2012年2月29日(水)
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 20/21
兵庫のREJOICE GOSPEL CHOIRはメンバーの大半が阪神大震災を経験した。2010年のハイチ大震災後も関西のチャリティーライブに参加した。今回の震災後もライブで募金を呼びかけた。ディレクターの田中武さんは「遠距離で1人でも行くつもりだったが、20人集まった」と驚く。路上会場で震災の経験や「多方面の支援を受けて復興できた。力を失った弱さのとき、希望、力を見つけた」と語ると、観客で涙ぐむ人もあり、震災で家族を失った人から「励まされた」という声があった。
同クワイヤーは「神戸からゴスペル〜希望の歌〜を」“Never Alone〜ひとりじゃない〜”をテーマに掲げ、13日(日)午前はシーサイドバイブルチャペル(内藤智裕牧師)の特別礼拝にて、午後は泉福音チャペル(伊藤博牧師)により10月にオープンしたばかりの東松島アメージンググレイス支援センターでのコンサートも開催した。各会場には、時に涙ぐみながら、時に笑顔で聞く方も多く、「温かい歌声に感動しました。」、「遠いところ来てくれてありがとう。」、「あなた方も辛かったのね。」、「また聴かせてね。」などの声が寄せられた。
02年に「第3回全国ゴスペルクワイヤフェスティバル」グランプリを受賞したBROWN BLESSED VOICEも宇都宮市から駆けつけ、「日本中に元気を」と力強い歌声を披露した。
KIZUNAは昨年12月に結成された日本聖泉基督教会連合仙台聖泉キリスト教会のバンドだ。最初のコンサートは単立・シーサイドバイブルチャペルだったが、その1月後に同教会が津波で流出した。「メンバーは2世、3世の生粋のクリスチャン。心から神への賛美、感謝、復興への思いを歌います」と語った。
ハレルヤゴスペルファミリーも仙台を拠点にするゴスペルシンガー、ジョン・ルーカスを中心に仙台、石巻、秋田、関東などから駆けつけた。
グッドニュース・プロジェクトは石巻市雄勝中学校でのゴスペル指導を3月まで続ける。仙台市のラジオ放送Radio3(FM76.2)ではジョン・ルーカスとナビゲーターhiroにより同フェスティバル応援番組「GOSPEL Makes You Happy」が放送(毎週金曜日午前11時30分〜正午、再放送午後10時30分〜午後11時)され「永井信義のグッドニュースコラム」もある。同フェスティバルの模様も放送予定。
〈引用以上〉
実は、長野県でも長野国際ゴスペルフェスティバルというものが、長野県上田市の信州国際音楽村で開催されている。こちらは教会(キリスト教団体)を主体としたものではなく、町おこしのようなイベントのようだ。一方、仙台ゴスペル・フェスティバルは永井信義牧師が主宰している。
今流行っている日本のゴスペルもキリスト教式結婚式同様世俗化している。そもそもクリスチャンでなければ本当の意味でゴスペルは歌えない。同様にバッハの音楽もすべて礼拝音楽なのでやはりクリスチャンでなければ正しく解釈できない。日本は和魂洋才主義、いいとこ取りで、西洋文明の本質であるキリスト教を骨抜きにし、知識、技術、文化、風習といったものだけを一人歩きさせてきた。日本では仏教や神道主義の大学よりも多い、キリスト教主義のミッションスクールなども同じ運命をたどってきた。クリスマスをはじめ、母の日、父の日も教会から生まれた行事だが、教会で祝うことはしない。だから日本にはキリスト教人口がなかなか定着しない。「西暦」という呼称もその最たるものだ。それは本来「キリスト紀元」と呼ばれるものである。単に「紀元前」と呼ばれる「BC」は「Before Christ」、つまりキリスト誕生前を意味し、「紀元」と呼ばれる「AD」は「Anno Domini」、ラテン語で「私たちの主の年」という意味である。今年はイエス・キリスト誕生2012年というわけだ(歴史的にはイエスは紀元前に誕生しているが、イエスはこの世に来る前から神の子として永遠に存在しておられる)。「キリスト紀元」から「キリスト」を削除して「西暦」と呼ぶのはいかにも日本らしい。
「日本国の大困難、その最大困難とは何でありますか、私は明白に申し上げます。それは、日本人がキリスト教を採用せずして、キリスト教的文明を採用したことであります。これが我が国今日凡ての困難の根本であります。…キリスト教文明とは読んで字のごとく、キリスト教によって起こった文明であります。しかるに、日本人はキリスト教的文明を採用し、その根本たり、原因たり、その精神たち、生命たるキリスト教そのものを採用しないのであります。」(内村鑑三 1861〜1930年 キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者)
〈※翌日3月1日に続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 19/21
ちなみに日本で“フォークの神様”と呼ばれる岡林信康(1946―)は牧師の息子である。彼の実家はメンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した教会である。
父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師に出会い牧師となって大阪の神学校で通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を立てた。当地で信康は生まれる。近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱いに疑問を感じ「脱出」、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。その言動から彼がクリスチャンかどうかは不明だ。
