愚直の 日々雑感

ジオログ「愚直の 日々雑感」へようこそ。日々の出来事を随筆風に、時には激しく嵐のように、時にはそよ風のように爽やかに、現実から目をそらさずに書いてゆきます。お楽しみに!

← 2012年5月

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
My Yahoo!に追加 RSS
Counter

2012年5月27日(日)

環境と努力が  能力を伸ばす

能力は生まれつきであって、個体差はある。

環境や個人の努力で延びる可能性がある。

どちらの意見も正しい。

生まれつきの能力と本人の努力があって、人はその能力を発揮する。

つくづくそのように感じたのは、長男を見ていたからだ。

3人の奨学生たちを成績順に並べると、次女が超優秀、それに差を開けられて長女、ずっと差を開けられて長男という順。

年齢の順に、高校生になってから奨学金を渡したが、成績がパッとしない長男のまえで長女がこういった。

長女「このままの成績では、奨学金は打ち切られるわよ」

わけのわからぬまま、私は「そうだ。打ち切る。君の平均点はたしか74点だったな。アメリカ人は奨学金の基準を何点においているんだ」と尋ねると、たしか88点。

つまり、平均88点を割ると、奨学金が打ち切られる。そういう約束だ。

おっとりタイプの長男は、私が「打ち切る」といってから、こりゃかなわん、とおもったのか、勉強しだした。

成績は急にあがり、高校最後には94点になった。74点から94点。

一般的にいって、同じ教科の同じ範囲で行われるテスト、例えば、中間テストや期末テストなど、50点と70点の学力差は20点ではない。

50点から1.4倍すると70点になる。学力差は1.4×1.4=1.96倍である。つまり、約2倍の学力差。

長男の最終的な平均点は94点、ハッパを掛ける前の平均点が74点だから、1.27倍平均点が伸びた。伸びた学力は、1.27×1.27=1.61倍 となる。

61%学力が伸びた、という計算になる。


もし、わたしが74点の平均点の段階で奨学金を打ち切っていたら、平均点94点の長男はなかったし、もしハッパを掛けなかったら、平均94点の長男はなかった。

つまり、能力があったとしても、それを発揮できるような環境とか本人の努力がなければ、能力が発揮されず、生まれつき能力がないようにも見える、ということだ。

「ソーシャル ドロップ アウト」というフレーズをフィリピンではよく聞く。


学費などを支払えずに退学のやむなきに至る例である。

どれほど多くの学生が「ソーシャル ドロップ アウト」で退学していったか。

能力があるのに、その能力を発揮できずに、無念のおもいで退学していったか。

わたしの「フィリピン医療情報掲示板」で回答をしてくれるフィリピン人の友人は、USTの医学部の学生だった。

高校時代に父親が急死。親戚の援助で医学部に進学したが、その援助も続かず、中退した。

もし彼が医学部を卒業していたら、きっと立派な医者になっただろう。



このように考えてみると、安定的な雇用が壊されて、時代閉塞の現状にある今日の日本、うまれ持っている才能も発揮できずに自殺する青年。



日本は、自らを滅ぼす道を歩んでいる。

作成者 愚  直 : 2012年5月27日(日) 16:32 [ コメント : 0]

2012年5月26日(土)

青年の両親と 会食

わたしがこのブログで「青年」と呼んでいる20代の青年がいる。

今は、カナダのトロントで語学留学とアルバイト。

私のブログにコメント載せてくれている「K」さんとKさんの奥さんのお世話になって日々、楽しく、有意義に生活しているようだ。

両親は、確か4月19日にカナダに向けて出発。わたしは、20日には、脳腫瘍手術後のメンテナンスがあった。


数日前、母親から連絡があって、一緒に食事をしたい、お礼も言いたい、とのこと。

わたしは、お礼なんてとんでもない、結構ですと断ったのだが、母親の押しの強さと25分に及ぶ長電話、それに体重の重さに負けて、「日本料理がいいなあ」と答えてしまった。

私の脳裏には、最近のPSA値の高止まり、血糖値の上昇などがあって、「日本料理」と答えたわけ。

で、今日、両親と私と3人で寿司をいただいた。


カナダを訪れた時の写真をたくさん見せて貰った。昨年、マニラで逢ったKさんや奥さんの姿もあった。


驚いたのが、カナダ・トロントの大自然の広さと整然とした街並み。

さりげない風景が、まるで映画のセットのように見えてくる。

それにKさんの豪宅。広い!


