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2012年1月28日(土)

第261回 産業都市伝説 カルビー(廿日市市)〜止められない止まらないHA〜HA〜

ギリシア映画の巨匠、テオ・アンゲロプロス監督が亡くなったが、撮影途中だった遺作はどんな形で公開されるのだろうか?ギリシア危機の最中、どんなメッセージが秘められているのだろう。「ユリシーズの瞳」は最も好きな作品だ。
90年代ごろはヨーロッパ映画に随分と魅かれたものだが、最近はやっぱりアジアの作品が好きだ。もっとも中国の歴史小説の方が好きで、でも作家は日本人か。やっぱり日本の小説が好きなのかなあ。

時代小説に嵌りだしたのは、まだ7年位前からなので、駆け出しと言ってもいいのだが、小説に併せて映像でおさらいするのがパターン。活字だと物忘れが激しく、途中で主要人物すら思い出せなくなるのだが、演じた役者を思い出せば直にピーンと来る。
というわけで、いろいろ物議を醸している「平清盛」だが、神戸市長の「画面が汚い」というのは、クリア過ぎてリアル伝わり過ぎるってことだろうか?アニメやゲームに慣れ切ったギャルにでも言われるならわかるが。時代劇の場合は、セリフで笑いを取るのが難しいかもしれないが、脚本も演出も空回りしている気はするけど。

清盛の舞台としては、福原(神戸市)、六波羅(京都市)とかも重要だが、やはり厳島をはじめとした広島が取り上げらるケースが目に付く。経済効果はどの位になるだろうか。
中でも厳島神社のある廿日市市というと、ここを本社に置く企業も多い。ウッドワン、デオデオ、チチヤス、マルニにフマキラーとか。しかし今回は広島で創業され、この廿日市を製造拠点に置くカルビーを取り上げたい。

今朝も山梨を震源に大きな地震があったが、昨年の3月11日は同族企業として伝統を誇っていたカルビーが株式上場を果たした記念の日でもあった。数年前までは海外売上比率が数%に過ぎず、超ドメスティックと言われたカルビーが海外へと大きく舵を取った経緯を考えれば当然の判断なのかもしれない。
その予兆と云えば2009年の7月、米食品大手のペプシコから20%の出資を受け入れるという業界に衝撃を与える事態があった。巨人ペプシコに対し「いずれのみ込まれる」との懸念もささやかれていた。

カルビーの社名は、カルシウムとビタミンB1に由来する。当時の日本人に不足しているとされた栄養素だ。創業者である松尾孝は1949年、広島県広島市(現在の南区宇品)にて、松尾糧食工業株式会社として設立。依頼、カルビーのDNAは「未利用資源の活用」として受け継がれているという。
創業者の母は昭和の初めごろ、雑穀を営んでいた。造り酒屋に出入りして、米を磨いた後に出る粉を貰って、糊などの原料にしたという。その時、東京から来た栄養学の先生から「胚芽などのビタミンを多く含んだ米の重要な部分が使われていない」と指摘され、これを利用した食品事業を始めた。

戦後、キャラメルメーカーとして出発したカルビーは1960年代まで、アメの売り上げが全体の6割を占めていた。しかし65年、そのアメの販売を突然やめてしまう。
というのも、アメ市場は森永製菓や明治製菓といった大手メーカーからカンロ、味覚糖といった中堅メーカーまでが様々な商品を投入する過当競争市場。これでは勝ち目はないと、あっさり見切りをつける。

逆に経営資源を集中したのが、当時4割の売り上げを占めていたあられだった。戦後のいわば米国の余剰品である安い小麦が大量に輸入された時には、米ではなく小麦を使ったあられ作りに専念。そんな中、「かっぱえびせん」が誕生する。
瀬戸内の漁業は、6月から8月の夏季は端境期。この間、捕れたえびを浜で干して、ダシのもとにしていた。これを、あられの原料とするために一つのイノベーションが生まれる。
それまでの浜に上がったえびを普通に氷詰めするやり方では、工場で鮮度が持たなかった。そこで漁師を指導し、浜で急速冷凍する方法を覚えてもらう。これで原料として使えるようになったという。

