仏教わたし流

お釈迦さまが大好きな勝本華蓮(かつもとかれん、尼僧、パーリ仏教研究者)のブログ

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2012年5月21日(月)

日食で新月

金環日食、ご覧になりましたか。私は見ていませんが。

肉眼でみたら、網膜を痛めると盛んにいわれていましたよね。
でも、私は昔、太陽を直に見ていた時期があるんですよ。

たしかインドの行者の修行法に、太陽凝視というのがあったはずで、あれはどうなんでしょうね。

そんな話を今日の東方学院のクラスでしたら、私も肉眼で見ていましたよ、というお返事が。
聞くところによると、すぐにはなんともなくても、年齢がすすむと何らかの影響はあるかもしれないとか…。
そうなのか〜。でも、もう後の祭り、ですね。

ところで、今日は「新月」なんですよ。
二週間前の満月の日(6日)に、ある方とお話していて、
月が地球や人に及ぼす力について、話題になりました。

仏教の行事は、もともと月の満ち欠けが基準です。
出家者は必ず、半月に一度(満月と新月の日)、滞在している区域(界)で、一ヶ所に集まって、布薩(ふさつ)をしなければならないと、律蔵に定められています。

布薩は、学処(戒)を唱えて、半月間に違反がなかったか、反省をする会で、違反者は名乗り出て、罰を受けるわけです。

ちなみに、日本では、部派の律蔵を使っていないので、同じ形の布薩は実施していないです
(たとえ同じ単語を使った行事はしていても中味が異なります)

で、なんとなく、ブログも半月に一度にしようかな、と思った次第です。
べつにブログを書くのが罰というわけでもないんですが。
(いや、実はけっこうシンドイので)
半月に一度なら、ということです。
 
☆ ☆ ☆

最近、ある僧侶が書かれた本が、ひょんなことで手に入り、読んでいます。
私が今考えている問題と同じようなことをテーマにしていて、やっぱりご縁、とおもいました。

また、知り合いのN先生が数年前に出版された本も、ふと気になって、読み返しました。
最初に読んだときはピンとこなかったのが、すっと腑に落ちます。
長年の研究に裏打ちされた良い本です。
でも、アマゾンでは☆ひとつ。

今は、わかりやすい軽〜い本じゃないとウケませんから。
無理もないですね。
でも世間の評価なんてアテになりません。

山の裾野には人が多いけど、上に行くほどいなくなる――。
そういうもんでしょう。

作成者 勝本華蓮(Karen)

2012年5月11日(金)

常識が邪魔する

連休最後の日、京都のお寺に行きました。
友人から「京都非公開文化財特別公開」の招待券をいただいたので、最終日にやっと思い腰を上げて。

大学生(女子)のボランティアさんが説明していました。
話し方が上手だったので(声がよかった)、終わると皆さん拍手。
たしかにお寺の中は日常と違う空間で、穏やかな気持ちになるので、
ブームになるのはわかる気がすると思いました。

でも、話の内容は、仏像の制作経緯とか、造形的な特長とか、文化の話なんですけどね。「仏教」じゃなくて。
いや、仏教って知れば知るほど「こうだ」と言えなくなります(その話は後で)

その後、東大路を歩いていたら、
突然、空から大粒の雨が、ぱらぱらっと降ってきました。
ふと横をみたら神社があったので、石段を数段登って参拝。
新熊野神社でした(「いまくまの」と読むらしい)。

以前、京都に住んでいたのに、知りませんでした。
和歌山の熊野の神様をおまつりした別宮だそうです。
今話題の、後白河法皇が発願し、平清盛・重盛が造営とか。
思いがけず、ミニ熊野詣ができました。
若い男の人が何やらブツブツいいながら、参拝されてました。
(すぐ雨はやみました)

連休中は、ほとんど読書していたんですが、原稿も書いていたんです。
原稿用紙で5枚程度で、初期の仏教について書けばいいので、
気軽に考えていたんですが、書いているうちに、いろんなことに気づいて、
根本的に考え直すことに……。
仏教学の常識と思っていることが、案外調べてみると、
根拠があやふやとわかったり。

例えば、仏教といえば「お釈迦様の教え」が常識ですよね。
でも、自明のことじゃないんです。
昔集めた資料を整理して、中村元先生の論文を見つけました。

世人のみならず一般の学者はここで無批判的な論理の飛躍を行なっている。〈ブッダの説いた〉ということはすなわち〈釈尊の説いた〉という意味であると暗黙のうちに了解している。…略…釈尊時代の他の修行者もブッダと称していた。…略…ブッダは決して一人の人物を意味していなかった。
――中村元「釈尊を拒む佛教―デーヴァダッタなど―」『印度学仏教学研究』17-1号, 1968年, p.7

作成者 勝本華蓮(Karen)
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