「行き詰まった」「停滞する」などの表現が、この20年間の日本を表してきた。20世紀初めにロシアの艦隊を破った国、第2次世界大戦での敗戦後20年余りで米国を驚かせた「超一流国家」の日本が、なぜこのような状態に陥ってしまったのだろうか。
《日本がかたくなに守ってきた官僚体制は、大地震と原発事故の前に「想定外」を繰り返し、崩壊した。無気力な「引きこもり」の若者や、孤独な死を遂げる高齢者たちが急増している現状から「家族の崩壊」を垣間見ることができる。最高の料亭が残り物を再利用し、最高の温泉では水道水を混ぜ、創業300年の老舗和菓子店が製造日を偽るなど「職人意識」が失われた事例が相次いで起こっているのも衝撃的だ。》
やや持ち上げすぎの説明であるが、その通りである。
最近のヤフーニュースなどで韓国の話題が載ると、かなり深刻なバッシングが見られるが、それをステップボードとして何とか伸び上がろうということが読み取れる。こういったことで日本人はまたひとつになり…というイマジネーションが漂う。無論、感情が高ぶるに対し、ストレスは自分に帰ってくる行為となる。ただ、こういったとき、悪い意図であれ、意識の上で韓国が登場してくるという点は興味深い。言うまでもなく、私は善い意図による意見を求める。
高度成長期の日本といっても、必ずしもすべてよかったというわけでもない。
また、「官僚体制」はもはや官僚そのものよりも、国民の在り方を示すものと拡大してもよい。会議に出ると、大方根回しが済んでおり、実際の会議時間での発言はほとんど必要ではなくなっているとか、新たな情報を出しても反応できなくなっているとかは、これが日本のありとあらゆるところでそうであれば、確かに大きな船が沈没していっているといえる。
ただ、韓国は何でも日本の通りにやってきたとはいえそうもない。日本人からは独特だとみえるものがたくさんある。「悪いことは何でも日本」はナシでお願いする。