労働体制(戦時・現在)研究のページ

労働分野において特に重要視される時代として挙げられる1940年前後の体制を研究し、同時に、その体制が崩れつつある現在の状況を考察します。

2011年4月20日(水)

「日本」文学批判

福島第1原発:経産省幹部の電力会社への天下り当面自粛


《枝野官房長官は再就職したOBについても、「直接自粛を求める対象にはなり得ないが、当然、政府の対応を見て、それぞれの個人の責任と判断で適切な対応をされると期待している」と述べた。》


国会議員が「自粛」という言葉をはっきりと遣い、その効果を出させている。アメリカ文化等の影響が強い時期には、この顔色を伺う文化様式は不透明だということで表向きは隠し、タブーとされてきたが、ついにこの日本様式は表舞台に臆面もなく出たということでいいだろう。



 


桜井財務副大臣が菅首相批判=「退陣要求は当然」


《民主党の桜井充財務副大臣(参院宮城)は20日午前、野党議員が18日の参院予算委員会で菅直人首相の退陣を求めたことについて、国会内で記者団に「そういう感じを持つのは当然だ」と述べた。閣内から退陣容認論が出た形で、首相の求心力は一段と低下しそうだ。》


またかと。クビを取ればいいというのは戦国様式だが、領土拡大や日本統一の発想がないのであるから、気に入らない従業員は解雇すればいいという考えと同じ。これでは首相としての能力は誰であっても育てられない。そろそろ首相制度そのものをを見直す時期なのであろうが、どうしたらよいかは誰もがわからない。



・原発について賛成か反対かというアンケートまがいの特集もされているのであるが、これでは全然前に進まない。事実、今回の地震の影響で、賛成後の処置が無防備であり、フランス企業の助けが必要になった次第である。熱しやすくかつ冷めやすい国民性、走った後のフォローにほとんどコストをかけないという国民性(何も起きないのに多大なコストをかけるのは誰しも反対する。しかし事故が起きれば最悪の事態となることはわかりきっている。こうした放置体制そのものを変革しようとした人がいたのかどうか。いたとしても埋もれてしまっているはず。)こそが日本社会の核心問題であるはずである。


「戦争批判」する態度も同じである。結局、そのときできなかったから、でしかなかった。それもあり、行動主義というのを掲げられた時期もあるが、それは目標が定かではなかった。

作成者 魚座労務士 : 2011年4月20日(水) 19:49
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2011年4月6日(水)

我慢の習性

関西でも「乾電池」がなくなっている、と聞いて信じられなかったのだ。百均ショップでいつものように置いていたはずと記憶していたためである。その人はまた付け足して「単一がない」と。
あらためて百均ショップに行くと確かに単一は置いていない。もともと定番でなかったのかそれとも大震災の影響なのかは定かではない。他の大きさはいつものようにある。
電化店に行ってみると、少し置いていたが購買量の制限を記す帯が吊るされていた。
もう既に新しい電柱が立てられ、電気が通っている被災地も出てきている。ミネラルウォーターについては前のままである。水についても出るようになっている被災地も出てきた。

タバコが「欠品中」という札で覆われてきた。入荷がなくなり、在庫のみの販売で購買量の制限が行われている。配給制度みたいなもので、戦中の世相が初めて全体的に理解できるのが今この瞬間であろう。これまでの解釈は全然違っていた、なんていう切り込みの論文が出るのを待つ。だいたいは理解されていて、それほどの衝撃ではなかろうが、頭だけの理解であったところで見落としとか色々あるはずである。

何度も蒸し返して「日本人の我慢」というものを考えてみた。実はそんなにたいしたことではなかった。大震災ならずとも、都市部の者は毎日「通勤地獄」をやりすごしているのである。後ろの人の骨が痛いなぁとか体勢がおかしくなって腰がつりそうだとか足を踏まれたとかする地獄である。しかも東京ならば2時間くらい電車乗り継ぎで通勤するのが普通であるから、被災民ままであることにまちがいはない。で、その原因は何か。対策はあるのか。誰が悪いのか。叫んで暴れて何がどうなるのか(というより、身動きできない状態なのだが)。

無論、また再建できるとかの見通しがあるから、そうしないのである。それがただ絶望だけであるなら、やはり暴動や精神的破綻等が起こるに違いなかろう。ならば被災民以外はやはりノーマルに生活することで安心を与えることが大切ということになる。ノーマライゼーションの発想はまだ日本では言葉だけということになるのかどうか。「自粛」が喪に服すに似た儀礼であるならば、喪明けは。

作成者 魚座労務士 : 2011年4月6日(水) 15:16
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2011年4月1日(金)

陳腐

色々と思うに、日本人は「国家意識」を戦後自らの手でもみ消し続けてきた民族である。しかし、国家として独立もしてきた。この段階で、はや他の国の理解外にあるはずである。わけがわからない、と。