人生って、つくづく出逢いだと思う。

お爺さんが中国旅行に青年を連れて行かなかったら、

現地の中国人が別れ際、「また来てください、中国語学校もありますから」と言わなかったら、

青年が、語学専門学校に進学しなかったら、

また、私のこのブログにKさんがコメントを入れてくれなかったら、

そして、Kさんが青年を受け入れてくれなかったら、

そのひとつでも欠けていたなら、青年はトロントに行かなかったし、今日のような有意義な生活は送れなかっただろう、と思う。

人生のそれぞれの転換期にそれぞれの出逢いがあり、ずっと後にその出逢いの謎が解けてくるのだ。


今日、出逢った見知らぬ人に乾杯!


Kさん、ありがとうございます。

(まだお世話になりますので、現在形で書きました)

作成者 愚  直 : 2012年5月26日(土) 17:40 [ コメント : 7]

2012年5月25日(金)

マニラ悪人列伝20  新たなターゲット

3人の奨学生の母親アーミーは、執拗にターゲットを探している。

2人目の夫との子どもである次女と長男が日本にいって出稼ぎ。

誰が考えても、フィリピンにおける収入より多い。

それに母親は、長男の日本人パスポート取得に関して、サギを行っている。

長男がパスポートが取れる年齢(満21歳未満)だったから、エージェントが母親に接触して、日本人パスポートが取れるように働きかけた。

母親「わたしは、戸籍を持っている。戸籍がほしかったら金をだせ」といって、長女がいうには「大金」をせしめたそうだ。しかし、母親は戸籍なるものを出さない。

プロのエージェントが騙されたわけだ。

そこで、長男が沖縄にいるお爺ちゃんに電話して、父親の住所を聞き、戸籍に入れて貰い、日本人パスポートを手にしたわけ。


いま、母親のターゲットは、日本に出稼ぎに来ている2人の子どもとその父親に向けられている。

特に、盛田氏は、妻のアーミーに強制されたとはいえ、麻薬を注射したことは事実。それをネタに脅迫しようとしている、と思う。

しかし、現行犯ではないし、20年も前の麻薬使用の履歴を証明することはできない。それに証明できたら、自らも麻薬を使用していた、という犯罪歴がバレる、ということに気付かない。

アーミーの頭にあるのは、いかにして、人を陥れて金をもぎ取るか、である。

日本にいって、次女や長男の「誕生地証明書」は偽物だ、盛田氏は麻薬を打っていた、とマスコミに話をする、そのために日本のビザを取るのだそうだ。

もしそうなれば、今度は私がイミグレにいって母親の入国を阻止するし、過去の犯罪歴を暴露するのもいい手だ。

三流週刊誌の餌食になって、マスコミに叩かれるだけだ。

それよりも、アーミーの血液検査をすればいい。いまもって麻薬と縁が切れていないことが証明されるだろう。

そして、入国してから、監獄に入れたらいい。

いや、税金の無駄遣いになるか。


いまもって、こういう人物がフィリピンには多い。

友好的な人物も多い。


どういう人物と知り合い、相手の「狙い」を察知するか、その能力が試されるのだ。

作成者 愚  直 : 2012年5月25日(金) 06:37 [ コメント : 13]

2012年5月24日(木)

前立腺腫瘍マーカーPSA 再び上昇

昨年11月の人間ドックで、前立腺腫瘍マーカーであるPSAの値が上昇。

自宅に人間ドックの結果が郵送されてきたのは1け月後の12月20日すぎ。

マーカーの値が4以下なら、一応セーフ。一応といったのは、4以下でも5%程度は、前立腺癌である、という統計があるからだ。

人間ドック時の値は、4.49で、この結果を受け取ったのが、12月22日頃。さっそく、12月27日に掛かり付けのクリニックで採血検査。

検査の結果が判明したのが、1月12日。PSAは5.19.

この日は、リュープリン注射(3.75キット)を打っている。

注射の結果、2日後の採血。注射の効き目を確かめるために、注射2日後の1月14日に採血。この結果が判明したのは、2月6日の採血時に医師から伝達された。

それによるとPSA値は、4.74.

