PAPALOG

船乗りだった父。毎日仕事から帰宅する父の姿、ってのはなかった....。なぜか「パパ」とよんでいたなぁ。

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2005年6月17日(金)

船長さんだったPAPAの船は、大きなタンカーだった。
船の端っこにいる人が、とってもとっても小さく見えたのを覚えている。
運動場がすっぽり入ってしまう甲板。

船長さんの部屋はとっても大きくて、その頃の家にはなかった大人数が座れるソファがあって、おやつにオレンジが出てきた。
バナナがぜいたくだったその頃に、食べたことのない味の果物。
田舎に暮らしていた私たちには、不思議な空間だった。

作成者 karensan [ コメント : 8]

2005年6月14日(火)

結婚を決めたとき

今のだんな様が私の両親にあいさつをしに来てくれたときのこと。

ガチガチに緊張しただんな様を前に、PAPAは言ってくれた。
「こう見えても優しいところがある娘なんだ....よろしくなぁ」

今でも忘れられない言葉です。

作成者 karensan [ コメント : 0]

2005年6月13日(月)

お年玉

PAPAがお正月に家にいるのが嬉しかった。
PAPAがいないお正月のお年玉は、両親で決めてたものを渡されたんだと思う。
でも、PAPAがいるときには、すこ〜〜し違った。

2学期の成績表を見せ、良かったときにはボーナスが出た。
どんなにいい成績をとっても家でほめられることのなかった私は、このボーナスがとっても嬉しかった。
にぃちゃんや弟には出ない、私だけのボーナスだったのだから。
....でも、私だけ、と思ってたのは、私だけの勝手な思い込みだったのかもしれないね〜。

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2005年6月11日(土)

洋食焼き

わが家にはお店屋さんのようなでっかい鉄板があった。
お好み焼きをするのは、必ずPAPAが家にいるとき。
正確に言えば、『お好み焼き』ではなく『洋食焼き』だった。
どうしてそう言うのかはわからないけど。

実家は奈良だったけど、お好み焼きは混ぜ焼きではなかった。
お玉でうす〜〜く生地をのばし、その上にたっぷりのキャベツ。
天かすもかつお節もたっぷり。
それがPAPAの洋食焼き。
直径40cmもある中身たっぷりのお好み焼きを平気でひっくり返す姿はすごかったなぁ。

作成者 karensan [ コメント : 0]

2005年6月10日(金)

カメラ

物心ついた頃からわが家には一眼レフカメラがあった。
私のアルバムには赤ん坊の頃からの写真がちゃんと並んでいた。

そのカメラは今、私の手元にある。
”LEOTAX CAMERA”
 ⇒TOPCON CLUB-Leotax Cameras

昔、もちろん使い捨てカメラなどない時代に、中学校の行事の臨海訓練や修学旅行の時、PAPAはこの大切なカメラを私に貸してくれた。
今思えば信じられない。(私がそれだけ信用されていたのかな?)
PAPAがカメラを触らせてくれたことが、今のカメラ好きにつながってるんだろうなぁ。

作成者 karensan [ コメント : 0]
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