2011年9月4日(日)
先端?
合成生物学という分野がある。その流れから構成された生命や物体を考えると、科学技術は非常に先端的で刺激的だ。概念的にも。
芸術は先端的であるべきだ、という考え方があるが、芸術の領域はそれ程先端的では無い。現時点での先端的な所を目指すのならば、世界の先端を見つめるべきだろう。その世界の先端とはどこなのか? もちろん時代の先端は「今」だ。そうでは無く、文化としての先端はどこかという事だ。
現在の世界でも、文化的に保守化するモノもある。構造的な保守と言おうか、、、。固定的な先入観からでないモノの見られ方がある。そこでは無く、新しいモノの見方を誘発する、新しい何かのシステムや物体が生成されてる場がたぶん先端だろう。
それがどこなのか? そこを見つめる事がまず先決であろうと思う。
神の意思とやらをどう作るのか?
怪しげな話では有るが、生物を作るにしても、物理法則をデザインするにしても、それはほぼ「神の仕事」として一括りにされて来たものだ。
それを宗教的に見つけてきた昔の歴史と、見つけた事によってそれをコントロールして来た歴史。科学と技術とは本来その様なものだったのだろう。それが科学とも技術とも呼ばれる前から。
動物や植物の性質を交配などをコントロールする事でデザインしてゆく事は非常に神がかった技術だとは思えないだろうか? 人類はそれを何万年も前からやっている。 それらの行為は現在の技術と概念として何ら遜色の無いほど高度に神がかった行為だろう。
技術や科学(世界の認識)とはいつも神の意思を見つける様な、ある種宗教的な行為なのだと思う。宗教はやはり万年前からあったのだし。
我々が技術を新しく創り上げる時、作ろうとする時、そして社会や世界を作ろうとするとき、我々はまず何万年も続く人間としての根源に立ち返って、「神の意思」らしきものを探してはどうだろうか?
技術進歩の鍵も、社会改革の鍵も、たぶん本当にそこに有るのだと思う。
