2011年2月8日(火)
やはり面白い・・・。
「ナポレオン フーシェ タレーラン」(鹿島茂・講談社学術文庫)は、なかなか手出しできませんでした。
というのも、もともとのタイトル「情念戦争」という文字について、いささかためらいがある・・というか、もう少し「勉強してから」でないと、ダマされるというか・・まあ、ある意味、この「情念」という言葉にいかがわしさ・・まではいきませんが、なんとなく・・まあ・・うさんくさいような気がしていたわけですよ・・早い話が。
でも・・まあ、ついに読みましたよ。
で・・たまらなく面白かった! 「情念」は単なる分析道具ですが、3人の人間の個性がとっても楽しい。情念戦争・・・まさしくそれかも・・。
で、この本の前書きにもあるとおり、マルクスとフロイトという現代の2大「思想家」に翻弄された20世紀と言う時代の果てに何があるのか・・ということで、これまたもう少し古いシャルル・フーリエという思想家の「情念」の概念を持ってきているのですね。
情念ってなんじゃ?ってことですが、これがややこしいので、まあおいといて、フーリエが述べた13段階にもあたる情念の最後から二つ目以下の3つの情念、つまり情念ナンバー10、11、12をそれぞれ、陰謀・移り気、熱狂とされているわけです。
これをまあ・はあ?そらなんじゃ?というのには多分二番目の「移り気」をもう少しカッコいい言い方に変えたら、なんとなく「権威」があるようにも見えるんではないかとも思うんですが、まあ、そういう「訳語」だからしょうがない。むしろ、変幻とか変化(へんげ)、あるいは中国語の「思遷」みたいなのが重々しくていいかも・・なんて思いますが。
とはいえ、この3本柱がこの本の基本なんですね。
で、「陰謀」・・これはもう、誰が見たってフーシェ!に当てはまる。彼は「陰謀情念」の人なんです。つまり、物欲や性欲なんて低次元のものではなくて、彼が心底欲するリビドーは「陰謀」で、これが満たされないと真の充足はないのです。
「熱狂」はナポレオンですね。彼自身がとんでもなく「熱狂情念」に突き動かされ、これが発動すると、何処までも突き進む。つまりは、熱さも痛さも感じないで突撃することができるんですね。こういう人ってたまにいるかもしれませんが(まあ、殉教者なんてのはそうかもしれない)、ナポレオンの場合は、本人の持つ類稀なるカリスマのせいで、周りの人間を壮大に巻き込むってことなんですよ。これが、この時代の歴史の大迷惑?なのかも。しかも、今も尚、世界の国家の戦争という「政治」は、彼の影響下にあるのですよね。
で、残った「移り気情念」。これがタレーランです。「蝶々情念」ともいうらしい。この希代の天才(ある意味すごい人物だと思うのですが)に、名づけて「蝶々」とは・・はあ・・・・でも、そうなのだから仕方がない。ものすごい現実主義ですね。彼は、忠誠とか義理人情とかには縁がない。あくまでも、優雅に楽しく暮らしたいわけですよ。だから、戦場に出て、血しぶきあげての命のやり取りはゴメンだし、陰謀芸術にも縁がない。手段としてそれが必要とあれば、大いに陰謀はしますが、陰謀が大好きなわけではないんですよね。もともと、聖職者で、司教にもなったえら〜い宗教家なのに、全然神がかってません。
ということで、この3つの情念が丁々発止とやりあったのが18世紀から19世紀初頭の、この時代ということで、すごく面白かったですねえ。
それに、女性達・・・特にタレーランをとりまく、「蝶々情念」のまわりには、華やかな夜どころか、昼も、おおぶりの「蝶々夫人」たちがいて、愛人ネットワークを通じて色んなことをやるのはなかなか面白いですね。ここで、はじめてタレーランが、聖職者であったことも有利に生きていたのかなと思いますね。結婚しないでいられるって事は、誰とでも付き合えるってことですからねえ。勿論、彼はナポレオンに言われて結婚しますが、タレーラン夫人のカトリーヌという人は、気取り屋の彼らしくない下品な女だったそうですが、そういう「女性差別」をしないところもいいですね。
フーシェと組んでいたジョゼフィーヌもなかなかだし・・♪