教会、キリスト教団体、クリスチャンと呼ばれるものたちが、若者たちにつまずきを与え、神から遠ざけてしまう。あってはならないことだがよくあることだ。あの尾崎豊もその犠牲者のひとりに数えられる。しかし、いつまでも人のせいにして逃げて回ってばかりいてはならない。人は必ず神と一対一で対峙して神との関係に自らの意志で結論を出さなければならない。
【日本で流行しているゴスペル】
ゴスペル音楽を楽しんでいる人口は、日本においても10万人を超えたとも言われている。日本各地でゴスペル教室、ゴスペル・クワイアーなどが流行っている。日本で最もゴスペルが盛んな所は東日本大震災の被災地仙台である。
◆『震災乗り越え「復興歌声祭典」仙台ゴスペルフェスティバル』
(クリスチャン新聞 2011年11月28日)
第10回仙台ゴスペル・フェスティバル(同実行委員会主催)が11月12日仙台市で開かれた。全国から100組約千200人が駅前、商店街、公園など11会場で歌声を響かせた。全国初の「ストリート型のゴスペル野外音楽祭」として始まった同祭は10年目。東日本大震災があり、開催が危ぶまれた。実行委員長の永井信義さん(福音の群・東北中央教会牧師)は「多くの方々から応援をいただき『復興歌声祭典』として開催が決まった。ゴスペルは愛、希望、祈り、いやし、救いの歌として世界中で歌われる。参加される方々とともに仙台の街を感謝の歌声でいっぱいにしたい」と述べた。
ファイナルステージは全国から集まった参加者の思いに応え、仙台から全国に元気な歌声を届けようと"鎮魂、復興、感謝"をテーマに開かれた。数百人のマスクワイヤと会場を埋め尽くす観客が一体となり、「You are good」「Oh happy day」などが歌われた。
全校生徒54人のうちほぼ全員の自宅が津波で流出した石巻市雄勝中学校生徒も出演。同実行委員会有志の「グッドニュース・プロジェクト」は同中学校を支援している。選択授業として公立中学校では全国で初めてゴスペル指導を実施した。生徒の希望によって「Oh hhappy day」、「翼をください」、音楽バンドいきものがかりの「帰りたくなったよ」が選ばれ歌われた。古タイヤにビニールテープを張った太鼓で「雄勝北興輪太鼓」も披露。3年生が引退するため最後の公演となった。10月まで避難所だった石巻市河北ビッグバンでもゴスペル指導。開催中学生とともに出演した。
女性ボーカルグループJADEは津波でメンバーを1人失った。コーラス経験がある人もいるが、ゴスペルの魅力は「より気持ちを込められ、自由に歌えること」。同フェスティバル参加は常連。毎週の練習は生活の一部だった。「イベントに向けてみんなで作り上げる喜びがあった。確実に1人いない喪失感がある」。喪失感と震災後の混乱で当初は「歌うという頭はなかった」。しかし春に参加予定だった「とっておきの音楽祭」に参加したことなどがきっかけとなり徐々に歌えるようになった。「歌う場面がありようやく立ち直った。機会を与えてくれて感謝します」と語った。
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 18/21
★ヨランダ・アダムス(1961―)
教職を辞め、サウス・イースト・クワイヤーに入り、リード・ボーカルをつとめる。1987年「Just as I am」でソロデビュー。R&B風のゴスペルで90年代にはスポットライトを浴び、2000年には「Mountain High…Valley Low」でBillboard誌の年間ゴスペルランキングで一位に輝く。教員からアメリカのトップ・ヴォーカリストの仲間入りを果たすという快挙。1992、1999年、2005年、2006年にドーブ・アワード(ゴスペル・ミュージック・アソシエーションという、アメリカで最も大きなゴスペル音楽協会の音楽賞)、2001年にアメリカン・ミュージック・アワード(グラミー賞に続く音楽賞と言われる)、2001年からBETアワード(ブラック・エンターテイメント・チャンネルの音楽賞)を3連覇、2001年にソウル・トレイン・ミュージック・アワード(70年代から大人気だったR&B、ソウルミュージックの音楽番組にちなんで作られた音楽賞)、そして、1999年、2001年、2005年、2006年と4回のグラミー賞受賞。ゴスペル・アーティストとしてだけでなく、ベストR&Bや、ベスト女性ヴォーカリストとしても受賞している。カーク・フランクリンを紹介した時に言及した映画「THE GOSPEL(ゴスペル)」にも出演。
'I Love The Lord' tribute to Whitney Houston
http://www.youtube.com/watch?v=3WbZIjG_3sE
★アル・グリーン(1946−)
子供のころは家族でザ・グリーン・ブラザーズというグループを作り、ゴスペルを歌っていた。1970年のアルバム"Al Green Gets Next To You"と翌年の"Let's Stay Together"がヒット(タイトルトラックは全米シングルチャートで1位を獲得)、一躍スターとなる。1974年、グリーンは彼のガールフレンドから熱湯を浴びせかけられ、重度のやけどを負ってしまう。その後彼女は自殺。この出来事に深く心を痛めた彼は牧師になる決意をした。1980年代以降はゴスペル・シンガーに転身、また牧師として宣教活動に力を入れた。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第14位。
None But The Righteous.People Get Ready.The Lord Will Make A Way.I'll Fly Away.
http://www.youtube.com/watch?v=xHIth29FoPk
★アレサ・フランクリン(1942−)
