2011年10月28日(金)
No211-4 独居より −重信房子さんの近況―
(ブログの字数制限の関係で、4つに分けてあります、No211-1から見てください。No211-3の続きです。)
『7月13日 真夏の日差し。運動ベランダに出るとプランターのひまわりが1つ、直径10センチ大の花を咲かせました。小さなプランターの少ない地の中で開いた花は太陽の方に向いてきれいに咲いていました。他のプランターには白、ピンク紫色のペチュニア、もう一つの方にはマリーゴールドが盛りです。(中略)
朝日新聞が大社説を掲げて、「いまこそ政策の大転換を。提言原発ゼロ社会」を訴えています。“朝日の世論調査でも段階的廃止への賛成が77%にのぼったことを示し、今ある54基のうち35基がすでに休止しており、8月にさらに5基が検査で止まるし、この夏の需要最盛期を乗りきれたら、かなりの原発はなくても大丈夫と証明したことになる。代替電源を増やし、電力会社による地域独占を抜本的に改めて自由化をすすめる。送電と発電を切り離し、東西の周波数の違いを改める”など新しい原発ゼロ社会に向けた提言を示し、朝日のこれまでの原子力社説のあり方も反省してみせています。
3.11から、東電の発表と国外の危機感の違いなどをどう報道してきたのか、「記者クラブ」のあり方、報道のあり方まで問うてほしいものです。それでも「脱原発」は、方法はどうあれ、国民の共通認識になっているので、「9条平和憲法」の徹底とも「地方自治の重視」とも結びつけて、さらに国民本位の社会への変革につなげてほしいと願っています。
この頃中東のニュースが資料が入らないせいもありますが、具体的な流れはわかりません。でも攻防はいっそう激しく公然非公然と続いているはずです。アラブ民衆のコンセンサス“イスラエルの占領を許さず、イスラエルに対する米欧のダブルスタンダードを許さず、超法規的な治安当局秘密警察の暴力を許さず”と、混迷しつつ問題を問うているでしょう。その分まだジグザグが続きそうです。レバノンでもハリリ暗殺の「国際法廷」が、かつてはシリア政権を「犯人」とし、今はヒズブッラーを「犯人」として指名手配し、レバノンにもホットな攻防が続いているようです。
11日にはカルテット(米・ロシア・EU・国連)がワシントンで会合を開き、パレスチナ和平交渉の再開をひき続き求める方針を確認したとのこと。しかしイスラエルとパレスチナの隔たりを埋める具体策は見出せず、声明を出さなかったとの記事。イスラエル擁護のカルテットは何の価値も権威も失っています。アラブの民衆の公正を求める声が広がっているためです。イラク侵略戦争の時からブッシュやブレアがネオコン勢力と企てた画餅のカルテットのロードマップはひどいものでした。植民地支配の総督気分の内容。国連の下で中東和平を問うのではなく、米国の支配下に国連もロシアも取り込んで、カルテットを代表してブレアが動き回るこんな偏向機関は解散させねばと思います。米国政府の思惑で、9月以降パレスチナが独立国家のステータスを国連総会で得ることを阻止する役割を果たすでしょう。
米国の中東政策はイスラエルと不可分のユダヤ在米機関の承認なしには一歩も進みません。この構造、世界のあり方を変えることが、アラブ民衆の根源的な公正を求める闘いです。それはまた、「脱原発」「反核」「9条に徹した日本」を求める人々の行動と結び合いながら、各地の民衆の共通の願いとして、21世紀の世界の構造を変えていきたいものです。フクシマヒロシマナガサキは、世界の変革と確実につながっています。(中略)
ベッド就寝時間の8時過ぎにジャムザワールドのニュースで、菅総理が記者会見で「脱原発依存」を言明したとのこと。また個人プレー。でも脱原発の布石はどんどん打って、ひき戻せない具体政策化を。各地の人々の運動が基盤となって、良識ある学者や専門家、超党派の脱原発議員、河野太郎とか役職を付けて、この国の旧い仕組みの要にメスを入れてほしいものです。脱原発依存は「人気取り」としても国民の意志が実現をつくりだしています。 (後略)』
この「日誌」の要約版は記事全体の約3割である。今後も定期的に重信さんの近況を伝えていく予定である。
(終)
No211-3 独居より −重信房子さんの近況―
