長野県の単立キリスト教会 マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の型破り牧仕のキリストバカ一代

ジーザス・フリーク、バイブル・マニアの皆さん、ようこそ! Welcome to Maranatha Grace Fellowship! Jesus not only loves you, He likes you too! Pastor & Servant Kazunari Kikuchi

本ブログの聖書本文は断りのない限り新改訳聖書(新日本聖書刊行会)を使用

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2012年2月5日(日)

キリスト教と仏教の死生観の違い 詩篇から死篇を学ぶ 詩篇23篇vs般若心経 10/10

 私の兄弟が先日、チャールズ・ウェスレーが、ジョン・ウェスレーに語ったことを引用して聞かせてくれた。「兄弟、われわれの会員は死に際がいい」と。私は「確かにそうですね」と答えたのである。私は、教会員の死の床で、信仰を強められなかったことは一度もない。私は、彼らが召されるときの栄光に満ちた確信を見たのである。ひとりのガンになった愛する姉妹はどうだったか。自分の厳しい運命を悲しんでいたであろうか。絶対にそんなことはない。主の御顔を見ることができる期待で、幸せで、静かで、喜びに満ちていたのであった。

 そんなに前のことではないが、召されたひとりの商人と話をした。私は彼に「あなたは何の恐れも感じていないようですね」と言った。すると「はい。私がどうして恐れを持つことができましょう。死ぬことはこわくありません。なぜなら、この30年間、神の国の堅い食物で養われて来ましたから。私は自分の信じて来た方をよく知っています」と答えたのである。私は彼と天国にいるようなひとときを過ごしたのであった。彼はより良い世界へ速やかに移されることを期待して、聖なる歓楽を示したのであった。

 チャールズ・ハッドン・スポルジョン著『牧会と伝道』より


 マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)のメンバーの死に際もきっといいに違いない。なぜなら、神の国の堅い食物、つまり聖書の言葉で霊的にしっかり養われて来ているからだ。私たちはキリストを知るために聖書を学んでいる。

「ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私は主の囚人であることを恥じていけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちの永遠の昔に与えられたものであって、それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」(2テモテ1:8-12)


  主イエス・キリストのみ  

  かつては、私は祝福を求めた。
  今は、主を求める。
  かつては、感情を求めた。
  今は、みことばを求める。
  かつては、賜物を求めた。
  今は、賜物を与える方を求める。
  かつては、いやしを求めた。
  今は、主ご自身のみを求める。
  かつては、痛みに満ちた努力であった。
  今は、全き信頼である。
  かつては、いいかげんな救いであった。
  今は、全き救いである。
  かつては、たゆむことなくしがみついていた。
  今は、主が固く握っておられる。
   かつては、常に流されるままであった。
  今は、しっかりいかりを降ろしている。
  かつては、多忙な計画であった。
  今は、より頼む祈りである。
  かつては、不安で心配ばかりしていた。
  今は、主が心配してくださる。
  かつては、私の願望に従っていた。
  今は、イエスのことばに従っている。
  かつては、常に願ってばかりいた。
  今は、いつも賛美している。
  かつては、自分の働きが大切であった。
  今は、主の働きを大切にする。
  かつては、私が主が使おうとしていた。
  今は、主が私を用いられる。
  かつては、力を求めた。
  今は、全能者によって生きる。
  かつては、自分のために働いた。
  今は、主のためにのみ働く。
  かつては、主イエスのうちにあって期待した。
  今は、主が私のものであることを知る。
  かつては、私のランプは消えようとしていた。
  今は、明るく輝いている。
  かつては、死を待つ生活であった。
  今は、主の再臨を待ち望んでいる。
  こうして、私の希望は天国にしっかりといかりを降ろしている。
  とこしえまでも 主イエスを歌う。
  すべては、イエスのうちにあり イエスは私のすべて


 A・B・シンプソン(1843-1919 カナダ生まれの説教者、神学者、クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスの創設者)


●ブログバックナンバー参照

『あなたは死ぬ用意ができているか? 死生観を問う 牧師も「おくりびと」』
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/mgfchurch/view/20090519

『死は「終り」ではない! ガン告知問題/クリスチャンの死生観/遺書はラブレター』
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/mgfchurch/view/20080821


〈完〉

作成者 Pastor & Servant Kazunari Kikuchi

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