2月6日の採血では、3.91と一応セーフの範囲内に納まった。

3月6日のPSAは1.04と改善。このまま行けば〜と思っていた。

ところが、4月5日の採血時は、3.34と大幅にUP。一応、4位でセーフの範囲内だが、大幅UPが気になるところ。

特効薬のリュープリンは2け月程度しか効いていない。人によるが、3け月から6か月程度効果がある、と聞いたが、明らかに効果不足。

やはり、おかしい。


で、人間ドックを受診した病院に電話した、来週、腎臓(クレアチニン)・尿酸値、前立腺・糖尿病のチェックを受けることにした。

さて、どうなるやら。

作成者 愚  直 : 2012年5月24日(木) 12:19 [ コメント : 2]

2012年5月22日(火)

マニラ悪人列伝 19 長女が明かす  母親 離婚の驚くべき真相

もう一度、おさらいをする。

長女の父親は、フィリピンパブの店長をしていた山田太郎氏。雇われ店長ではない。自分が経営者である。2店所有していた。2店の雇われママが子どもの母親のアーミーである。

そして、結婚式はフィリピンで挙行。母親の結婚あいては従業員。山田氏には、妻子がいたから、日本では結婚できない。重婚になるからだ。しかし、実質的な夫は、山田氏である。そして、長女が産まれた。

しかし、この結婚はわずか2年しかもたなかった。わたしは当初、山田氏が浮気をして、違う女と結婚するために、離婚した、と考えていた。

離婚にあたり、山田氏は、一軒家を購入できる金額、しかも長女が成人するまでの養育費を出した。

なぜ、君の父親はそういうことができたんだ、と長女に尋ねたことがある。長女は、「パパyamada の両親はお金持ちだったからよ」といった。

そして、2年後に次女が産まれた。次女の父は沖縄県出身。神奈川で土木作業員をやっていた。どこでどのようにこの2人が知り合ったのか、私はしらない。父親は、大変な喘息持ちだったらしい。この喘息は、次女に遺伝した。

「喘息で苦しんでいる夫を看病したし、生活費も出したわ」とかつて、アーミーが私に話したことがある。


次女が産まれて2年後に長男が産まれた。次女も長男も神奈川県川崎市で誕生。

次女が7歳、長男が5歳の頃、母親は2人の子どもを連れてフィリピンに帰っている。

もちろん、2人目の夫である盛田氏とは離婚している。盛田氏が離婚にさいして慰謝料を支払った、という話は聞かなかった。



ここで、長女を始め3人の子どもは、母親から逃げ出す場面を思いだしてほしい。

「2012年5月9日(水) マニラ悪人列伝 10  涙の 国際電話  もう ママと一緒に暮らせない」で、「家出をするまでに、長女は市役所の弁護士に相談。たとえ、子どもであってもよりよい環境で学習する権利がある、母親のもとではよりよく学習できなければ、家をでても法律違反ではない、ということを事前に調べていたようだ。こうして、3人の子どもたちは、母親の元を去った。」と書いた。

この時点では、わたしは、長女のいう「よりよい環境」とは、母親が奨学金を横領しない、子どもにも十分な食費や生活費を支給する、という経済的な原因だと思っていた。

実際には、それだけではなかった。

二番目の夫が離婚した原因、(実際は逃げ出した原因)は、麻薬にあった。

2店舗の雇われママだった母親は、フィリピンと連絡をとって、麻薬を密輸。夫である盛田氏にも注射をしていた。

盛田氏も何回か麻薬を打った。(長女の話)

「麻薬やめますか? 人間やめますか?」というフレーズが頭に浮かんだのかどうかしらないが、そのご麻薬と縁を切るために、母親の元から逃げるように去ったらしい。

3人が家出をするさい、長女が(次女と長男の)沖縄の祖父の電話番号をメモした紙を持って逃げ出したから、今年の4月次女と長男が沖縄の祖父に電話。父親の住所が判明した、20年ぶりに親子再会となった。

今年の4月、次女も長男も日本で働いている。だから、父親と20年ぶりの再会ができた。


では、わたしが、VRAI氏に依頼して2人の日本国籍の取得を試みたとき、なぜできなかったのか。

父親の最初の妻が、2人の母親のアーミー。

その後、父親は再婚して女の子が産まれた。

この2番目の妻が、フィリピンにいる2人の子どもの入籍を拒否した。

父親である盛田氏はこ2人の子どもの入籍を試みたが、妻に反対されて実現しなかった。

そして、父親は現在3人目の妻と暮らしている。この3人目の妻は、フィリピン人妻との間にうまれた2人の子どもを入籍することに賛成した。

そういうわけで、長男は日本国籍を取得、しかし次女は21歳を越えていたので、日本国籍を取れなかった。


「2012年5月12日(土) マニラ悪人列伝 13  突然 マニラからFAXがきた」のコメント欄でVRAI氏が、(親日家の議員は)バーバース。公金横領で失職の危機があった。それを日本のヤクザが助けたんです。以来、ヤクザの後ろ盾。ゴロツキ連中が皆、彼のところに集まってました。