『6月22日 今日は夏至。早朝から夏の太陽です。初の「真夏日」になり暑い! 冬物のネル状のパジャマと厚手の七分袖シャツに五分ズボン下。厳寒の冬から夏の八王子は京都盆地みたいでもう暑くてベッドにいても汗がだらだら。7月4日から夏のパジャマに変わるとのこと。(中略)
6.19の京都の丸岡さんを送る会の様子、早々に短信感謝。100名近い方々が集われ、O弁護士も「執行停止獄外治療」を認めなかった検察の見殺しを糾弾していたとのこと。丸岡さんの妹さんが「こんなにもいい人たちに恵まれていて兄は幸せでした。心から感謝します」と語られたそうです。パンタさんがビートルズの「レヴォルーション」「7月のムスタファ」「ライラのバラード」を熱唱して下さったとのこと。みなさんありがとう。
Yさんの本届きました。「一人の女性の軌跡として面白く読める本になっていますね。殊にあの時代を知る者(運動に参加した人もそうでない人も)にとっては、自身のクロニクルと重ねて思い出を辿るよすがになると思います。多くの人に読まれるといいですね」と、本を読んだ感想がちょうど届いて同感! Yさんの暖かい性格のままに当時を好意的に書いて下さっています。でもムムム・昔の「小説」まで入っていて照れくさいです。でも父のこと、掘り起こして書いてくれたのはうれしいです。ありがとう。
6月23日 昨日とかわって朝は曇り雨らしいけど、すぐに晴れるとのことで運動あり。プランターのひまわりのてっぺんに、もう小さい蕾! 昨日はグラウンドでの運動、晴れている上にねじり花がぽつんぽつんと咲いていて、クローバーの匂いもうれしい夏でした。今日はベランダで歩いたり走ったり。汗びっしょり。午後「夏物パジャマ1枚だけ支給します。今日から着ていいです」と、クレープの半袖が交付されました。よかった。すぐに冬物を脱いで着替えました。(中略)
6月24日 すごい晴天。昨夜は少し窓を開けたまま寝たので、朝方の風が心地よい。今日はもう1枚の夏物パジャマに下着など交付。暑いので前倒しして配ったようです。(中略)
6月28日 蒸し暑そうです。もうどこかで蝉が鳴いています。今日はグラウンドで運動。建物を出たところで、純白のくちなしの花がいくつも咲いています。駆け寄って匂いをかいでみたいけれど、それは叶いません。足下にはねじ花、もじずりの花です。楚々として美しい。屋外の空気はほっとさせます。(中略)
6月29日 今日は転房、引っ越しです。南向きの風通しの良い房から北向き風のない房に変わりました。ここは八王子に来て初めて入った房です。桜の深緑が繁り、つい目の先につぐみ、むくどり、ひよどりらが遊んでいて、風は通らないけど、夏は寒くないので悪くはありません。西北の山並みも美しく見えます。ベランダでの運動、引っ越し、入浴とバタバタ。(中略)
6月30日 今日は回覧が回ってきました。「7/4(月)からの夏期処遇について」です。「運動、入浴後、上半身のみ裸、5分間以内の拭身許可。水は洗面器2杯以内」とか「うちわ貸与」使用しない時の置場指示、「冷茶平日の3:00と免業日は昼食時一人300ccの麦茶供給」などの他「許可なくハンカチやタオルをぬらして冷やしたり不可」の注意事項も。また夕方には「7/1より1ヶ月刑務作業安全月間のお知らせ」。7/1〜7/7は全国安全月間で、7/1は国民安全の日でスローガンは「安全は家族の願い企業の礎、つくろう元気な日本」とのこと。「行事の一環として作業安全衛生をおりこんだ標語を募集します」との告知放送。(中略)
7月4日 今日から八王子医療刑は夏暦です。布団はビニール袋に入れてベッドの下へ。団扇も配られました。(中略)
7月5日 今日は7.6の日。69年の時代を考えつつ晴れ間を見上げ、和泉校舎のあの時の野甘草のだいだい色の原一面を思い返しています。和泉校舎の裏道を「これが革命か? 変だ。何でこんなことをする必要があるのか……」と考えながらとぼとぼと歩いた道、あたり一面の花。(編集室註:69年7月6日、明治大学和泉校舎で、ブント〔共産主義者同盟〕内の分派が指導部を襲撃し重傷者が出た)(中略)
