度、阿刀田高編集の「松本清張小説コレクション」で改めて読んだ。
うーーん。森本六爾論、60歳の清張に書かせてみたかったと思うのは、僕のみだろうか。
芝さんの「森本六爾論 ― 一粒の籾痕―」は、六爾に寄り添う姿が鮮明である。
考古学に果たした六爾の役割も評価が高い。
郷土の先達としての無条件の尊敬が基礎にある。
六爾碑の建立の「祭文」に激しく共感し、その思いで書き連ねている。
この祭文は「森本六爾夫妻顕彰之碑」の碑文にそのエッセンスが彫られている。
「日本考古学の鬼才 森本六爾君は明治36年3月2日 この地に生まれる。
独学にて考古学の研究に没頭し、若くして前人未踏の『日本原子農業』を著し 天下にその説を問ふ。・・・昭和11年1月22日逝く。享年32歳。
ミツギ夫人は福岡県の生れ、昭和5年結婚 内助のほまれ 極めて高かりしも 夫君に先立ち、同10年11月11日永眠 享年32年歳。
共に若くして考古学に殉ず まことに悔やみてもなほ余りあり。
ゆかりの地 唐子池の発掘調査は昭和11年12月に始まり 君の予見的中したるも相共にその成果見ることなし。
嗚呼 二粒の籾 もし 成長し 結実しあらば・・・」
桜井市民大学 文学散歩の会 建立とあった。
芝さんのご本に六爾のいくつかの歌があった。
六爾、中学二年の作である。
纏向の痛足(あなし)の川よ行く水の絶ゆることなしまた帰り見む
昭和10年10月20日、手記
御身のために御すえ下さる灸なれどいまは皮切りであつござる
これが最後の歌である。
この場合の御身はミツギ夫人のことですか?
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koza
: 2012年5月24日(木) 11:24
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2012年5月23日(水)
東への鉄路、近鉄創世記
桜井に住む前は名古屋で暮らした。
転入する前にもずいぶんと桜井には通ったものである。
東名阪道、そして近鉄である。
そして、今でも、名古屋の用は多い。
東名阪道、そして近鉄である。
図書館で「東への鉄路 近鉄創世記」という「小説」を見かけた。
近鉄とは?
広軌。
路線距離、私鉄で日本一。
奈良県に張り巡らされた近鉄の路線網。
疑問がリズミカルにすべて解決する、そんな本である。
冒頭は近畿日本鉄道の母体、大阪電気軌道(大軌)の苦闘である。
大阪と奈良を結ぶ路線を敷設、生駒トンネルの難工事が語られる。
橿原線ができた後に、大阪八木が開通した歴史もこの本でよく理解できる。
生駒へのケーブルカーもできるべくしてできたことがよく分かった。
伊勢を目指す参宮急行電鉄(参急)が開通した後に、伊勢電との確執、合併のすえ名古屋への道が開けた。
金森又一郎(第4代社長)の苦労が詳述されている。生駒聖天と近鉄(当時の大軌)の特別の関係が良く理解できる。
技術陣では大戸武之、
営業陣では井内彦四郎の仕事ぶりが、丁寧に紹介され、近鉄のポリシーが示される。
後半は井内彦四郎の仕事ぶりに沿って、大軌、参宮の路線拡大が語られていく。
伊勢電との合併では、合併条件を巡って相手側有利の条件を示す井内が非難を受ける。井内は「伊勢電の株主、社員は合併すれば参急の株主、社員である。その人たちが参急を敬愛しないで、どうして繁栄があるか」と反論する下りなど、冒険小説を読むみたいに面白い。
最後まで読むと、その顛末はよくわかる。
作者の木本正次氏は「井内氏から数十回の面談での聞き書き」が土台にあるとしている。
その上に立ち、客観資料を集めたとのことである。
井内さんは、晩年、奈良にお住まいだったとのことである。
近鉄(大軌、参急)の百年を俯瞰し、辿るようなお話であった。
普通の企業小説だが、新奈良県民にとっては学ぶことの多い読書であった。
近鉄を乗るたびごとに、これからは思い出すことになる書である。
「東への鉄路」(近鉄創世記)木本正次著 学陽書房 10年ほど前の本である。
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koza
: 2012年5月23日(水) 00:28
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2012年5月22日(火)
金環日食、そして木漏れ陽の金環日食
金環日食、良かったですね。
朝起きてみると、東方にかけて空は大きく開けた。
「明日の日食は雲の上のお話」と前夜は諦めていたのに。
近畿では282年ぶりの金環日食。どうしても見せてあげたいという力が働いている?