ここで、「フィリピン〜日本 ヤクザつながり」で麻薬というキーワードで出てくる。

3人の子どもは経済的な理由だけでなく、このままでは、母親の欲望のために犠牲になる、ドラッグを打たれ、GO GO バー行き。男は売人だろう。

こういう環境から抜け出したい! という願望があった、ということがわかった。

この家出は正解だった。3人とも自立している。


わたしは、多少の迷惑を被ったが、奨学金を出したことを後悔していない。

作成者 愚  直 : 2012年5月22日(火) 20:14 [ コメント : 0]

2012年5月18日(金)

マニラ悪人列伝 18  子どもたちにも嫌がらせ  

長女は、アマ コンピューター学校を卒業した後、コールセンターで 働き出した。

2年ほど前だっただろうか、シンガポールで会社の研修会があった。

マニラ : シンガポール往復P2000〜P3000(日本円で、4千円〜6千円)

もちろん、燃料代金込みの値段。

セブ パシフィク航空がプロモをやると、こういう価格になる。研修時間が終わったら、観光旅行に早代わり。

この研修に参加しようとして、長女はイミグレに並んだ。

すると、突然、別室に呼ばれ、1時間にわたって、あれこれの質問がやつぎばやに展開。

長女は、母親がイミグレに偽の情報を流し、妨害したといっている。

同じ会社からの他の参加者は、全員スルーパスだったのに、長女だけが、難癖をつけられたからだ。

わたしが思うに、誕生地証明書に書いてある、母親の名前が実際とは異なっていたのではないか? 

だって、母親は、偽名でパスポートを取り、偽名で結婚式を行ったからだ。

そういう情報を母親が匿名でイミグレに通報したとしか思われない。


一方、同じ時期に長男がパスポートを取得した。

長男もまた、質問多数。お前の誕生地証明書は偽者だ、という。(これは正しい)

長男は、自分は日本生まれで、5歳ころにフィリピンに来てそれ以来、フィリピンで暮らしている。

日本の戸籍に入っていないし、フィリピンの戸籍もない。だから、祖母が、フィリピン戸籍を作ってくれた、と説明。

こうして、長男はパスポートを取った。その後、長男のパスポートは日本人パスポートだった、ということがわかった。父親の盛田氏が、長男を日本の戸籍に入籍してくれたから、日本人になれた。

そして彼は埼玉県で、リードという会社の下請けで働いている。

日本の食費が高いことに驚いている、というメールが私にもあった。

そして次女は、日系2世のパスポートを取得した。パスポートを申請したとき、すでに21歳を超えていたので、日本国籍は取れなかったからだ。

次女は、東京で中学の英語の先生(AET=アシスタント イングリッシュ ティーチャー)として働いている。

また、モデルもやっているらしい。

「私たちの生活をここまで引き上げてくれてありがとう」というメールが届いた。


母親からの嫌がらせはひとまず落ち着いた。



長女は、なぜ母親から逃げ出したのか、最初の夫である山田氏や二番目の夫である盛田氏は、なぜアーミーと離婚したのか?


わたしがその真の理由を知ったのは、つい最近のことだ。

驚くべき理由があった。

作成者 愚  直 : 2012年5月18日(金) 12:20 [ コメント : 2]

2012年5月17日(木)

マニラ悪人列伝 17  楽しい 学生生活

長女は、アマ コンピューター学校に進学し、楽しい学生生活を送っていた。

あまりに楽しいものだから、妊娠してしまった。

で、できた子が男が、名前を Andrei という。

もう9歳。


次女は学業優秀、美形。

現在でもモデルをしている。

TVのCMにでるは、新聞のCM(確か日産の車)にでるは、男性が喜ぶような雑誌のグラビアに出るは、テッコンドーの地区大会では第二位で銀メダルはとるはで、楽しい生活。


長男は、次女と双子といわれるほど顔つきがソックリ。かれもまた、楽しい学生生活を送っていた。

末っ子の長男は、ときおり母親が恋しくなるらしく、さびしそうな目つきをしていた。



このようにして、子ども3人の、楽しい黄金の日々が続いていた。

作成者 愚  直 : 2012年5月18日(金) 11:38 [ コメント : 0]

2012年5月16日(水)

マニラ悪人列伝 16  出生地証明書が、できた

こういう案がある、と祖母がいった。

祖母「わたしは、いなかの小さな島の生まれだが、島中の住人はみんな知り合い。親戚もおおい。もちろん、役場に勤めている知り合いもいる。かれらに依頼して、出生地証明書を作ってもらおう」ということになったらしい。