7月11日 朝からがんがん照りの夏。こんな夏は好きですが、運動入浴とずっと汗がとまらず、風もなく子供時代の夏や湿気の多いイエメンの夏を味わっている感じです。ベイルートは快適、ベカー高原も寒暖の差のはげしい過ごしやすい夏、イラクは身体から水分が抜かれてドライヤーの熱いのを吹き付けられる夏ですけど。(中略)』
(No211-4に続く)
No211-2 独居より −重信房子さんの近況―
No211-1の続きです。
『5月30日 昨夜は寝つけず、丸さんの死を考えていました。29日朝、1棟むこうで死んだなんて。最期の救急措置はどうだったのだろう? 朝まで気づかず……となっていないだろうか。私の病房にはナースコールはありません。大阪医療刑務所では、ベッドから手の届くところにナースコールがあり、詰所の看護師さんがとんできます。ここでは、通常の報知器がドアのところにあり、ベッドを出てドアのところまで行って報知器(押すと廊下に板がおりて係官が目視)を押して待ちます。係の人が気付くと房に来て用件を尋ねて、必要なら看護師を呼ぶシステムです。私の病状では、それでまったく支障はありません。
丸さんの条件はわかりませんが、彼はベッドから緊急事態をどう知らせることができたのだろうか。丸さんが八王子は仙台よりも緊急体制がとれないと嫌がっていて、新舎になった東拘が一番良いと書いていたのを思い返しています。(中略)そんな中、丸さんはがんばったんだなと、改めて思いました。
今日もぐずついた天気。これまでで一番哀しい5.30記念日。(中略)
6月1日 今日は曇り空でしたがグラウンドで運動。100メートルのグラウンドを3周走ってあとは息があがったので歩いてみたり、クローバーの咲く芝生の上で柔軟体操、真向法。空を見ていたら、また丸さんのことがあれこれ思われます。土の匂い草の匂い。べーカーを思い出しつつ。
6月2日 雨ふり朝顔を昨日見かけたと思ったら、今日は一日中雨。
丸さんはここを出て、家族のようだったアラブ時代の仲間たちと会えただろうか。そして親族と大阪に帰ったことでしょう。きっと東京で5.30の39周年をみんなと過ごしたでしょう。雨を見ながらそんなこと考えています。
昨日点呼後「告知放送」がありました。6月1日に新法の規則の改訂が行われたという告知放送。あれ?新法の再検討は今年これからと思っていたのですが。法の「規則」といので別物? これで終りということではないでしょうね。
告知放送によると、改訂で大きく変わった点は3点あり、今後も社会復帰に向けて一段と努力するようにと述べた後、第一には日用品の装飾品や女子クリーム類が増えたこと、第二には自弁購入物品が増えたこと(1類処遇の人にはDVD、3類処遇以上はザブトン購入可、全員に制汗剤〔デオドラント風〕購入可)、第三にこれまで2類以上の人のみの電話による通信の拡大。人道上必要と認められた全受刑者。以上が改善された主な点で、今後新しい「所内生活心得」を改訂して配布するとのことです。もっと諸々改善点があると思ったのですが……。獄外の処遇改善の動きとどう連動しているのでしょうか。
(中略)いろんな友人から丸さんのお悔やみと励ましのお便り、本当に心が安らぎます。
「まつろわぬ魂魄天空駆け巡る」と丸岡弔う友よりの文
6月3日 「内閣不信任否決」の記事を読む。姑息に辞任を先延ばしにした菅首相に、ひいきの朝日新聞まで「新代表を速やかに選べ」との主張。菅首相は十分デタラメだったが、浜岡原発休止と発送電分離が菅下ろしを加速したみたい。今の政治家には覚悟が全然見えない。マスコミ世論調査にのっかって仲間を排除し合うか、政権の前提となった「マニフェスト」も官僚や自民党の反対に見る影もない。下からの国民の意志をどんどん政策化し実現する力をつけ、たち遅れの政治家、企業人、官僚、そのシステムまで変革を!と願うばかり。(中略)
6月17日 やはり点滴で食欲は減退。副作用で手足のしびれが昨日も今日も。午後メイの面会。丸岡さんの「追悼する会」があるので行くとのこと。丸さんのエピソード、メイの子供の頃の話など笑いながら話しました。哀しいから笑うしかないからと。
彼方よりオリオンの光届きしか君の魂魄抱き連れゆく
6月19日 ずっと梅雨じめり。今日は京都で「丸岡さんを葬送る会」が行われているはずです。検察権力への虐殺への憤りとパレスチナに殉じた丸岡さんに連帯して旧友たちのもとに戻ってきた彼の夢と志を抱きとめているでしょう。
