マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

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2012年2月14日(火)

人々の気持ちの「純粋さ」を基盤として成り立っている販売戦略

 きょうはバレンタイン・デーですね。

 ひと昔前は、女性が男性にチョコレートなどを贈る日でしたが――
 最近では、女性が女性に、あるいは、男性が女性に贈ることも多くなった、とか――

 ――みんな、すっかりお菓子屋の計略にハマってしまって……。

 といった類いの嘆息は、今や定番中の定番といえましょう。

 たしかに、製菓業界の販売戦略は否定しがたく、
(うまいことやったな〜)
 などと皮肉っぽく思うこともあるのですが――
 ちょっと気になるのは、販売戦略の妙ではなくて、人々の「物を贈りたい」という情動の強さのほうです。

「情動が強い」ということは、いいかえれば「気持ちが純粋である」ということです。

 製菓業界は、この「純粋さ」を的確に見抜いて、バレンタイン・デーの販売戦略を練ったのでしょう。
 意識してのことなのか無意識のうちのことなのかは、わかりませんが――

 少なくとも――
 人々の気持ちの「純粋さ」を基盤として成り立っている販売戦略であることは間違いないと思うのです。

作成者 マル太

2012年2月13日(月)

何とも後味の悪い

 日頃から車間距離をとって運転をするようにしています。
 そうしないと、恐くて、恐くて……。

 きょうも、その恐さを実感しました。

 片側一車線の高速道路を走っていたら――
 僕の前の車が、その前の車に、

 ――ドスン

 とぶつかったのですね。

 前の前の車が急ブレーキを踏んだのですが――
 前の車は、それに気づくのが半瞬ほど遅れたようです。

 前の車は前の前の車にピッタリくっついて追走していたので、
(あの車間距離なら、まあ、文句はいえないだろうな)
 と感じました。

 腹立たしいに違いないのは――
 前の前の車の人でしょう。

 その「ピッタリ」の車間距離は、前の車がとっていたものであり、前の前の車がとっていたものではないからです。

 ところが――
 その前の前の車のさらに前の車が、すぐ近くに止まっていたのですね。

 前の前の車の目の前です。

 つまり、前の車だけでなく、前の前の車も、十分な車間距離をとっていなかったようなのです。
 だからこそ、急ブレーキを踏む羽目になったのでしょう。

 やはり、車間距離は大切なのですね。

 ちなみに――
 前の前の前の車の人は、後ろで衝突が起こっているときに、何をしていたかというと――
 車を止めてハンドルを手離し、何やら小さな機器に視線を落としていました。

 携帯電話かスマートフォンか……。

 何とも後味の悪い現場でした。

作成者 マル太

2012年2月12日(日)

嬉しくて泣いていたのではない

 長年にわたって争いごとに明け暮れて、ほとんど家庭をかえりみることのなかった夫が――
 久しぶりに妻と顔を合わせ、

 ――苦労をかけたな。

 と詫びを入れ――
 そんな夫が立ち去るのを待って――
 妻は、よよと泣き崩れる――

 そういうシーンを、20年ほど前に、TVドラマでみたことがあるのです。

 当時は、
(ちょっと陳腐なシーンだな〜)
 と思ったものですが――

 今は、
(そんなに陳腐でもないのかな)
 と思います。

 妻は、たぶん嬉しくて泣いていたのではないのです。

 おそらくは――
 およそ嬉しさとは相容れぬ感情が込み上げて――
 泣いていたのです。

「嬉しくて泣いている」とみていたから、陳腐なシーンにみえたのですね。

 人の心は涙で割り切れるものでもありません。

作成者 マル太

2012年2月11日(土)

誰かの失敗を責めるということは

 誰だって自分の失敗は人目にさらしたくないものですが――
 その失敗を無理に隠そうとする意図は、もっと気づかれたくないものです。

 ですから、何か失敗をしてしまったときは、

 ――あはは。失敗しちゃった〜。

 といって笑って認めるのが、もっとも楽な対処法ですが――
 人の世には、ときには「あはは」では済まされえないことがあるものですから――
 人生、何かと大変なのですよね。

 そういうときは、昔のお侍様のように、

 ――死んでお詫び仕る!