米ソウル界の重鎮。父C・L・フランクリンは説教者として有名な教会の牧師であり、母バーバラ・シガーズ・フランクリンは優れたゴスペル歌手であった。両親は、アレサが幼い頃から別居していたが、アレサは父のもとで育てられ、父の教会でゴスペルを歌っていた。
ソウル・ミュージック歌手の中でも、サム・クックと共に一際ゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており、“クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つ。1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。1987年、女性アーティスト初のロックの殿堂入りを果たした[2]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれている。ちなみにホイットニー・ヒューストンは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第34位。ホイットニーの母はアレサ・フランクリンのバック・コーラス担当歌手であった。
I Say A Little Prayer
http://www.youtube.com/watch?v=STKkWj2WpWM
★マヘリア・ジャクソン(1911−1972)
ゴスペル界最高峰の歌手として語り継がれている。バプティスト教会で唄い始める。1927年にシカゴへ移り、ゴスペルグループであるジョンソン・ブラザーズのメンバーとしてプロの音楽活動を開始する。
Amazing Grace
http://www.youtube.com/watch?v=ZJg5Op5W7yw
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 16/20
★ドニー・マクラーキン
1959年ニューヨーク州アミティヴィル生まれ。お家は、あまり裕福ではなかったそうです。7歳の時に、当時2歳だった弟を交通事故で亡くしてしまいます。お母さんは薬物に頼るようになり、お父さんはお酒を飲んでは暴力をふるうようになり、ドニーはおじさんの家に預けられます。しかし、この叔父さんが、彼に性的な虐待をします。傷ついたドニーに容赦なく、またもや、いとこ達からも性的な虐待を受けます。身内からの虐待に大きな傷を負ったドニーは、ゴスペル・シンガーであった叔母さんの勧めで、キリスト教を受け入れます。友達もなく、自分はダメな人間だと自信がもてなかったというドニー少年は、教会に通うようになってから、教会とゴスペル音楽が唯一の楽しみだったといいます。
音楽の道に惹かれていったドニーは、10代でザ・マクラーキン・シンガーズを結成します。その後もニューヨーク・レストレーション・クワイヤを結成して、路上や刑務所でのコンサートを中心に活動を始めます。そして、1989年、パーフェクティング教会の牧師であるマーヴィン・ワイナンズに副牧師として雇われます。
その頃から、ドニーはボーカリストとして高い評価を受けるようになり、テイク6のプロデューサーらの目にとまります。1996年にソロデビューアルバム"Donnie McClurkin"をリリース。アメリカのTVで有名なパーソナリティーであるオフラ・ウィンフリーの支援もあり、そのアルバムは、ステラー賞を受賞し、グラミー賞、ドーヴ賞にもノミネートされます。
ゴスペル・アーティストとして、脚光を浴び始め、その後は次々と大きなステージに登場するようになります。映画「Prince of Egypt」のサントラ盤に参加し、ステラー賞「男性ヴォーカリスト・オブ・ザ・イヤー」など2部門を受賞。2000年のセカンドアルバム、「LIVE IN LONDON AND MORE」は、100万枚を超える大ヒットとなり、ビルボードゴスペル部門のヒットチャートNo.1、ステラー賞など6部門に渡り受賞。ゴスペル音楽界のスターとして君臨します。
絶大なる人気を集めたドニーでしたが、そんな中、自身が被虐待児であったことを赤裸々に綴った自伝「Eternal Victim / Eternal Victor (邦題:ドニー・マクラーキン ストーリー暗闇から光へ)」を2001年に出版します。このショッキングな自伝は、アメリカだけでなく、海外からも大きな反響を呼びます。そして、この年、ドニーはニューヨーク州のパーフェクティング教会の牧師になります。
牧師としての職業を選んだドニーですが、アーティストとしての活動も続け、2003年には『...Again 』では、ビルボードゴスペル部門のヒットチャート1位、グラミー賞最優秀コンテンポラリー・ソウル・ゴスペル・アルバム賞を受賞。『Psalms,Hymms and Spiritual Songs』は、第48回グラミー賞を獲得。ビルボード12位、同R&Bチャート5位、同ゴスペルチャート1位となります。
大きなゴスペル・イベントの広告にドニー・マクラーキンの顔が出ていないことがない・・・というほど、NYでは本当によく見かけます。それでも、ドニーを見たい、ドニーの歌を聴きたいという人は、後を絶ちません。彼の魅力は、ハンサムなルックスや歌唱力は、もちろん!しかし、耳の肥えたニューヨーカーを魅了するには、それだけでは不十分です。彼の魅力は、やはり表現力ではないでしょうか。さまざまな試練を乗り越えたドニーの心からくるサウンド、作られたものではなく彼自身から表現される「偽りのない」強くて優しい歌声に、胸を打たれるのだと思います。
http://gospelnow.org/HTML/backnumber/artist/artist9.htmlより
Donnie McClurkin Stand Whitney Houston Funeral
http://www.youtube.com/watch?v=YDiwVeLhXF0
〈続く〉
※ホイットニーの葬儀で歌うドニー・マクラーキン
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 16/21