祖母は、生まれ故郷の島に、土産をたっぷり持参した。

1週間後、祖母は、胸をはって帰ってきた。2人の孫の出生地証明書ができたからだ。

次女が見ると、問題ない。つぎに、長男が自分の証明書を見た。スペルが間違っている。

この時代、小さな町の役場には、タイプライターもなく、ましてPCなどあるはずがない。

氏名は、筆記で殴り書きしてある。

彼の名前の一部には、「no」と「bu」があるのだが、「no」の「o」が、「u」なのか、はたまた「a」なのか、どちらとも判読できる。

また、「u」もしかり。

なぐり書きした文字だから「o」にも「a」にも読める。

これではだめだ、といって祖母はまた故郷に。

再び、出生地証明書を持ってきた。ところが、またまた誤記を発見。

またまた故郷にというわけで、3度目にしてやっと長男の出生地証明書が出来上がった。

これで胸をはって高校に行けるし、大学受験もできる。合格後、出生地証明書もってくるようにいわれても、もう大丈夫だ。


二人は安心して高校生活を楽しんでいた。

作成者 愚  直 : 2012年5月16日(水) 12:16 [ コメント : 0]

2012年5月15日(火)

マニラ悪人列伝 15  次女・長男が 日本パスポートを取れなかったわけ

話はさかのぼる。わたしと母親とはうまくいっていた時のこと。


次女が確か高校1年生の時だ。わたしは、次女も長男も希望すれば大学に行かせるつもりだったから、次女が大学を受験する2年も前から、日本人パスポートが取れるように行動した。

昔、フィリピン関係の掲示板で投稿の多さから「お化け」と呼ばれていた掲示板があった。「バハラナ ボード」である。「明日は明日の風が吹く」という意味だろうか。

その掲示板に、積極的に投稿している、「Che!」さんがいた。

投稿している内容は説得力があり、わたしには納得できることばかり。

いわゆる、感性が一致していた。

フィリピンに行って、初めてあった。

Che! さんは、バイク転倒事故で足を骨折。しかし、自分で治してしまった。

待ち合わせたモールで、彼は松葉杖をついてやってきた。

これが、初顔あわせである。

現在の、VRAI氏である。

私は、さっそく、VRAI氏に、日本人パスポートを取れないか、と相談した。

フィリピン人の友人や子どもたちをつれて日本大使館へ。

大使館「日本の戸籍に入っていないと難しいですね」というありきたりの回答。

大学に合格すると、すぐに「誕生地証明書」が必要になる。

何事も処理の遅いフィリピンの事情を考えると、1年前からの行動では遅い、と私は判断して、次女が高校1年生のころから動き出したのだ。

それに、長女は、フィリピン生まれのフィリピン人。父親は日本人。

次女と長男は日本生まれで、日本で育った。父親は沖縄県出身で結婚式も沖縄であげた。

次女と長男は、神奈川県の川崎市で生まれている。産まれた病院の証明書もある。

つまり、次女と長男は日本の戸籍には入っておらず、そのまま、母親のパスポートに記入されて、次女が7歳のころにフィリピンにきた。長男は2歳年下。

次女と長男は、日本の戸籍にも記入されておらず、フィリピンで産まれてという記録もない。つまり、存在しない? 人間のようだ。

国籍は宙に浮いたままであるが、産まれた子どもは母親に属する、というのがフィリピンの法律だ、と友人から聞いた。

21歳までに日本国籍をとらなければ、取得できない。日本では、2重国籍は認められていないからだ。


こういうわけで、私は当面、次女と長男の国籍が宙に浮いたままで、次の策を母親とともに考えた。

いまのままでは、フィリピンで就職するのも困難になる。なによりも、大学に入学したら、「誕生地証明書」の提出ができない。

こういう案がある、と祖母が言った。

作成者 愚  直 : 2012年5月16日(水) 11:55 [ コメント : 0]

2012年5月14日(月)

