2011年11月27日(日)
聖書つれづれ…人類最初の兄弟、最初の殺人事件
旧約聖書創世記4章より。
カインとアベルは人類最初の兄弟でした。
すなわち、アダムとエバの子供たちです。
アダムとエバは創造主が禁止された善悪を知ることの出来る木の実を食べたことによって、神と共に住んだ楽園、エデンの園から追放されたのです。
彼らは善悪を知りましたが、罪も入ってきて、神様から離れて苦しみながら生きることになったのです。
二人に出来た子供たちは成人しました。
そして、神に捧げ物をしましたが、神様は弟アベルのささげものを受け入れ、兄カインの捧げるやり方をお叱りになりました。
カインはそれを根に持って弟アベルに激しく嫉妬し、計画して殺してしまうのです。人類が背負った「原罪」が行いと言う形を伴ってきた最初の殺人事件です。
わたしは記憶がある幼い頃ころから、自分の中にだれにもいえない暗いものが心の中に住んでいるのを意識していました。
子供心にも不安だから普段は考えないようにしていましたが、
ふーっと、立っている地面がわれて奈落のそこに引き込まれるようなそんな不安感が小学生時代から意識されました。闇がこわかったり、人の死が怖かったり。裁かれる「神」がこわかったり。
これは人間がうまれながらにもっている「原罪」の感覚ではないかと思います…。
私はいわゆる犯罪を犯したことはない、気の弱いよき市民です。今まで駐車違反などの切符は切られたことは何度かありますが。
でも自分のなかに凶暴にいたる秘めたものが住んでいないとはいえません。(聖書には人間は天を指して「絶対ない」と言ってはいけないと書いてあります。そのとおりです。)
人間はその祖先から弱い性質(罪)を受け継いでいるのです。
それを克服していくのが人生の一面であるように思います。
罪とは、なさざりし善も含みます。
最初の殺人事件は嫉妬からおこりました。けれど神様は罪を悔いたカインを許しカインの額に印をつけて、誰も彼に危害を与えないようにされます。そしてカインに「生きよ」と言われるのです。
まさに人間に大きな可能性をみてくださるのが神様なのです。
50年前の映画ですがジェームス・ディーン主演の「エデンの東」はその聖書の話を基に作られた優れた映画です。
作成者
sousaku_kibori
: 2011年11月28日(月) 00:02
2011年11月13日(日)
聖書通読寸想
この間から聖書の旧約聖書の創世記からゆっくり味わいながら聖書を読んでいます。38年前、初めて聖書にふれ、若い知性でああでもないこうでもないと、哲学科の同級生たちと論じ合いました。
「初めに神が天地を創造した。」と聖書の第1章1節に書かれており、全宇宙の主権が宣言されています。
それから一週間にわたる天地創造の業が述べられています。
そして人間の創造です。
神様はご自分に似せて造られたとあります。アダムそして妻のエバ、しかし二人は禁断の木の実を食べると言う大事件が起こります。
人類の堕罪です。
人を作られたとき、神さまは、すべての動植物を統治させるべく神に似た優秀な頭脳と能力を持った存在として、また神と交わりあう友として作られたのではないでしょうか。
ところが蛇といわれる悪の霊にそそのかされてエバが禁断の木の実を食べ、アダムを誘いアダムも食べ、おまけに神に問い詰められると、責任を他に転化して…。
ふたりは神の戒めを守らずに、罪をおかしたのです。そのとき、「罪(sin)」が人類に入ってきたのです。
これが原罪です。(ローマ書5:12)大小の犯罪行為の原因となるものです。
神は人間の祖先の二人をエデンの園から追放したのです。永遠の命は与えられず、人類は死すべきものにされました。
この蛇たるものは元天使(御使いと呼ばれる)ルシファーと言われます。聖書外伝に書いてあるようです。
神の御使いだったのが神のようになろうともくろんで、天から追放されたものであると。彼らは世の中を支配しています。
大学のバイブルクラスではじめてこの箇所を読んだ時は大いに論じ合いました。
どうして、神はそんな誘惑を目の前に置いて、私たちの祖先を試すようなことをしたのか、意地が悪いではないかとか。
神様は人間を自由意志を持つ対等な存在として扱いたかったのではないでしょうかと今では思います。ロボットのように従うだけの存在ではなくて。
アダムは、真善美である神さまのすぐ側にあって、ふさわしい伴侶も与えられて愛し合い何も不自由ない生活であったのに、禁止されていることをなぜあえてしたのでしょうか?人間はどんなときも満足の出来ない存在なのでしょうか。
「もっともっとほしい」というむさぼりの心に反省をこめて今思います。
つづく。
作成者
sousaku_kibori
: 2011年11月16日(水) 21:16