2012年1月10日(火)
兄弟の確執(創世記)
創世記、聖書の最初の書をゆっくり読んでいきましょう。
カインとアベルの兄弟の話が出たところで、時代を飛んでアブラハムの子、エサウとヤコブの話です。
教会学校でこの話を聞いたときは、おなかが空いていたのか、おいしそうな豆のスープと神様の祝福を引き換えにした兄エサウのことがかわいそうに思われました。
弟のずるさを責める気持ちがわいてきました。
でも神様は、そのことを通して、目に見えないものを大事にする人間かどうかを測られていたかもしれません。
元気で男らしく狩も上手で生活力もあった兄はその点で落第したのです。ヤコブは霊的なものを大切にする感受性の鋭さを持っていましたが、その後もずるい手口を使って、単純な兄から長子の受ける権利を奪い取ったのです。祝福を受けるか受けられないかという兄の生涯を左右してしまう大きな罪を犯したのです。
わびることもなく兄から逃げていましたが、長い年月の後に、一族郎党を連れて、兄のもとに帰らなければならないなければならない日が来ました。ヤコブは恐れおののきました。兄の怒りが納まっていないか心配でした。
創32章
兄の軍勢がヤコブを迎えるためにやってきていると報告をうけたヤコブはあまりの恐ろしさで震え上がりました。
兄が根に持って復讐しようと責めてくると思ったからです。
その日ヤコブは神のみ使と格闘しました。
この出来事を「ペヌエル」といい、クリスチャンにとっては有名な話です。
つみ許されるだけでなく、神と真に格闘して清められるという段階にいたったという。
神の存在を信じることは、サタンでもできます。
でも、徹底的に罪と戦い自我を神様の元にささげて歩むことは人間にとってそう簡単ではありません。
悔い改める心です。そして、なんとしてでも神からの祝福を求める心です。(創32:24-31)
ヤコブは神に対して「祝福をください」という堅い意思で勝ったのですが、ももの筋肉をぬきとられてしまって
後遺症とでもいいましょうか、脚が不自由になりました。
そして、「押しのけるもの」という意味の「ヤコブ」から「イスラエル」と言う名に替えさせられ、
イスラエルの建国の祖となったわけです。
このぺヌエルの出来事以降ヤコブは非常に謙遜な、神様から任命された王にふさわしい人柄に変えられたのです。
私の父は60歳で、熱心なクリスチャンになりましたが、だんだん信仰から離れていきました。
自我の強い人で、そこがなかなか砕かれずにいました。
82歳で亡くなる前、8ヶ月間寝たきりになりました。リタイヤー後もサッカーをつづけていて強かった脚がもう曲がったまま動かなくなりました。
喉に管を入れていたので、口も利けなかったのですが、筆談で会話しました。
ある日、何か一生懸命話そうとするので何とか理解しようとしました。
それは「ぺヌエル」ということばでした。そして、父はペンを取ると十字架を書いて見せてくれました。
それからしばらくして、母に「愛しているか?」と問い、次の日に私に「愛している」と告げて、数日後意識がなくなり召されました。
死の前、ぺヌエルを父は通過し、清められて天国に旅立ったと確信しました。
神様は大きな罪を犯したヤコブに祝福の約束をくださいます。ヤコブは多くの苦難を経験しますが(好きな女性となかなか結婚できなかったり…)試練を乗り越える祝福の人生へ出発です。
その孫のヨセフの生涯も苦難から始まりますが、長い苦しみと忍耐の末、家族や民族も救うために用いられます。
神様の愛とはいかに大きく賢く深いものでしょうか!