そういう運命論的な発想は大嫌いだが、何か力が働いて「見なさい」「見なさい」と言う感じである。
だんだんと日食はすすみ、完全な二重の輪に。
月の陰に入った太陽、その太陽のフレアが見える皆既日食みたいな認識を勝手に持って、「アレッ、水道パイプみたい」と少し拍子抜けの僕は、少し間抜けであったが・・・
金環日食は存分に楽しめた。
孫を連れてきて裏庭で観察した。
孫も日食に感激している。
6歳児の感動は、どんなふうに記憶に残り、人生の糧になっていくのだろうか。
健やかな未来をのぞむばかりである。
200年先、300年先の人類も金環日食に歓声をあげれるような地球であるように・・・
今回、日食グラスは大活躍だったが、もう一度活躍できる。
さっそく6月6日には「金星の日面通過」という日食第二弾がある。
これだって100年単位の天体イベントとのこと。
「それまで日食グラスは捨てないように」である。
日食を観察する孫とそれを見守るミニチュアダックスの久遠
ツタの間の木漏れ陽にも、無数の金環が・・・

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koza
: 2012年5月22日(火) 16:31
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2012年5月21日(月)
桜井グルメグランプリ 桜井市場〜ん
桜井グルメグランプリ決定戦、20日、大神神社の大鳥居の下で開催された。
桜井商工会青年部の主催である。
僕の生涯、商工会はあまり関係がなかったが、最近は大ありで、まず、僕の金看板は「奈良まほろば検定ソムリエ」であるが、この試験は奈良商工会議所が行っている。
さらにガイドのたびに、最近は桜井商工会の2階に住まいする桜井観光協会に出かけて、資料、資材を求めたりもしている。
そんなで、今日は「桜井市場〜ん」(さくらいいちば〜ん)の桜井グルメグランプリである。
とろーり焼きそばの「ときわ」、
胡麻豆腐黒糖かけの「味の風にしむら」、
たこ焼きの「ふうふうや」、
五色稲荷ずしの「一語一笑」
里芋たこ焼きの「たのしや」などなどと
食べに食べ続けた。
僕のダイエットは大破綻である。
ものすごい盛況である。
長い行列も、今日は初めから並ぶ覚悟だから苦にならない。
桜井のヒットイベントはウォーキングフェスティバルであるが、「それに並ぶイベントかも」という勢いである。
一万人の参加ということである。
会場は狭いが、駐車場のことを考えると桜井の最高の会場であろう。
感想
食べるところが狭い。
「いろいろ試して見たいが、値段がはる」という声が多かった。
「グルメグランプリで一皿800円はないよ」、「○○が小さく薄すぎ」、「店に行けば70円のものを、今日は100円で売ってる」とか、いろいろな声は聞いた。
こういうイベントも店の持ち出しでは成り立たないし、同時にお値打ち感、意外性がないと話題にもならないだろうし、難しいところはあるが・・・
さまざま、「第一回目だから」という声もあるが、リピーターとなるか、来年も友達、家族を誘ってくるのか・・・
それにしても、大成功である。
さてグランプリは・・・
心ひそかに、ここと決めた店はあったが・・・
グランプリはぶっかけそうめんの「福神堂」、
二位はカワイコロッケの「カワイ」、
三位はもつナベの「智」で、
会場周辺の三輪の店がベストスリーを占めた。
「奈良にうまいものなし」というが、桜井はそれどころではなく「桜井は食べるところがない」とさえいわれている。
今回のグランプリでは、数多くのお店が脚光を浴びた。
来年も開くこと、そして思いも至らぬような新店舗の参加も組織できたら素晴らしい。
実行委員会のみなさんの奔走に敬意を申し上げ、来年もさらに期待したい。
卑弥呼ちゃん
三輪山と大鳥居
早々と完売。「味の風にしむら」の西村さん
「一語一笑」の五色稲荷ずし。新名物になるように。
グランプリ盾
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koza
: 2012年5月21日(月) 00:13
