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2012年2月20日(月)

第264回 産業都市伝説 ケーズデンキ(水戸市)〜頑張らないがポイント〜

覚悟はできていると思っていたのだが、実際に父が亡くなってしまうと思いのほか悲しみが込み上げてくるものだ。生きているうちに、もっと喜ばせたかったとか、期待に応えたかったと後悔ばかりが先に立つ。死に際にベットで手を振っていたが、病院に駆け付けたのがわかってくれたのだろう。

長く高野連にいたので地元の球場は顔パスで入れて貰い、やっぱり自慢の父親だったかな。指導者としては甲子園に導くことは出来なかったが、母校が甲子園に出場した時は、なんだかんだ大張り切りでネット裏にずっと映っていたっけな。やっぱり親戚中、野球好きばかりで、日鉱日立から住金鹿島の話まで思いのほか盛り上がってしまった。
でもなあ、生きているうちに日立が優勝するところを見せてやりたかったなあ。♪どーれだけ待てばいいのですか?

てなわけで地元を行ったりきたりで、水戸の梅祭りも始まったが、まだ梅が咲いてないとか。昨日もまた大きな地震があったわ、♪こなーゆきーが舞ったりと、まだ足を運ぶ季節ではないのだろうか。
水戸の街並みもシャッター通りというほでもないにせよ、かつてのダイエーや西友といったスーパーや百貨店は全てなくなり、逆に駅ビルにはヤマダ電気とビックカメラといった群馬からやってっきた勢力が城を奪いにきたかのように占拠している。

とはいえ水戸を発祥とした小売業も意外なほどに元気で、一時はあのユニクロをも凌駕するのではと言われたポイントも、かつて福田屋という婦人服専門のいかにも流行らない店だったのに、今では銀座でH&Mとも張り合うなど大きな存在に。まあユニクロもかつてはこんな感で、山口で行き詰まりを感じていたのだろう。
しかし北関東といえば、やはり家電量販店。かつて業界NO1を誇った栃木のコジマをトップの座から引きずり落とした群馬のヤマダの天下はまだ揺るぎそうにないが、水戸を本社に置くケーズデンキがじわじわと業界3位に。ヤマダと違って肩肘張らない地道な経営手法が特に目に付く。

80年台まではカトー電気といって街の電気屋さんに過ぎなかったのだが、今や業界再編が囁かれるそのキーマンともいわれる。 かつて福島のよつば電機、新潟の北越電機、高松の大坂屋、名古屋のギガス、堺の八千代ムセン電機、そして宮城県のデンコードーと次々と傘下に収めた経緯がある。
また同じ茨城県内ではおなじみのスーパー、カスミグループの子会社でもある株式会社ワンダーコーポレーションという書店、ゲームソフトやCD、ビデオ、DVD等のチェーン販売及び買い取りを行い、ユニークな形態で定評のある小売の家電部門も傘下に収めている。

M&Aによって大きく成長した要素も大きいが、加藤社長の信念に基づいた異色とも思われる経営スタイルによるところも大きいだろう。
それが「頑張らない経営」であり、急成長を望むのではなく、着実に人材育成をしていく。それが64期連続増収の源泉であり、業界内外からの高い評価につながっているのだろう。
水戸を代表する企業としてはポイントと並ぶが、ケーズは「ポイント」を付けずに現金値引きを標榜。それも経営の「ポイント」なのだろう。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年2月20日(月) 18:10 [ コメント : 0]

2012年2月12日(日)

第263回 産業都市伝説 昭和シェル(国富町)〜石油から太陽電池へ〜

「ぜひともこの(社会人野球の)輪へ多くの企業に入ってきてもらいたいです。」
先週(1月30日)号の日経ビジネス最終面は、市野JABA会長の記事だった。目次を見た途端に驚いて最終ページから開いてしまったのだが、経営者の多くが最も目にするであろう雑誌の、最も目につくページでの会長の熱いメッセージが、どこまで伝わってくれるだろうか。

