2007年3月25日(日)
関ヶ原を走る---史跡巡りサイクリング-1−
歴史民族資料館〜床几場〜東首塚〜桃配山・徳川家康陣跡〜島津豊久〜松尾山・小早川秀秋〜西首塚〜常盤御前の墓〜島津義弘〜笹尾山・石田三成陣跡〜資料館
関ヶ原のいくつかの史跡は見たことはあるが、まだ、東軍と西軍の総指揮を取った場所を見ていないし、勝敗の分かれ目になった松尾山の小早川の陣も見ていない。このこともあってか、いまひとつ、関ヶ原の全体像を把握していない。史跡の一巡りも悪くはないと、今回のランに参加した。
関ヶ原に着いて、早々、本日の企画者であるwajinさんより、本日のランのレポート作成の依頼があった。関ヶ原だけに、これは、困ったことになった。あれこれ書き出すと、とてつもなく長くなる。そして、いかに、詳しく調べても、必ず、既に、誰か知っていることである。さらに、個人的な希望として、なんとか、奥美濃ブログの数回分の記事で終わらせたい(理想を言えば、数行で)。苦肉の策で、(かなり、乱暴ではあるが)1箇所、1トピックという編集方針とする。
(0)歴史民俗資料館で予習
合戦の説明のパネルは20年数年前と変わっていない。その時は、4、5歳の甥を連れていたので、落ち着いて、説明など聞いておれなかった。資料館のお土産品に、武将家紋入りコップ、湯呑み、ぐい呑み見つける。いくつかお気に入りの武将のものを買い求めたいが、割れ物であるし、走る前であるので、とりあえず、見送り。
(1)徳川家康最後の陣跡
土塁や中央の高台は幕末の1841年に幕府がこの地の領主竹中家に命じることにより、築かれたもの。
(2)東首塚
帝国陸軍の資料によれば、関ヶ原の乱の死者は8000人と見積もられている。Human body を持ち帰る人はいないので、村人の後処理は大変だったろう。合戦の日も9月15日といえば、まだ、腐りやすい時期だ。
関ヶ原を走る---史跡巡りサイクリング-2−
(3)井伊直政、松平忠吉陣跡
井伊は、浜名湖北の引佐の井伊谷の出身。(奥三河を走っていて、井伊谷まで到達したことがある。鰻を食いそびれたことを今でも記憶している。) 新参にもかかわらず、重く用いられているのは、常に自ら先頭に立ち手柄を立ててきたため。この時も、娘婿の松平忠吉(家康の4男)に先陣の手柄を立てさせている。
(4)桃配山 家康最初陣跡
桃配山へは、若干の下り勾配と、追い風のおかげで走りやすかった。全体に、東軍が西軍を攻める場合は、上り勾配になっている。また、桃配山は展望が利くとはいえ、三成の笹尾山のほうが見晴らしがよかった。西軍のほうが、地の利がよい。
(5)本多忠勝の陣跡
軽装備にもかかわらずほとんど怪我をしなかったというから、運動神経に恵まれていた人だと思う。反対に、井伊直政は重装備(赤備え)であったが、生傷が絶えなかった。
(6)島津豊久の碑
今年の1月のランで通った所。伯父の義弘の身代わりとなって戦死する。家康の戦後処理の中で、島津に対する寛大な措置を見ると、豊久の戦死は無駄ではなかった。
(7)松尾山登山
戦況を反転させた小早川の陣跡がある。雪が少し残っており、途中から自転車を置いて山頂をめざす。ヒロさんとゲストのakutaさんは、自転車とともに山頂へ。標高293mの山頂で昼食とした。木が枯れていて、見晴らしが良い。伊吹山は真っ白である。
(8)福島正則陣跡
たしか、美和町の出身の人。
(9)藤堂高虎陣跡
次々と主君をかえていくのは、転職により、キャリアアップを図る、ビジネスマンの様である。因みに、幕末においても、藤堂家は、真っ先に、幕府を見限った。
(10)西首塚
お堂が二つある。一つは、馬頭観音。JR東海道本線の敷設の際、埋葬者の白骨が出たといわれてる。
(11)大谷吉継の墓
紙パックに入った、お酒「鬼殺し」が、お供えしてあった。清州で買ったのだろうか。それとも、今は、どこでも、売っているのだろうか。
関ヶ原を走る---史跡巡りサイクリング-3−
(12)宇喜多秀家陣跡
森の中の広い敷地に、碑が立っている。戦後処理で、八丈島に流されるが、戦後55年を生きている。
(13、14)開戦の地、小西行長陣跡
大きな運動公園に隣接している。老人の話によると、碑の位置は移動されたらしい。
(15)島津義弘陣跡
今でも毎年、鹿児島より、数人の大人に連れられた、10歳11歳を中心とする使節団が来ている。いくつかの石碑にその名前と年齢が刻まれている。
(16,17)石田三成陣跡、決戦地
笹尾山からの見晴らしは良く、戦場が一望できる。関ヶ原の前哨戦の三成の言動から推測すると、リーダとしての人望があるわけではない。秀吉に忠実だった家臣という点では評価できる。仮に、この戦いで家康に勝利したとしても、その後をどうするかというのは、思い描きにくく、無数のいざこざが、予想できてしまう。家康の陣跡から始まったこのサイクリングもいよいよ、ここで終わりである。
話題が発散してしまうので単なる紹介にとどめるが、関ヶ原の合戦以外では、天武天皇をまつる井上神社、樹齢800年の月見宮大杉、不破の関跡、矢尻の池、黒血川、自害峰の三本杉、常盤御前の墓を訪れた。
関ヶ原を走る---史跡巡りサイクリング-4−
盛りだくさんの本日のサイクリングをどのように締めくくろうか、悩ましいところだが、幸い、笹尾山のふもとの広場に、かぶとのような巨大な物体を見つけた。
「無限時空」 と名づけられたオブジェである。そうだ、「無限時空」なら、どんなものも、まとめてしまえる。そう、思い、ふれあいセンターの喫茶店に向かった。
記:furu
走行日 2007年3月17日(土)
参加者 wajin、fuji、ヒロ、はなしま、furu、(ゲスト)akuta
走行距離 約20km
写真1 伊吹山を背景に、松尾山へ向かう
写真2 松尾山の担ぎ(akutaさん)
写真3 宇喜多秀家陣跡をあとに
写真4 「無限時空」 と名づけられたオブジェ
furuさんの写真です。
wajinさんの写真です。
akutaさんの関ヶ原レポートはNo4473 2007/3/17投稿分です。

