2011年6月3日(金)
被災地のコミュニティーを守るために大事なこと−高台移転を考える−今、被災地民主主義が問われている
三陸沿岸部の復興で、高台移転をめぐって住民の意見が様々です。安全のために高台移転を望む人、先祖代々のこれまでの場所に住居を再建したい人、高台移転では漁業生活に支障が出る人などです。集落により、高台移転を望む住民の比率も大きく異なっています。しかし、これまでのコミュニティーを大事にしようという思いはどの皆さんも同じでしょう。
避難の際、阪神大震災の教訓でコミュニティーごとの避難が重視されました。阪神大震災ではばらばらに避難してしまった人が多く、地域コミュニティーが崩壊してしまったと、神戸の専門家は言いました。
しかし、問題は避難の仕方、あり方だけでは実はなかったのです。被災地、避難所の状況から、やむを得なく他所へ避難する人が出てくるのは、被災者一人ひとりが健康状態も精神状態も考え方も違うのですからそれはそれで尊重されるべきなのです。大事なのは今、東北が直面している「復興」の局面にあります。
神戸の長田の住宅密集地は広範囲の大火事で壊滅的打撃を受けました。そこにはもともと木造の古い小規模な商店や住宅がひしめいていました。
そこは市の大規模な駅前再開発予定地でしたが事業は一向に進んでいませんでした。ところが震災後数ヵ月後、神戸市はその再開発予定区域の買収を始めました。そして、高層住宅をいくつも建て、商店街と住居をもともとそこに住んでいた人たちに分譲し、商店街も住居もコミュニティーごと再建するというものでした。
ばら色のような話ですが、当然うまく行くはずがありません。木造の長屋で家賃1万円か2万円で暮らしていたお年寄りがどうしてそんな住宅に入れるでしょうか。高層ビルのなかの商店街は今ではシャッター通りになってしまいました。
阪神地域では駅前からちょっと離れると近年まで空き地が目立ちました。阪神大震災では2重ローンの問題は解決しませんでした。それどころか支給された一時金で生活保護申請にも支障が出るという始末でした。
仮設住宅がなくなったのはつい近年です。
神戸の教訓は、コミュニティーの崩壊は避難の方法ではなく、復興しても帰りたくても帰れない、居たくても居れない街づくり、制度作りをしてしまったことにあります。もちろん、長田の高層住宅など住民が望んだものではありません。「市が決めたこと」です。
災害直後には住民と一つになってくれていた自治体も、復興の途上で平時に戻ってゆきます。お役者主義が出てくるかもしれない、利権に弱いかもしれない、住民の意見をどこまで聞いてくれるのか−被災地には議論する心のゆとりも少なく、選挙もないので民主主義が自治体においてどこまで機能するかが未知数です。
大事なのは住民が復興プランの主導権を握ることです。残念ながら神戸では住民は主導権を握れませんでした。
高台移転するにしても全ての希望者が経済力に関係なく移転できるのでしょうか。私は高台移転する人ともとの集落に戻る人と両方があってもいいかもしれないと思っています。問題は住民主導で答えを出すということです。逆に住民で意見をまとめて逆提案するというのはどうでしょうか。
自治体が高台移転をすすめるのには二度とあのような犠牲を出したくないという悔しさがあると思いますが、一方ではあんな災害がまた起こると大変だという住民管理的な発想がないか心配です。さらに高台移転は大規模な公共事業となることでもあります。
心配するのは宮城県の宮城県復興基本方針では「高台誘導」となっていることです。もしかしたらもとの集落で再建することを選んだ人たちと高台移転を決めた人たちとの間に助成金や支援などで格差がつけられる可能性があります。こうなればコミュニティー維持、防災という名の下の公共事業の押し付けです。
大災害は社会的にはトリガーになります。平時では住民の反対にあってできないことをやってしまう。これから様々な局面で気をつけなくてはいけません。国政でも消費税の増税論が出てくるのはこのためです。
宮城県では専門家の意見を聞くとして震災復興会議が開催されています。県は他には復興にまつわる会合を持っていません。その震災復興会議には漁民や農民の代表などいません。なぜ宮城の復興のための会議の座長が東京の大学の先生なのでしょうか。
住民主導で復興の道筋を考えることが必要です。住民が生活してゆける制度設計が必要です。役所まかせにしていてはいけないと思います。地元のことは住民が一番よく知っているのですから。被災者の皆さんは大変な思いをして今、避難生活をしていると思います。しかし、今、この状況を放っておいたら、コミュニティどころか地元で生活さえできない復興が進んでゆく恐れがあります。
私たちの会はそんなことは許しません。