 といって全てを背負い込むのも、一つの解決策かもしれませんが――
 いかにも虚しい対処法です。

 とはいえ――
 現に、そうせざるを得なかった人たちが、この国の過去の社会には何人もいたはずですから、

 ――蒙昧だ。

 といって切り捨てるのもいただけない――

 ――どうしたものか。

 といって悩み続けるのが、人の道としては無難でしょう。

 それくらい、奥の深い問題だということです。

 おそらくは――
 誰かが失敗をしたときに――
 失敗それ自体は、決して責めてはいけないのです。

 失敗を責めても、その失敗を取り戻せることはありえないからです。

 どうしても責めるなら、失敗に至った過程を責めるしかない――
 そして、新たな失敗を予防する――
 例えば、

 ――そういう態度で臨んでいたのなら、失敗するのは当たり前ですよね。

 という責め方です。

 この場合、責めているのは失敗それ自体ではなく、失敗をした人の態度――もう少し踏み込んでいえば、失敗をした人の全存在――です。

 もちろん、こうした責め方は、究極的には人格攻撃なので――
 あまり褒められた企図ではありません。

 人格攻撃を加えるくらいなら――
 その人から遠ざかるか、あるいは、その人を持ち場から外すほうが、ずっとマシです。

 それをしなかったということだから――
 その失敗は、すなわち周囲の人たちの失敗に他ならない――

 つまり――
 誰かの失敗を責めるということは、結局は、論理的ないしは道義的隘路に迷い込むことに等しいのです。

作成者 マル太

2012年2月10日(金)

何かへのコンプレックスを払拭するには

 あることに取り組んで、それに挫折し、コンプレックスを抱く――という流れは、おなじみではありますが――
 この「挫折」という体験の中身を吟味してみると――
 必ずしも挫折の後でコンプレックスを抱くということにはならないと感じるのです。

 例えば――
 数学者になりたかった少年が、中学・高校の数学でつまずき、大学の数学科への進学を諦め、その後ずっと数学への未練を断ち切れないでいた――
 という場合なら、たしかにコンプレックスを抱くことになるでしょう。

 が――
 数学者になりたかった少年が、中学・高校の数学に退屈し、大学の数学科への進学動機が萎え、その後は全く違う道を選び、そこで華々しく成功した――
 という場合なら、コンプレックスを抱くということにはならないでしょう。

 数学にコンプレックスを抱くということは、

 ――今も数学に未練がある。

 のです。
 あるいは、

 ――まだ数学に退屈はしていなかった。

 のです。

 ことは数学に限りません。

 何かでの挫折を乗り越え、何かへのコンプレックスを払拭するには――
 こうした「未練」という情念や「まだ退屈はしていなかった」という認識を原動力にするのがよいでしょう。

 未練がなくなり、退屈をするようになったら――
 コンプレックスは消えてなくなるでしょう。

作成者 マル太

2012年2月9日(木)

できるだけ良いほうに解釈したい

 人のすることやいうことを――
 あまり悪いほうには解釈したくないのですよね。

 できるだけ良いほうに解釈したい――

 が――
 どうしても悪いほうに解釈してしまうときがあって――
 そのことが人間関係のトラブルへと発展するものですが――

 できることなら、そういうことは避けたいものです。

 ここで大切なことは――
 当の人が悪意を持っているかどうかは、あまり関係がない、ということです。

 何かをいったり何かをやったりする人に悪意があろうとなかろうと――
 悪いほうには解釈しないほうがいいのです。
 できるだけ、良く解釈する――

 仮に、その「当の人」に悪意があったとしても――
 とりあえず良いほうに解釈しておけば、

 ――おひとよし

 と笑われるかもしれませんが――
 誰かを傷つけたりすることはありません。

 誰かに恨まれたりすることも、たぶん、ないでしょう。

作成者 マル太

2012年2月8日(水)

どうしても本題から入れないとき

 いきなり本題に入る話し方を――
 皆さんは、どう思われますか。

 僕は、そういう話し方が好きなのです。

 逆に、本題を後回しにする話し方が、好きではありません。
 何となく臆病な――どことなく斜に構えているような――そんな印象を与えてしまうと思うのですよね。

 ですから――
 誰かと会って話を始めるときに――
 相手が、まわりくどく副題から入ったりするのを感じると、
(あ〜)
 と思ってしまいます。

 さらにいえば――
 自分が、まわりくどく副題から入ったりするときは、もっと、
(あ〜)
 と思います。

 自分でするほうが、相手にされるより、数段、気鬱なのです。

 ――そんなにイヤなら、本題から入ればいいじゃないか。

 とお思いの向きもありましょう。

 ええ――
 できることなら、つねに、そうしたいものです。

 が――
 この国では、時と場合とによっては、どうしても本題から入れないときがあるのです。

 いきなり本題に入ると、相手をビックリさせてしまう――不快にさせてしまう――本題が副題と誤解されてしまう――
 そうしたもろもろの事情により、どうしても本題から入れないときがあるのです。