日本人とすれば、ずっと「自粛」し続けていたわけである。だが、この「ジシュク」は今回のことでもわかるように、日本人同士にしか通じないシキタリであった。したがって、いつまでも日本人は反省していないと言って来るはずである。

いかに日本人でも、これと同じことを他の者から聞けばすぐ、それは変な話だとする。ただ、自分のことはよくわからないのである。自分のことがわからなければ、他人のこともそれほどよくわかるわけもない。おまけに日本人の振る舞いにおいては「距離を置く」のが礼儀なので、冷たくも映るであろう。

政府関係者や東電関係者もオロオロとしている姿をそのまま出しているが、国民としてはそれほどの意外性はない。日頃からしていないことはいざというときにもできるはずがない、と。今さら「政治家が悪い」ということはいえない。そこまで共同体意識は日本国中を席巻しているのである。無論、日本では「平凡な」政治家しか出ないような、現秩序維持志向の「空気」が作られたからでもある。平凡な政治に何を期待しようというのか。ただし、この非常事態内閣は、いや民主党その他も含めて、あらためて政治として何をすべきかが会得できたのではなかろうか。もはや政党が自らのテーマを決めてマニフェストだの何だのを述べ、それを国民が気に入れば選挙で投票してもらうという「平凡な」世界ではなくなった。それは陳腐ながら、国民生活から必要とされるべき政策の実行であるが、今の時点でいえば陳腐だと思う者はいない。またいずれ、陳腐になるだろうが。かつて「天皇機関説」というものが出たが、なぞらえて云えば「政治」は機関である。政治家になればなったで、これほどつまらないものかと一回は思ったことがあるものと願うのみである。

作成者 魚座労務士 : 2011年4月1日(金) 21:18
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「ジシュク」

花見を自粛する日本人に思う…「政治家こそ“自粛”せよ」―台湾


《また、中国語ではなじみのない「自粛」という言葉についても、「単に自分の言動を慎むということだけでなく、集団のために我慢する、という意味だ」と解説。日本人の“心情”は理解できるが、台湾社会では個人の「自粛ムード」で、全体の秩序が維持されるということは少ないとして、1人ひとりが社会を乱す一因になりうる、などと台湾社会の危険性を指摘した。》


台湾からの支援も相当だという。台湾に関しては、現在ではテレビでの金さんの話を通じての他はほとんど情報等がない。その台湾からの義捐金がアメリカを上回っているのであるから、いかに日本人が薄情であって、台湾人が多情であったかである。


さて、原発事故に続いての各国の関心事は「自粛」というものである。
アメリカではそれを「強迫観念」としている。アメリカは戦前からの蓄積でおそらく日本研究では他国をリードしているはずだが、まだ今一つ理解するまでにはいっていない。アメリカがそうだから、他国もおしなべて知るべしである。
といって、日本人も我ながらよくわかっているわけでもないが。人が苦しんでいるとき、困っているとき、たとえばその人が自分であったとして、他の人が平気でいるならば、気分の良いものではない。そこまではどこの国の者だってわかる。だから援助するわけである。ただ、それを「ジシュク」という行動で示す方向へと向う意味がわからない。少し考えれば、日本経済によくないはずであるから、と。しかも、国民のほとんどが、政府その他から強要されたわけでもないのに同一の行動をとるというところ、が特に不可思議なのであろう。


「妬み」という語で日本を説明した人もいたが、共同体意識が根強いからこそそれもまた強い。「故郷を出る」ことは卑怯者か脱落者であった。現在そういう意識はないが、「故郷」という所属管轄は、「軍」になったり「会社」になったり「国」になったりと伸縮変化する。個人主義や民主主義は、日本においてこの所属意識の阻害をしない限りで許されるべきなのである。これらに過度の反応をした時期もあるが、いつしか意義を薄めることに成功した。実際、肝心なときに期待できるものではない。だから、教科書人間(原理原則に忠実な真面目人間)は相手にされない。
しかしながら、「教科書」をそこまで貶めている状態は不幸と言わねばなるまい。「何事も実践」は真理であろうが、「教科書」を学ぶ必要がないという解釈も成り立っているのはムダすぎる。今、韓国では教科書問題で沸いているようだが、相手たる日本人の教科書に対する意識はそれほど強くはない。無論、担当者は必死だろうが、一般の日本人は韓国人ほど教科書をまともに読む認識をもっていないからだ。瞥見からだと、やはり日本人と日本社会は理解できるシロモノではない。確かに、社会に出る瞬間ようやく「一般常識」の勉強を始めるという日本人の姿は、日本人ながら、おかしいなぁと思いながらも…

作成者 魚座労務士 : 2011年4月1日(金) 19:44
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