★B・J・トーマス(1942―)
アメリカ合衆国のポピュラー歌手。1960年代から1970年代にかけてチャート1位を獲得するヒットソングを発表したことで知られる。ソロ活動を開始する以前、トーマスは十代で教会の聖歌隊に参加しており、その後音楽グループ「ザ・トライアンフス」(The Triumphs)に参加していた。
1969年の映画『明日に向って撃て!』の主題歌として、トーマスはバート・バカラック作曲・ハル・デイヴィッド作詞の楽曲「雨にぬれても」(Raindrops Keep Fallin' on My Head)を歌い、同曲は1970年1月にビルボード・ホット100チャート1位を記録した。この曲は同名のアルバムにも収録されている。このほかの1970年代のヒット曲としては、「君を信じたい」(Just Can't Help Believing, 1970年ビルボードチャート9位、後にエルヴィス・プレスリーによってカバー)、「ロックンロール・ララバイ」(Rock and Roll Lullaby)、「アウト・オブ・タウン」(Everybody is Out Of Town)、「歓びのハレルヤ」(Mighty Clouds of Joy)などがある。近年では、トーマスはコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックの分野で新たなファンを獲得している。2002年、トーマスは1980年代末以来となるシングル「You Call That A Mountain」(同名のアルバムからのシングルカット)でチャート入りを果たした。2007年10月には、新曲のみで構成されたアルバム『Love To Burn』をリリースしている。
Raindrops Keep Fallin' on My Head
http://www.youtube.com/watch?v=ZIqxnYZZNB8
★スティーヴィー・ワンダー(1950−)
ミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。歌のほか、様々な楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストであり、11歳の時にモータウンのTamlaレーベルと契約し、以来現在までモータウンひと筋に活動する。30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーである。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第9位。彼も少年時代聖歌隊でアクティブに活動していた。
Stevie Wonder Whitney Houston Funeral - Personal Ribbon In The Sky
http://www.youtube.com/watch?v=ibsS05cBFZA
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 15/21
★サミュエル・クック(1931−1964)
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第4位。ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。後に家族とともにシカゴに移住。父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズのリードボーカルとなり、端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された音楽性が持ち味で、白人層からの人気も高かった。
1964年12月11日、ロサンゼルスのサウスセントラル地区にあったモーテルで管理人の女に射殺される。33歳没。死については、「行方の分からなくなった女性を探していたクックがモーテルの事務所に押しかけてトラブルになり銃で撃たれた」、「モーテルに連れ込んだ売春婦に金や服を盗まれたために仕方なく裸で追いかけた後に銃で撃たれた」など諸説がある。
The Soul Stirrers – Wonderful
http://www.youtube.com/watch?v=vjtcOh4hmyE
★ジャック・リロイ・“ジャッキー”・ウィルソン・ジュニア(1934―1984)
サム・クック、ジェイムズ・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人とされる。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第26位に入っている。
That's Why I Love You So
http://www.youtube.com/watch?v=xZg_05h4EoU
★オーティス・レイ・レディング・ジュニア(1941−1967)
ゴスペル・シンガー兼説教者のオーティス・レイ・レディング・シニアの息子。独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第8位。
I Can't Turn You Loose & Shake
http://www.youtube.com/watch?v=xpog_MxufzA
★ウィルソン・ピケット(1941−2006)
情熱的、野性的な歌声を持つ、サザン・ソウル、アトランティック・ソウルの代表的存在。
アラバマ州プラットヴィル生まれ。幼い頃からゴスペルを歌い。1950年代末にゴスペル歌手としてデビューする。のちにソウルに転向し、ファルコンズのメンバーとなる。「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」(In The Midnight Hour)、「ダンス天国」(Land of 1000 Dances)といった、現在でもR&Bのスタンダードとなるヒット曲を放った。