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2012年5月20日(日)
記紀神話 松田度さんが語る
懐かしいAkadamaで「記紀神話を読みなおす」という学習会が開かれた。
3月にAkadama さんからメールが届いた。
「5月19日に大淀のTさんの紹介により、考古学者の先生を講師にした懇話会を開催することになりました。4回シリーズで、記紀に関する内容で」とのことであった。
奈良まほろば検定ソムリエの会の広報部会員(一部?)、折々に開かれていたAkadama会のメンバーに呼びかけたとのことである。
急な用があり、残念ながら大幅な遅刻で講演はほとんど聞くことができなかったが、一時間以上の質疑応答を聞くことができた。
講師は大淀町教育委員会の松田度(まつだわたる)さん、同志社大学の院で勉強された方である。
森浩一さんや「マキムク王宮」の槻の樹や桃から中国からの影響を強調している辰巳和弘さんが師匠筋とのことである。
日本書紀を首尾一貫した書籍と見ず、各氏族の要求が並立することを理解して読むべきとの話があった。
それを未整理のまますべてを書き表す。混乱に見えるが、当時を分析する特別の値打ちがそのまま残された。
「一書に曰く」でいくつもの異論が記されている。
ここまでは理解していたつもりであったが、各氏族の要求、とくに大伴氏の要求で天孫降臨、神武東征などが組み立てられたと聞き、これは驚く。
先ずは天孫降臨である。
「一書に曰く」(第四)で、大伴家流の天孫降臨の姿が示されている。
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が、ニニギノミコトを降臨させるにあたり、
天磐戸(あめのいわと)を引きあけ、天八重雲を押し分けてお降ろしになった。
その時、大伴連の遠祖・・・、久米部の遠祖・・・をひきいて・・・(持ち物の説明)・・・日向の高父穂(たかちほ)・・に到り」とある。(日本書紀、岩波文庫版148ページ参照)。
大伴氏の家伝がそのまま使われたとみられる。
各氏族が自らの役割、自らの神を日本書紀に反映させるために頑張っていることが如実に示されている好例である。
各氏族がどの文言でこだわったか、こだわったのは誰だったか、そういう分析が面白いとの指摘である。
神武東征をそのまま読み解くのも面白かったが、その背景の研究もたいそう面白い。
神武東征の大和入りについて。
古事記では紀の川、吉野川経由で大和に入ったと想定して問題がない記述である。
日本書紀は熊野、海が明示されており、どれかの氏族にとって(おそらく石上により)熊野経由が望ましい理由があったと読み取れる。
大伴氏が中部九州の出であり、紀州に入り(岩橋千塚古墳群の主)、大和に到ったとの解説があり、この経験が神武東征のコースなどに生かされている。
大王家(天皇家の祖)の東征はあっただろうと思う。
それは出雲からであれ、北部九州からであれ、である。
大王家の東征と比較して、大伴家の規模はどうだったのだろうか。
あとは桜井の出雲の臣のことや出雲の国のこと。
出雲がいま注目されているが、出雲の遺跡を見て回ったが、時期的に新しく、大和の政権の原型が出雲にあるとは考えにくく、むしろ大和を締め出されたものの社会と見ると言われた。
出雲を過大視しない、過少視しないとの強調である。
各氏族、神の分析の幾多のお話もあった。
若手研究者として、先達に挑む姿勢が明確で、大変おもしろい講演、議論であった。
質疑応答時間がタップリ計上され、そこら辺りが魅力的である。
次回は6月16日、「崇神から応神くらいまで」という計画である。
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koza
: 2012年5月20日(日) 08:51
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2012年5月19日(土)
桜井市 民生・児童委員連絡協議会の総会
18日は桜井市の民生委員・児童委員(民生委員の正式名称はこう呼ぶ)の連絡協議会の総会である。
5月12日から18日は「(全国)民生委員の活動強化週間」とのこと。あまり世間では知られていない?