子供のころから都市対抗のラジオ中継に夢中だったという市野会長が「全鐘紡や別府星野組といった強豪の活躍をよく覚えている」といったところは結構意外だった。
前会長のJR松田会長が「五輪」にばかりこだわり、ことあるごとに野球の五輪復帰が会長の使命であるかのように触れ回っていたことに違和感を感じていただけに、一連の都市対抗をアピールした現会長の言動はありがたいと思う。開催時期を除いては。

その前の週の日経ビジネスのタイトルが「利益より売り上げ」。「不採算の事業を整理し、多くの利益を稼ぐ経営者の方が称賛されます」しかし「売上高は消費者の支持の表れであり、雇用を生み出す原動力でもあります」。
「世の中、目先の利益確保を優先して縮小均衡路線に走る企業が目立ちますが、結果、失業者が増え、消費マインドが低迷しています。」
「企業個々で見れば、利益確保のために正しい選択をしているつもりでも、マクロで見れば、皆で景気の足を引っ張っている」。編集長の視点にも同意する。

誰とは言わないが、従業員を次々と海へと放り投げ、自分たち経営陣だけが生き残って会社を守って株主と共に利益を貪るり、会社再建の立役者として称賛される。しかしながら、会社の大きな使命は雇用だと思う。
地方の税金にしても莫大な法人税と、そこで働く従業員の収めた税金によって支えられ、学校だって市営球場だって作られているのではないか。更に先月「リストラの研究」のタイトル取り上げられたのが石油元売り大手の昭和シェル石油だった。

プロ野球をはじめキャンプ地として話題の南国宮崎。その宮崎県国富町という人口2万人の町でちょうど一年前、世界最大級の太陽電池工場が稼働した。昭和シェル石油の第3工場だ。
東京ドームの8.6倍の面積で、総投資額は約1000億円。2010年12月期の営業利益の約3倍にあたる。既に建設済みの第1、第2工場と合わせると、生産規模は年ギガワット(ギガは10億)。2005年に太陽電池の事業化を決定してから、わずか6年で国内トップのシャープに並び、海外の並み居る強豪と遜色ない生産規模を持ったことになる。

昭和シェル石油は100年以上、石油事業だけを手掛けるモノカルチャーの会社だった。ロイヤル・ダッチ・シェルグループに属しているため、国内行一辺倒。これからは太陽電池でグローバル企業を標榜する。
太陽電池事業を手掛けるのは子会社、ソーラーフロンティア。「先行メーカーと正面から戦うには、中途半端な設備投資では無意味。一気に巨大工場を立ち上げて量産効果を働かせるしかない。」(亀田社長)。事業開始時には100人程度だった太陽電池事業の従業員数は、従業員が5年で1500人を超えた。

逆に2011年9月20日。子会社である東亜石油・京浜製油所扇町工場(川崎市)の原油処理装置を停止した。1931年の解説以来、80年間にわたり操業を続けた大規模製油所。その長い歴史の幕が下りることとなった。
石油から太陽電池へ。今後の課題は技術的なハードルよりも、全く性格の異なる2つの事業をいかに運営するかにある。急激に増えた従業員の連帯感をいかに生み出すかも課題とされるが、こういう企業こそ?

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年2月20日(月) 18:11 [ コメント : 0]

2012年2月5日(日)

第262回 産業都市伝説 曙ブレーキ工業(羽生市)〜平成のスーパーマン〜

世紀のアップセットから4年。因縁の東海岸対決24時間前となった。
月曜の朝という、日本人にとって最悪ともいうべき時間帯にLIVE中継されるスーパーボウル。昨年も深夜にでも楽しもうと思っていたら、山手線のニュース速報が目に飛び込んでしまいパー。

10年前あたりは圧倒的な守備力、近代的な守備システムで優勝するチームが目に付いてきたが、ここ数年はリーグを代表する存在となったQBを擁した攻撃力がものをいうようになった。やはり2000年代に3度優勝したニューイングランドの破壊力は、今年も当時を上回る。
しかし4年前に、そのニューインフランドのパーフェクトシーズンを土壇場の逆転で阻んだNYジャイアンツは今シーズンもレギュラーシーズンで再び劇的幕切れで返り討ちに。やはり前回同様、難攻不落と思われたパス攻撃を潰したパスラッシュと、ラン攻撃で弱点とされるニューイングランド守備陣を潰しにかかりたい。今年も記録的な視聴率を弾き出すのではないだろうか。