In The Midnight Hour
http://www.youtube.com/watch?v=5KFYUJ63nk8
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 14/21
エルヴィスが本物のゴスペル・シンガーであり、クリスチャンであったという証言
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 1
http://www.youtube.com/watch?v=EOiuLVHjl_k&feature=related
He Touched Me (Vol 1) Pt. 2
http://www.youtube.com/watch?v=2n1MSrpcMsA&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 3
http://www.youtube.com/watch?v=JzmwAieXJso&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 4
http://www.youtube.com/watch?v=8AWVysNe3RM&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 5
http://www.youtube.com/watch?v=X01IwDPRgXo&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 6
http://www.youtube.com/watch?v=3eosc3L2Yd4&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 7
http://www.youtube.com/watch?v=Y3grqrxJuFI&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 8
http://www.youtube.com/watch?v=ZqBBzuBT7vE&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 9
http://www.youtube.com/watch?v=9QPZYZ1CK9E&feature=related
He Touched Me (Vol 1) Pt. 10
http://www.youtube.com/watch?v=mK4WD44vO0w&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 11
http://www.youtube.com/watch?v=53J5XzMfhG8&feature=related
He Touched Me (Vol. 1) Pt. 12
http://www.youtube.com/watch?v=cTPYBGqwsNw&feature=related
以下にセキュラー音楽業界で世界的に著名になった教会の聖歌隊出身の歌手を何人か紹介する。みな一時代を築いた者ばかり。
★マーヴィン・ゲイ(1939−1984)
ソロシンガーとして高い評価を受ける一方で、常に独創的なアイディアを持った先駆的な楽曲を数多く制作し、生前は言うに及ばず、没後も多くの黒人ミュージシャンを含む、世界のミュージシャンに大きな影響を与え続けるクリエイターである。
厳格な牧師の息子として生を受け、地元の教会で聖歌隊に参加したことがシンガーとしての第一歩である。歌と同時にピアノやドラムといった、いくつかの楽器の演奏技術も習得し、音楽の下地を養った。音楽に没頭するきっかけは、彼の父親の常軌を逸した躾であり、精神的な虐待であった。この悲劇的な側面は、後の彼の人生に大きな暗い影を落とすこととなる。
Mercy mercy me
http://www.youtube.com/watch?v=eGDtg_ElK-Y&feature=fvst
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 13/21
離婚後もエルヴィスとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。エルヴィスがツアーでロサンジェルスにいるときは、彼女の家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、二人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとエルヴィスは頻繁に会っていたようだ。彼が死んだその日もリサはグレイスランドにいた。
ちなみに一人娘のリサ・マリー・プレスリーは9歳で父親と死別したあと、母親とその恋人との間で複雑な問題を抱えていた孤独なハイスクール時代は、ドラッグ・エクスペリメントを繰り返し学校を転々とした。20歳でミュージシャンのダニー・キーオと結婚し、長女リリー、息子ベンジャミンを儲けるも6年で離婚。26歳でマイケル・ジャクソンと結婚するも2年で離婚。
2000年代に入り歌手としての活動を活発化させ、34歳で俳優のニコラス・ケイジと結婚するも3ヶ月で離婚。(ニコラス・ケイジがエルヴィスの大ファンであるため彼女はトロフィー・ワイフだといううわさもあった)2006年、マイケル・ロックウッドと京都で4度目の結婚。2008年8月5日にフィンリーとハーパーという双子の姉妹を出産。2010年、イングランドに移住したことを発表。