かっぱえびせんでカルビーの名が知られるようになると、仮面ライダーのカード付きスナック菓子や、藤谷美和子を起用したポテトチップスのCMでも話題になった。1973年に、本社を広島から東京に移転。
今後は「日本のカルビー」から「世界のカルビー」へと脱皮を図る。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年1月28日(土) 12:13 [ コメント : 0]

2012年1月22日(日)

第260回 産業都市伝説 資生堂(鎌倉市)〜空気読むより本を読め〜

「もらっておいてやる」
今年の芥川賞・直木賞の受賞式は、いつになく盛り上がったようだが、今年流行りのフレーズになるかも。昨年直木賞の「下町ロケット」はまだ読んでなかった。どうしても歴史小説の定番的な作品を優先して最新の作品には手が回らないのだが、賞という肩書はやっぱり大きい。
その芥川賞を受賞した田中慎弥氏が下関中央工業高の先輩ということで、ロンブー淳が物議を醸してるようだが、そういえば淳の父親は三菱重工だったと言っていた。とすると彦島だろうか。彦島ってあの平家が滅亡した壇ノ浦の舞台だそうで。高松にも壇ノ浦という地名があると聞きましたが。

話は変わって大相撲では把瑠都がついに優勝。ダルビッシュがテキサスとか国境を大きく越えた話題も多いですが、中国の春節でもあるこの時期、随分と中国人の観光客が戻ってきたようで、新設された観光庁やら地方自治体の努力も大きいようですね。
観光立国としての日本ということで、地方のもつ資源を大いに活用して欲しい。ただ中国人は家電とか買い物中心、韓国人は名所めぐりと
、目的が大きく違うとか。いずれにしても超円高は大きなマイナス。逆に超円安にふれても買収の危機があるのだが。

芥川龍之介も直木三十五にしても居住地は由比ガ浜だったり稲村ガ崎だったりと鎌倉市だったそうで、多くの文化人や作家が住まいを鎌倉を拠点としていた。そもそも幕府がこの地にあったのだから当然でもあるが、都心から気軽に足を運べ、歴史情緒を味わえる観光スポットとなると。
そんな鎌倉を拠点とした企業となると、三菱電機なんかも頭に浮かぶのだが、5年前に女子駅伝で優勝をした資生堂の女子陸上部が鎌倉市の代表としての強い印象が残る。あの時は弘山晴美がいたが、今でも藤永佳子、佐藤由美、加納由理といった日本を代表するランナーを擁する。また、資生堂鎌倉工場には年間で1万5千人ほどが工場見学に訪れるという。

資生堂の福原義春名誉会長が「空気読むより本を読め」とばかりに『だから人は本を読む』いう本で多くの古典を紹介した。1987年に第10代社長に就任した名誉会長は、難問に突き当たっては何度も司馬遷の『史記』を開いたという。すると、必ず答えの糸口がみつかったという。
義春氏は、株式会社資生堂の初代社長である福原信三氏の甥にあたる。創業者はその父である福原信三氏。23歳の時に、官を辞して、民間初の洋風調剤薬局となる資生堂を銀座に開業。当時の日本にはなかった医薬分業を唱えた。1888年には日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」を、10年後には化粧水「オイデルミン」を発売。1917年には化粧品部を独立させて、今日の資生堂の基礎を築いた。

商号の由来は、中国の古典『易経』の一節「至哉坤元 萬物資生」。「資生」は中国清代の文献に良く見られ、近代の中国や日本でエコノミーの訳語として用いられた時期もあったという。
そういえば中国市場を開拓するにあたって、CMに中国の有名女優を起用したところ、現地では中国企業と混同されて売り上げが伸びず
、逆に日本の社員を起用したCMでは日本企業として品質が信用されて売り上げが大きく伸びたという結果を数年前に耳にした。いずれにしてもアジアの資生堂としてグローバル展開が進むことであろう。

