2012/5/18 (金)
「時計坂の家」
「時計坂の家」
高楼 方子(たかどの ほうこ)
千葉 史子(絵・著者の実姉)
リブリオ出版(2000年4月第6刷・当時2000円+税)
夏休みが始まる一週間前に、フー子はいとこのマリカから手紙をもらう。
七年ぶりに汀舘(みぎわだて)のおじいさんの家で会いたいと。
母は実家の父親と疎遠であるので、ひとりでおじいさんの家に向かう。
時計坂を登る途中に煉瓦作りの時計塔がある。フー子はその時計のからくり、熾天使に見つめられドキッとする。
ワクワクした気持ちとは裏腹に、マリカはおじいさんを嫌い、すぐに帰ってしまう。
せっかく来たのに・・・さびしい気持ちでいると、階段の途中にふさがれたドアとそこにかかっている懐中時計が目に留まる。
その懐中時計は、突然コチコチと時を刻み始め、蓋が開き、それが徐々に大きく開いた花に変わっていく。
そして、そのふさがれたドアの向こうの景色は、先ほどまでの裏の平屋が見えるのではなく、緑の園が現れたのだった。
この不思議を誰かと共有したかったが、それはおじいさんやお手伝いさんのリサさんには聞きにくかった。何か秘密を隠しているのではないか?と思ったからだった。
マリカがいい!しかし、電話をするとマリカは旅行に行ってしまい数日帰らないという。
そんな中、マリカの従兄の映介が、訪ねてくる。初めは「時計塔が開くまで時間があるので」と言ったが、本当はこの家に興味があったのだという。なぜなら過去に訪ねた時、ここは別な世界なような不思議な感じがしたからというのだ。
時計塔でいろいろわかったことがあって、フー子はひとり悩むばかりだった。
時計塔を作り直した世紀の時計職人チェルヌイシェフ・・・そのからくり時計の熾天使はもう錆びついてずっと外に出ていないという。
二階のドアにかかっている懐中時計はチェルヌイシェフが作ったという展示されている時計にそっくりだし。
おばあさんは二階の踊り場につづく洗濯場から転落して死んだと聞いているのに、周囲の大人たちは行方不明だという。
マリカがいないこともあり、映介と一緒に謎について調べ始める。
緑の園はたびたびフー子の前に姿を現し、中へ入りたいという衝動から逃れることはできない。
お手伝いのリサさんの行李の中から見つけたスカーフが緑の園の地図だと気づき、フー子は目印をつけながら中へ踏み込んでいく。次第に深く、不思議な歌の導くままに―。
おばあさんは園の中で生きているのではないか。不思議な魅力をまとうマリカこそがマツリカの花の咲きそろうこの園の主ではないか。
憧れがフー子を動かさずにおかない。しかし、そこから戻れなくなったら?おばあさんのように。
「たとえどんなに複雑な成長を遂げようとも、強いられた環境の中で、強いられたことを、ひとつひとつこなしてゆかなければならないのが、十二歳というものだ。」(223ページ)
という現実にも立ち返りながら、物語は進んでいく。
見たこともない世界が広がっているとき、人は、特に好奇心いっぱいの子供は、それに抗うことが出来るのか。自制心を持って?
少女と少年が周囲をよく見回して、立ち位置を理解してゆく過程をファンタジーを通して現実から遊離せずに描いている傑作だと思う。
この本はずいぶん前から他の図書館でも見かけていて(厚くて目立つ背表紙なので)、名前も作者名も覚えているのに、不思議と手に取ったことがなかった。
でも、この本はすごく好き。
実のお姉さんが描いたという絵もぴったり合っている。絵と文章と相互に雰囲気を醸し出している。
どんどん読み進めずにいられない。
この本、買っちゃおうかなあ。
昔から図書館で借りて気に入って買う本は児童書ばかりだが・・・子供だねえって言われそう。
でも、子供が読んでも大人が読んでもいい本て素晴らしいじゃない。(私が子供なだけか?)
この本の中の不思議な世界も好きだけど、子供たちが気後れしながらも礼儀正しく大人に接している、大人たちは自分を崩すことなく子供に親切に振る舞うところが好き。
憧れとか恐怖とか、遠くなってしまった子供時代をもう一度思い出すかのような臨場感があった。
初版は1992年と比較的新しい時代の本であるのに、私が子供の頃に読んで熱を上げていた当時の作品のもつ雰囲気にすごくよく似ていると思った。
これ、映画で見たいです!