この最終日に定期総会が持たれる。
強化週間は全国的なものだから、全国で今日あたり、こういう総会が開かれているのだろう。
まずは市長、社会福祉協議会会長などの話、言いたいことばかりが前に出て、世間なら野次の一つもでるような挨拶だが、民生委員はみんながとても大人だから、黙って拝聴している。
活動報告、決算、活動計画、予算と審議がすすみ、福祉関係の幹部職員が紹介されて総会は終了する。
うーーん。
これ以上、書くことないかも・・・
ところで民生委員の信条、民生委員の歌というのがある。
総会ではこれが朗読され、歌う。
昭和26年ころのものと思われる。
民生委員の信条は平成に入って改定されているが、歌は変わらないとみると、この歌は50年前の歌である。
長く歌い継がれてきたもので、隠れた大ヒット曲だ。
ちなみにYou Tube では見当たらない。
テープの伴奏で3番まで、みんなが起立して歌う。
題名は「花咲く郷土」という。
行進曲風の歌だが、僕は勝手に演歌ふうに節をつけて、テレずに楽しく歌っている。
その歌詞は・・・
光もとめて 呼ぶ声に
愛の小鳩が 羽ばたくよ
憂い分けあう はらからに
伸ばす愛の手 この使命
担うわれらは 民生委員(1番から3番まである)
民生委員はとにかく誠実、まじめな人の集まりである。
高齢化、貧困、それから子どもに関るさまざまなこと、民生委員の課題は地域にうずまいている。
歌詞カードを見ながら民生委員の歌を。
画像は男ばかりが見えるが偶然で、女性の比率も高い。

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koza
: 2012年5月19日(土) 05:56
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2012年5月18日(金)
音羽山観音寺と丁石道
今日のブログは、まずN先生への報告である。
N先生は我が家のかかりつけの内科医である。
町内でもN先生のお世話になっている方がたくさんいる。
その診断、処置、トラブルへの対応などすべてにわたり、まことに信頼がおける。
僕は、自らの生活と健康を余さず報告している。
N先生。
昨日は話していた通り、音羽山観音寺への山登りウォーキングでした。
高低差300メートル、距離は2キロメートル弱のコンクリート舗装の登山路です。
けっこうキツイことで有名です。
みなさんにバテないよう重ね重ねの注意です。登る前には「杖を持て」とか、「全身で上ってください」とラジオ体操もしました。
みんなで元気よく出発したのですが、バテました。
僕がです。
ガイドがバテてどうする?ですね。汗顔の至りです。
あと100mというところで力が抜けました。
風邪のせいというより、二・三日前からお腹の調子が悪くて朝ごはんを少し控えたのです。
リュックを持っていただいたり、チューブに入った栄養ゼリーをいただいたり、ポカリスエットをもらったりで。
力も抜けるが、恥ずかしさも目いっぱいという感じでした。
結果的には登れて、その後のガイドは継続できましたが・・・。
あと4〜5年くらいは元気にガイドもしたいものです。
先生、これからも、お世話なります。よろしくお願いします。
診察室では、話しきれないのでブログに書きました。
ま、こんどのウォーキングはこんな具合である。
多武峰街道に隠れ古寺を訪ね、丁石道を歩いた。
音羽山 観音寺の本堂に入る。
「奈良検定ソムリエの会が奏上する」とのことで、密榮住職と共に般若心経を合唱する。
その後、住職から音羽寺は鎌足公を妙楽寺(現在の談山神社)に祀った際、丑寅の方向の音羽山に一山を構えたことに始まるとか、
音羽流れですべて流された歴史、
十一面千手観音の修復の経過、
お葉つき銀杏のことなど寺の由緒が語られた。
お葉つき銀杏は有名である。実物を初めて見るという方もいて、保存されていた昨年のお葉つき銀杏を一葉一個づつ、いただきみなさん大満足である。
17日は観音さまの縁日で、僕らのほかにもたくさんの崇敬者が訪れている。
僕らは弁当持参であるが、「音羽の清水で炊いたご飯も食べて」の声に誘われて、ご飯やみそ汁もいただき、野菜の煮つけ、セリの白和えなどの山菜もいただくということで、思わぬご馳走となった。
17の丁石、
多武峰街道の「観音道」の始めの道標、
左たふのミ祢、音羽観世音という道の中間での道標、
きつい登りに見合い、石標の案内は至れり尽くせりである。
鎌倉時代の町石も保存されているので、これも必見である。
聖林寺、
多武峰街道の釈迦石仏のこと、
一の鳥居やそれに至る町石のことを語りながら、等彌神社に到り解散となった。
鳥見山(とみやま)は白庭(しろにわ)、霊畤(れいじ)まで登るが、ここはSさん、Fさんに任せた。
この霊畤登りに参加しない、お二人と保田興重郎の歌碑を訪ねた。
棟方志功が、不遇時代に保田興重郎の援助を受けたことに報い、描いたと言われている。
鳥見山のこの面(つら) かの面(も)をまたかくし
時雨は よるの雨となりけり (保田興重郎)
真ん中に鳥の絵がある。古事記、日本書紀に詳しいKさんは「これはトビだ。トビでなければ」と解説された。
路線バスも適時に使い、安全を配慮した道を歩く素晴らしいウォーキングであった。
密榮住職と観音寺のマスコット
等彌神社の棟方志功による歌碑
歩いた路は赤色。緑の丸が見学地
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koza
: 2012年5月18日(金) 06:03
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