新聞にパレスチナ国連大使のインタビュー記事。9月の国連総会で3分の2の支持をとりつけて、パレスチナ国家承認を求めて国連加盟をめざすとの意向。米国の「拒否権」で実現は不可能ながら、こうした当然の要求をつきつけつつ、安保常任理事国の特権を廃する国連改革へと広げてほしい。 (中略)』
(NO211-3に続く)
No211-1 独居より ―重信房子さんの近況―
重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの刑務所内での近況などが載っている。
私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」106号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版を掲載する。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)
文書が長くブログの字数制限を越えるため、No211-1からNo211-4に分けて掲載する。
【独居より 5月29日―7月14日】オリーブの樹106号(引用)
『21世紀の世界の構造を変えていきたい(7月13日)
5月29日 夕方6時過ぎ、「電報です」の声。ちょうど朝から雨続きの空を見上げて、「明日は5.30リッダ闘争の日。丸岡同志はどうしているかな……」と独り言を言いながらカーテンを閉めたところでした。
「29日朝、丸岡死去。無念」とYさんからの電報でした。がく然……。
心臓がどきどきと高鳴って、思わず身体が震えてしまいました。今、その想いのまま筆をとっています。
もっとも最前線で苦難の先頭に立って自己犠牲的に歩んだ戦友丸岡同志。
日本は大震災で変革が根本的に問われ、アラブでは民衆蜂起の中でパレスチナの新しい希望が生まれ、明日5.30には心を送って連帯を共にできると思っていたのに……。
今、丸さんと初めて会った1972年ベイルート、それから共に分かち合って苦難を乗り越えてきた日々が頭の中を巡り、身体を熱くしています。お互いに何度も危険や死に直面し助け合って乗り越え、「敗北を勝利の土台に!」と進みましたね。家族のように兄弟のように。丸岡同志と共にJRAが新しい展開を試みた87年11月に帰国したまま、獄中闘争を強いられた同志。
そして東拘の肺炎対応の誤診から危篤状態は脱したものの、以来ずっと心臓の重篤な病状に陥ってしまいました。検察は日本赤軍の過去の闘いに対する報復のように、命の瀬戸際にある丸岡同志を決して許さず、「刑の執行停止」を認めず、死刑の如き扱いに終始しました。
八王子医療刑務所は、「緊急医療」には即応しえない「療養施設」であり、ことに人手の居ない週末の丸岡同志の異変をいつも心配していました。29日が日曜日だったことが気がかりです。けれども丸岡同志、あなたは長い獄中生活においても、志高く同志友人を支え、常に人びとの利益、人びとの幸せと求め続けてきたことを多くの人が知っています。丸岡同志が私の励みであったのにもう居ないなんて……。
丸さん、私はあなたへの感謝と、一方に口惜しさで一杯です。あなたが87年逮捕されてから、丸岡同志の闘いに応えることもできず、望みを十分に実行しえず、死もまた、受け入れて通夜に臨む術もない。あの時、こんなふうにしたらよかったのに、この時はこうすべきだったと語り合う機会を失いました。
丸岡同志、きびしい病状の中で生き、支え励ましてくれてありがとう。何を語れば、彼の同志愛に応えられるのだろうか……。今は生き続け、丸岡さんの想いを一歩でも旧友たちと実現していきたい。遠くに居る同志も身近に居る仲間も、敗北を次の前進の糧にすすみます。
「丸さん疲れたでしょう。ゆっくり休んでいいよ。そう言っても、また腕まくりして彼岸で活躍のこまかい準備を始めているでしょう。5.30バーシムたちと話の続き、革命の続きを共にして下さい。リッダ闘争39年目は一番悲しい記念日になりました。でも丸さん、あなたのように前向きにまた進みます。再会まで!」
以上は、今5月29日の思いです。
永別の君に手向ける花も無く心を込めて歌うインターナショナル』
(No211-2に続く)

