ことの葉に色はなけれど

過去に日記などに書いた、和歌に関する記事をまとめました。
タイトルは、「ことの葉に色はなけれど思ひやる心をそへて哀れとや見る(『風雅和歌集』の花園院の御歌)」より。

← 2005年4月 →

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
My Yahoo!に追加 RSS

2005年4月21日(木)

春雨

春雨です。
朝から晩まで、降ったり止んだり。

春雨というと、
「京極派」と呼ばれる人々が見事な歌を詠んでいます。

まず、心優しき帝王、伏見院は、堂々たる調べを奏でます。

のどかにもやがてなり行くけしきかな
昨日の日影けふの春雨

山の端もきえていくへの夕霞
かすめるはては雨になりぬる

中世屈指の女性歌人、永福門院は、やはりセンス抜群です。

木々の心花ちかからし昨日今日
世はうすぐもり春雨の降る

なほ冴ゆる嵐は雪を吹きまぜて
夕暮さむき春雨の空

そして京極為兼は、見事な照明・音響効果を演出しています。

霞みくるる夕日の空にふりそめて
静かになれる宵の春雨

さびしさは花よいつかのながめして
霞に暮るる春雨のそら

やはり京極派の詠む歌は美しい。

京極派との出会いは、浪人時代にさかのぼります。
まず永福門院、次に伏見院の歌に魅了され、
光厳院のファンになる、といった感じでした。
歌だけではなく、生き方も。
南北朝時代の主役は、何も、足利尊氏や後醍醐天皇だけではないのです。
歌という文化を磨き続けた京極派の歌人たちも、
南北朝時代の主役たちなのです。

作成者 千郷

2005年4月17日(日)

もろこし迄の春

今日は、
すっかり春、
って感じの陽気ですね。

春を詠んだ歌は多く、
壬生忠岑の「春たつと〜」、
紀貫之の「霞たち〜」
など秀歌をあげればきりがないほどですが、
お気に入りは大僧正慈円の、

霞しく松浦のおきにこぎ出て
もろこし迄の春をみるかな

です。
この歌を初めて知った時、
海をふんわりと包み込む春霞が思い浮かんで、
なんとも良い心地がしたものです。
「もろこし迄の春」という言葉の響きが、また心地よくて。
もっとも、
「もろこし迄の春」は、
藤原俊成の

今日といへば唐土までも行く春を
都にのみと思ひけるかな

という立春の歌が先のようですが。
どちらも、
大弐三位の代表歌、

遥かなるもろこしまでも行く物は
秋の寝覚の心なりけり

を参考にしたものでしょう。

しかし、
春歌で、思い入れの深い歌、というと、
別の歌を思い出さずに入られません。
これについて語り始めると止まらなさそうなので、
載せるだけにしておきましょう。
我が最愛の歌人、
建礼門院右京大夫の歌です。

物思へば心の春もしらぬ身に
何うぐひすの告げに来つらむ

作成者 千郷
前の記事  |  次の記事