3年前のリーマンショック時は、ビックスリーの凋落を象徴するように、デトロイトがシーズン全敗を記録。しかし再建から2年。破たんしたGMが復活の世界一に返り咲いたように、デトロイトもプレイオフ進出へと返り咲いた。
日本のビックスリーが超円高と大震災で大きくシェアを落としたことも大きいだろうが、やはり北米市場はまだまだ熱い。日本勢は、中国市場をはじめ新興国で巻き返した日産が最も元気だが、国内では早くも受注に生産が追いつかないというトヨタが、新車ラッシュで今年は独り勝ちするのではと囁かれている。またホンダが今年後半に大きく巻き返すだろうと囁かれているが果たして。

その北米から、減税措置など大きなラブコールを受けている日本の自動車部品メーカーが、埼玉県羽生市に本社を置く曙ブレーキ工業だ。昨年7月には同社のブレーキが搭載されたF1マクラーレン・メルセデスマクラーレン・メルセデスのルイス・ハミルトンが独ニュルンベルクを制した。
F1への参戦によって曙ブレーキは、ポルシェ、メルセデス・ベンツ、アウディと名だたる欧州高級車から受注を獲得していった。この勢いで大衆車にも採用が広がれば、欧州勢が得意とする中国や南米など新興市場にも活路が見いだせるだろうと言われている。

曙ブレーキの創業は戦前までさかのぼる。当社は細々とブレーキ関連の部品を作る街工場にすぎなかった。「スーパーマン」の異名を持った信元安貞は、トップ自ら取引先である大手自動車メーカーや鉄鋼メーカーへの営業に臨み、80年代に社長の座を信元久隆に譲るまでに東証1部上場企業にまで育て上げた。
創業家でもなければ大株主でもなかった安貞はいわゆるサラリーマン経営者だったが、強烈なワンマン経営を貫き昭和の名経営者に名を連ねる。その偉大な父を持つ現社長の信元久隆は、73年に一橋大学経済学部を卒業するとフランスへと渡る。当時の曙ブレーキは米ベンティックウから技術供与を受けており、そのフランス子会社に勤務することになった。

帰国した信元は、父が経営する曙ブレーキに入社。ほどなく海外事業部が立ち上がり、海外経験が豊富ということで信元にこの事業部が任されることになった。
主な業務はベンディックスとのライセンス交渉。だが、育ての親だったベンディックスはマネーゲームにのめり込み、往年の輝きは失いつつあった。

1980年代、日米貿易摩擦はピークに達し、ホンダを皮切りに国内の自動車メーカーが相次いで米国に工場進出を図った。曙ブレーキもその流れに乗り、米国進出を図るが、いかんせん海外で存分に立ち回れる人材が少なかった。
ペンディックスに代わる新たな合弁会社を見つける難題に対し、信元の父・安貞は、GMとの交渉に漕ぎ着けるという離れ業をやってのける。しかし世界最大の自動車メーカーを前に、日本の部品メーカーが対等に生産拠点を運営できるはずもなかった。

全権を委ねられた信元は、旧知のトヨタ自動車・好川純一を訪ねて、トヨタ生産方式(TPS)の教えを請う。GMが日本の部品企業に関心を示すのは、そのコストと品質以外にあり得ない。文系で技術に疎かった信元は、足げくトヨタに通い、TPSを習得していった。
GMからは徹底した数値管理を叩き込まれ、合弁会社の経営にようやく道筋が見え始めた90年、信元は41歳にして曙ブレーキの社長に就任する。時代は平成に変わり、「昭和のスーパーマン」は経営の第一線から退いた。

そして20年後、曙ブレーキは独ボッシュのブレーキ事業を買収した。皮肉にもかつて育ての親であり、後に瓦解しベンダックスの事業の一部だった。
グローバル化の進展を目指す曙ブレーキは、2012年中に、埼玉県内に国際的な研修施設を作る予定だ。運動部もバスケやソフトテニス、それに東京ドームでの写真がHPに飾られる野球部も埼玉の代表として活躍を見せている。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年2月5日(日) 07:20 [ コメント : 0]
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