鎌倉は地形が天然の要害でもあり、古代、鎌倉郡の郡衙が設置された場所であり、また豪族の鎌倉氏の本拠でもあった。平忠常の乱の際、平直方による鎮圧が失敗、実際に乱を征圧した源頼信の功により、その子源頼義の頃に河内源氏の所領となる。
頼義の子で河内源氏三代目棟梁の八幡太郎義家の4代後の源頼朝が鎌倉幕府を置いて武家政権を成立させ、鎌倉街道も整備される。幕府の要職に就いた有力御家人は鎌倉に居を構え、また海に面した特徴を生かした海上交易も隆盛し、鎌倉五山なども置かれ関東における文化的中心地となる。

1225年には北条泰時が執権に就き、連署や評定衆を置いて幕府の合議制を確立するとともに、政権を頼朝以来幕府が置かれた大倉から宇都宮辻子に移し、1232年には御成敗式目を制定して幕府の体制を磐石なものとした。
1333年に後醍醐天皇の討幕に呼応した上野国(群馬県)の河内源氏義家流・新田義貞は、分倍河原などで鎌倉幕府を専横した桓武平氏流北条氏の兵を撃破し、鎌倉へ進撃して泰時以来の菩提寺である東勝寺で北条氏一族を滅亡させた。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年1月22日(日) 13:37 [ コメント : 0]

2012年1月15日(日)

第259回 産業都市伝説 クボタ(尼崎市)〜水道管とスピアーズ〜

今年は五輪イヤーということで、徐々に盛り上がって行くのだろうが、欧州危機の影響はどうなんだろう?とか、一時的に五輪特需なんてないもんだろうか?などと、どうも経済面しか興味が持てなくなってしまった。
そんなわけで今晩はフジが「ほこ×たて」が2時間やるのかとか、大河の「平清盛」とかぶるとか、山崎豊子最新作の「運命の人」がスタートするがどうしようか?とか。

しかし「ほこ×たて」は途中からハマりだしたのだが実にいい。最近のゴールデン枠は大人の社会見学ばかりで、子供向けがなくていいのだろうかとも思うが、技術者を目指す若者が増えてくれれば。それと民放ならではの、芸人を使っての企業対決を煽った大げさな構成が実にいい。
時に企業がチアガールまで出動させて機械を応援させたり。しかし負けた時の企業ブランドを考えるとなあ。昨日の再放送でも三菱レイヨンが「三菱の名を賭けて」といいつつ旭酒造に敗れた。それても勝負の後にお互いを褒め称えてエールを交わすところが、まさに都市対抗みたくてホロリとくる。

そんな訳でスポーツ番組にはなかなか目が向かわないのだが、ただ唯一、NFLのプレイオフだけは気がかりではなく、今も速報とにらめっこ。今思うと毎晩のようにナイター中継とか、昼間から甲子園観たりしていた頃が懐かしくもある。
とはいえ先週の大学ラグビー決勝は名勝負だったなあ。帝京大は同大以来2校目の3連覇。同大時代の頃は夢中になっていたが、当時3連覇を阻止出来なかった慶大が今年の天理にダブる。

当時の慶大主将が玉塚元一氏で、後にユニクロ(ファーストリテイリング)社長を務めたり、今ではローソンの副社長でもある。その前に慶大の副主将を務め、日本代表にも選ばれた持田昌典氏に至っては泣く子も黙るゴールマンサックスの日本代表にも上り詰めた。
学生時代はラグビー一筋だった筈が、経済界でもトップに上り詰めるとは。もっとも神鋼の平尾氏や、かつて京大アメフトやシルバースターで一世を風靡したアサヒビールの東海氏も重役クラスみたいだしね。

箱根駅伝後にテレビで引っ張りだこだった東洋大の柏原君も富士通に進むみたいだが、マラソン選手というより「一生サラリーマンとして歩んでいきたいので」なんて質問に応えていた。もっとも箱根の坂がないと駅伝でも見せ場がないだろうが。
天理大の大躍進を演じたSO立川の就職先はクボタのようだ。最近はトップリーグでも入替戦争いの常連になりそうなクボタだが、頂上を狙う大きな戦力ではないだろうか。それこそ日本開催のW杯の時には大きな価値のある存在となって欲しい。

