Tue, Feb 14, 2012
建築と写真
いまや建築を語る上で写真はなくてはならない存在となっています。
ぼくが知っている建築のうち、実際に見たものは全体の1%にも満たないでしょう。
写真は正直なようでいて、時に嘘つきだったりします。
写ると都合の悪いものを排除する場合もありますし、
やたら写真うつりだけいい建築というのもあります。
まあ後者は年月が経つにつれ、淘汰されていく傾向はあるようですが。
さて、竣工写真の撮影の立ち会いなんかをしていると、
写真家には大変な集中力と体力、そして繊細さが必要なことがわかります。
それはまさに一発、一瞬の勝負の世界。
ただ、現像段階であれこれいじる写真もあるようですが、
基本的には修正はきかないので、あとはいいものをセレクトしていくだけ。
なので作品の手離れはいい方だと思います。
建築の場合は長い期間をかけて、場合によっては現場に入ってからも
細かな部分をぎりぎりまで検討、決断していくので
作品を客観視できるまでに時間がかかります。
建築家の自邸などは最悪で、客観視できないまま常に目の前にさらされるので
住んでいてノイローゼのようになってしまうこともあります。
ぼくは自宅を客観視して楽しめるようになるまで10年かかりました。
美術も似たようなところがあります。
自分の家に自分の描いた絵を飾る人はナルシストでしょう。
いま美術家に求められているのは批判的精神だと思うので、
こうしたひとはおそらく大成しない。
しかし写真には選択するというプロセスがあるので客観視はしやすい。
写真なら自分の家に自分の作品を飾っても違和感は少ない。
そういう意味では憧れるものつくりです。
今の若手建築家が学生にスタディモデルを山にようにつくらせているのも、
先日亡くなった菊竹請訓さんが図面の提出期限前日になって全面的な設計変更を指示したのも
選択するというプロセスを挿入しようとしたことゆえなのではなかろうか。