エルヴィスは、1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで死去した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3:30に死亡を確認した。42歳没であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。晩年、エルヴィスはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、75年くらいからは処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・“ソニー”・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷した。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。ホイットニーも似たような末路をたどってしまった。
エルヴィスに関するギネス・ワールド・レコーズ
世界で最も成功したソロ・アーティスト
全米No.1シングル18曲(歴代2位)/全英18曲(歴代1位)
最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
全米No.1アルバム9作/全英6作
全米チャート入りレコード149作/全英98作
シングル発売133枚
最も長時間No.1にエントリーしたアーティスト(80週)
最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956〜2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。彼の死の衝撃が物語れる。
世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。
世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。
明日に架ける橋(訳詞付)/エルビス・プレスリー
http://www.youtube.com/watch?v=XStHAJkSC0E
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 12/21
ところで、ホイットニー・ヒューストンの母シシーは、かつてエルヴィス・プレスリーのバック・コーラスに参加していたこともある。
★エルヴィス・アーロン・プレスリー (1935−1977)
アメリカのロックンロールミュージシャン。ミドルネームは墓石には Aaron と綴られているが、サイン、公文書共に Aron である(アロンは聖書に登場するモーセの兄の名)。キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1977年8月16日、心臓発作により急逝。42歳だった。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。現在彼はゴスペルシンガーとして再評価され、史上初の「クリスチャン・コンテポラリー・ミュージシャン」と呼ばれる。
エルヴィスの家は敬虔なクリスチャンで、
近所のファースト・アセンブ リー・オヴ・ゴット
教会に毎週日曜日になると通った。エルヴィスは回想する。「母によると、僕が2歳の頃、教会で聖歌隊が好きで、母のひざから降りて、歌詞は歌えないがメロディーを一緒に口ずさんでいたという。4歳とか5歳になると、日曜日がすごく待ちどうしかったのを覚えている。日当たりのいい、行きつけの古い教会が大好きで、両親が一緒に居て僕を見守ってくれていた。初めにも終わりにも、そこが歌を練習した唯一の場所だった。できるだけ大きい声で音程を外さないように歌うよう努めた。」エルヴィスは教会の聖歌隊が歌い始めると、体を動かせてダンスしたり、歌詞を真似て賛美歌を歌っていたという。
5歳の時にはすでに聖歌隊の一員として歌うようになる。日曜日の午後に教会の外で黒人の歌うゴスペル・ソングを聴いていたという伝説があり、エルビスは「教会のゴスペル・ソングから学んだ」と言ったことがある。
貧しい環境の中、歌を歌うことが数少ない楽しみのひとつだったのだろう。
それはエルヴィスの
「夕食が済み、皿を片付けた後、父と母と僕は歌を歌って、三人でハモりました。
それが、当時の僕たちの娯楽でした。」
という言葉からもわかる。
黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。ナンバー1ヒットは全18曲、合計80週間である。曲数はビートルズに次ぐ歴代2位である。週間数に関しては歴代1位である。ちなみに2位はマライア・キャリーの79週。(ビルボードに準拠)
ロックン・ロール、リズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックの3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ3度グラミー賞を受賞しているが、3度ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、エルヴィスは終生この事を誇りにした。
エルヴィスには離婚歴がある。彼は1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚。プリシラはエルヴィスのドイツでの所属部隊長の継子であった。エルヴィスは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名なカソリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの母親と継父に約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく二人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。