マニラ悪人列伝 14  なおも 続く嫌がらせ

わたしに対する嫌がらせは、これだけではすまなかった。

裁判には負け、国会議員を巻き込んだ嫌がらせも効果がなかった母親は、こんどは脅迫に出てきた。

ある日、国際郵便が届いた。

差出人の名前はない。

封をあけると、大きな赤い文字、たぶんクレオンで書いたような文字だった。

「お前がマニラに来られないように、イミグレに連絡した。逮捕されるだろう。もし、マニラにきたら殺してやる」

という内容。

「イミグレに通告して、入国できないはずなのに、マニラにきたら殺してやる」というようなことに、わたしは論理矛盾を感じた。

こんなことをいうのは、母親しかいない。

フィリピン人の友人にも電話して、「読売新聞にいって、愚直の悪行を告発するとか、マニラ新聞に行くとか、日本大使館に行く」という電話があったそうだ。

友人と私とは、気脈が通じているから、「どうぞお好きに」と回答。

日本人が殺されても動かない日本大使館が動くはずがない、という確信がわたしにはあった。

だれがみても、日本にいる私がフィリピンにいる子供たちを隠匿できるはずがない。

常識で考えればわかることだが、相手は常識が通じない人間。

このような嫌がらせが、3年ほど続いた。

殺してやる、という脅迫を受けても私はマニラに行った。イミグレで逮捕されることもなかったし、殺されることもなかった。

脅迫に屈するわたしではない。

あるときは、強盗と殴り合いの喧嘩。わたしは、いっさいの所有物を奪われなかった。

あるときは、拳銃をもった若い男に命を狙われたが、エスケープ成功。

母親は、私に対する嫌がらせをあきらめたようだった。


わたしに対する嫌がらせをあきらめると同時進行で、子どもに対しても嫌がらせが続いていた。

作成者 愚  直 : 2012年5月16日(水) 11:54 [ コメント : 0]

2012年5月12日(土)

マニラ悪人列伝 13  突然 マニラからFAXがきた

電話機が鳴った。ジリリンという電話のベルではなく、ピーーというFAX音。

電話機が、舌を出している感じ。

わたしは、排紙口から出てきた、用紙を取り出した。

マニラからのFAX。要旨は以下の如し。

「わたしは、マニラの日本大使館の近くで、日本人に関するさまざまなお手伝いをしている田中(仮称)というものです。

わたしが懇意にしていただいている国会議員のスタッフの友人にアーミーという人がいて、彼女はあなたが子供たちを隠した、裁判を起こす、といっています。

議員に相談したところ、この件は穏便に処理するように、との指示を受けました。


あなたもご存知のように、裁判になると、この国ではかならず外国人が敗訴します。

この件は、私が1000$で引き受けます。以後、あなたに迷惑は一切かけません。

いかがでしょうか」

という、腹のそこから、怒りと笑いがこみ上げてくるFAX。


わたしは、FAX用紙の端にかいてある電話番号に、国際電話。

私「アーミーがどのようなウソをあなたに言ったか知りませんが、大体の推測はつきます。

わたしには、一切、落ち度はありません。

天地神明に誓って、イエス キリストに誓って、聖母マリアに誓って、私は間違ったことはしていません。

裁判をするのだったらすればいい。わたしは、1ペソも支払いません。

真相は、長女から話させます」

といって電話を切った。

切ると同時にわたしは心のなかで、アラー アクバル と叫んでいた。


早速、わたしは長女に電話。

長女も、事の真相を田中氏に電話した。

「Mr、愚直はなんら関係ないわ。わたしたちは、私たちの意志で家出をしたのよ」と言ったそうだ。

その長女の電話を受けたのち、わたしは再び田中氏に電話。

田中氏「真相は、あなたが話したとおりでした」


田中氏は納得した。そのご、田中氏からは、なんのコンタクトも無い。


この件で、私は1ペソも支払うことが無く、田中氏は1000$を設け損なったようだ。


わたしは叫んだ。 アラー アクバル。


PS;田中氏が懇意にしている国会議員は次の選挙で落選した。

アラー アクバル

作成者 愚  直 : 2012年5月12日(土) 13:26 [ コメント : 4]

2012年5月11日(金)

マニラ悪人列伝 12  そのとき、長女に何が起こったか?

「マニラ悪人列伝 10  涙の 国際電話   もう ママと一緒に暮らせない」で

「もう、ママとは一緒に暮らせない。わたしはこの家を出て行くから、もう奨学金は要らないわ。でも、妹や弟の奨学金は引き続き面倒を見てほしいの」

と長女が決心したとき、いったいなにがあったのか。


長女が家を出ることがわかったとき、母親は、私からの仕送りが1人分減るが、そのぶん支出も1人分へる。大丈夫だ、と計算していたと思う。

しかし、長女は妹、弟と話し合った結果、3人とも家出。

こうなると、母親の収入は激減どころがゼロになる。危機感を抱いたはずだ。


3人そろって家出することをしった母親は、突然台所に行き、包丁を持ち出し「殺してやる! 殺してやる!」と長女に襲い掛かった。

長女は金きり声を出して逃げ出し、バランガイ ポリスに救助を依頼。

これは、れっきとした殺人未遂である。

長女の訴えを聞いたポリスは、まもなく母親を逮捕しにくる、ということは、母親自身がわかっていたはずである。

だから、アーミーは自宅を離れ、友人宅で身を隠し、ポリスから逃れていた。

その隙に長女が私に国際電話して、「ママとは一緒に暮らせない」という SOS の電話になったというわけ。

こういうわけで、10代の3人が親元を離れて、共同生活をすることになった。

作成者 愚  直 : 2012年5月11日(金) 20:19 [ コメント : 2]