「緑の模様画」
「緑の模様画」
高楼 方子(たかどの ほうこ)
福音館書店(2007年7月初版・1600円+税)
突然あふれた思いで学校へ行けなくなったまゆ子は、毎日をベッドの中で過ごしていた。
母が自分に気を使うことにも悩みながら。
ある春の日、母に頼まれて母の友人の家に本を返しに行く。彼女は教師で学校の寮に住み、まゆ子と同じ年の娘、テトのお母さんだった。
寮にはたったひとり先に到着していたアミがいて紹介される。
顔を知っていたおかげでバスの中で二人はまた再会する。その時、一緒にいたテトとも出会い、三人は不思議なくらいに意気投合する。
まゆ子はアミが自分の持っている「小公女」の挿絵のアーメンガードにそっくりだと言い、翌日本を持ってまた訪れることを約束する。
声がうるさかったのか、白髪の老人に鋭いまなざしで見つめられ、三人はお辞儀をする。
降りるひとつ前のバス亭で、まゆ子たちに微笑む青年の姿を見て、三人はドキッとする。
毎日のように一緒にいるうちに、三人は離れがたくなる。
寮には語り継がれている怪談があり、それを確かめに暗い寮の奥へと足を進ませる。
丘の上の塔の家は住む人がいなくなって久しいのに、窓に光りがともって死んだ男の人がうつるんだって・・・それを三人で見ると仲たがいをするんだって・・・。
それを見てしまい、その塔の家に本当に人が住んでいるのか調べることにする。
なぜならテトとアミは『丘の上女子学園』へ行き、まゆ子は公立中学に行く。こんなに気が合うのに、仲たがいさせられるなんてあってはならないから。
そのころ、不思議にも、街のあちらこちらで会う青年が、三人には同じ顔に見えて仕方がない。みんな違う人のはずなのに・・・。そしていつも三人に親切にしてくれるのだ。
だんだん気味が悪くなり、その青年に冷たい態度を取る。でも、内心は憧れながら。
同じようにあちらこちらでバスの中の白髪の老人の姿を目にする。
三人はこの老人の正体も突き止めようと思う。
怖いのに、何故か気になるおじいさん。
『小公女』の英語訳を読んでいるおじいさん・・・。
青年は少女たちに自分の妹とその友達の姿を重ねていた。自分の一番輝いていた時期、幸せだったころのことを。
ただ見守っていたかっただけだった。それだけで幸せな気持ちになれたので。
この物語は少し話が長いが、そこここに先へ続く大切な要素があったのだと後半に気付く。
おじいさんの正体と、不思議な青年の正体。
読み終えたあとのせつなさ・・・。
年を取るということは、ただ単に年月を重ねるということだけではない。
楽しいことだけでも、悲しいことだけでもなく、すべてが重い澱のようになって人生の中に沈む。
自分が生き続けているということは、大切な人を先に亡くすということだ。
それがどんなにかけがえのない人であっても。
ただ、救いとして人生の一番楽しかった時期をもう一度思い出すことが出来るのなら。
ずうっと何十年もちょっと別の自分で生きてきたんじゃないだろうか?合わない仕事に思えてもやってみたらできたりして、いざとなるとまさかと思うことも案外できちゃうこともある。でもそのために本当に自分らしい自分をどこかに置き去りにすることもある。そうやってがむしゃらに生きていくと、心と体に負担がかかって、心も体も自然と眠りを要求して、何十年分かの眠りを今になって取り返して、やっともともとの自分らしい自分に戻って、人生で素晴らしかったころの思い出を取り戻すことが出来た―。(一部抜粋)
そこが最初のまゆ子が突然学校に行けなくなった理由にかぶってくるような気がする。小学生ながら、周囲の状況に疲れてしまった女の子。
その心を癒すほどの出会いがそれまでにはなかった。けれど出会いはこれからも生まれる。
小公女セーラのように、公女たらしめるのは身なりやお金ではないのだと、気高い心を持ち続けること、前を向いて歩き続けることこそが目指す人生なのだと、そういう志を語っている。
作者は相当「小公女」を称賛していると思った。
私自身がまさに感じている、自分は今まで本当の自分ではない人生を生きてきたのではないか、という思いに応えてくれた気がする。
そういうことを物語としてこうして世に出した高楼さんに私も称賛を贈りたい。
「カラフルな闇」
「カラフルな闇」
まはら 三桃(みと)
講談社(2006年4月第1刷・当時1300円+税)
中学生の志帆は、文化祭で良く見慣れた風景の絵を目にする。その絵を描いた人は親友の亜紀が好きな先輩、通称クリシュー。
クリシュー先輩を一目見たとたん、志帆は逃げ出してしまう。
自分の母の醜態を見られた過去のことを思い出したから。
しかし、彼の方は妙に人懐こく志帆の周辺に現れる。
このころ、街は闇魔女のうわさでもちきりだった。見た人が不運に見舞われたり、幸運に恵まれたりする謎の黒服の女―。
志帆は毎週土曜の深夜、地元のラジオ番組で「今週の街のうわさ」を聞く。
それはリスナーが寄せるうわさ話のコーナーで、今は闇魔女の話で盛り上がっていた。
闇魔女を見て不幸が起きた、幸運が降ってきた、それを一つづつメモにカウントする。
闇魔女は人を不幸にするのか?幸せに導くのか?
志帆には知りたいことがあった。
父と母が別れてしまったのは自分のせいなのか?
志帆は子供の頃、悪魔の絵本が怖いあまりに家の庭のハナミズキの根元に埋めた。すると木が枯れてしまった。
母が時々ひどいうつになり家のことも仕事も放りだしてしまい、志帆は早く大人にならざるを得ない。
級友の万引きを目撃し、それを先生に告げ口したのはお前だろうと、執拗ないじめが始まり、親友さえも離れていく。
そんな時、父が再婚し、心の拠りどころとしていた(いつか元通りそこに住むことを願った)家も売りに出されてしまう。
我慢の限界が来たとき、それを受け止めてくれたのはずっと避けていたクリシューだった。
彼も親の離婚を経験していて、不思議な感覚を持って周囲を見ていた。
彼の言動から、人は同じものを見ても同じには見えていないことや、自分が見えていない部分を想像することで他人を理解することも難しくないことを知る。
突拍子もないことをするクリシューと、真っ赤な勝負服に身を包み、颯爽と走る母。こんな二人に囲まれたら、もう笑って暮らすしかない。
登場人物それぞれが生き生きと姿を持って見えてくる。
作者のキャラクターたちへの深い愛情を感じた。
悩み傷ついている少女の等身大の悩みと、それを受け止める心の広さを言葉で表現できている。
この本はすごく好きです。