その4年後、結婚前から続いているエルヴィスの生活習慣(昼と夜が逆転した生活、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、彼女は空手教師のもとに走り、二人の結婚生活は破綻してしまう。グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンジェルスに住居を移す。1973年10月9日に正式離婚。
『Elvis Presley Gospel Medley』
http://www.youtube.com/watch?v=PkxkmbTyFOI
〈続く〉
ホイットニー・ヒューストン、プレスリー 福音歌手の栄光と凋落 ゴスペル vs 誤スペル? 11/21
★21世紀のマライア・キャリー、ジェシカ・シンプソン(1980―)
シンガーソングライター。父は南部バプテスト(プロテスタント)派の牧師、母ティナは元日曜学校の教師、妹アシュリー・シンプソンは姉と同じくシンガーソングライター。「21世紀のマライア・キャリー」のキャッチコピーで大々的に売り出され、"I Wanna Love You Forever"でデビュー。ビルボードHOT100において最高3位を5週連続に渡って記録する大ヒットとなり華々しいデビューを飾る。そして、その後1stアルバム『Sweet Kisses』をリリース。まだ見ぬ未来の夫に捧げたという"Heart Of Innocence"では作詞にも参加し「結婚するまで純潔を守る」と発言した。本人が人生の一部だと語るゴスペルスタンダードナンバー"His Eye Is On The Sparrow"を収録。離婚。敬虔なバプテスト、純潔運動家と知られ、一時期はヴァージンをカミングアウトしていた。離婚後、近年は恋多き女性として知られている。影響を受けたシンガーにはマライア・キャリー、トニー・ブラクストン、シャナイア・トゥエイン等を挙げている。
『His Eye Is On The Sparrow』
http://www.youtube.com/watch?v=AWNFSVe8VXA
★R&Bの女王ビヨンセ(1981―)
ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ。シンガーソングライター、音楽プロデューサー。デスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、プロデューサーも兼ねた。これまでのCDトータルセールスは、全世界で2500万枚以上。 デスティニーズ・チャイルド時代を含めると全世界で5000万枚を超える。2010年にはグラミー賞6冠を達成している。
アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズとルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアン、フランス人の血を引く)を持つティナとの間に、長女として生まれた。フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名「ビヨンセ」と命名される。Beyonce(発音は異なる)はティナの旧姓でもあった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、教会の聖歌隊員だった。ビヨンセも純潔を守り、夫に出会うまで処女であったという。
◆『有名になり過ぎてビヨンセが教会通い断念』
(CJC 2008年5月26日)
『米エンターテインメント史上最も美しい女性』との評判を得た「デスティニーズ・チャイルド」のビヨンセ・ノウルズ(26)は、7歳のころから聖歌隊で歌うなど、テキサス州ヒューストンの教会に熱心に通っていたが、礼拝に出る度にファンにもみくちゃにされ、「恥ずかしくてもう行けない」と断念することにした。専門通信『コンタクトミュージック』などが報じた。
「説教の最中にも押し寄せて、行動の全てを注視している。携帯電話で写真もとるし、良い人たちだけれど…。もしも日曜礼拝に行くのを止めても、神様は理解されると思う」と言う。
またラッパーのジェイZとの結婚について、否定もしないし、話すことはない、と語っている。
〈引用以上〉
ビヨンセもホイットニーと同じく教会の聖歌隊出身の歌手で似たような経歴を持つ。同じ轍を踏むことがないように願いたい。
Beyoncé - Gospel Medley
http://www.youtube.com/watch?v=UO9NjB-LcGU
〈続く〉



以下の英文記事には、マライアの信仰体験が綴られている。彼女は神と彼女の牧師に対する敬愛を公に宣言している。
★マライア・キャリー(1970−)
世界で成功している歌手の多くは幼少期に教会で神賛美に触れた経験を持つ。彼らの音楽的センス、歌唱力は教会で培われた。あのマライア・キャリーもそのうちの一人である。彼女は、1998年にはホイットニー・ヒューストンとのデュエット曲「When You Believe」(映画『プリンス・オブ・エジプト』主題歌)を発表している。
なおゴスペル・ミュージックには、1930年代から黒人教会で演奏され始めたブラック・ゴスペル(一般的にはこちらを指す)と、南部州の白人クリスチャンアーティストが歌っていたホワイト・ゴスペルがある。今日では、ブラック・ゴスペルを「ゴスペル」、ホワイト・ゴスペルを「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)」と呼ぶのが通例。ちなみに、このCCMのパイオニアがカルバリー・チャペルの「ジーザス・ミュージック」である。
【ゴスペルについて】