 ですから――
 この国で生きていく以上は、
(あ〜)
 と思って我慢をするしかないのですよね。

作成者 マル太

2012年2月7日(火)

組織で培われるノウハウというのは

 組織で培われたノウハウというのは――
 強固にユニークであることが多いようです。

 似たようなノウハウが、別個の組織で、全く独立に培われたという話を、ほとんどききません。

 なぜでしょうか。

 おそらくは――
 組織を構成する人員の顔ぶれが、個々の組織によって、全く異なるがゆえに――
 組織の抱える問題というのは、つねにユニークであるからです。

 問題がユニークであれば、その問題への対応の仕方もユニークになります。
 問題への対応の仕方は、問題の規模や量、性質、要因などによって、根強く規定されるからです。

 対応の仕方がユニークであれば、培われるノウハウもユニークになるでしょう。
 ノウハウとは、対応の仕方が洗練され、標準化された結果として、培われるものだからです。

 ただし――
 まれに組織横断的に有効なノウハウというものがありまして――

 例えば――
 ある組織Aで培われたノウハウが、別の組織Bでも有効に機能するということがあります。

 組織Aも組織Bも、たまたま似たような問題で悩んでいたりすれば――
 たしかに、そうなりえます。

 とはいえ――
 この場合も、組織Aで培われたノウハウが組織Bへと伝えられることがなければ――
 組織Bは、おそらくは独自にノウハウを培うことでしょう。

 そのノウハウは、組織Aで培われたノウハウとは大きく異なるに違いありません。

 よって、いかに組織横断的に有効なノウハウといえども――
 月日が経つにつれて、個々の組織が抱える問題の変遷によって、強く影響を受けます。

 たぶん1年も経てば、個々の組織にユニークなノウハウへと変貌を遂げているでしょう。

 個々の組織が抱える問題というのは、それくらいに独自性が強いということです。

作成者 マル太

2012年2月6日(月)

雪のことが書けない

 概して――
 雪国の人たちは雪を恨むことが多いようですが――
 雪が滅多に降らない地方の人たちは、雪に憧れることが多いようです。

 僕は仙台は住んでいて――
 仙台は、雪が滅多に降らないというわけではないけれども、しょっちゅう降るというわけでもなく――
 その中間です。

 ですから――
 雪を恨む人の気持ちも、雪に憧れる人の気持ちも、何となくわかります。

 あるいは――
 どちらの気持ちも、よくはわからない――

 きょう、雪に憧れているらしい作家さんのエッセイをよみました。

 その作家さんが雪国を訪ねられたときに、雪への印象をめぐって地元のご友人とスレ違った様子を、ユーモラスに描いておられたのですが――
 なぜか、どちらの立場にも共感しがたくて――
 もどかしい読後感だけが残りました。

(僕は雪のことは書けないな――書かないほうがいいな)
 と感じました。

 ……

 ……

 それでも――
 きょう、こうして『道草日記』に書いているわけですが――(苦笑

 逆にいうと、
(ここでしか書けないな)
 ということですね。

作成者 マル太

2012年2月5日(日)

新幹線の中でしか

 きょう、ちょっと所用があって――
 仙台・東京間を新幹線で往復したのですが――

 新幹線の中でしか感じられないこと、思えないこと、考えられないことが――
 どうも、あるように思えてなりません。

 新幹線に乗っているときは意識できるけれど――
 例えば、飛行機に乗っているときには、なぜか意識できない――

 そういうことが――
 あるように思えてしまうのです。

 では――
 それがどんなことなのかと具体的に問われると、はっきりとは答えられないのですが――
 少なくとも、それは日本列島を俯瞰する感覚に関わることではないかと感じます。

 新幹線に乗っている自分を、上空から見下ろしている感覚――
 とでもいいましょうか。

 飛行機では、そういう感覚にはなりません。
 むしろ、飛行機に乗っている自分を、地上から見上げている感覚――

 面白いことに――
 新幹線で「上空から見下ろしている感覚」のときは、上空からの視点も一緒に連続的に移動しているのですが――
 飛行機で「地上から見上げている感覚」のときは、地上の個々の箇所からの視点が非連続的に中継されているのです。

 この違いが何に由来しているのか――
 ちょっと気になっています。

 上空には遮るものがないけれど――
 地上には山や谷などの障害物が多いから――
 ということなのでしょうかね。

 そんなに単純な話でもないように思うのですが……。

 まあ――
 他の方々にとってはどうでもいい――僕だけにしか意義が感じられない――問題提起でしょうがね(笑

作成者 マル太
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