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ファイナンス博士の洞察 ブログへようこそ

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Monday, September 13, 2010

日本語の国際性

「日本人の知らない日本語 第9話」を見ていた。

日本語学校の先生が、日本語を母国語としない外国人生徒とのやり取りを通して日本人でも知らない日本語を学んでいくという物語。

第9話では、日本語のあいまいさが指摘され、それでもそのあいまいさが日本語の奥ゆかしさ、かつ奥深さになるという筋だ。「和」を重んじるために日本語はあいまいなのだという。

ただ、最後に主人公の日本語教師が叫ぶように「日本語はあいまいすぎる!」

日本語は、日本語を母国語とする日本人が、和をもって意思と情緒を共有するのに適した言語だという至極当たり前の結論に達する。

話し言葉としての日本語はそうなのだが、書き言葉としての日本語についても、今までずっと考えてきた。

結論的にいえば、書き言葉としての日本語はどうやら明治初期ごろに完成された比較的新しいもののようだ。

日本語は、もともと話し言葉だけで文字をもたなかった。

中国から漢字を輸入して、当て字で日本語を表現するようになった。その後、漢字から平仮名や片仮名を作って漢字仮名交じり文体が出来上がった。いまだに、日本語と外国から輸入した漢字が十分にマッチしていないという書道家もいるぐらいだ。

また、平仮名でさえ長い間、統一した書体はなく、明治になって初めて政令か何かで一つの書体に統一した。

また、半濁音の丸はもともと日本語にはなく、16世紀にポルトガルの宣教師が読みやすいように付け加えたということだ。

段落下げや、句読点もどうも明治の初めごろにできたものらしい。国語の先生に聞いた話だが、江戸時代に書かれたものを見ると句読点や段落の概念がない。

つまり、段落や句読点は西洋の文体から取り入れたのもらしい。

だから日本語はだめだと言うつもりは全くない。日本語は、日本語を母国語とする日本人が使うのに最適化した使いやすい言語だと思う。

しかし、日本語を外から見ると違うものになる。

日本語は、それを母国語としない人々が学ぶ言語としては最難関の部類に属する。世界第2の経済大国の言語であればどんな苦労をしても学ぶ価値があろうが、今ならそれほど苦労するなら中国語を学ぶ方がいいと考えても不思議ではない。

10年後も、世界企業として生き残ろうとする日本企業が、人材の国際化を模索する中で、英語を公用化していこうというのは当たり前すぎる話だと思う。

驚くべきは、今まで何度も国際化が叫ばれながら、それが、なされてこなかったことだ。

そして、さらに驚くべきは英語をビジネスの世界での公用語化しようとする動きに対して、想像を絶する拒絶や困難が待ち構えていることが予想されることだ。

企業の人材が、グローバルとローカルに分化してゆくにつれて、日本の労働市場も2分化してゆくだろう。

ビジネススクールも、グローバルMBAとローカルMBAに分かれてゆくだろう。

どちらを選ぶかは、本人次第。ただ、簡単にできることは、誰にでもできるので競合は激しくなるだろう。競争の本質とはそういうものだ。

作成者 takeda_fin : Wednesday, September 15, 2010 17:04