クボタの前身であり久保田鉄工所創業者、久保田権四郎は広島県御調郡大浜村(広島県尾道市因島大浜町)生まれ。出身地の尾道市因島大浜町には、権四郎の碑が10ヵ所以上に建てられている。年季奉公で鋳造技術を習得し、独力で鋳物工場を興した権四郎は、国産鋳鉄管の実現をめざして奮励努力。ついにこれを完成させ量産方式の開発・特許権の取得に成功した。
因島の貧しい農家の三男で、15歳で大阪へ出て鋳物屋に丁稚奉公。節約して貯めた資金で、1890年に弱冠19歳にして大阪市内に「大出鋳物」を創業した。秤の分銅などを製造していたが、次第に紡績機械などを製造するようになる。

明治の初期、猛威を振るったコレラなどの水系伝染病対策や防火対策として近代水道の施設が急がれ、明治二十年に横浜水道が通水を始めたのに続いて、函館・長崎・大阪・東京・広島と順次都市水道が起工されていった。
しかし、わが国にはまだ鋳鋼管(直管)をつくる技術も経験もなかったので、施設時期の早かった横浜や函館・長崎の水道管は主として輸入によるものであった。

国産化への権四郎の執念は実り、1900年に鋳鉄管製造にとってはまことに画期的な丸吹立込鋳造法を発明した。ついで、四年後には堅込法の能率を高めるために、一連の鋳造作業を流れ方式で処理する方法をも開発し、業界を驚かせた。
その後も、事業を拡大し、農業機械、鉄鋼、工作機械、特殊車輌などの製造も手掛け、満州久保田鋳鉄管、尼崎製鉄などのグループ会社を擁し、海外への輸出も伸ばし、「鉄管のクボタ」の声価は海外でも不動のものとなる。

合わせ目のない鋳鉄管は、大阪や東京に水道管として大量に納入されたほか、ガス管としても採用され、会社発展の礎となった。日本の水道管の歴史はクボタの歴史、ともいわれるほどである。
近年のクボタの話題となると、アズペスト問題がついてまわる。過去に操業していた神崎工場などで、アスベストを使った生産が行われていた影響で元従業員や工場周辺住民の健康被害が発覚。更に旧神崎工場の周辺に住んでいた住民の一人が、大量のアスベスト吸引が原因と見られる石綿肺を発症していたことが判明した。
旧神崎工場は兵庫県尼崎市。現在の本社阪神事務所でもある。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年1月15日(日) 13:02 [ コメント : 0]

2012年1月8日(日)

第258回 産業都市伝説 山崎製パン(東村山市)〜聖書とそろばん〜

激動の年から復興の年へ。
正月明けに、大混雑の神田明神にお参りを果たし新年のスタートとなりました。お正月は駅伝、ラグビー、サッカー、アメフトとありましたが、今日も帝京大ー天理大のラグビー、JX−デンソーの女子バスケ決勝が。
それにしても大学ラグビーも時代の変化でしょうか。準決勝は国立競技場の入りが3割だったそうですが、しかしながら閉塞感を感じていた身からするとマンネリが打破されて変動期への期待の方が強い。それは大阪で開催された昨年の都市対抗にも通じることで、一時的な集客の落ち込みは将来的にはプラスに。

今や箱根駅伝は国民的なイベントとなりましたが、外国人からみると箱根や甲子園なんて世界は「狂気の沙汰」に映るんでしょうな。自分の選手生命を犠牲にしてでもチームの「絆」を大切にする文化。米国だったら「体調が悪いのに走らされた」なんて弁護士が乗り込んで監督やチームを訴えたり。
なんでも合理主義の欧米のドライな文化にない日本独自のウェットな文化。なんでも個人の手柄で分け前を独り占めしてしまう個人やオーナー様の文化と、団体で共有しあおうとする日本の企業文化にも通じる。それがプロスポーツや企業スポーツに対する解釈の違いなんでしょう。そもそも駅伝なんてフレーズは日本にしかないのかな。