2012年5月10日(木)

マニラ悪人列伝 11  仕送り資金が絶たれた母親は、 激怒

わたしは、長女あてに食品などを郵送していた。宛名は、長女あてである。このことが、裁判でも有利に働いた。

口から先に生まれたような長女は、大人あいての論争にも負けなかった。


母親が、私をバランガイ裁判所に訴えた。

その趣旨は、「私が3人の子供を隠した容疑」である。

前回も書いたように、長女の国際電話で、わたしは3人の子どもが家出したことを知った。

どうして、日本にいる私が3人を隠すことができるのか?

日本だったら、こんな訴状は即却下である。

しかし、フィリピンは日本とは異なる。

訴えられたものが、訴訟の理由に根拠がないことを証明しなければならない。

逆にいうと、家庭内暴力で夫が妻を撲殺しても、家族が訴えなければ裁判にはならない、とフィリピン人の友人に聞いた。

だから、馬鹿ばかしい訴えであっても、ひとつひとつ、根拠がないことを証明しなければならない。


母親「Mr 愚直が、私に仕送った品物を返品せよ」

長女「あの品物は、あなたのものではないわ。すべての品物には、私の名前が書いてあったわ。住所こそあなたと同じだけれど、いままでずっとMr 愚直は私の名前で仕送っていたわ。それを、あなたがとったのよ」

口から先に生まれて、いまではすっかり マツコ DX。

この長女の反論には、母親も沈黙せざるを得なかった。


母親「裁判長、Mr 愚直の奨学金を直接子どもに送らないようにしてほしい」

裁判長「あなたは、子供に勉強をさせたくないんですか」という質問に、母親は顔を真っ赤にして、沈黙したそうだ。


母親「Mr 愚直とその友人は、ビレッジに入るとき、許可を受けてない。これは不法侵入だ」

友人「許可を受けるといっても、誰に許可を受けるんだ。ガードマンはいないじゃないか!」

母親「Mr 愚直は、ホワイト ロックで子供と一緒の部屋で寝ました」と私を誹謗中傷。

友人は、(先日書いたとおり)2ベッド ルーム スイート であって、いわば一軒家に二部屋あるのと同じだ。一番いい部屋に泊まってなんてこというんだ」と友人も少々怒り気味。


裁判長が、判決を下した。

この訴えは、却下する。

つまり、訴訟そのものがなかったことになる。

完全無罪である。

あたりまえだ、と感じるのは日本人の感覚。

フィリピンでは、、外国人あいてのわけのわからない訴訟が多数ある。


これで、一見落着するはずであったのだが………。

作成者 愚  直 : 2012年5月11日(金) 19:44 [ コメント : 0]

2012年5月9日(水)

マニラ悪人列伝 10  涙の 国際電話   もう ママと一緒に暮らせない

あれは、長女が18歳の12月の20日過ぎのことだった。

我が家の電話のベルが鳴った。出てみると、長女の声。泣きじゃくっている。

長女は興奮して話しているから、大体のあらすじしかわからない。

ママは、わたしたちに辛くあたるの。ひどい言葉でののしったり、電話のプリペードカードを買いたいといったら、お金をくれない。そのくせ、ママの恋人の若い男性には、300ペソものプリペード カードを買ってあげるの。

妹には、わたしよりもっと辛くあたっているわ。

もう、ママとは一緒に暮らせない。わたしはこの家を出て行くから、もう奨学金は要らないわ。

でも、妹や弟の奨学金は引き続き面倒を見てほしいの、

という内容の電話。

わたしは、君たちが勉強するために奨学金を仕送っている。住所に仕送っているのではない。君の住所がどこに変更になろうと、引き続き援助する、といったら、ちょっと待って、相談するからといって、妹や弟と相談。

