2008年11月25日(火)
第69話 第一印象
人の第一印象ほど当てにならないものはないという。だいたい正反対だと思えという。人は悲しい時に笑い、辛い時に平静をよそおう。
陽気で明るい人だと思ったら実は、引っ込み思案で暗い性格だったりする。気難しく、取っ付きにくそうな人が実はとてもフランクで率直な性格だったりする。
私は会社生活が長かったから、その体験から第一印象の不確かさを身をもって知っている。仕事をしている男は、いわば常に臨戦態勢にあるわけで、他者に対して警戒心を緩めない。容易に本心を明かそうとはしない。身を守る鎧を纏っている。気を許して何でも打ち明けるようになるまでは時間がかかるのである。従って、初対面の相手などには「作られた顔」で接するのだ。最初から妙に人当たりが良くて愛想のいいやつは要注意だ。むしろ、口数が少なくて無愛想なぐらいが実は「いい人」である確率が高い。
女性はどうか。これは比較的多くの人に共通することだが、一定の社会良識の体裁をまずは身に纏おうとする。世間的に「よい奥さん」「よい娘さん」であろうとする。従ってたいていの女性はよく似たパターンから始まるのである。電話がかかってくると「はい、○○でございます」と一オクターブ高い声で応じ、相手が分かると「なんだ、あんたか」と一オクターブ低い声に下がる。いったん気を許してしまうとあとは直裁、辛辣。女性はこの二パターンが多い。
子ども、それも小さい子どもは何も装ったり飾ったりはしない。初めから見たまんまである。この純真無垢が世の手垢がつくにつれ、カッコつけたり澄ましたり化けたり偽悪ぶったり…様々な変貌を身に付け、世渡り上手になっていくのである。
世の中なぜ単純にいかないのだろう。自分の中身をそのまんま表に出せないのだろう。「あの人は見た通りの人だよ」と言われる人もたまにはいる。そんな人に私はなりたい。
ところで私は人から「取っ付きにくい、無愛想な人」だとしょっちゅう言われている。
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story mania
: 2008年11月25日(火) 13:54
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2008年11月22日(土)
第68話 会話
「…いい芝居だったね。なんせ間がいいや。」
「そうでんな。まぁ~がよろしな。」
「なんでい、そのまぁぁぁっうのは・・。伸びた蕎麦じゃないんだよ。」
「えらいすんまへん。大阪ではそんなん言いますねん。」
この会話が物語っているのが東京と大阪の基本的な呼吸の違いである。どちらがいいとか悪いとかの話ではない。互いに話はちゃんと通じているのだが、いまひとつ会話がスムーズではない。むづかしいものである。しかし大阪弁というのは、吉本興業のお陰かどうか知らないがひとつのファッションとなっていて、その強烈なインパクトが先行してしまっている。私の母は大阪から嫁に来てン十年、いまだに関西弁の訛りが抜けないでいる。「うちら」とか「ほっちっち」とか言っている。
いとこ、はとこなど親戚連中、とくに女連中いわゆる「大阪のおばちゃん」は強烈である。
「せやさかい駄目やいうてるやんか、なんぼ言うたら分かるんの。お父ちゃんかて言うてはるやないの。」「あほ、そんなんいちいち聞いてられるか。」いとこはとこが家へ来ているときはこんな会話が飛び交う。喧嘩ではない、実際はとても仲がいいのである。大阪の人は愛情を罵りの言葉で表現するのである。
アホとばか…よく言われることであるが、アホはばかではない。ただの間の手、時には最大級の親密をあらわす呼称でもあるのだ。
色っぽい女性が低い声で「あほ」と一言で男を殺すことができる。
いや「ばか」だって、笑いを含みながら短くいわれればゾクリとするか。
話がよけいなところにそれてしまったが、とにかく会話に訛りは不可欠で、話が面白くも単調にもなる。従って、別の土地の人同士が交わりあう駅とか全国大会とかで交わされる会話ほど面白いものはない。
見知らぬ他人の会話を背中で聞いているのは、私は大好きである。
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story mania
: 2008年11月22日(土) 17:32
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2008年11月21日(金)
第67話 年齢
私はいま七十一歳である。子供の頃、七十歳の人なんてものは今にも死にそうな、よぼよぼの爺さんだと思っていたものだが、いざ自分がそうなってみると、いったいどう考えてみたらいいものか分からない。
自分自身の意識としては五十五歳くらいのつもりでいる。図々しいと言われるかもしれないが、そうなのである。精神的にも肉体的にも、そんなものだろうと思う。外見的には六十歳くらいかな…とこれも図々しい。人間所詮は自分中心な勝手な生き物であるからして、人がどう思おうと自分でそう思っていればいいのである。
年をとってしまったものは仕方ない。戻すわけにはいかないのだから素直に年齢なりの自分になるしかない。そこで私は、今までの人生を振り返る時に、年代の区切りごとに多層的に仕分けることにしている。
ピカソじゃないけれど「××の時代」というわけだ。
一〇代は「勉学と初恋の時代」 二〇代は「東京生活時代」 三〇代は「仕事一筋時代」 四〇代は「アメリカ行きと転勤時代」…というわけで私の人生はバウムクーヘンのようにいろんな色によって多層的に構成されている。これが最終的には何層の仕上がりになるのかは誰にも分からない。今直面している七〇代はなんと名付けられるのかも、いまのところは分からない。願わくば後半に至るほど華やかに、夢のあるネーミングになってほしいものだ。
「七〇代…究極の恋愛時代」
「八十代…かつてない安定の時代」なんてね。
干支でいえば来年は六廻り目になる私である。
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story mania
: 2008年11月21日(金) 13:54
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