毎年のことながら新年一発目は、ライスボウルでオービックにしようか、いや駅伝のコニカミノルタにしようかと悩むところですが今年もパス。サッポロ箱根駅伝に対し、ヤマザキ・ニューイヤー駅伝でお正月の顔でもある山崎製パンを。
ヤマザキについては子会社もサッカーのヤマザキナビスコ杯でもスポンサーとしてなじみが深い。近年では経営危機に陥った東ハトや不二家に資本参加して話題になったりはしたが、企業自体あまりニュースにならないし、経営者の姿も表舞台に出てこない印象もある。しかしかなりの「キリシタン」だそうだ。

学生時代一番きつかったバイトは?と聞かれれば、迷わずヤマザキの東村山工場での夜勤と答えるだろう。ただ最近知ったのは、これが結構前から定説だったということ。鳶やド方も随分こなしたが比較にならず、仲間と一緒に時計ばかり見ながらため息をついていた思い出が。
社員の方々が自分たちの分をカバーしながら黙々と働く姿が信じられないというか、妙に「格好えーなー」と思ったものだ。多くは徹底的に機械化されているものの、「人力依存」ぶりも多い。それだけ商品の種類が、ほかのパンメーカーに比べて圧倒的に多いということだ。

戦後に立ち上がった「パン食」市場の競争を勝ち抜いた業界のガリバーであり、小麦を日本人の「主食」に転じた立役者でもある山崎製パン。輸入小麦のうち、およそ一割をヤマザキ一社加工しているという。製パン最大手のヤマザキの連結売上高は9282億円。業界2位以下10社の売上高をすべて足しても及ばない。
その圧倒的な力を背景に、商品は小売りチェーンの物流センターに納品せず、自社トラックで全国のコンビニエンスストアやスーパーマーケットの店舗にまで自力で配送する。原料の小麦が値上がりすれば、業界に先駆けて値上げを決める。

巨大企業「ヤマザキ」は、32年間にもわたって同じ男に率いられている。創業者でもある故・飯島藤十郎を実父に持つ飯島延浩社長だ。
毎週日曜日、自宅のある市川市から三鷹市の教会にまで足を運び、聖書の勉強会を開くという。
そもそもこの教会の地は、藤十郎の生家があった土地の一部がさかれたもの。藤十郎の死後、建物と共に教団に寄付されている。飯島社長が足げく通うのは、そこが一族のルーツの地であるに他ならない。

飯島親子3人がプロテスタント教会で洗礼を受けたのは1973年。当時、山崎製パンの経営の主導権を握って、創業者の藤十郎と、その弟・一郎が骨肉の争いを演じていた。30代前半だった飯島社長は、取締役として劣勢だった父を支え、四面楚歌の社内を立ち回ったという。
取引先や金融機関まで巻き込んだ騒動が終息したのはが79年。一郎氏は子会社ヤマザキナビスコに追われ、藤十郎氏も退く。その痛み分けの結果、社長の座に就いたのが当時37歳の飯島社長だった。

山崎製パンが独自配送にこだわる原点も、飯島社長が一橋大学時代に立てた「寡占崩壊論」の仮説にあるという。英国の石炭産業の命運は、海路、水路、鉄道と時代の趨勢とともにパラダイムが変わった「物流」が握っていた。
飲料や食品メーカーの多くが、コンビニなど流通業界の共同配送に組み込まれ、物流の主導権を奪われる中、ヤマザキだけは独自配送を手離そうとしなかった。セブンイレブンの棚からヤマザキが排除されても。

新旧約聖書には「パン」という言葉が337カ所で記述されているそうだ。そこには「人は全員で力を合わせ、額に汗してパンを得るために生きている」という意味が込められているそう。

作成者 役場コージー(外野エージェンシー) : 2012年1月8日(日) 14:14 [ コメント : 0]
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