結局、子どもは3人ともそろって家出をすることになった。

家出をするまでに、長女は市役所の弁護士に相談。

たとえ、子どもであってもよりよい環境で学習する権利がある、

母親のもとではよりよく学習できなければ、家をでても法律違反ではない、ということを事前に調べていたようだ。

こうして、3人の子どもたちは、母親の元を去った。


母親のアーミーは、授業料こそごまかさなかったが、子どもに小遣いをあたえず、若いツバメを囲う始末。

ツバメの視線が、可愛い次女に移ると困るから、ひときわ次女には辛い態度で接していたようだ。

誰がみても、出てゆけ、といわんばかりの態度であった。

わたしは、新しい住所がわかったら電話してほしい。

新住所に必要なものは送るから、といって電話を切った。


3人の子どもの家出が、アーミーがわたしを告訴する材料になるとは、そのときはぜんぜん知らなかった。

作成者 愚  直 : 2012年5月9日(水) 10:18 [ コメント : 0]

2012年5月8日(火)

マニラ悪人列伝 9  ねえ、なぜ姉さんだけ 高校にいけるの なぜ なぜの連発

7月に休暇をとって、ホワイト ロックに宿泊した。奨学生の長女を連れていこうと思ったが、あいにくテストの最中。

私は、次女と長男、それに彼らの母親のアーミーを誘ってホワイト ロックに行った。

フィリピン人の友人と、それにタクシーのドライバーは、最初の奨学生の義父。わたしを合わせると総勢大人4名、子供2名の合計6人。

タクシーの前席には、肥満体の友人が長男をひざにのせ、次女と私と母親のアーミーが後部座席に座った。

ホワイト ロックには、近くにビーチがあり、水泳ができる。

私も幼いころに戻って、水泳ならぬ水遊びを楽しんだ。

長男と次女は、はしゃいでいた。そりゃそうだろう。こんな経験は初めてだろう。

雨に降られて、家の中で雨宿りした経験はあっても、水泳の経験はないからだ。

泳ぎに疲れて、ホテルに戻ると次女がいった。

ねえ、Mr、どうして姉さんだけが高校にいけるの。私だって行きたいわ。

ねえねえ、お願い。行きたい、行きたい 行きたい!!!

数十連発。

このとき、長女は高校2年生の夏、次女は中学3年生で、来年高校に進学予定。

この次女は、喘息の持病を持っていた。小学4年生のころ、発作がしばしばおこり、ほとんど登校できなかった。しかし、テストのときだけ登校して、受験。

その結果、授業を受けていないのに、クラスでトップ。

担任が家庭訪問「お母さん、どうして授業に出ていないのに、成績が優秀なんですか? 家でお母さんが勉強を教えているのですか」とたずねたほどの優秀さ。

母「先生、私は教科書を見てもわかりません。この子が教科書をみて自分で勉強していたんです」

以前にも書いたが、この次女は大学で「学部長表彰」だった。

日本でいう、中間テスト、期末テスト、その他の単元テストなど、あらゆるテストが学年で5位以内。

一度でも、学年6位以下になると表彰されない、という過酷な条件。それにパスしているのだ。

このとき、同学年の生徒数は1000名。つまり、あらゆるテストで1000人中、5位以内の成績であることが表彰の条件だった。


「ねえ、なぜ姉さんだけ 高校にいけるの なぜ なぜ」の連発に根負けしたわたしは、「いいよ、行かせてあげる」とつい答えてしまった。

答えてから、わかった。きっと「弟も行かせてほしい」と言うだろう、と思っていた。


次女は、フィリピン人特有の執拗さと女特有の甘えで、私立高校進学を勝ち取った。

入学試験は、らくらく合格である。


ホワイト ロックのホテルでは、2ベッド ルーム スイートに宿泊。

わたしとフィリピン人の友人とタクシーの運転手の大人3人は、シングルベッドルーム。友人は、エキストラベッド、運転手は床の上にビニールシートを敷いてねた。

一方、アーミー親子は、ダブルベッドで親子3人がゆったり宿泊。

宿泊代金を出しているのが誰なのか、わからない状態だった。



後年、わたしはアーミーに告訴されることになる。その屁理屈のひとつが、「わたしが子どもと同じ部屋で寝た」という内容。

馬鹿にするな、2ベッド ルーム スイートだぞ。

入り口は一つでも、各部屋にはドアがついていて、一軒家に二部屋と同じだ。それがどうして「一緒に寝た」ことになるんだ。


宿泊費をだしているわたしがシングルベッドルームだぞ。


私の怒りがこみ上げてきたのは当然である。

作成者 愚  直 : 2012年5月8日(火) 21:08 [ コメント : 0]
前の記事  |  次の 9 記事